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地球の時間8

春になり桜の花が咲き小学校が入学式を迎える頃、私はいつものごとく咲子の木を世話する為小学校へ出向いた。私が学校の校門を入ると同時に何人かの生徒が校舎より走り寄って来て、わたしを呼び止めた。

「ハルさんハルさん咲子の木が大変です、大変です」としっきりに生徒達は私の腕を掴み寄る。

「大変って、木がどうしたのどんな風になったの、もしかして、もしかして、枯れてしまったの」と生徒達に聞くと、子供達は首を横に振り私の掴んだ手を引っ張りながら私を咲子の木のところへ連れていった。生徒達は咲子の木の前に立ち

「ハルさん、木が大きく伸びている」生徒達が言っているように木をよく見ると、確かに竹の子のような幹が木の中心から一本出て上へ伸びていた。それは、先日来た時にはなかった物だ。それどころか、この木を半世紀近く見て来た私にとっも初めて見る木の変化だった。私は、すぐこの木の変化を校長先生へ知らせようと、校長室に向かった。校長先生は会うとすぐ、先生もすでに木の変化に気づき、専門の先生に聞いたらくし、それによれば咲子の木が花を咲かせる前兆であると言われていたようだ。

 私は驚き「花を咲かせる前兆ですか?」と校長先生に聞いた。

「今から数カ月の内に花を咲かせる見たいです」

「咲子ちゃんも生前良く私にあの木は、一生に一度だけ花を咲かせるってお父さんが言っていたと話していました」

「そうですか、そしたらもうすぐ開花だ楽しみですね、ハルさん」校長先生はとても嬉しそうに微笑みながら私にそう言った。

「ハルさん話は変わりますが、今度、学校の運動会があるんですが、来られませんか?」

「私はもうこの年だから運動はできませんよ」とお断りすると。

「何も参加しなくてもいいですから、見学にお越し下さい。お知り合いの中山さんも、娘さんが参加されるので見学に来ますよ」

「瞳さんの娘さんも参加されるんでしたね。それでは、ぜひよかったら見学させて下さい」私は、この学校を卒業して初めて母校の運動会を見学することになった。

 運動会当日の朝、私はいつもより早く起床し、昨日の夜、水に付けていたもち米を使い、小豆であんをこねながら、亡くなった私の母が、行事がある時必ず私に作ってくれたボタ餅を作り始めた。私も家族がいっしょに暮していた時は、時々作っていたが、娘が結婚して嫁ぎ、夫が亡くなってからは、あまり作ることがなかったので時間がかかったが、なんとかボタ餅三十個程を作ることができた。私ひとりが運動会を見学するのに、おやつとしては多すぎると思うのだが、瞳さんも来ることだし、子供さんにも食べさせたいと思いがんばり、当日の朝七時頃には重箱に詰め出来上がった。

 学校に着くと、瞳さんが校門近くまで迎えに来てくれた。

「ハルさん、ハルさん、ようこそいらっしゃいました。」瞳さんは、足が悪い私の為にわざわざブルーシートの上にパイプ椅子を用意してくれていた。しかも日差しが入り込まないテント席である。廻りには若い父兄の方や多くの見学者でいっぱいである。

「ハルさん母校の運動会毎年来られているんですか?」瞳さんが言った。

「いいえ私今回、卒業して初めて見学に来ました。約六十年ぶりですね」

「え、六十年ぶりですって、咲子さんの木の世話を毎月のように来られていたのにそれは驚きました」

「六十年ですか・・・」彼女は少し間を置き

「ハルさん達の頃の運動会ってどんな風だったんですか?」

「昔はあまり娯楽がなかったので、地域の人も集まってくれ街全体で盛り上がってました。それに比べて今は、生徒数が少なく少し寂しいですね、昔は生徒も多く徒競走をやるにも何組も参加があり、時間がかかりました。」 開始の合図とともに運動会は始まり、懐かしい校歌が流れて来た。流れている校歌に合わせ口ずさんでいる私の顔を見て瞳さんはこう言った。

