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第4章 「遅刻」

 第4章 「遅刻」


 もうすぐ試験が始まってしまう。

 あと1分か。数十秒か。

 既にグランドにはユニフォーム姿の試験を受ける予定の者が並んでおり。

(やばい……)

 優馬は全力でグランドへ向かったが。

――キ―ンコーンカーンコーン

 チャイムの音。

 試験の集合時間を合図する音。

 ホームベース付近のフェアグランドで、ユニフォーム姿の仁徳学園の主将――郷田ごうだが。

「これより、試験説明を行う!」

 体格のいい男。太くて大きな声。

 グランド上の試験を受ける部員達にその声は届く。

 すると、肩で息をしながら、新堂優馬が並ぶ部員達のもとへ歩みより。

「すいません……遅くなりました」

 すぐさま謝罪する優馬。

 主将の郷田が答える。

「おまえ……集合時間に遅れてくるなど言語道断だ!」

「ご、ごめんなさい…ちょっと……ちょっとあの……いろいろあって」

 詳しく説明することなど出来ない。

先ほどまで、女の子と個室で着替えていたなど言えるはずもなく。

「言い訳は聞かんっ! どこの中学かわからんが……お前は……不合格だっ!」

 郷田はピシリと太い指をさして言う。

「そこをなんとか……」

 呼吸が乱れながらお願いする優馬。

「監督のいないこの学園の指揮権は主将である俺――郷田弘明ごうだひろあきにある。選手自身が高い自覚を持って、それぞれが日々精進し、切磋琢磨し、技術を磨き、戦術を磨き、プレーをする。それがこの学園のやり方だ。時間も守れない自覚の低い人間などいらんっ! お前は、不合格だっ! さっさと荷物をまとめて帰れっ!」

 郷田の厳しい言葉にざわつく受験部員達。

 するといきなり。

「私のせいなんです。その子に試験を受けさせてあげてください。わたしからも、お願いします!!!」

 高く透き通るような声。

「学校に……学校に、変態が出たんです。女子トイレを覗いた変態が。学校中を逃げ回っていて、私がその子に変態を捕まえてくれとお願いしたんです。さっきまで追いかけて手伝ってくれていたら、試験に遅れてしまったんです」

 赤いジャージ姿に、しなやかな髪を揺らしながら。

 綺麗な瞳と、整った顔。

 周囲の受験部員達がひそひそと声を漏らす。

「めっちゃ可愛いな」

「ここのマネージャーさんか?」

「マネージャー? でも、この子どっかで……」

 そんな中、一人の受験部員が大きな声で。

「ああっ! 東強女学院とうきょうじょがくいんのキャッチャーじゃん!」

 他の受験生が。

「えぇ! 本当だ! ここの生徒になったのか!?」

「主将さん、遅れた事は申し訳ありません。私は、この学園に編入予定の『霧島未来きりしまみらい』です。今日は、ここのマネージャーとして体験入部が出来ると聞いて試験の模様からお邪魔させていただく予定でした」

 郷田が言う。

「どんな理由があろうと、ダメなものはダメだっ! それに、キミも遅れてきたんだろ。体験入部の初日そうそうから、全くどういうつもりなんだ」

「どうかお願いします」

 深々と頭を下げる未来。それを呆然と眺める優馬。

「ダメなものは……」

 郷田がそう言いかけたところで。

「いいではないか……べつに。受けさせてあげなさい。その子も試験に」

 郷田の声に割って入ったのは、黒のサングラスの男。

 整った白いYシャツに、左目は傷の跡。

 郷田がそのサングラスの男に顔を向けて。

「あなたは……緋乃本常務……」

 緋乃本常務理事長。この学園のトップの責任者。

「私がこの学園の最高責任者だ。最後の合否は私が決める。試験を受けさせてあげなさい」

「ですが……常務コイツは……」

「受けさせてあげなさい。大切なのは、結果だ。結果が全て。結果に至る過程など、毛ほども考慮するつもりはない。頑張ったからどうのとか、礼儀正しくしていたからどうのというのは、結果の前ではどうだっていい事。どうせ試験は紅白戦の結果で決まるんだ。それに、試験自体は30分後だろ。問題ない」

