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地球の時間6

あの日は、咲子さんとふたり公園に着いて紙芝居屋さんが準備が終わり子供が集まり今から芝居を始めようとしていた時でした。突然空襲警報がなり、私と咲ちゃんは急いで公園の近くの防空壕に入りました。そして、一旦警報は解除されたので壕に入っていった多くの人は壕を出て行きました。しかし私と彼女は、壕の奥にいて出るのに時間がかかり解除されても壕から出ませんでした。その後、一瞬光を感じそれとともに凄い音とともに爆風が壕へ入って来ました。その音と振動はいままで体験したこともない物でした。それから、私達二人は壕の一番奥に吹き飛ばされ、そのまま私は何時間か気絶していました。

 私が意識を取り戻した時、咲ちゃんは私の隣で泣きながら

「ハルちゃんハルちゃん大丈夫しっかりして」と叫んでいました。私は今思えば、その彼女の叫び声で意識を取り戻したと思っています。そしてその時は、あまり痛みは感じなかったのですが、私は左腕にはガラスの破片が刺さり怪我をしており、咲ちゃんがその時もっていたタオルで腕を巻いてくれました。壕の中は油の焦げたにおいが充満していました。その時二人はまた爆弾が落ちてくるのではないかと思いすぐに壕を出ることができませんでした。

「いっしょに入っていたみんなはどこにいったの?外に出て探しに行こう」私は咲ちゃんに言いました。外の方からは、うめき声も聞こえていました。すると咲ちゃんは首を横に振り「わからない怖いから外に出たくない、また爆弾が落ちるから怖い」と言っていました。結局私と咲ちゃんが壕を出たのは、原爆が落ちた次の日の午後でした。壕を出るとそこは、まるで地獄絵図のような状態でした。壕の前では、たくさんの人が原爆で怪我をしたり亡くなったりしていました。その中には同級生もいました。その子は、私の家のすぐ隣の女の子で、とてもお洒落で良くおめかしして、デパートに出かけていました。学校では、当時はやりのモデルのプロマイドを持って来て見せてくれ、とてもかわいい女の子でした。彼女は将来デパートに勤めたいとよく言っていました。「なんで、どうして、こんな事をするの、この前会った時にはあんなに元気だったのに、咲ちゃんが亡くなった彼女の髪をなでながら泣いていました」そしてその後咲ちゃんは、我に返ったように「そうお母さんは、妹は弟は、」と私に言いました。私も家族の安否が気になり、早く探さなければと、二人は自宅の方向に歩いて行きました。

 あたりは昼間というのに、薄暗い感じでした。街は一面建物は焼失し、くすぶり続けていました。まだ燃えている建物も多くありました。普段は建物で見渡すことができなかった三方の山々が、近くに見え山全体も緑は無く黒く燃え続けている所もありました。かつての街が一瞬にして無くなってしまったのがわかりました。私はその時、この光景が人間の手によって作られた爆弾であるとは思いませんでした。なぜならば、それまで何度か体験した爆弾とまるで違う破壊力だったからです。何か地球という星が別の星にぶつかり死んでしまい時間が止まったように感じたからです。もうこの星は全滅し無くなってしまうのかとも思いました。

 建物が無くなっているので、東西南北も、また自分達が今どのあたりにいるのかも、わからない状態でした。ふだんであれば、交差点にある交番その横にある魚屋さんと人間の生活の場を目印に、たとえ小学生であっても現在地がわかりますが、今となっては、生活の場が完全に破壊された街には、街の目印となる建物が何も無くただあるのは、燃え付きた建物の残骸とどす黒い油の臭いや白い煙があちこちで漂っているだけでした。少し歩くだけで、たくさんの焼死体が転がっていました。まだ生きがある人は私達二人に助けを求めて近寄って来ました。

「喉が渇いてたまりません、水を水を下さい、少しでいいんです」

「もう歩くことができません、水を下さい」原爆で焼けどを負った人々が、最後の力を振り絞り助けを求めて来ました。子連れでもう息絶えているような子供を抱えたお母さんが「この子にこの子にだけで良いですから水を下さい。少し分けて下さい」とお願いされた事もありました。私達も子供ながら何とかこの人達を助けたいと思いましたが、水もなく、ただその場に立ち尽くすだけでした。

