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地球の時間2

 1

 春を告げる桜の花が咲いている。川らしき所に木製の橋が架かっている。私は、なぜか目の前に見えているはずの橋を渡らず、橋の下にある川を点々と横切る丸い飛び石の上を渡っている。その飛び石は思ったより長く、幾つも幾つも石を飛び越えたはずなのに、何時になっても向こう岸へと渡れない。

 まだほんの少し進んだだけなのに、もう歩くのに疲れ飛び石の中央で立ち止まる。そこから周りを見渡すと、河川敷には春に咲く菜の花、遠く上流では、たくさんの子供達が歓声を上げ水遊びをしているのが見える。

 目線を下に向け川の中を覗いて見る。水は透き通り多くのメダカやフナが泳いでいる。後から風を感じ顔を上げると、頭の上を白く大きな一匹の渡り鳥が飛んで来て、水面に着水し、長い口ばしで小魚を突き食べている。

 こんなに見とれてしまうほど、綺麗な川はいったい何処の川なんだろう・・・・・・

いつの間にか、遠くで水遊びをしていた子供達が私の居る飛び石付近に集まっている。その数があまりに多すぎて、かろうじて飛び石の間を流れていた川の水が、子供達に塞がれ流れが閉ざされ川の水位がしだいに上る。その結果、水位は飛び石を超え私の膝まで到達した。

 笑顔で遊んでいるたくさんの子供達が川の流れを遮っている。もう私の靴やスカートは川の水でびしょ濡れだ。しかしこんなに濡れてしまったのに、なぜか私は嬉しくてたまらず川に入り子供達と一緒に戯れている。

 子供達と遊んだ後、あんなに長かった飛石は消え、突然目の前に白い霧が掛かって来た。その霧はどこまでも、どこまでも続いている。目の前は霧で覆われ自分がいったいどこに向かって歩いているのかわからない。ただ一つ解るのは、耳から入る川の流れの音と子供達のはしゃぎ声だけである。不思議な事にそれらの音だけは、途切れる事無く続いている。この霧のトンネルは、いったいどこまで続いているのだろう・・・・・・

 それから時間が経ち霧は、何処からともなく吹いて来た春風に乗って消えて無くなり、それとともに今度は、賑やかな人々の声が私の耳元に響き渡る。また私の鼻腔には新緑の香り、目の前には自然豊かな風景が広がった。そして私の右手の平には赤いてんとう虫が止まっている。私が、左手でてんとう虫に触れると、滑るように飛び立ち桜の木に止まった。これは花見だ、花見だよ。何年も何年も続いているのに、花が咲くのは一年でたった一度だけ、それもほんの数日だけだ。満開の桜の木の下、酒を酌み交わし、踊りを踊り、歌声もどこからともなく聞こえて来る。そこには、人の声ばかりでなく、緑の木々がそよぐ音、ウグイスなど鳥達の鳴き声も聞こえる。また、懐かしい妹達の姿も見える。もしかして、これは、私が小学生だった時代の様子ではないのか?

 頭に手拭いで鉢巻をし、日焼けした顔の大工が仕事のお父さん。なぜか白い割烹着姿のお母さんもいる。あれ、ほんと、ほんとに、赤ん坊の弟もいるよ、よかったよかった、みんな一緒だ。みんな一緒だけど、ここは、いったいどこ、どこなんだろう、そんなことどうでもいい、いいよ、いいんだよ、みんなに会えたからそれだけで嬉しい。寂しかったよ、会いたかったよ、これまで何度も何度も会いたい、会いたい、一日でもいい、いや一時間でもいいから会いたい思っていた。しかし、今までどこをさがしても、何時になっても会えなかった。それなのに今みんなこうして、私の目の前にいる。まるで夢のようだ。私は、たとえこれが夢であっても会えて嬉しい。

