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第1章 「未来との遭遇」

 第1章 「未来との遭遇」

 3月。

 受験の時期の少し前。

 仁徳学園高校じんとくがくえんこうこうで。

 風がそよぐ。

 桜の木々の隙間から流れ出すその風は暖かく、そして心地よく。

 木々が聳える並木道を、人々は歩いていた。

 その中の一人に。

 ストレートの黒いしなやかな髪が、凛と美しく春の風とともに揺れていた。

 前を歩くのはその女性。

 スラリと細い綺麗な脚は神聖なる黒タイツに包まれており、その後ろ姿から、    『きっと綺麗な人』と、彼――新堂優馬しんどうゆうまは想像した。

 黒の短髪に、ぱっちりとした目の彼。

 一見平凡そうなその彼は、学ラン姿に小柄な体格。

 彼――新堂優馬は、その美しい女性に視線をチラチラ移して。

 女性は、周囲を見回し何かを探している様子。

 短いチェックのスカートが突然くるりと回って、こちらを向く。

 その顔が露わになる。

 優馬の想像の答え合わせとしては失礼なくらい、その女性は美しかった。

 大人びていて、清らかで気高く、威風堂々としていて。

 均整の取れた顔立ちで、少し細めのハッキリとした目は魅惑的で、気づけば優馬はその女性に目を奪われ続けていた。

 じっと見ていたら失礼じゃないかとか、何か言われるんじゃないかとか。

 そんな勘ぐりも考える余裕もないくらい、見とれていた。

 どこかその顔には見覚えがあったが。

「?」

 大人びた顔の彼女だが、学生には違いない。年齢に見合った純粋そうな表情でこちらを見ている。きっとこちらの返答を待っているのだろう。優馬は困惑する。

(美しすぎて、見とれていたなんて言えない。)

 言い訳を用意していなかったため、苦し紛れの誤魔化し返答。

「あ……ぼ……ぼくは……あ……あの……春の風を……感じていて……」

「ストーカー?」

「ち……違います!」

 急いで否定する優馬。

「違うの? じゃあ……stalker?」

 外人さながらの発音。冗談なのかどうか微妙に判断に迷うところではあるが、

 この少年は真面目に、知性や育ちの良さといったものを感じ取っていた。

「えっと、発音はわからないんですけど……ストーカーではないです」

「stalker?」

 また、別の発音。

「違います」

「じゃあ、正しくは何?」

 その瞳が、好奇心を含みつつこちらをじっと見つめてくる。

 優馬は目を逸らしたくなるが、初対面では目を見て話さないと失礼だと思い、強がりながら頬を赤らめる。

「こちらの野球部で、入部試験を受けに来たんです!」

 ハッキリと自分の目的を伝える。

 しかし、こんなにも英語の発音に拘る彼女。

 もしかしたら帰国子女かもしれないという思いが一瞬通過し。

「えーっと、ベースボールプレイヤー! スクールテスト! アイ、ウィッシュ!」

 おぼつかない英語を披露する優馬。

「そんなことより…野球部に用があるのよね?」

 自分からストーカーの話を持ちだしてきたのに、優馬の精いっぱいの返しは見事に一蹴されてしまった。気を取り直して、こちらを向いて問いかけるまっすぐな眼差しに向き直り。

「はい、野球部の入部試験があと三十分後に始まるので、それを受けに来た感じです。」

「ふーん……」

 彼女の綺麗な瞳が、優馬の顔、肩、お腹、脚へと、視線が上から下へと全身をスキャンするように移され、顔は下を向いているのに、視線だけが優馬の方を向いて、上目遣いで。

「あなた、足速そうね……」

 体つきを見ただけでそんな事を言ってくる。

「まぁ、人並み以上は……」

 自信なさげに優馬は答える。

「でも、ボールはそんなに飛ばせない……そんなところかな?」

「そ、そうかもしれませんね……あ、ははは」

 少し図星を突かれ、困惑顔で苦笑いの優馬。

「ここの試験を受けに来たって言ったけど、あなたのその弱そうな体で受かると思ってるの?」

「そ、それは……」

 言葉に詰まる優馬。

 彼女が続ける。

「仁徳学園高校、ここの入部試験は言わば特待生選抜といっていい。全国の目ぼしい有能な選手がセレクションされ集結し、その中で合格者が決められるって聞いていたけど……あなたに合格出来るほどのポテンシャルがあるとはとても思えないけど?」

