地球の時間10
私と瞳さんが桃子さんの母国を訪ねて半年程経ったある日、私の家に桃子さんからもう一度故郷日本を訪れたいと電話が入った。誰も身内が居なくなっても母国日本で生きた家族の証をたどりたいとの事であった。
再来日の日私の店へ家族といっしょに訪ねて来ることになった。そして彼女は家族が、原爆ですべて亡くなっても、自分が生まれ家族が暮らした街を見る為長崎を訪ねてくれることになり、私の店で再び彼女と再会することが出来た。彼女は、私の店に入るなり彼女が育った幼少期を思い出したかのように、昔ながらの店の霧囲気で建てた店内を見渡し首を何度も顔をうなずいた様に縦に振り、昔の思いにふけっていた。その後、彼女は涙ぐみ
「家族がすべて亡くなり子孫もいず寂しいです」と私に言った。私も同感するようにうなずきしばらく声もだせなかった。そして彼女は
「もし姉が養子に行き、私が長崎にいたら私が亡くなっていたでしょう、咲子姉さんが私の代わりに亡くなったようなものです。申し訳ないです」と彼女は口にした。
桃子さんは、それから私の店ののれんを手に取り、子供頃姉と二人隠れん坊して遊びましたと昔を懐かしく語った。そして、店の中に飾っている雛飾りを見ながら、私が作った桃カステラを食べ当時を懐かしそうに咲子さんとの思い出を語ってくれた。
その後彼女は、和菓子を作る厨房に入り、カステラを焼いているところを見ていた。
「懐かしいです。幼少期の事ですけど、この香りとおじいさんやおばあさん、父や母が手伝っている光景が思い出されます」私の店では、誰も居なくなった故郷の家族の思い出に耽っているように思えた。
それから彼女は、幼い頃家族で行った海沿いの料理屋さんの思い出を語ってくれた。「あれは私が養子で引き取られる前、家族である海水浴場に行った帰り、海沿いの料理屋さんで豪華な日本料理を食べた事をうっすらと覚えています。」記憶には、とても綺麗な海と漁村の風景が彼女の脳裏の片隅に写り残っているとの事だった。そして彼女は最後に思い出の場所に行き帰国したいと私に言った。私は何とかして彼女の願いを叶える為、あらゆるところへ調べ歩きおそらくここであろうと思う場所へ連れて行く事にした。
案内当日私は、長崎観光に詳しいタクシーを頼み彼女を連れ長崎市街地から少し離れた海水浴場へと車を走らせた。長崎港を右手に見ながら山の上まで家が立ち並ぶ市街地を抜け、切り立った山頂付近を抜けると、そこからは、カーブのきつい下り坂が続く。それとともにあたりの車窓は一変し、緑豊かな奥深い山々が見えて来た。海を見ながら山を越えて、海水浴場を目指しタクシーは走っている。地元の人でなければ果たしてこの崎に海があるなんて考えづらいだろう。しかし、緑の中を走りきった車の前方に小さな漁村が見えて来た。港には数隻の小さい漁船が見え、丘に上がって網の調整をし次の漁の準備をしている漁師がちらほらと通りに見える。海が見える防波堤に座り、遠く水平線を見ている日焼けした老人の姿もある。市街地とは時間の流れが違うようで、のどかな漁村である。
「とても良いところですね」彼女は漁村を見ながら私にそう言った。
「ここは長崎から近く市内でも有数の景勝地ですよ、運転手さん海水浴場はもう少し先ですか?」運転手さんは、
「もう少し走ったところです。昔はたくさんの海水浴客で賑わってましたが、今はプールもあるしお客さんも少なくなりました。」
漁村から十分程車を走ると白い砂浜が見える海水浴場に着いた。真夏ではあるが、ビーチには海水浴客はまばらである。桃子さんはビーチに着くなり
「ここです、ここです、確かあの不思議な三角の岩が子供の頃珍しく母に面白い岩だねと言ったことを覚えています。海面が透き通って見え綺麗なところですね」