「ハルさん校歌知ってらっしゃるんですね」

「はい、だって私この学校の卒業生ですもの」

「この校歌って昔も同じだったんですか」

「もちろん変わってませんよ、しかし不思議ね、五十年ぶりでも音楽が流れて来ると、自然に歌えるものなのね」

「ハルさん少し涙ぐまれていましたが、何か思うことがおわりでしたか?」

「私はこの校歌を聞くと心がなぜか寂しくなってきます」

「どうしてですか?」

「それは、当時戦争が近ずくにつれ、この小学校での運動会が最後の運動会となった日、私自身校歌を歌って、これで運動会はしばらくないと思ったからです。子供心に何か寂しい思いになりました。運動会が中止になってからというもの、学校に行っても戦争の事ばかりで授業はあまりなく、防空頭巾をかふり、空襲訓練や実際に空襲で防空壕に避難したりもしました。」本来勉強を学ぶべき場所である学校が戦争や戦争の準備の為ばかりにあの時代を過ごすしたのは本当にもったいないことでした。」

 運動会も昼休みになり、瞳さんの家族と一緒に私も昼食をごちそうになることになった。瞳さんは、とても料理上手でおにぎりや卵焼きなど私の分まで作ってくれていた。体操服を着た、小学生の子供とまだ幼稚園の園児、それに旦那さんも一緒だ。「早く食べたい、食べたい、」幼児が言っている。

「まだ待ちなさい、まずハルさんからお弁当食べてもらってからね」幼児が泣き出した。「私は後で良いですから子供さんに先に上げて下さい」

「だめです、お客さんが先なんです」

「ハルさんもこう言ってらっしゃるんだから先に食べさせれば良いよ」と旦那さんが言う

「あなたは、子供に甘いんだからだめなことは、ちゃんと叱らないと」

私のおかげで喧嘩になってしまったようだ。私はすぐにこの日の朝、早起きして作って来たおはぎを子供の前に置いた。

「よかったら私が作ったおはぎ食べて下さい」

「美味しい、美味しい」と万遍の笑顔をふりまき子供さんが笑っている。おはぎのアンコを口の周りに付けどこかのおじさんのようにはしゃいでいる幼児を見て、半世紀以上も前に亡き妹達と行った花見の光景を思い出し、時代が変わっても家族の愛は変わらないと思いながらそんな平和な時間がいつまでも続くように願った。

  運動会が終わった梅雨の日のある日、私は毎月訪れている母校へ行くと、咲子の木が先月より一メートルほど幹が伸びていた。幹は、真っすぐ天に向かっている。私は、近くを通りかかったひとりの生徒に「この木大きくなったね」と声をかけると、

生徒は「ハルさんこの木人間みたいに時々何か言っているんです」と真剣な表情でそんな不思議なことを女生徒が言った。私はそれを聞いてつい

「植物がしゃべるわけないでしょ」と答えた。すると女生徒は

「私が毎朝この木に向かって、おはようございますって挨拶すると、この木も、おはようって挨拶を返してくれ、今日も勉強がんばってって言ってくれるんです。これうそじゃないですよ」と言った。私はこの女生徒の真剣な顔を見ると今度はあえて否定する言葉は言えなかった。なぜならば、私が読んだ本の中に人間の聴覚という物は、年を取って来ると聞こえる範囲が狭まって来ると書いてあったことを思い出したからだ。しかし、若いからと言って植物の声が聞こえるはずもないと思うのだが、もしかしたら人間は、大人になるにしたがって、自分に都合の良いことだけしか聞こえないように変化しているのかもしれないとその時思った。また当時児童だった咲ちゃんが、この木を通じ、子供達だけに語りかけているのではないか、私はその日一人の生徒が語った言葉で、咲ちゃんはこの木を通じ今も生きてみんなを見つめていると改めてそう感じた。