 視線を外さぬまま、美人な上目遣いが、試すような口調で迫ってくる。正確には迫ってくるように見えているだけで、彼女の立ち位置は全く変わっていなかった。

「ぼくは……」

 視線が彷徨った後、意を決した表情になり。

「この学園に、どうしても入らなくちゃいけないんだ……」

「なぜ?」

 優馬は少し俯き加減に。

「僕には野球しかないから……」

「ふうん。受けるのはあなただし、別に私はどうこう言わない。でも、一応確認するけど、特待生としてセレクションされてここに来たのよね?」

 その問いに、開き直るように優馬が。

「僕はコネでこの学園の試験を受ける事になったんだ」

「コネ?」

「この学園の元選手の弟なんだ」

「弟?」

「うん……けっこう有名だった選手の弟で」

「過去形なのね」

 なにか思案しているような表情に変わり。

「ちなみに……その選手って」

 女性が言いかけたところで。

「おい! どないしてそこ突っ立っとるんや」

 威勢のある声が、優馬に向けられる。

 その男は関西弁で、ギザギザ髪に帽子を反対に被ったユニフォーム姿。

「お前やお前! 俺は、ここの試験を受けに来た門下生や。そこ邪魔やどけんか」

 すると、隣にもう一人いた同じユニフォームの黒縁眼鏡の男が。

「門下生は弟子って意味だぞ。まだこの学園に入ってもいないのに、間違えんな」

「そないな事どうでもええんや。どうせ、俺はこの学園からビックスターになってプロの世界に飛び込むんやから」

 優馬同様、今日の試験を受けに来た二人のようだ。

 少し背丈の高い二人が、優馬を見下ろしながら近づいてくる。

「あんたも、今日の試験受けるっちゅう奴か? なんやエライほっそーい体つきやな」

 不愛想な不良のようなそんな口ぶり。

「知っとるか俺らのこと。まぁ、有名やから当たり前にわかるやろがな」

 その顔に見覚えがあった。

「神島……友久ともひさくん……? と……須藤隼人すどうはやとくん……?」

 去年の全日本中学代表の試合に出ていた2人だ。

「おおーそうやそうや! さすがは全日本の俺やな」

 少し微笑む神島に須藤が。

「まぁ俺たちにとって今日は準備運動みたいなもんだ」

「お前も今日の試験受ける気やろ? 名前は?」

 そう聞いた瞬間だった。

「んっ? この試験って全国から選ばれた奴が受けれるっちゅう奴やろ。俺はお前の顔見たことないんやが、どこで活躍しとった?」

 聞かれ、目を背けながら優馬が。

「僕は……西中……」

 神島には聞こえないくらいの小声で言う。

「なにぃ? 聞こえへん」

八坂谷西中はつやにし……」

「八坂谷西? そげな中学校聞いたことないなぁ?」

 すると、黒縁眼鏡の須藤が。

「知らないなぁ……君。本当に今日の試験、セレクションされてここにきたの?」

 その問に優馬は。

「僕は、コネで入部試験を受けさせてくれるように無理に頼んだんだ」

 すると表情が変わる神島と須藤。

「コネやとぉ?」

「コネ?」

 怪訝な表情になる神島と須藤。

 その様子を静かに眺めるだけの綺麗な女性。コネと発した瞬間に、その女の子の表情は少し変化があったように見えたが。

「なんや、あれか? 誰かの姉弟とか? そんなんか?」

 問いかける神島に。

「そうだよ……僕は……」

 すると、須藤が言葉を止めて、

「ここの女子野球部の弟が試験受けさせてくれとかって学園に直訴したやつがいるって話を聞いたんだが……お前か?」

 言われ優馬が小さく頷き。

「そ……そうだよ」

 間髪入れずに神島が。

「はぁー? ……そないなことで通用すると思っとんのか? それで合格言うたら、出来レースもええとこや。俺らは、実力で選ばれたっちゅうのに。」

 だんだん苛立ちを増してくる。

「お前? 恥ずかしくないんか? あぁ? ……」

 きつい眼差しが優馬へと向けられ。

 黒縁眼鏡の須藤がハッと思いついたような表情で。

「なぁ君。もしかして去年の関東地区女子野球大会の決勝で亡くなったやつの弟か?  名前は確か……」

 思い出そうとする須藤に、神島が。

「ああ……あの死球デットボールのやつかいな。まぁ、誰であろうと関係あらへん。卑怯な男やお前は。それに、有名選手言うたって、女子の球遊びの温いボールで死んだノロい女なんて、対した遺伝子でもないやろ。ほんま死んだ奴に頼るんはみっともあらへん」

 ぐっと歯を食いしばり、右拳に力が入る優馬。

「僕の事はいい。実際フェアじゃないかもしれない。でも、姉ちゃんを馬鹿にするのは許さない。僕の知る人の中で誰よりも真剣で、ほんとにすごい選手なんだ。姉ちゃんの思いも知らない癖に、それを……」