そう言いながら彼女は、海を暫く眺めていた。遠くには波の中を一匹のカモメが餌を探して浮遊しているのが見える。彼女が砂浜に足を下ろすとその瞬間その一羽のカモメが海から飛んで来て彼女の前に寄ってきた。彼女は私に
「これあげても良いですか?」と尋ねた。彼女は私が車中で彼女にあげた和菓子をカモメにあげようとしていた。私は
「もしかしたら亡くなった咲ちゃんかもしれませんね、あげて下さい」カモメは、お菓子を啄みその後広い大海原へと帰って行った。砂浜を少し歩くと、家族連れの歓声が聞こえて来た。そこではスイカ割りをしている。桃子さんは、それを見て
「これ、これ、やりました。やりました」ととても懐かしそうにその光景を見ていた。「良かったらやりませんか?」とその中の一人の若者が桃子さんに言った。彼女はスイカ割りをしてまるで子供のようにはしゃいだ。それを見てもし今咲ちゃんが生きていたらきっと沢山の子供や孫を連れてスイカ割りもしているだろうなと、思い私は涙が出て来た。
そこから私は桃子さんが当時昼食をしたであろう料亭で食事をした。店から見える景色は、対岸に大きな山を望み、時折漁船のボーンという警笛が鳴り海風とともに潮の香りが食事をしている部屋に入って来る。
当時の店かどうかわからなかったが、料理やそこから見える景色は、彼女が思い描いていた物であったのかとても満足している様子だった。そして、その後私達はその店を出て、長崎へと帰路の途中、タクシーの運転手さんが
「良かったらここで止まってこの景色を見て行かれてはどうですか?」と私達に言った。運転手さんの勧めで止まった場所は、漁村から少し外れた海辺の小さな砂浜だった。私は運転手さんに
「ここは何か歴史的な場所ですか?」と尋ねた。
「ここは原爆で被爆し負傷した多くの被曝者が当時助けを求めてこの街に運ばれ、この街に住んでいた人々が必死になって看病したと言われています。そして、その後元気になることなく無念の死をここで迎えた人も多かったそうです。亡くなった人はこの海岸で火葬され、この前に見える海岸には夜になっても火の光が耐えなかったと言われています。」私はこの事を運転手さんから聞いた時、私があの時まさに咲ちゃんと二人被爆後の街をさまよっていた時に、多くの人が被爆地を離れ助けを求め苦しんでいたかと思うと、その方々が家族に看取られることなく人生を終えなければならなくどれだけ無念であったかを思い知らされた感じである。私は、被爆者であり身をもって原爆の事を知っていると思っていたが、私が見ていたのはほんの一部分であり、それ以外にもたくさんの私の知らない人々の苦難があった事を忘れてはいけないとその時改めて思った。
時間が暫くたち、そろそろ私がこの場所を後にしょうとしていた時、桃子さんは、もう少し海を見ていたいと言った。日は沈みあたりは暗くなった。海は穏やかで、水平線は満月の明りに照らされ白くギラギラと光り幻想的である。「海が綺麗ですね、そして月も美しい、私が住んでいる国は、海はがありません、でも月は見えます月は一つしかないのに、あんな離れた私の国からも見えるのです、わざわざ地球を周ってくれているんですね、月には戦争はありません。あの時、月は戦争ばかりする地球を見てどう思ったでしょうね」桃子さんのその言葉に対し私は、咲子さんも終戦後、同じように言っていた事を思い出した。双子の姉妹なのでどんなに生きて来た環境が違ても感性が同じなんだろう。しかし唯一違う点は、月には戦争が無いとわかっている桃子さんの言葉だった。私はその時桃子さんが咲子さんと違い、これまで生きていたからこそ、いろんな体験をし、わかったていることを見てあらためて戦争という人間の行為によって咲子さんの止まってしまった時間の長さをその時感じた。