 人間は人生という自分に与えられた船で川の流れに乗って時を刻んで行く。そして、航海の旅の途中たくさんの人に出会い、別れて行く。航行している船にはその流れの途中何人もの人が自分の船に乗船して来る。それは、ほんの数年いや数日、数時間かもしれない、老人、中年、青年、子供、その時に自分と同じ、いやほとんどが自分と違う相反する年齢を演じる役柄の人と出会いその時代を自分の人生と共に過ごす。そしてそこで乗船して来た人々から様々な事を教えられ、自分の生きる手助けをしてくれる。

 それは、今自分の船に乗っている人ばかりでなく、どこの誰だか解らない人も、見えない川の中で沢山の糸で繋がっており、航海をしている自分の船が転覆し人生の終わりを迎えないように支えてくれるのである。その糸は、日本の人だけでなく外国の人いる。この直接自分の船に乗船し出会った人ばかりで無く、川の中で支えてくれている沢山の見えない糸のお蔭で船は転覆せず生きる時間を刻み続け進んで行く。

 しかし、そんな時間や年月は、あっという間に過ぎ去り、わずかな月日の間、時代を自分と共に過ごした人は何時の間にか、さよならも言わず、どこか別のところへ流れ去り見えなくなってしまう。そしてその後、どんなに、その人達に会いたい会いたいと思い探して見ても、もうどこにもおらず、二度と会うことはない。もしかしたら、もしかしたら、今私が見ている世界は、その川の流れに逆らうように上流に向かって上っているところかもしれない。だとすれば、この川をもっともっと上り続ければ今まで会いたかったたくさんの人々に、再びまた会えるかもしれない。その時私は、そんな不思議な思いで今ここに居る懐かしい家族の姿を見つめていた。

 妹がウグイスの鳴き声を真似している。口笛を上手くできないが、小さいおちょぼ口を必死で尖らせ鳴き真似をしている。しばらくすると、そばで鳴いていた本物のウグイスの鳴き声がぴたりと止んだ。どこか遠くへ飛んでいったのだろうか?それでも妹は、まだウグイスは近くに居ると思い真似を続けている。その光景を見たお父さんは、「まだ近くにおるよ、きっとおるよ、ウグイスは鳴いとるばい」妹の言葉に合わす父。そして今度は、ウグイスの鳴き声を真似た口笛で妹に鳴いて見せる父。

 すると妹は「おる、おる、たくさんおるね、お父さん」そう言って手を叩きはしゃぎながらお父さんの顔を見る。ほんとうに仲の良い家族だ。

「ここが、よかよ、ここにしまっしょお父さん」割烹着姿で額に汗を掻き、日本タオルで顔を拭きながらお母さんがそう言っている。「そうたい、ここたいね、母さん、ここは眺めがよか最高たい」お父さんが言うように、そこからの眺めは、座って見ると桜の花も綺麗だが、遠くには海が見え、その手前には菜の花や桜並木、その花のトンネルを黒煙を上げて走る蒸気機関車も見える。ここは本当に美しいところだ。私はその風景を見て、子供頃毎年行った花見ができる公園であると、少しずつ幼少の頃の記憶が蘇る。

 昼ごはんのようだ。風呂敷包みから重箱が出ている。ほんとうに美味しそうだ。お母さんお手製の重箱に入ったお弁当。あ、この黒いのは、ぼた餅、ぼた餅、美味しそう。懐かしいなあ、妹が弁当より先にぼた餅に手を出し、お母さんに怒られている。妹は泣き出しお父さんが妹をかばう。

「母さん今日は楽しい花見みやけん、そげんおこらんちゃ」その言葉に妹はたった今まで泣いていた顔が笑いに変わり、もう一つぼた餅に手を出した。「この子涙も出てないんよ。うそ泣き、うそ泣き」お母さんがそう言っている。うちの家族は、お母さんが怒り役で、お父さんが慰め役。他の家族とは反対だ。ごくあたり前の家族、ごくあたり前の風景、なんて長閑で平和なのだろう・・・・・

「ここ、空いてますか?」西洋風の若い男性が、私達家族に声をかけてきた。男性は、

見たところ、もう一人彼女らしい女性を連れている。このカップルも、座ってここからの美しい景色を見ている。「綺麗ですビューテイフル」ここからの景色は日本人だけでなく、外人さんも感動する景色である。

