62 メイドではなく友だちとして
テリーを探して助けることが不可能だと知らされたアリアは、見る見るうちに体の力を失い、床に崩れ落ちた。
「アリア様、しっかりしてください。さあ、立って……」
「ああ……」
「泣いている場合ではありません!しっかりして」
「エリ……私、とても耐えられないわ。何のためにここまでやってきたの。あの人を失うなら、私はもう生きていてもしょうがないわ。このまま、ここに残してちょうだい」
「アリア様、何を言うんです」
「私は本気よ。もう、すべての力が抜けてしまったわ。このまま私を置いて、エリだけ逃げて……」
エリは、アリアの体に手をかけたまま沈黙した。
涙に顔を濡らしたアリアが見上げると、目を燃えるように怒らせたエリの視線とまともにぶつかった。
「アリア様……、いえ、アリア。もう私は、使用人のメイドとしてではなく、あなたの友だちとして話すわ……。
勇気を出して、力を奮い立たせて!今、あきらめてはダメ。こんなことでくじけてどうするの。目の前でテリーが死んだのを見たわけではないでしょう」
「エリ……」
「アリア、あなたはそんな意気地なしではないわ。なんとしても、生き延びて、テリーを救い出して、2人で幸せになるのよ!今、一時は避難しても、必ずテリーは助けましょう。それも生きていればこそよ。わかるわね、いい?」
アリアがこくりとうなずくと、最後の涙が瞳から転げ落ちた。
「さあ、行こう。アリア」
「わかったわ、ごめんなさい、エリ」
「さあ、靴を履いて。急いで」
寝巻姿のエリは急いで二人の服をカバンに詰め込むと、斜めがけに背負った。
あたりからはあきらかに、焦げ臭い空気が漂ってくる。
ドアを開けると、月の光に照らされた階段のホールは、わき出た黒い煙に半ば埋まっていて、階下は全く見えなかった。
「階段は無理だわ。廊下の奥に行こう。たぶん、あの窓がはまったドアを開けると外階段があるわ」
エリとアリアは廊下の突き当りまで走った。真鍮の取っ手の内鍵を開けると、外開きにドアが開く。
そこには、板がところどころ朽ち落ちた、荒れた螺旋階段があった。
月の光に照らされた草むらは風にあおられ、どこからか、パチパチと炎がはぜる音が聞こえてくる。この風では火が一気に建物全体に回ってしまうだろう、とエリは思った。
「アリア、私が先に行くから、よく足元を見て、私が踏んで、大丈夫だったところをたどって降りてきて」
背後でアリアが息をのむ音が聞こえた。
「気を引き締めて行こう、落ち着いて……」
エリは半ば自分に言い聞かせるように言った。足元には欠けた段から、黒々とした闇が口を開けている。寝衣の裾が風にはためいた。
一歩目。手すりをつかんだ両手に用心深く体重を預けながら、板に足を下した。まずは大丈夫だった。そして、次の2歩目は……。
「あっ……!」
「エリ?!」
エリの足は、腐った板を踏み抜いて、宙の中に突き出された。外れた木の板が地面に向かって落ちてゆき、ぽっかりと空いた空間のはるか下に、夜の草むらが見えた。
エリは両腕に力を込め、体を引き上げた。心臓は早鐘を打ち続けている。
「エリ、大丈夫……?」
「……大丈夫、つかまっていたから……。ああ……」
「エリ、エリ……」
エリは大きく息を吐きだした。
「……アリア、ここは頑張って降りていくしかないわ。覚悟を決めていきましょう」
「……私は大丈夫、大丈夫よ!心配しないで、ちゃんとついていくわ。さっきみたいな情けないことはもう言わないから……」
「うん、それでこそアリアよ」
エリは誰もいない正面に向かって、むりやり微笑んだ。そして、板が外れた個所を大きくまたぎ、そっと、次の段に足をおろす。今度は……、板は足を受け止め、エリの体重を無事に支えた。
幸い、腐っていたのは最初の板だけだった。ところどころ抜け落ちがあるものの、残っている段は無事で、エリとアリアは息を詰めながら、螺旋階段を下りていく。
そうしている間にも、次第に炎の音は大きくなっていった。やがて、風に飛ばされた火の粉が目の前の闇に、ちらちらと姿を現し始めた。
「急ごう。でも慌てないで」
次第に地面が近づいてくる。もうここまで来たら、いざとなれば飛び降りても大丈夫、とエリは思った。後ろのアリアを振りかえって声をかけた。
「アリア、よく頑張ったわ。もう少しよ」
「エリ……、あれは」
アリアの顔は、驚きと恐怖に満ちて、エリの背後を見ていた。エリは正面に向き直った。
螺旋階段の下に2つの人影がある。正面に立ちふさがるようにしているのは、寝間着の上に上着を羽織ったボースだった。そして、少し後方にもうひとつの人影がうつむき加減で立っている。
腕組をして見上げているボースはにやにやと薄笑いを浮かべているのが、月明かりの中で見て取れた。そして、その後ろにいるのは……、
「ドイル……?!」
屋敷に来る前にエリ達と別れて、リードと一緒に身を潜めているはずのドイルが、敵のボースと一緒にいたのだった。