「怖い、怖い、ハルちゃん怖い」咲ちゃんは、体が震えるほど怖がっていました。

 私はたとえ怖くても家族を探したい一心で咲ちゃんに

「がんばろう、かんばろう、家へ帰ろう」とその時は励ますだけのことしかできませんでした。ただ街だけが無くなったのであれば、たとえ時間がかかっても作り直せばよいのですが、これほどまでに、多くの人々が亡くなっている状況を見ると、これがいったいどこまで続いているのだろうかと私も怖くて、怖くて、もしかしたらその時はこれで世界が終わってしまったのかもしれないと思っていました。

 途中、見た事のある建物が見えてきました。それはついこの間まで通っていた小学校の石造りの門柱でした。その門柱は、爆風でいくつか壊れ飛ばされていましたが、一部焼け焦げた所には、かすかに学校の名前が残っていました。小学校は本来であれば、この門を抜けると三角屋根の木造校舎が真正面に広がり、それを包み込むように周りの木々や植物が目に入るのですが、その時は爆風で飛ばされたのか、校舎その物も残骸すら残っておらず、木々や雑草すらも見ることはできませんでした。地面は、真っ黒な焼け焦げた土に小さな蟻や雑草すらも無い状況でした。あの緑豊かな学校はいったいどこに行ってしまったのだろう。子供心にその時そう思いただ立ち尽くすだけでした。

 その場所には、何体か遺体が転がり、中には原爆の熱線で白骨化した遺体もありました。学校の裏には小高い丘が広がっていました。以前私と咲ちゃんは良くこの小高い丘に登り、二人でハーモニカを吹いて歌を歌ったりして楽しんでいた場所でした。そこからの眺めは最高で、きれいな川で遊ぶ渡り鳥や、夏には蝉の鳴き声、運動場で遊ぶ子供達の声、路面電車の汽笛、豆腐売り、紙芝居屋さんの声、竿竹売り、魚売り、いろんなところを一望に見渡せまた、そして、いろんな街の音が聞こえる場所でした。そしてそこには、様々な人々の生活を見ることができました。

 私と咲ちゃんは今そんな思い出の場所に居ました。普段であれば学校の校門からすぐに行くことができましたが、その日は、その場所へ行くまでもたいへんな状況でした。途中路面は油まみれになっており、どす黒くぬかるんでいる所もたくさんありました。じゃりじゃりと私達が踏みつけ歩いた所が、今になって考えて見れば、亡くなった人々の人骨であったかもしれないと思うのです。私と咲ちゃんは、やっとの思いでその場所にたどり着きました。丘から見える景色は、平和だった頃の街並みから一変していました。そこは街全体が破壊され、普段であれば見える街の家々も焼失し無くなり、たった一本の植物雑草さえ見ることができません。

 もしかしたら、自然現象でこんな状態になったのではないかとも思いました。その時、これがまさか人間の手によってもたらされた戦争によるものとは思えませんでした。あたりからは、時折人間のうめき声も聞こえていました、私はその時さきちゃんに、

「咲ちゃんこれは、きっと、きっと、夢じゃなかと」と言っていました。私は夢ならば早く覚めて、覚めてと思っていましたが、しかしそれは夢ではありませんでした。

 それから、しばらく私と咲ちゃんはそこで街を見つめていました。その時、小学生だった二人は、本当に涙が出るほど怖くて怖くてたまりませんでした。子供にとっては、この現実がどうして起こっているのかわからないまま、そこではただ怖がることしかできませんでした。しかしたとえ怖くても、自宅がある街へ、家族がいる所へ、帰らなければと二人は思っていました。しばらく歩いていると、左手に路面電車の線路が見えました。電車は爆風で線路から外れ、崖下に飛ばされていました。これを見た二人は、今歩るいている方向が自宅までの道のりで間違いないと知りました。その間も多くの人々のうめき声が聞こえていました。女性、男性、子供、幼児、老人、の死体が転がっていました。