 お母さんが、二人に重箱に残ったぼた餅を上げる。「サンキューたいへん美味しいです」二人は喜びをかたことの日本語で表している。「サンキュー、サンキュー」妹達が外人さんの真似をして笑っている。妹は、口の廻りにまるで髭を生やした様にぼた餅のあんこを付け何かを言っている。みんなは妹の話どころか、幼い妹の顔を見て大声で笑っている。それでも妹は、真剣な顔で何か訴えている。それにつられ外人さんも笑っている。もしかしたら、ここに居る外人さんは、異人さんと呼ばれる昔から長崎特有の斜面地に住んでいる人かもしれない。

 長崎は、昔からいろんな国の文化が入って来て、多くの異人さんも日本人と仲良く一緒に暮らし平和な街だった。どうも妹は、今花見をしている場所を降り、蒸気機関車を見に線路の近くまで行きたいと言っている様だ。妹は機関車が大好きで、いつも外出すると、「汽車を見に行こう、汽車を見に行こう」と母や父にせがむのである。この日もせっかく汽車の見える場所まで来たのだからと、父にそこへ連れてってとせがんでいる。母もまだ幼い弟の世話で忙しそうだし、父もあと少しこの桜の木の下でゆっくりしたいようである。それならば私が妹を連れてこの丘を下り蒸気機関車が通る線路沿いまで下ることもできるのだが、今みんなを見つめながら、この時代を生き、小学生を演じている私にとって、もし自分だけ成人した今の自分を演じてしまえば、今居る人がここから全ていなくなってしまいそうで、どうしてもそれだけは言うことができなかった。

 しかし、私がそんな取り越し苦労もすることも無く、父や母から今見えている私は、列記とした幼い児童の小学生であり私に妹の事を頼むことなど無いようだ。その後、あまり妹がせがむので父と母も花見をしている丘から降り、蒸気機関車が通る線路沿いへと家族みんなで機関車が来るのを待っている。それと、先ほど一緒にぼた餅を食べた外人のカップルも一緒だ。

 機関車が桜並木と菜の花の間を通る。妹と私は黒煙を上げて走る列車に向かい一生懸命手を振ると、列車からは沢山の笑顔を振りまいた乗客が手を振り返す。乗客の一人に窓から顔を出し笑顔で手を振る幼い小学生の女の子が見える。良く見ると同級生の咲ちゃんである。

「咲ちゃん、咲ちゃん」私が大きな声で妹と手を振り叫んでいる。

それからしばらくすると、いつの間にか私は、咲ちゃんが乗っている蒸気機関車へ乗り込んでいた。蒸気機関車に乗るなんて、この時代田舎のお婆ちゃんの所へ行く時ぐらいだ。車内へ乗り込むと、笑顔でいっぱいの乗客、子供達の笑い声が聞こえる。窓側で弁当を広げ食べている乗客もいる。移り行く車窓を眺めながらの駅弁最高だなぁー、ところで咲ちゃんはどこどこ、私は車内を探す。すると別の車両から咲ちゃんが現れた。あ、咲ちゃんが何か言っている。

今度はどこどこ、藁ぶき屋根の和菓子屋さん、見たことあるよ、咲ちゃんの家がある和菓子屋さんだ。懐かしい、咲ちゃんがこっち、こっち、と手招きをしている。私も店の中に入る。和菓子を作っている咲ちゃんのお父さんがいる。その後ろに叔父ちゃんもいる。何か甘い香りがする。いったい何を作っているのだろう。割烹着姿の咲ちゃんも手伝っている。あ、桃カステラ、桃カステラ、こんなに沢山並んでいるの見たことないよ。咲ちゃんのお祖父ちゃんが、桃の形をしたカステラを焼き上げた。そのカステラに白い蜜を塗る咲ちゃんのお父さん、その上に桃のお菓子の枝を載せる咲ちゃんのお母さん、そして得意げに桃カステラのお菓子の葉っぱを二枚を載せる咲ちゃん。これで桃カステラの完成。家族みんなで作る共同作業。本当に美味しそうだ。店の前には沢山のお客さんが並んでいる。

