8.陰
日が暮れていくと当然あたりは暗くなっていくのだが、この街はかえって騒がしくにぎやかになっていった。辺りには煌々と灯がともり、艶やかな色が視界に入る。その色合いが何を意味するのか、俺は直感で理解していた。
そしてジョアンナの仕事へついていくことになったのだがすぐそばにいてはいけないと言われ困惑していた。それでは護衛にならないし、先ほどのような輩がまた来ないとも限らない。
だがその意図はすぐに理解できた。ジョアンナは結局客を取っているのだ。しかし様子がおかしい。先ほどのような若い男が誰かを連れてきたと思ったらすぐに立ち去っていき、残された年輩の男がジョアンナの手を握って歩き出した。
俺は気づかれないよう後をつけていたのだが、どこまで行っても宿に入る様子がない。そもそも表で待ち合わせ連れだって歩いていると言うのがまず謎である。売春宿で働いているのなら待ち合わせる必要がないし、客を引いている商売女ならとっとと宿へ入るか路地裏でおっぱじめればいい話だ。
先ほどの男の言い方だと客をあっせんしているのは間違いなさそうだが、ジョアンナはとても売春婦には見えないし客引きとの関係性ややり取りが不自然に思えた。
もしかしたら何か弱みを握られているのか? それで言われるがままに男の相手をさせられている、それなら話は分からなくもない。だとしてもこうやって街中を歩いているだけというのが何を意味するのか理解できずにいた。
やがて店に入っていったのだが、それは昼間入った肉サンド店のすぐそばで、同じように中が透けて見える飲み屋だった。中へ入った二人は向かい合って何かを飲んでいる。さっきチラリと泡のようなものが見えたのできっとエールだろう。
腹は減ってくるし喉は乾いてくるしで、離れての護衛はなかなか楽ではない。ちくしょう、金さえあれば飲み物くらい買えると言うのになんと情けない。
しばらくすると二人は飲み屋を出てまた歩き始めた。道順と方角から考えると来た道とは別の道から同じ場所へ戻っていくようだ。なにかまじないの一種だろうかと考えているうちに出発地点まで戻ってきた。そこで男がジョアンナに何かを手渡しているのが見える。
まさかこれは何かの取引ではないのか? 警備兵の目を欺くために男女が共に街を歩き尾行がないかを確認する。その後問題ないと判明してからブツを受け渡し、最後にジョアンナが手引きの男へブツを引き渡して任務完了と言う手はずだ。なるほどそうか、わかってしまえば何のことはない。
ジョアンナも若くして部族のために頑張っているのだ。なんと言っても仕事へ向かう直前に部族化粧を施しなおしてから赴く念の入れようである。どんなブツかはわからないがきっと危険や障害が多いものなのだろう。だからこそあの輩どもは末端に子供を使って荒稼ぎしようとするのだ。
思い返せば子供のひったくりグループや当たり屋なども手引きしているのは汚い大人たちだった。俺は運よく武の才を見出されたから良かったものの、同じ時期に乞食をしていた同年代の子らで悪の道へ堕ちて行ったものも少なくない。
だがしかし、ジョアンナはこのままでいいのだろうか。今はそれほど大きな悪事ではないかもしれないが、進むにつれ抜けるのが難しくなるのが悪の道と言うものだ。この短い間の付き合いでもあやつに正義感のようなものが備わっていることくらいはわかっている。それでも生きるために道を逸れるのは仕方ないと言うことも多々あるのだ。
やがて一人になったジョアンナのところへ先ほどの輩が戻ってきた。また面倒を起こさなければいいのだが念のため警戒することにしよう。俺は気づかれぬようすぐそばまで近づいた。
「ほれジョアンナ、今日の取り分だ。
別の客からも指名があるんだが明日も来るんだろ?」
「あーゴメン、明日は用事があるからムリ。
もしかしたら何日かムリかもしんないからこっちから連絡する」
「なんだおめえ、自分の立場わかってんのか?
本来なら毎日稼がねえと追いつかねえんだぞ?
