地球の時間12
その後咲子の木は、以前として花は咲かせず、ひたすら上へ上へと伸びていた。しかもそのスピードは速くいったいどこまで伸びれば、成長が止まるのかと予想もできないほどであった。 被爆地に五十年以上眠っていた思いが、一気に爆発したような感じだった。この木は、私達に何かを訴ええている。咲ちゃんが見ている。その時つくづくそう思い私は成長する木を見ていた。
秋も深まり、学校内の木々に紅葉が色ずく頃、台風が訪れて咲子の木が倒れることは無くなったが、もうひとつの問題が発生した。今度は、木があまりに高くなりすぎたおかげで、これ以上高くなると、木の先端より少し上に設置された電線に引っかかりそうになったのだ。仮にそうなれば街中が停電になる可能性がある。そうなる前に、校長先生はもう少し伸びたら咲子の木を切る事を生徒達に言った。それを聞いた生徒達は、「咲子の木がかわいそう、切るなら花が咲いてからにして」と校長にお願いした。それから生徒達は、これまで咲子の木に「早く大きくなって花を咲かせて」と言っていたが、今度は「これ以上大きくならないで」と木が上へ伸びて伐採されないように願うようになった。
数日後、子供達の願いが通じたのか、木の上へ伸びは止まり、今度は横に枝が伸びそこにたくさんの蕾を付けた。校長先生は生徒達に「もうすぐ花が咲くよ、みんな楽しみにして下さい」と言った。そして、咲子の木は待望の花を咲かせた。
花は天にまで登ろうかと思うほどの真っ直ぐに伸びた幹から四方に別れた枝にギッシリと枝が折れそうなくらい黄色い花が咲いていた。
それに合わせて数日後、街の人や同窓生、在校生などたくさんの人を呼び開花式を行った。そこでは、いままで木を育てくれた小学校の同窓生や在校生また地元の人などとともに、唯一咲子さんの身内である妹の桃子さんも一緒にその場に来て祝ってくれた。
そしてみんなで記念写真を撮った。写真とは不思議な物で一瞬の時間を止めて、それを映像として残してくれるのである。私はその時、瞳さんに見せた原爆投下前に祭りの集合写真を思い出し、この人達が今後人生の中で二度と戦争に遭わないように祈った。また式では咲ちゃんが好きだったハーモニカやピアノを私も含めみんなで童謡「ふるさと」を演奏した。私はその時咲ちゃんに
「見て下さい。おなたが好きでい好きで、いつも見たいと言っていた木が今花を咲かせました。それはとても大きく綺麗ですよ。また、あなたが願っていた平和で美しい長崎の街も見えてますか?」と私は何度も何度も心の中で呟いた。
開花式典では、原爆で亡くなった咲子さんの妹桃子さんも紹介され、一言挨拶を日本語で述べられた。「みなさんのおかげで、今日姉咲子の木が開花し有難うございました
みなさん戦争、原爆は絶対だめです。亡くなった姉もこうやってこの木を通じ言っています」桃子さんはそう言って開花した咲子の木を見つめ、涙ぐみながらみんなに訴えた。
その後、私も紹介されこれから生きて行く子供達の前で、ある言葉を送った。
「私は、咲子さんと生きた小学生時代、あの日一瞬にして原爆により命を奪われた人々の生きた証を決して忘れてはいけないといつも思っています。私と咲子さんは、当時小学生で原爆を経験しました。八月九日を思い出すと一番に頭の中で浮かんで来るのは、原爆で苦しんで助けを求めている人、悲しんでいる人がそこらじゅうにたくさんいる世界でした。みなさんは、日常生活が行われていた街に、ある日突然一発の原爆が落ちた後の世界を想像できますか?緑豊かだった大地、その街で、蝉取りや縄跳びで遊んでいた子供達、公園で子供達を楽しませようと紙芝居を行っていたおじさん、戦争でいなくなった街に大人の代わりに働いていた子供達。将来は医師や看護師になって多くの人を助けたい、学校の先生になりたい、映画俳優になりたい、和菓子屋さん、プロ野球選手、サッカー選手、歌手、音楽家、デパートの店員、御嫁さんになってたくさんの子供と暮らしたいなど多くの夢や希望がこの原爆の雲の下にはたくさんありました。それが一瞬にしてあの日奪われました。もしあなただったら、もしあなたの家族だったら、もしあなたの友達だったら、考えて下さい。考えることができるのが人間です。亡くなったり怪我をしたりした人は、みんなこうなる為に生まれて来たのではないと思って死んで行きました。亡くなった人は何も言いません。怒ることもできません。もし、戦争で亡くなった人が今生きている人に対し、声をかけることができるなら、こう言うでしょう。私達は、まだ、まだ、たくさんの時間生きられた自らの命を戦争という卑劣な物で止められ奪われました。私達は、生きたかった、本当に生きたかった。もっと、もっと、人生を楽しみたかった。しかしできなかった。自らの命と引き換えに私達はあなた達が今平和に暮らせるように、犠牲になりました。だからもう二度と、戦争をしないで下さいとそう言っています。