 それからしばらくして、私は体調を崩し、二カ月程自宅から出ることもなく、静養をしていた。その間、何度か瞳さんが心配して私の自宅を訪ねてくれていた。そして初めて私の自宅を訪ねてくれた時、話せなかった咲ちゃんのその後について、彼女に話す事にした。母が亡くなり父と私が親戚の叔母さんの家を出たところから記憶がある限りの事を当時見た子供の視点から瞳さんに語った。

 母が亡くなった後、私とお父さんは、親戚のおばさんの家を出て母が望んでいた街に再び戻って来ました。自宅だった所はまだ焦土化し、いたるところに残骸が残っていましたが、街は路面電車も走り出し少しずつ復興に向けて歩き出していました。

 父がその地に新しく造った家は、バラック小屋のような物でしたが、とりあえず雨露は凌げる家であり、私は、周り子供達が戦災孤児になった人が多かった時代、お父さんだけでもいてひとりぼっちではなく、その時は、何よりまた原爆投下前のように、ここから学校に通えることが嬉しくてたまりませんでした。そして、平和になった街には、もう度重なる空襲警報で長い間恐怖で覆われていた小学生の心も解放され、これからおもいっきり街を走りおもいっきり人間らしく生活できることへの喜びや期待で溢れていました。またしばらく、原爆の影響で、草木も生えないといわれていた長崎の街にも少しずつ緑が戻って来ました。そして、私の自宅周辺にも多くの家が建ち始め、かつて咲ちゃんの家だったところにも、新しい住人が家を建て住んでいました。私は、咲ちゃんの思い出が残る以前咲ちゃんの自宅があったところを歩くと、その場所がたとえ新しい家に変わってしまっていても、いつも、つい立ち止まり眺めていました。

 ある日の事、いつものようにその家を眺めていると、その家の住人の女性が出て来て

「お嬢ちゃん、何か探しているの?」と私に語り掛けて来ました。私は、

「昔友達が、この場所に住んでいて、その思い出があって・・・・・」と答えました。すると新しい住人の人は、

「そうですか、もしかしたらあの木はその人の家族が植えたのかもしれませんね」とその家の玄関先に植えてある一本の小さな木を私に見せてくれました。なんとその木は、以前咲ちゃんの家へ遊びに行った時、

「これ五十年以上経って一度だけ咲く木よ、どんな花が咲くか楽しみ」と私に言ってくれた木でした。咲ちゃんの大事にしていた咲子の木が、あの原爆にたえ再び瓦礫の中から芽を出していたのです。私はその芽を自宅へ持ち帰り自宅の庭に植え替えました。 

 それから一か月程が経ち、原爆が落ちる前まで通っていた小学校が再開されました。学校は仮の校舎で、原爆が落ちる前、夏休みで休校になって以来のみんなとの再会でした。私はみんなと再会するのを楽しみに学校へ行きました。しかし学校に行ってみると、夏休み前あんなにたくさんの生徒と先生で溢れていた学校が、以前の一クラスにも満たない数の生徒や先生しかいませんでした。咲ちゃんのように親戚に引き取られた生徒もいましたが、驚くことにほとんどの生徒や先生またその家族も一瞬のうちに原爆の犠牲になっていました。また、教室には、手足や顔など原爆で怪我をした生徒もたくさんいました。おそらく、その時は私が知らないだけで、学校にも来れない程の病気や怪我で療養している生徒もたくさんいたのではないかと思います。

