第2章 「共犯犯行開始」
第2章 「共犯犯行開始」
優馬は焦っていた。この由々しき事態に。
「勝手にあんな条件の勝負、約束しちゃだめだよ」
優馬と彼女は、並木道を歩きながら。
「それに、最初は僕にボールを遠くに飛ばせないとかって言ってたじゃん。それなのに、どうして急にあんな条件を出したの? 僕に期待してるの?」
「別に期待はしていない。」
淡々と、当然のように答える。
「じゃあ、なんで?」
並木道を歩く彼女が、急にその華奢な足を止めて。
「プライド……かしら?」
優馬に聞こえるギリギリの小さな声で囁く彼女。
「プライド?」
いまいち意味を理解出来ない優馬。
「ねぇ、優馬」
小さな声で、今度は優馬の方に顔を向けて。
「あいつらに勝ちたい?」
優馬が答える。
「いや……僕としては、受かればそれでいい。でも、もし対戦するような組み合わせになって、打てなかったら……君が……えっと……」
言いかけたところで、名前を聞いてなかったことに気が付く優馬。
「霧島。霧島未来よ」
霧島。霧島未来。
その名前には聞き覚えがあった。
「何でもって言っちゃったら、何されるかわからないんだよ。霧島さんが酷いことをされちゃうかもしれないしさ。そんなリスクを背負ってまで……僕に……」
言いかけたところで。
「大丈夫。私には、秘策があるの……勝負に勝つ秘策。あなたを導く秘策が……」
霧島未来の口元がにやりと笑う。
「秘策?」
考える優馬。
「共犯者になってくれない?」
「共犯者!?」
突然の言葉に驚く優馬。
一体この人は何を言っているのか。
「この秘策は、私がこの学校に潜りこんだ目的でもあるの」
秘策。潜り込んだ。目的。
ちんぷんかんぷんになる優馬。
全く発言の意味がわからない。
すると、チャイムが鳴り響き、柱時計の時間を確認する優馬。
「あ、やばい、もうあと10分後だ。グランド! グランドに集まらなきゃ……!」
「ちょっと待って……ついてきて」
突然優馬の手を握りしめ、それを引っ張って走る未来。
暖かくて柔らかい手が、優馬の右手を包み込む。
彼女は、その目的に向かって走っているようだ。
手を引かれて、優馬は少し頬を赤らめる。
ちょっとだけ、胸がときめくような気持ちになる。
こんな綺麗な女の子が強引に先導してくれているのだ。
無理もない。
手に温もりを感じる。
優馬はどこかそれに懐かしく感じる。
女の子と一緒に手を繋いで走る。
目の前には、綺麗な女の子で。
清く美しく、揺れる長い髪。
その髪の毛の香りと、風が運ぶ独特の春の匂い。
何だろう。
この感じ――
――思い出した。
――姉ちゃんだ。
――姉ちゃんとこうして、昔、一緒に手を引かれて走ったんだっけ。
――姉ちゃんも、僕にとって自慢の姉だった。
――野球が好きだったんだ。
――僕も。
――姉ちゃんも。
――二人とも。
――野球が大好きだったんだ。
――そして姉ちゃんのことも。
――そう。甲子園へ姉ちゃんを連れていくんだって、指切りしたんだっけ。
――その願いに向けて。
――今日、頑張るから。
そんな事を、思い出していると。
「ちょっと優馬!」
夢から覚めたような感覚になる優馬。
「ここよ」
いつの間にか学園の正面玄関に着いていた。
校内はがらんとしている。
手を引かれるまま下駄箱の前まで来て、持っていた鞄から上履きを取り出し、履き替える。
「靴を置くと邪魔になるから、鞄にしまっておくといいわ」
詳しい説明もなされぬまま疑問を抱きながら、しかし言われるがまま靴をしまう。
もうすぐグランドの集合時間だというのに。
学園に潜り込んだと言っていた未来は、この学園――仁徳高校指定のブレザー姿。
「私ね、4月からこの学園に編入する予定なの。今年から二年だから、あなたより一個上ね。」
「ああ、確かに少し大人な感じがしてました……ていうかここの生徒じゃなかったんですね」
年上であるという事実を知って、急にかしこまった敬語になる優馬。
未来は辺りを見回し、人目を警戒しているようだ。
「ついてきて」
ひとしきり確認してから、未来が切り出す。
前を行く未来が職員室周辺で足を止める。
「私は校長室に用があるの」
未来は顔を職員室のもう一つ奥のドアに向ける。そこには、『校長室』と書いた小看板がある。
「今からあなたには囮になってもらう」
「囮!? 囮って何ですか!? というか、本当に時間ないんですよ。あと6分しかない」
焦る優馬に、未来はやはり真剣な表情を崩さぬまま、
「わかってる。だからちょっと来て。」
また、力いっぱい手を引かれる優馬。
慌てた様子はないが、未来は少し早口になる。
「簡潔に。手短に。わかりやすく。迅速に。効率よく説明する。あなたは囮になりながらグランドまで全力疾走する。これだけでいい……だから、早くこっちよ」
言いながら、未来が連れてきた場所は女子トイレ。
強引に未来は、女子トイレの個室の中に優馬を引き入れ、鍵を閉める。
別段周囲の様子を気にすることもなく、ただただ迅速に目的を遂行する未来。