 その言葉を受けて。

「常務がそうおっしゃるなら……お前! 今回は常務の計らいに免じて特別に許してやる。次はないぞ! いいかお前たち! 今日は、紅白戦が試験内容だ! その紅白戦で結果を出して、自分の力をアピールしろ! 結果こそ全てだ! いいか!」

「はい!」

 一同が大きな声で返事をした。

「ウォーミングアップを開始しろ! キャッチボールは適当に、近くにいる受験部員同士で行え! 試験は30分後! いいか!」

「はい!」

 説明も終わり。

 優馬は、グランドに膝をついてスパイクの紐を縛っていると。

 後ろから、やはり透き通る声が語りかけてくる。

「危なかったわね。優馬」

 優馬は素早く靴紐を縛り直し、すっと立ち上がる。

「霧島さん。さっきはありがとう! 助かったよ」

「ううん。もともと私が招いてしまった事よ。その分私が今日……」

 未来が優馬から視線を外しながら。

「今日、合格できるように……その、頑張ってあげる」

「霧島さん、名門校の有名選手だったんですね。」

「名門かはわからないけど、野球ならある程度の自信はある」

「そういえば、秘策って結局何だったんですか?」

 その質問に、答えづらそうに未来が。

「それは……まぁ、そのうちわかるわ。それより、みんなランニングしてるわよ。優馬も走ってきて体温めなさい」

「そ、そうですね!」

 グランドの外周をしばらく走ったところで、息を切らしながら再びベンチまで戻ってくる。グローブをはめてキャッチボールの準備をしようとした時だった。

「えーっと、だれか……キャッチボールの相手……」

 そう言いかけて、辺りを見渡す。

 グランドには既に受験部員同士がペアになっている。それぞれ顔見知りのようで、名前を呼びあいながらキャッチボールをしていて。

「……もしかして……僕一人?」

 周りは全日本クラスの有名選手ばかり。既に顔の知れた関係が多く、すんなりとペアが決まってしまったのだ。そんな中一人ベンチの前に立ち尽くす優馬を見て。

「おい、見ろよあの遅れてきたやつ。あそこで、ぼーっとつっ立ってて」

「相手がいないんじゃ、しょうがないだろ」

「あんまし見るな。かわいそうだから」

 そんな声がひそひそと聞こえてくる。

 すると。

「なんや、おまえ。相手おらんのんか。そりゃそうだわな。無名の中学からきた訳やし、ろくに知り合いもおらんのんやろ。俺のところに入るか?」

 今朝校舎の並木道で、ひと悶着あった神島の声だった。

 優馬はすこし照れくさそうに。

「い、いいの? 神島くん?」

「いいわけあるか。冗談や冗談。ええか? おまえ。」

 優馬を睨みつけながら。

「ふるい落としはもう始まっとるんや。ここに集まった奴らは、知る知らん関係なしに、ライバル同士の敵なんや。敵に協力するやつがどこにおるんや」

「……」

 何も言わず、優馬はキャッチボールに戻る神島を見つめる。

 無理もない。姉の名前を借りて、試験を受けさせて貰うのだ。

 なんとか、自分の力でアピールして頑張るしかない。

「シャドウピッチングで……」

「私が相手してあげるわ」

 背後からキレのある透き通った声。

 その声の主が急に目の前に現れ、長くしなやか髪を揺らしながら。

「優馬。私がキャッチボールの相手してあげる。」

 青いグローブをはめた霧島未来がそこにいた。

「霧島さん……い、いいの?」

「何言ってるのよ。相手いないんでしょ? それにもう時間もない。一人のシャドウピッチングで肩が温まる訳ないでしょ」

「ありがとう」

 優馬と未来はキャッチボールを開始する。

 お互いフォームを確認する仕草で軽くボールを投げて、未来が少しずつ下がり距離をとっていく。

「お、おい。アイツ体験入部のマネージャーとキャッチボールしてるぞ。」

「な、なんだあれ。なんであんなやつと……」

 そんな言葉が飛び交う中。

 遠くからみていた神島が。

「何ちゅう球なげるんや。アイツ。」

 指を指して言う。

 キャッチボールの相手だった須藤が。

「ああ。関東地区の決勝まで進んだのは伊達じゃないな」

 神島が強調するように。

「あのマネージャー」

 ボールを受けていた優馬も驚きを隠せない。

 距離は30メートル半ばくらいだろうか? その距離を平気でノーバウンドで投げてくる。

「伸びが……すごい。霧島さんのボール」