 私が知っている生徒は、男の子と女の子一人ずつ生存していました。男の子は、原爆でひとりぼっちになり親戚の家からこの学校に通っている先日私の自宅の写真で紹介した次郎君でした。この子は先日も話したように通っていた教会が原爆で壊され、たいへん悲しんでいましたが、親戚の暖かい支援のもと、少しずつ元気になり学校へも明るく楽しく登校し元気にその後過ごしました。しかし、もうひとりの女の子は、夏休み前あんなに活発でおしゃべり好きな女の子でしたが、戦争でこの子もひとりぼっちになり、多くの悲しみをひとりで耐えていたのか、私が久しぶりの再会を喜んでも、あまり元気がなく口数が少ない女の子に変わっていました。それもそうでしょう。まだ小学生にもかかわらずこんなに多くの不幸が重なり精神的に落ち込むのも当然です。今考えて見ると、その時、幼児や子供がどれだけ亡くなったり怪我をしたり孤児になったり、精神的にも病み、たとえ幼くてもすべて自らの責任で事実を運命と受け止め生きて行くしかなかったのです。でも平和になった学校には、以前と違い空襲警報の恐怖もなく、勉強に励むことができるようになっていました。施設こそいろんなところが破壊されていましたが、

「これからは、平和な世の中になる。君たちひとりひとりが良く勉強し、明日の日本を作って下さい」と先生が良く私達生徒に言っていました。

 学校が始まり一年経ったある日の事です。私は学校からの下校時、以前咲ちゃんが住んでいた自宅前を通っていたところ、ひとりの女の子が玄関前に座り込んでいました。よく見るとそこにいたのは、被爆後家族を探して一緒に爆心地を歩き親戚の家へ引き取られた咲ちゃんでした。私はそれを見て「咲ちゃん、咲ちゃんよね」と呼び彼女に駆け寄りました。すると咲ちゃんは、泣きながらうなずき、それを見て久しぶりの再会を喜び私は咲ちゃんを抱きしめました。

 その時彼女の顔や体形をよく見ると、抱きしめた体もゴツゴツとしており、顔も前よりこけ痩せていました。まるで別人のようになっていました。私は、咲ちゃんに「どうしてここに来たの、親戚の叔父さんは一緒じゃなかと?」と聞きました。すると咲ちゃんは

「私、もうがまんできんで家を出て来たと」と答えました。それを聞いた私は、その後の理由を咲ちゃんの痩せた体を見ていると、とてもその場では聞けませんでした。そして私は咲ちゃんを、その後私の自宅へそのまま連れて帰りました。自宅では、笑顔も無く親戚の家での苦難の一年間、、ひとりぼっちになった咲ちゃんが、どれだけつらい思いをしたかがわかりました。

 その時お父さんは、とりあえず咲ちゃんが突然いなくなって田舎の親戚も心配しているだろうからと、咲ちゃんの親戚の叔父さんの家へ電話をしました。すると叔母さんは、「何も言わず家を出て行った子供は、もう家へ帰って来なくても良い」とお父さんに言ったそうで、その時お父さんはその言葉を咲ちゃんの叔父さんから聞き、

「咲ちゃんこの家でハルと暮らそうか」と言ってくれました。それから私は、お父さん、咲ちゃん、と三人で暮らすことになったのです。原爆で亡くなったお母さん、妹、弟達がいなくなり寂しかった家が、咲ちゃんと一緒に暮らし始めて、いっぺんに家が明るくなったようでした。そして私は、あの咲ちゃんの家で育てていた木が、芽を出し庭に植え替えた木を彼女に見せました。その時彼女は「良かった良かった、生きててくれて、これは戦争で亡くなったお父さんが、戦争に行く前に自宅の庭に植えてくれた思い出の木よ、よくお父さんがこの木は五十年にたった一度だけ花を咲かせるから、咲子はどんな花が咲くか見てごらんと言っていたとよ、いままでハルちゃん世話してくれて有難う」と私に言ってくれました。