偶然女子トイレには誰もいなかったのが救いだったが。
「ちょ、ちょ、ちょっと、霧島さんっ! ……」
優馬の背中を壁へと強く押し付けて――
その壁を――
「ドン!」
いかにもどこかのご褒美展開でありそうな壁ドンを仕掛けてくる。
こちらを見つめる。 髪の毛からは、甘い香りがする。
一点の曇りもない顔つきで。
「ねぇ、優馬。」
「はい……霧島さんっ!?」
「服を脱いで……」
曇りなき眼差しが、強く要求してくる。
果てのなさそうな展開に、忘れてはいけない残り時間と、今の状況とで頭が混乱しそうになる。
「な、な、なんでっ! ってか時間っ」
未来が優馬に向けていた視線を外して。
「ねぇ、そのままで試験するつもり?」
「全裸でいろと?」
「そういうことじゃない……」
未来の表情が少し崩れそうになるが、そこは堪えて、
「いいわ、あなたが脱がないのなら、私は脱ぐから……」
言うと、素早い手つきで恥じらいなく、ブレザーのボタンに手をかけ始める。
「霧島さん……!?」
激しく動揺を隠せない優馬と対照的に、迅速に服を脱いでいく。白いYシャツが露わになる。その白いYシャツは、豊満なバストを包み込み、はち切れんばかりのそれを強調する。
しかし、何事もなく未来は言う。
「ユニフォーム。ユニフォーム着て試験受けるんじゃないの?」
言われて、ハッと気が付く優馬。
なにか勘違いをしていた事に恥ずかしくなり、自分のスケベ心に弔いの気持ちを持ちながら、すぐに心を切り替えて……
「そっ! そーだった! ユニフォーム! ユニフォーム着ないと、試験受けられないもんね!」
未来は素早く着替えながら。
「言ったでしょ。迅速に、効率良くって。」
「僕、あっちのほう見てるから! それで着替えるね」
優馬は未来に背を向け、急いで持っていた鞄からユニフォームを取り出し、着替え始める。美人な女の子の生着替えを、自分の意思で見ないという配慮に、賞賛する者はこの場にはいない。そんな正義感も、この時間のない状況の二人にとってはわりとどうでもいいような事であり、特に未来はそれを気にも留めていなかった。
「準備できた?」
未来は着替えを終えていた。声をかけられた優馬もユニフォームに着替え終え、顔を上げたときだった。
優馬の視線の先には、なぜか青い帽子を深く被った未来の姿。よく見ると、全身青い作業服に身を包んでいる。
「そ、それは?」
優馬は不思議そうな顔で美来の服装を見た。
「清掃員に見えない?」
「いや、見えるけど…でもちょっと若すぎるというか…あの、それで何を…」
「私は私の用事を済ますわ」
――ガチャ
トイレに誰か来たようだ。動揺して体を動かした拍子に、がさがさとした作業服の奥に柔らかな温もりを感じて……
「あっ」
優馬は、思わず小さな声を漏らす。
「しっ」
彼女が手で優馬の口を塞ぎ、体が密着する。
動いてはならないと思い硬直する優馬だが、手のひらに感じる柔らかさが更に増す。
洗面台に水が流れる音がして、ドアが閉まる。どうやら手を洗いに来ただけらしい。
「行ったようね」
彼女の柔らかさに触れ続けてしまった事に、優馬は速攻で。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」
まだ外にいるかもしれないと警戒し声をひそめて、体を素早く離して謝る。
未来はそっぽを向いて。
「…それより、時間ないでしょ。」
個室から出てドアを開け、廊下に人がいない事を確認する。
「ふぅー……」
と息を吐く未来。
嵐の前の静けさ。心を整えているようだ。
「今から、私を信じて動いてくれる?」
まだ会って間もなく、何のための行動かも具体的に聞かされていない。
ただただ彼女の手に引っ張られてここまできてしまった。
信じろと言われても、不安はある。
でも、僕と姉ちゃんのために怒ってくれた。
自分一人を犠牲にし、あの二人に勝負を挑んだ。
その行動にはちゃんと応えなくては。
信じてもいいかもしれない。その秘策に。
「優馬……」
名前を呼んでくる彼女。
「頑張りなさいよ……」
こちらにまっすぐな視線を向けて、言ってくる。
その言葉が、まるで姉ちゃんに言われているような、そんな感覚になる。
(あ……姉ちゃん……)
まっすぐなその瞳に、姉ちゃんの姿を重ねてしまったのも束の間。
「時間だよ……」
試験開始まで、あと1分。
「グランドまで急いで」
瞬間。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああーーーー!」
未来は大声で悲鳴を上げた。
学園中に響き渡るくらいの大きな声。
女子トイレのすぐ近くには、校長室と職員室がある。
間違いなくその声は、その二つの部屋には届いているだろう。
優馬は少し怯みながらも、
「行って! 早くっ!」
彼女の声に押されて。
急いで悲鳴の上がった女子トイレから出ていき――
優馬は、ユニフォーム姿で全力疾走しながら、校舎をあとにした。
「――走れ優馬」
ざわつく廊下の音を聞きながら、彼女は一人小さく呟いた。