 震える優馬。

 突然、すっと先ほどの綺麗な女性が優馬の隣に歩みを進めて立ち止まる。

 一連の様子をじっと見ていた彼女が口を開く。

「あなた、まだ名前を聞いていなかったわね」

「えっ」

 一瞬で現実の世界に引き戻されたように顔を上げる。

「あなたの名前よ」

「……新堂。新堂優馬だよ」

 優馬の言葉に、というよりその名前に頷く彼女。少しの間目をつむり、再び開いた時には、彼女は冷ややかな目線を彼らに向けていた。

「謝りなさい」

 鋭い声が刺さるようにして発せられる。

 その場の全員が動揺する。

「お前、何いうとるんや? 関係ないやろ」

「誰なんだよ」

「あなたの態度は客観的に見て失礼。正直不快よ。それは口も挟みたくなるわ。優馬と、優馬のお姉さんに謝りなさい」

 優馬は突然味方してくれるこの女性に、戸惑いと心配の入り混じった複雑な感情を向けていた。確かに自分は怒っているが、謝罪を要求したところでこいつが素直に謝ってくれるとは到底思えない。彼女は通りがかっただけなのに、自分はこの人を巻き込んでしまったのだ。

「俺は事実を伝えたまでのことや。なんの言われがあるんや。温い球で死んだ女の弟なんて、コネで試験受けて合格できる訳ないやろ!」

 言い放つ神島。

 女性は冷ややかな目つきを崩さず。

「あなたは合格できるのよね? ポジションはどこ?」

「教える必要があるんか?」

 神島が反抗的な態度をとる。

「私はこの学校の生徒よ。いずれあなたたちの先輩になるんだから、そう邪険にするものではないでしょ」

 ギザギザ髪の神島が。

「ピッチャーや」

 黒縁眼鏡の須藤が、

「俺は、キャッチャー」

「ふーん……そうなんだ。今日の試験、新堂優馬に泣かされないようにね。」

 綺麗な指先を優馬の頬に雑に当てながら、挑戦的な表情で言い放つ。

 戸惑う優馬。触れられた頬の指先がなんとも柔らかく、乱暴ながら春風の冷たさをぬぐってくれているようだ。

「泣かされるやてぇ?」

「それは、怖いな」

 二人は余裕があるのか自信があるのか、動揺の様子はない。

 女性はすぐに、

「温い球は……」

 といいかけたところで言葉を止める。そして怒りのこもった口調で言い放つ。

「あなたがどんなピッチャーであっても、この子は絶対そのあなたの温いボールをぶっ飛ばすわ。そうね……」

 優馬の頬を指していた指先を学園の柱時計へと向ける。

「あの柱時計くらいまで飛ばすんじゃない?」

 グランドのホームべースから柱時計までの距離は130m以上ある。

 突拍子もない強気な発言に、

「そないなことがある思うんか? 俺の投げたボールを当てただけでも褒めてや……」

 言いかけたところで、それを遮って彼女の鋭い声がたたみかける。

「あなたたちは実力で選ばれたって言ってたわね。絶対に勝つ自信があるんでしょ?」

「当たり前や」

「わかった。じゃあこの子が打てなかったら、今の発言撤回して私が土下座して謝るわ。なんでも言うことを聞くし、好きにしてくれていい。でも、もしこの子が打ったら……」

 少し言葉を溜めてから。

「野球をやめなさい」

 冷たく言い放つ。

「なんや俺が野球やめる理由はどこにあるんや?」

「この学園に入れないようではプロへの道はないでしょ。それに、もう勝負は始まっているから。負けたらあなたたちは野球をやめるしかないの」

 彼女の異様な雰囲気に気押される。

「賭けても賭けなくても、俺が勝つんや。それを見せたるからな」

 プライドも、この勝負への決定を後押ししていた。

 黒縁眼鏡の須藤が。

「まぁ、そう熱くなるな二人とも」

「私は冷静よ」

 神島が背中を向けて、去り際に。

「俺のボールをバットに当てれただけでも、こっちが謝罪したるわ」

 さらに。

「そういえば……お前……どっかで見たことある顔やなぁ? どこのもんや?」

 女性の顔を見て、見覚えがあるという顔つきになる。

「さぁね……いずれわかるんじゃない?」

 ツンとした表情ではぐらかされ何か言いたげな神島だったが、気を取り直して、

「まぁ、あと数分後のことや……勝負楽しみにしとるで、土下座の練習しときやぁ」

 そう言って神島と須藤が背を向けて去っていく。

 試験の時間も迫り、嵐のような二人が去った後、並木道に残される二人。

 さっきとはうってかわって、穏やかな雰囲気の間を春風が吹き抜けていく。

 凛と美しい彼女の長い髪を揺らす。

 丈の短いスカートも、風の悪戯が過ぎれば何色の何かが見えてきそうな、そんな期待もあるのだが、今の優馬にはそんな事は頭になかった。


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