 一週間程が経ち、咲ちゃんは、私に親戚の家へでの事を詳しく話してくれました。

「あの時、うちは、ただでさえ不安やったとよ。親戚の叔父さんの家っていっても余り前から行ったことも無かったしね。どんなところで暮らすんやろうかって・・・・・」

「咲ちゃんあの時私と別れ後、どうやって叔父さんの家まで行ったと」私は彼女にそう聞きました。

「うちは、しばらく北に向かって歩き、そこから臨時の列車で叔父さんの家まで連れて行かれたとよ」

「列車ってあの時、もう列車は動いていたとね?」私は原爆が落ちて余り経っていないあの時期にもう列車が動いていたことに驚きました。

「列車は、救援列車でほとんどが、原爆で負傷した人が沢山おったとよ、怪我をして痛い、痛い、と言っている人、病院を求めてひたすら歩いてその列車に乗っている人も多かった。列車は満員で乗れない負傷者も沢山おったとよ。そこには、笑顔の人はひとりもおらんやった。もう力つきて列車内で亡くなっ人もおったよ。途中の駅で駅員が亡くなった人を駅のホームに引っ張り出し降ろしていたのを見て、何か可愛そうでたまらんやった。桜の花が咲く頃あんなに、みんな笑顔で乗車し幸せを運んでいた列車が、こんなに悲惨な怖い列車に変わるとは考えられなく悲しくて、悲しくて涙が止まらんやった」

「それから親戚での家ではどんな生活をしとったの?」私がその事を聞いた途端彼女はうなずきながら、涙を浮かべ黙り込んでしまいました。きっと話す事すら辛い経験をしたんだと私はその時思い、それ以上その事を彼女から聞く事はありませんでした。

この頃はたくさんの子供達が、原爆で親を失い、食べ物も無く死んでいった人も多かったんです。 

 それから咲ちゃんは、元の学校に戻って来ました。知っている生徒や先生は少なくなっても、思い出の学校は再開されており、私の自宅での生活も親戚の家で暮らすより咲ちゃんも戦争の恐怖から解放され、のびのびと暮らすことができるようになりました。あれほど痩せていた咲ちゃんの体もふっくらし、体調も戻りしばらくの間、楽しく元気に学校生活を送っていました。学校での咲ちゃんは、以前より好きだった音楽を、ピアノやハーモニカを使ってみんなの前で演奏したりもしていました。時には放課後学校に残り、私といっしょに楽器の練習もしました。

 もう戦争中のように隠れて演奏しなくても良かったのです。ひとりぼっちでこそこそと演奏することもなく、その時はあたり前の事ですが、みんなに音楽を堂々と聴いてもらう時代になったのです。特に咲ちゃんはハーモニカが得意で彼女が奏でる音色は学校のみんなの心を癒してくれました。咲ちゃんの将来の夢は、音楽の先生になることでした。しかしその夢は少しずつ変わって来ているようでした。

 ある日のことです。以前から私と咲ちゃんのお気に入りの場所である小学校の裏の小高い土手に私と咲ちゃんは座り、将来の夢について話しをしました。

「ハルちゃんは、将来何になりたいの?」と私に咲ちゃんは私の将来の夢を聞きました。

「私、看護婦さんになろうと思うの、人の役に立ちたかとよ、咲ちゃんは音楽の先生って昔から決まってるとよね」と私が答えると。

「私、前は音楽の先生になるのが夢やったけど今は違うとよ」

「違うって、あれだけいつもハーモニカやピアノ練習しとるじゃなかね、きっとがんばればなれるたい」と私は咲ちゃんを励ましました。しかし咲ちゃんは、

「私、勉強して和菓子屋さんになりたいとよ、だって私の家は代々続く和菓子屋さんだったけんね。しかし、原爆で御祖父さんが亡くなり、その跡継ぎをする予定だったお父さんも戦死し、その次の跡取りだった弟も原爆で亡くなったとよ、たった一人生きている私が、みんなの思いを継いでいかんばとさ、そしてこの街で御祖父さんがみんなに和菓子で喜んでもらった様に、今度私が和菓子屋さんを開きこの街の人に喜んでもらわんばと思っとると、うちが、一人ぼっちになったとハルちゃん思とるかもしれんけど、うちは、双子でもう一人妹がいたことを、何度かお母さんに聞いていたとよ」