「熱い、熱い、痛い、痛い、」と叫んでいる人も多くいました。幼児や小学生の児童でしょうか、

「おかあさん、おかあさん、」と焼けどをし泣きながら叫んでいる子もいました。たぶん両親はその時すでに亡くなってしまっていたのかもしれません。それを見て、現在であればすぐ助けてくれる人もいるでしょうが、こんな状態になっては、おまわりさんも、助けてくれる大人もすべて怪我をしたり亡くなったりしている状況で助けてくれる人もなく、亡くなった人や怪我をした人は、まるで物のように捨てられ、そのまま地面にほったらかしにされ、そこには人間としての尊厳や権利は無い状態でした。それが戦争なのでしょう。

 そんな怖くてたまらない状況の中、ひとりの小さな五歳程の男の子が、「お母さん、お母さん、と私の所へ右足を引きずりながら寄って来ました。私は、お母さんではないとその子供に言いましたが、幼児は私にしがみつき私から離れようとしません。よく見ると幼児の右足は原爆で負傷し出血していました。私その時、一度は幼児の手を振り払いその場に置いて行こうと思いました。しかし、私ははどうしてもそうする事ができませんでした。もし、このまま置き去りにするとこの子は亡くなってしまうかもしれない。また、その子が行方が分からない弟のように思えたからです。しかし、歩くことができない幼児を連れて行くのは小学生二人にとって大変な事でした。

 咲ちゃんと私は互いに協力しながら、自宅までの道のりを交代で幼児を背負い歩いて行きました。電車の鉄橋が見えて来ました。この川を渡ると自宅がある街が見えるので家までもうすぐであることがわかりました。

 その時です咲ちゃんは私に「喉が渇いてもう歩けない」と言いました。それもそうです。彼女と私は、昨日より水を一滴も飲んでいませんでした。しかし、どんなに探しても水を飲むことはできず、ただあるのは川に下って川の水を飲むことしかできませんでした。

 それから、私達は、橋の下の川へと降りて行きました。川には被爆した多くの人々が水を求めて集まっていました。そこは、あの平和だった頃沢山の子供達や、自然溢れる水鳥達のさえずり、透き通る水の流れ、そんな場所とはまるで一遍していました。

水を飲んですぐに亡くなっている人もいました。川は黒こげの死体や水ぶくれの死体がぷかぷかと山のように浮いており、川の水の流れはたくさんの死体でせき止められる程でした。川の水の色は全体がどす黒く濁っていました。私と咲ちゃんは、怖くなって川から離れようと思いましたが、ただどうしても喉が渇いてたまりませんでした。私と咲ちゃんは、亡くなって浮いている人に私達は悪い事をしたわけではないのに

「ごめんなさい、ごめんなさい」と手を合わせ少しだけ遺体の合間から流れているどす黒い川の水をすくって飲みました。そして、幼児にも手で川の水をすくって飲ませました。その時私達がごめんなさいと謝ったのは、こんなにたくさんの人が助けを求めている状況で何もしてあげられないことへの申し訳なさでした。

 川を渡るといよいよ二人の自宅が近づいて来ました。途中、通りかかったおじさんに、私達の街の状態を尋ねてみました。

 するとおじさんは、「もう何もかもおしまいよ、このあたりはすべて全滅だよ」と言いました。自分達が今立っているところがこんな状態なのですから自宅もどうなったかその時、ある程度私達も予想することができました。しかし、私と咲ちゃんは家族は絶体無事であると心の中で思い、そんなわずかな期待を持ち自宅へと向かいました。そして私達二人は、私の自宅があったところへ到着しました。そこは、私の家があったところですが、家の形もなくなり、ただあるのは、くすぶっている家の瓦礫とかろうじて爆風で飛ばされなかった自宅の門の石の支柱だけでした。

 その支柱には掘った表札が残っており、ここが自宅があったところであることがわかりました。「お母さんや弟や妹はどこに行ったの?」私は必死に大声を上げ泣きながら叫びましたが、家族はだれもいませんでした。しばらくして、私はきのうの朝、私が自宅を出る時に、お母さんが、弟と妹を連れて街まで買い出しに行くと言っていた事を思い出しました。「そうよ、街に行っているならどこかに避難しているんじゃないの、まだあきらめちゃだめハルちゃん」と咲ちゃんが私に言ってくれました。