 優馬は霧島の投げるボールに目を見張る。

 今までに男子が投げるボールでも、ここまで伸びのある力の籠ったボールを受けたことがなかったからだ。

「一体……どうやって」

 その後、未来は60、70、80mとどんどん距離を離していくが。

 ボールはやはり、ノーバウンドで優馬のグローブにおさまる。

 それも、遠投で力感のないフォームで投じられたボールは、同じような高さから真っすぐ優馬の胸の取りやすい位置に来る。

「す……すごい」

 すると、未来が少しずつ近づいてきて。

 ピッチャーとホームベースくらいの距離になったところで。

「これで、18.44くらいだわ。私わかるの。本気で投げてみて」

 18.44とはマウンドからホームベースまでの距離の事。この『18.44m』が高校野球やプロ野で球、投手が打者と対峙する距離である。

「霧島さん、そんな事までわかるんですね。い、いきますよ」

 言いながら、優馬が全力でボールを投げる。

「!」

 ボールは未来から少し逸れるがグラブにおさまり。

「どこなげてるの! 私の『胸のあたり』、ここ! ここに投げてきなさい」

 そう言い『胸』を強調する。赤いジャージ姿ではあるが、やはり女の子としての膨らみがあり、しかし堂々と、その『胸』あたりにグローブを構える。

 再び優馬がボールを受け取って投げるが。

 なかなかボールはその『胸』の取りやすい位置にいかない。

 見かねた未来が駆け寄ってきて。

「いい? 優馬。これは、マネージャーとしてではなく、元アスリートとしての私がアドバイスするわ」

「は、はい」

「優馬は体の使い方が少し変なの。投げたい方向へ真っすぐに肩のラインを合わせて、軸足の土踏まずを垂直に置く。ここまでは出来ている。でも、投げる時に踏み出した左足が動いて、体が開く癖がある。真っすぐ左足を踏み出さないとボールは真っすぐ行かないし、体が開くと腰、肩、肘、手、指先とうまく連動させて強いボールが投げられないの」

 未来がすぐ傍で、こちらの手や肩や腰や足など、それぞれの箇所に細かく触れながら、まさに『手取り足取り』アドバイスしてくれる。

 優馬は真剣にそのアドバイスを聞き入れて。

「ちょっとやってみる」

 未来が再び、距離を取り。

 優馬はアドバイス通りにモーションを起こす。

 小さな声で呟きながら。

「体が開かないように……」

 左足をそっと上げる。

「肩のラインは真っすぐ、軸足の土踏まずは垂直に……」

 軸足に力が入る。

「体が開かないように、真っすぐ左足は踏み込んで」

 左足が地面をつく。

「足、腰、肩、肘、手、指先……」

 呟いた箇所が、アドバイス通り連動していき。

「バンっ!」

 投じられた優馬のボール。

 けたたましい音を上げ、力強いボールが未来のグラブにおさまる。

「やれば出来るじゃない」

 その後もキャッチボールは続き、大声を出さなくても声が聞こえる距離になって。

「姉ちゃんの言ってた通り、霧島さんって凄い人だね」

 未来が食いつく。

「お姉さんはなんて言ってた? 私のこと。何か話してた?」

「えっと、たぶん霧島さんのことだと思うんですけど、仲のいい後輩で凄く野球の上達が早い子がいるって聞いたことがあるかも。『おそらく優馬よりうまい! あんたもがんばんないとね!』言われました」

「…そうなんだ。他には?」

「うーん、その子は入部したときより明るくなったとか、表情がでるようになったとかって」

 さらに探るように未来が。

「もっと、もっと他になにか言ってなかった?」

 送球に力が籠る。

「霧島さん、何そんな一生懸命になってるんですか? そんな態度みるの初めてですよ。もしかして、霧島さん……姉さんの事……」

 言いかけて、溜める。

「あんまりよく知らなかった?」

 未来は照れくさそうに。

「そ、そんなことは…私は、加来先輩の事めちゃくちゃ熟知してるし…」

「そうなんですか?」

「そうよ」

 そして、二人のキャッチボールは終わり、優馬と未来はベンチへ戻ろうする。

 歩きながら未来が。

「ねぇ優馬。優馬にとって、お姉さんはどんな存在だった?」

 優馬はそこで足を止め。

「姉ちゃんは、僕にとって野球の楽しさを伝えてくれた人だよ。そんな姉ちゃんを、僕は『必ず甲子園に連れていくから』って。子供の頃に約束したんだ。笑っちゃうよね。僕みたいな非力なやつが」