 咲ちゃんの店を出ると、子供の頃遊んだ商店街がある。魚屋さん、店の前には氷の上に載った沢山の生きのいい魚がいる。鯛やイワシ、鯖、色とりどりの魚が並んでいる。その横には、野菜屋さんがある。多くの野菜が並んでいる。ここは特に忙しいようだ。野菜を紙袋に包み、釣銭を渡している。釣銭が入っている籠を天井から吊るし、その籠があまりの出し入れで上下左右に揺れて止まらない。その隣が豆腐屋さん、桶をもって豆腐を買いに来ている子供がたくさん居る。お母さんから晩御飯のおつかいを頼まれたのだろう。その隣に豆菓子屋がある。

 奥の方で落花生を煎っている。この豆菓子屋は、ガラス張りになった上から見える小ケースに、いくつもの種類の豆菓子や菓子が入れてあり、そこから計り売りしている。

金平糖などもありショーケースは色鮮やかでどれもこれもほしくなる。ラジオ屋さん、クリーニング屋さん、時計屋さん、呉服店さん、米屋さん、饅頭屋さん、どれもこれも人の活気で溢れている。

「ハルちゃん、ハルちゃん、これ、おじいちゃんからハルちゃんの妹さんの初節句だからって、これこれ、桃カステラ」「うわーこんな綺麗な桃カステラ見たことないよ、本当にもらっていいの、有難う咲ちゃん」咲ちゃんは、それだけを私に伝え、どこかへ行ってしまった。しかし、今日は本当に会いたい人に会えて嬉しい。しかし、咲ちゃんはいったい何処へ行ったのだろう。

 今度はどこどこ、小学校だ。どこかで見たような学校だ。そうそうここは、従妹の明子姉ちゃんが通っている学校だ。この学校は私が通っていた木造校舎の小学校と違い鉄筋コンクリートの小学校だ。やっぱり鉄筋コンクリートの校舎は、見た目も格好良く歩くとギシギシとした古い木造校舎より頑丈そうで良いよ。今日は運動会のようだ。毎年秋の日曜日にある運動会は、母親に連れられ従妹の応援に駆けつけていた。従妹の明子姉ちゃんは足が速くいつもかけっこは一等賞ばかりである。運動会の昼休み、明子姉ちゃんに連れられ、校舎の中を見学して回ってる。明子姉ちゃん懐かしい

姉ちゃんは確か原爆で亡くなったって聞いてたけど・・・・・・

 「ここがうち達のクラスがある教室。綺麗でしょう。」机と椅子も新品みたいに綺麗だ。生徒がオルガンを弾いている。「昼休みだから誰が弾いても良いんだよ」そう言って明子姉ちゃんも楽しそうにオルガンを弾いている。

「次の教室はここ、ここ、」そう言って明子姉ちろゃんは涙を浮かべその教室を見るなり消えてしまった。その教室には机や教壇も無く多くの怪我をした人が、床に寝転がり苦しんでいるのが見え、白い服を着た看護婦さんや医師が手当をしょうと走り回っている。いったいどうしたの、どうしたの、原爆だ、原爆、私はそう思いその場に立ちつくんでいた。

 私は「うわーうわー」と怖くなり心が錯乱しうめき声を上げた。すると耳元で、「おばあちゃん、おばあちゃん、大丈夫、大丈夫」と子供の声が聞こえる。はっと我に返り気が付いて見ると、そこには心配して私の体を揺すっている孫娘がいた。私は孫娘に「ごめんね、おばあちゃん夢を見てたの」と言って、孫を強く抱き締めた。その言葉に安心し孫は「よかった、よかった、おばあちゃん元気になった」とほっとした様子で微笑んだ。私はいつの間にか自宅で寝入ってしまい、まだ戦争が起きる前、家族みんなで花見に出掛けた時の夢を見ていたようである。その夢の後私は、ふとあの場所が気になり後日、足を運ぶことになる。

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