また原爆では多くの植物、動物も死にました。この木を含め多くの植物は、もうこれ以上地球を壊さないでと叫んでいます。人間は植物なしでは生きていけません。かつて生きていた多くの植物や動物の命を糧にして、また絶滅させてまで繁栄し生きてこられた人間。その人間がそれだけでは物足りず、今度、人間自ら、あろうことか、同じ人間の命を奪ってまで生きて行こうとしている。まさに戦争になれば、人間が人間で無くなるのです。これを続け戦争になり、原爆が使われるならば、いままで幾度となく我慢し生きながらえていた植物も、この美しい地球より絶滅させ、ひいては人類も滅びるでしょう。
今皆さんが吸っている、今生きている世界中の人が吸っている、いえ世界中の生き物が吸っている空気。空気は、あらゆる国の植物が、人間も含め地球上のすべての生物の為、毎日作り出し続けています。この空気がなければ、人間はほんの五分たりとも生きることはできません。空気は国境を越え、地球上の多くの人が共に分け合い吸って暮らしています。その空気のようになぜ、人間は仲良く分け合って暮らせないのでしょうか?空気が無いと五分も生きられないか弱い人間同士が、戦争で命を奪い合う。ある時は銃で、それでも死ななければ爆弾で、核兵器で、これでもか、これでもかと多くの人をまるで害虫のごとく命の奪い合いをする。それが人間なのでしょうか?人間はこの地球で生きてはいけない害虫ですか?世界中の人間の命はかけがいの無い命です。
このかけがえのない地球でお互い助け合い生きてこそ人間です。原爆は、作り話でもなく、ほんの数十年前この長崎で、この小学校の近くで起きた事です。人間は忘れる動物です。こんなに悲惨な事があってもまた過ちを繰り返すかもしれません。たった一度の戦争でも、そこには敵、味方に関わらず多くの人間が亡くなったり怪我をしたりします。その傷はその後も長く続きみんなを不幸にします。今の平和が多くの人の犠牲の上にあることをいつも心に留めて置いて下さい。そして亡くなった人々の声無き思いを伝え続けて下さい。皆さん、いつまでも人間でいて下さい。あなた達は、人間として生まれて来たのですから」私は平和への思いを子供達に伝え母校を後にした。
咲子の木が開花後も私は、母校へ足を運んだが、それから一カ月も経たないうちに、咲子の木は開花にあまりにたくさんのエネルギーを使い果たしたのか、平和になった長崎を見届け安心したように、高く伸びていた幹はあっという間に枯れ無くなってしまった。それを見て私は、「咲ちゃん、有難う、がんばったねがんばったね、きっときっと原爆で亡くなったみんなの思いを子供達に伝えましたよ」と心の中で彼女に伝えた。
エピローグ
時間というものは、この世に生を受けた人間ひとりひとりに与えられ、その人だけが自由に使うことのできる掛替えのないものだ。貴重な個人と個人の時間が、交じりあった時、人は互いに助け会い協力し命を繋ぐ。全ての人の始まりは、命ある人の手を借り生まれて来た赤ん坊。たとえ間接的であっても多くの世界の人の見えない手をかり今の自分がある。
そんな貴重な時間を他人のために命を削ってまで生きているのは、地球上の生き物の中ではおそらく人間だけだろう。生まれたての赤ん坊は、実にみんな無邪気で新鮮で、争うことも無い。
しかし時間が経ち、物心つくと人間は戦争で命の奪会いをする。多くの人の掛替えの無い未来の時間を奪い後には何が残るのだろう。満足感?それはその時だけなのだうか?たとえそれが勝者であっても敗者であっても、その後、何事も無かったかのごとく平和になったとしても、それを体験した人は、その事がいつもどこか頭の隅に哀しみとなって残っており、その哀しみは、決して時が進みえ遠い過去のものとなっても一生忘れることはない。
現在までこの星で行われた戦争で奪われた人の時間を積み重ね、もし一人の人間がその時間を使いきるまで生きることができたなら、途方なく永遠に生き続けることができるだろう。
この広い宇宙の中で、奇跡の星地球人としてせっかくみんな同じ時代に出会ったのだから、世界中の人間同士が平和で助け合い互いに喜びを分かち合う星になってほしい、地球の時間を止めないでと、人が生きて行ける環境と時間を作ってくれたこの星地球はきっとそう思っているだろう。