「そんなことないよ。諦めなければ、どうにでもなるから」

「それ姉ちゃんにも言われたよ。『自分の可能性を信じろ』とか『諦めなければ必ず夢に近づける』って」

「夢に近づける……か……」

「霧島さんにとって姉ちゃんはどんな人だったんですか?」

 未来は、立ち止まりながら空を見上げる。

 雲一つない青い空。

 懐かしそうに。

「私にとって、加来先輩は……夢だったわ。夢そのもの。いつも明るくて太陽のような加来先輩から、いっぱい勇気や喜びをもらったわ。とくに野球は、加来先輩が後輩である私たちに与えてくれる『喜びの場』そのものだった。私は、中学の途中から加来先輩に勧められて女子野球部に入部したけど、本当に毎日が楽しかった。楽しくて、楽しくて、それまで、いやな事ばかりで一人だった私に、加来先輩と野球こそが、私の本当の喜びを与えてくれたの。」

 希望を語るような口調と、やはりどこか悲しげな表情。

「でも、私驚いたわ。仁徳学園に加来先輩の入学が決まって。特待生枠で入学したのに、まさか女子野球の選手じゃなくて、男子野球部のマネージャーになるなんて……もしかして優馬、あなたとの約束を信じて、待っててくれたんじゃないの?」

 優馬は苦笑いしながら。

「勝手な話だよね。せっかく女子野球の選手として入学できたのに。きっと待っててくれたんだろうな。姉ちゃん優しいから。でも。姉ちゃんはやっぱり自分の限界を感じてたんだと思う」

「自分の限界……?」

「うん。姉ちゃんは野球がうまい。でも、自分が女の子であるから、ある程度のレベルまで来て気づいたんだ。『女の子は男の子にはかなわない』って。どんなに練習を重ねてうまくなっても、『結局男の子にはかなわないんだ』って。らしくないよね。可能性を信じろとか。あきらめるなとかって人には言う癖してね。」

 未来はやはり不思議そうな表情で。

「私には、そんな弱音を吐いたところなんて一度も見せなかった。『男の子にはかなわない』なんて初めて聞いた。加来先輩でもそんなこと言うんだね。私ほんとは全然先輩の事知らなかったのかもしれない」

「きっと、後輩には気を使って弱さを見せなかったんですよ。諦めはあったかもしれないけど、野球が大好きな気持ちは、ずっと変わらなかったんじゃないかなと思います」

 言いながら優馬は再びベンチまで歩みを進める。

 立ち止まったままの未来が、前を行く優馬に大きな声で。

「優馬!」

 振り返る優馬。

「先輩は……加来先輩は……諦めるような人ではないと思う。悩んでいた事は隠していたと思うけど、ずっと大好きだった野球をうまくなりたいって、そういう気持ちで取り組んでた。加来先輩が男子のマネージャーになった時期はきっと…いろいろ考えていて…でも、結局加来先輩は大好きな野球部へ戻ってきたんだ。この仁徳学園の女子野球部に。大好きな野球をするために。だから……」

 そこで言葉を止める未来。

 優馬の顔を真剣に見つめながら。

「だから、優馬も諦めないでほしい。自分の力が足りないなんて思わないで。今日の試験、私も必ず力になるように努力する。お姉さんはここにはいないかもしれないけど、天国で優馬の活躍を見てるはず。そして、きっと待ってる。甲子園へ連れてってくれることを。そのことは忘れないで。」

 思いの籠った力強い言葉だった。

「姉ちゃんがいなくなってから、僕は野球だけになった。ぽっかり空いた穴は、どうしたら埋まるだろうと思って、そのことばかり考えながら野球をやってて、この学園の試験を受けることにしたんです。だから僕も。」

 言葉を止め、意思の宿った声で。

「だから僕も諦めないで、こんな僕でも凄いことができるんだってところみせるよ」

 優馬は左拳を握ったまま、そっと未来へ突き出す。

 未来もそれに応えるように、右拳を突き出す。

 拳と拳が触れ合う。心に温かい火が灯る。

 試験はあと10分後。

 優馬。

 新堂優馬。

 7番セカンドでスタメンである。

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