「えー咲ちゃん双子だったんやね、今、初めて知った。それでもう一人の妹は何処にいるの?」

「どこって、たぶん、近所のお母さんの知り合いの人にもらわれて、外国に移住したと言ってた」

「移住って、咲ちゃんが何歳の頃ね?」

「私が三歳の頃だと思う。今妹はどうしているだろうなあー。もし妹が日本に帰って来て

お母さんもお父さんも戦争で亡くなったって知ったら悲しむから、私が和菓子屋だけでも継いで、妹も安心させたいとよ、きっといつか会えると思うから・・・・・」

「そうね、咲ちゃんの和菓子きっと美味しかやろうね、がんばって」私は咲ちゃんにそう言いました。

 それから二人は丘を下り、いつも学校のみんなと川遊びをした川へ入りました。その川はあの時、原爆に被爆し咲ちゃんと二人水を求めて入った川でした。時が過ぎ川には瓦礫がまだ少し残っていましたが、川の水はあのどす黒い川から少しずつ綺麗になっていました。

「川の水もだいぶ綺麗になっとるよハルちゃん、ハルちゃん」咲ちゃんは、笑顔ではしゃぎながら膝まで川につかり、私にそう言いました。私もその時、この川がまるで何事も無かったように変わり復興していく様子を見て嬉しいのが半分、しかしこの街であの時起こった事が忘れられていくのが怖いのが半分そんな複雑な気持ちを感じていました。

 二人で川遊びを終えた後、川を横切る飛び石の上に居る一匹の亀を咲ちゃんが見つけました。

「ハルちゃん見て見て亀、亀がおるよ」咲ちゃんのその声に私が近ずくと亀は首を大きく伸ばし左右に降っているのが見えました。亀はまるで私達に会えて喜んでいるようでした。

「この亀、甲羅が半分黒くて変ばい」咲ちゃんが亀を見て言いました。私はその亀を抱きかかえ、川から上り家え持って帰りました。私と咲ちゃんは亀を家にあるたらいに入れ、水浴びをさせながら、傷つけないように甲羅の黒い部分をタワシで擦り落としましたが、一向に黒い部分は落ちません。それを見ていたお父さんは、

「これは原爆の時に川で付いた黒い油かもしれん、これは沁みついているからとれんよ」私は、こんな小さな亀まで原爆の傷を負っていたなんて、かわいそうでかわいそうでたまりませんでした。そしてそのままその亀は、私達家族の一員になりました。

 亀が私達家族の一員になってからというもの、咲ちゃんと私は、 学校が終わるとすぐに自宅に帰り、亀を連れて川へ遊びに行くのが日課になっていました。

日が暮れるのが早くなり、川遊びの帰り大きな月が川の河川敷から見えました。咲ちゃんが、月を見て「なんて美しい月なんやろ、ハルちゃん月って人住んでいるんやろうか?」

「いやどうやろ、月には人はすんでなかと思うよ」

「そうね、だったら戦争はなかやろうね」

「なかと思うよ咲ちゃん」

「だから月はこんなに綺麗に見えるんやろうね、どうして地球は戦争ばかりするんやろうか、私月に住みたかよ」

「月ってきっと平和やろうね咲ちゃん」

咲ちゃんはそう言って、その時は家に帰る時間を忘れたように月を眺めていました。

 それから一カ月の事でした。私と咲ちゃんがいつものように、学校が終わり自宅へ帰宅した時の事、普段であればランドセルを二人自宅に置き、亀を連れて川へ遊びに行くのですが、その日咲ちゃんは