そして、それから私の自宅を後にした二人は、咲ちゃんの自宅がある方向へと向かいました。しばらくして、咲ちゃんの自宅へ到着しました。自宅といっても、廻りの家も何も無く、瓦礫だけが残っていました。咲ちゃんの自宅も私の自宅と同じく全壊していました。咲ちゃんは、「お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、良子、徹、・・・」家にいるであろう家族五人の名前を何回も呼びながら探しました。

 咲ちゃんの家は、小高い崖の上にあり家の中にいた家族五人は、原爆の爆風で飛ばされ、崖の近くに重なり合うように亡くなっていました。それを見て咲ちゃんは、「なんで、なんで、こんなひどい事をするの」と家族の変わり果てた無残な姿に近ずき泣き叫んでいました。私はその時、咲ちゃんは、すでにお父さんは兵隊さんで戦地に行き戦死しており、残った家族もすべて亡くなった今の状況で本当にひとりぼっちになったのを見て、慰める言葉もありませんでした。咲ちゃんの家はおじいさんの代から続く、大きな和菓子屋さんで、咲ちゃんも私の家の和菓子は日本一と言って、みんなに自慢し、時々店番で咲ちゃんも店に出ていました。学生さんや行員さんなど多くの人に親しまれ、私も小学校の入学のお祝いに紅白のお饅頭を頂きました。確か小学校の運動会の時も無償で饅頭を学校のみんなに配っていたのを覚えています。本当に美味しかった。それが、すべて店はおろか人まで戦争で奪われるなんて・・・・・・

 また、家の周りを咲ちゃんは、何度も歩いていました。それは、お父さんさんが戦地に行く前咲ちゃんに買ってくれた思い出の木を探していました。しかし、当然のことながら五十年に一度だけ花を咲かせる木も原爆の爆風で焼き尽くされ跡形も無く消えていました。

 時間は経ち、夜になりました。各所で家族の安否を求めて名前を呼ぶ声がこだまししていました。

「幸子、幸子、何処にいるんだ、お母さんよ、お母さんよ、」など多くの家族を探す声が破壊された街に響いていました。

以前であればこのあたりは夜になっても外灯や街の灯で明るかったですが、今は時折遠くで火がくすぶっている明かりと、あの独特の油臭いがあたりを包んでいました。そして、夏だというのに、夜になり少し寒く感じました。この場所で小学生二人と幼児一人が朝まで過ごすわけにはとても怖ろしくてできません。しかし、身寄りもなくなった三人にとって行くところもありませんでした。そこへちょうど通りかかった知らないおじさんが、自分も家族を探しているが見つからないと言いながら、ここへいると危ないので、おじさんの家へ来るように言われました。しかし咲ちゃんは亡くなった家族のもとを離れたくないと言ってそれを拒否しました。それから私は何度も咲ちゃんを説得し、その日はおじさんの家で一晩泊めてもらうことにしました。

 おじさんの家で咲ちゃんは「私ひとりぼっちになってしまった。私何も悪いことしてなかとに、私もう生きとってもしょうがなかけん死のうと思う」そう言って泣き続ける咲ちゃんに対し私は「私もひとりになったかもしれん」それを聞いたおじさんも

「私の家族も、私を置いて遠くへ行ってしまった。ここにいる三人はみんな一人ぼっちになったかもしれん、私はもう年老いているばってん、あんた達はこれから長い人生があるから生きらんばいかん」とおじさんも涙を流し私達三人を励ましてくれました。おじさんは、怪我をして泣き叫んでいた幼児が横ですやすやと安心して寝ている様子を見てどこか愛おしく思い、幼児は、身内を叔父さんが探してくれるとの事で叔父さんのもとに引き取られて行きました。その夜叔父さんの家で、みんな悲しい思いを堪えながら、支え合い長い夜を過ごしました。

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