それを兄貴が情けかけてやってるってこと肝に銘じとけよ!」
「わかってるよ…… だからもう解放してやってよ。
言われた通りにしてるじゃん……」
「それは本人次第だからな。
俺に言われてもどうにもならねえさ」
どういう意味のやり取りだろうか。漏れ聞こえてくる内容だけではよくわからないが、誰かが囚われているようにも思える。本人次第というのはジョアンナではない誰か次第と言うことだろう。なんにせよあまり穏やかな話ではなさそうではある。
うつむいて歩き出したジョアンナの背後にまわりそっと声をかけて存在を知らせる。足を止めて振り向くかと思っていたがそのまま足を止めずに力なく頷くのみだ。なにか様子がおかしいがどうすべきだろう。
やはり仕事とはいえ悪事に手を染めていることを気に病んでいるのだろうか。それとも囚われている誰かの心配をしているのだろうか。戦うしか能の無い俺にとって、こんな時は一杯奢って愚痴を聞いてやるくらいの経験しかないわけで、金もなく子供の姿である今は打つ手なしである。
「さ、お仕事おしまい!
ご飯食べにいこ」
突然俺の手を取って元気よく腕を振り歩き出したジョアンナ、その姿を見て取り越し苦労だったかと考えるほど俺も能天気ではない。間違いなくこれは空元気だ。
「ジョアンナよ?
お前さんが望むなら命のやり取りも厭わんぞ?
誰かが囚われているのだろう?」
「なんだ、聞いてたんだね。
アタシの臣下なら盗み聞きなんて下品な真似しちゃだめよ?」
「そうだな、すまなかった。
つい聞こえてしまっただけなんだが気になってしまってな。
だが心配事や悩みがあるならなんでも言ってくれ。
俺にできることなら相談に乗ると言うのは本心だ」
なんと言ってもジョアンナはこの世界での生命線であるから無碍に出来るはずもない。もちろん利害の問題だけではなく、女が困っている時には救える男でありたいと言う考えでこれまで生きてきた。俺が自分を鍛えてきたのは力を誇示するためでも名声を得るためでもなく、弱いものを救うためのはずだ。
一体どうすればこの少女を救えるのだろうか。しょぼくれているところを改めて見てみると、ここにいるのは年端もいかぬ少女だった。当然、自分だけでは解決できないことがあるに決まっている。
「じゃあさ、今日はうちに泊まっていってくれる?
なんだか心細くてさ」
「ん? そもそも俺には身を寄せる場所なぞないし当てもない。
食住は保証すると言ったのだからはなから主の屋敷に住まわせてもらうつもりだ。
それとも雇うと言うのは本気でなかったのか?」
「違うよ、もう!
バカ! バカバカバカ!
もう今日は帰り道になっちゃったからコンビニに寄ってくわよ、文句言わないでよね」
「文句も何もコンビニというのが何のことかわからん。
食いものの名前か? それとも寝るところか?」
「どっちもハズレ、まあご飯屋さんみたいなものかな。
食べるものだけじゃなくて他にもいろいろ売ってるところよ」
「つまり食い物も売ってる雑貨屋ということだな?
それと水場が近くにあるようだから水浴びによっても構わないか?
俺はこう見えてもきれい好きなんだ」
「そこらの川で水浴びしようって人のどこがきれい好きだって言うのよ……
お風呂くらいちゃんと貸してあげるわよ。
何なら一緒に入っちゃう?」
「主の屋敷には風呂があるのか!?
やはり貴族なのか? しかも二人入れる広さもあるなんてすごいじゃないか!
いやあ、今まで経験したことの無い高待遇! 楽しみだな。
よし、早くコンビニとやらへ行こうじゃないか」
まさか王国でも城と一部の貴族屋敷にしかないと聞いていた内風呂があるとは驚きだ。実際にどういうものか見たことはないが、川での水浴びよりも大分快適だと聞いたことがあるし、さぞ素晴らしいものなのだろう。
俺は上機嫌で歩いていたが、なぜかジョアンナに鞄を投げつけられたのだった。