「今日は頭が痛いけん家におる」と言ってひとり自宅で横になり私だけ川へ遊びに行きました。しばらくして、川から自宅に戻った私は、咲ちゃんが居間で血を吐いて倒れているのを見つけました。私はすぐにお父さんへ連絡しいっしょに咲ちゃんを病院に連れて行きました。病院では、咲ちゃんの病状は思わしくなく、しばらく入院することになりました。病院の先生の話では、咲ちゃんは原爆症で、もう長くは生きられないだろうとの事でした。私はその時、どうしてこんな幼い夢いっぱいの子供に不幸が続くのか世の中を恨みました。病室での咲ちゃんは、顔色が良くなくとても辛そうでしたが、きっとまた元気になって学校へ通いたい、音楽をしたいといつも言っていました。私が見舞いに行った時はいつも

「お父さんが植えた木は元気にしてるね?亀にも餌ちゃんとあげてよ」と私に言っていました。私はその時にはいつも

「咲ちゃん早く元気になっていつかあの木が成長しどんな花が咲くか見ようね」と咲ちゃんを元気づけていました。しかし彼女の病状はしだいに悪くなり、もう歩くことさえできなくなりました。咲ちゃんはそんな体になっても私に「ハルちゃん、ハルちゃん、もう一回、もう一回だけでいいから私をお父さんが植えたあの木を見に連れて帰ってほしい」と言いました。

私は咲ちゃんの願いを叶える為、父に咲ちゃんへもう一度あの木を見せてほしいと頼みました。すると父は、病院を出てリヤカーに咲ちゃんを乗せ自宅へと連れて帰りました。病院から自宅までの道のりは、あの原爆投下後私と咲ちゃんが家族を探し自宅を目指しさまよっていた道のりと同じでした。リヤカーから見える景色は原爆投下後数年が経ち、だいぶ街は復興していました。道中、咲ちゃんはリヤカーの荷台から移りゆく景色を眺めながら時々涙ぐんでいました。自宅には、お父さんが咲ちゃんの為に、雛祭りには少し早かったですが、雛人形が飾ってありました。それを見て咲ちゃんは、あの御祖父さんと過ごした実家の平和な和菓子店の時代を思い出したようでした。そして、お父さんは更に知人に特別に頼み作ってもらったあの桃カステラを買って咲ちゃんに食べさせましたが、スプーンに少し口が付いただけでもう余り食べることはできませんでした。しかし、そんな少量でも美味しいと満足し笑みを浮かべていました。それから彼女は、私の父におぶってもらい自宅の庭にある咲子の木の前で、嬉しそうに笑顔で木を見つめていました。その時

「私は、これ吹くことできないから、ハルちゃんにあげる」と言って私に彼女が一番大切にしていたハーモニカをくれました。

「ハルちゃん私もうこの木の花が咲くまで生きられない、大好きな学校にも戻れんよ、ハルちゃんが私の代わりに生きてこの木がどんな花を咲かすか見てほしい」と言い残し、十一歳小学校六年生の短い人生を終えました。咲ちゃんが亡くなった後自宅に植えていた咲子の木を、彼女が亡くなる最後まで戻りたかった学校へと植え替えました。植えた場所は現在あるところ所です。咲子の木は植えた後も私だけでなく、同級生も毎日欠かさず世話をしてくれました。あの校長室にある卒業写真も、みんなといっしょに卒業したかった咲ちゃんの思いを叶える為、あの木の前で撮りました。」私は瞳さんへ咲ちゃんが亡くなるまでの話を終えた。

「咲子さんの木には、いままでいろんな人の思いが込められているんですね」瞳さんが言った。

「そうよ瞳さん、もうあれから六十年程経ってしまったけど、今でもあの木は私にとって咲ちゃんそのものなの」

「私戦争を経験していないけど、ハルさんの思いがわかったような気がします。経験もしてないのに言うのも生意気ですが・・・・・」

「生意気ってあんな経験なんか絶体しない方が良いのよ、これからもずっと私達の代だけでたくさん。あなた達は、まず戦争をさせない為にこの思いを伝え続けてほしいのです。」そして私は、瞳さんがその日学校で撮って来た咲子の木の写真を見ながら

「もうすぐ、もうすぐ、この木も花を咲かせるんですね」と私は瞳さんに言った。

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