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04

(……どうしようか、これ)

(…………)

 はあ、というルスのため息が聞こえる。

 四人の姿をひと目見たシルヴァンは、それだけで大方の事情を察してしまったらしい。

 ロゼから話を聞いてシルヴァンがまずしたことは、彼女への謝罪だった。

「本当に、申し訳ない」

「あ、いやいや。そんな、お兄さんに謝ってもらうことじゃあ」

「私はこの子達の保護者だ。この子達がロゼに迷惑をかけたのだから、私がお前に謝罪するのは当然のことだろう。ほら、お前達も」

「あ、はい! その……すみませんでした……」

「……ふん」

「ロイ」

 そっぽを向いたロイに、シルヴァンが低い声で名前を呼ぶ。

 一瞬、ロイは肩を揺らしてその声に怯んだようだったが、ちらりとロゼを見ると唇を引き結んでまた勢いよく顔をそらした。

「……ロイ。お前は、自分がしたことがまだわからないのか」

 うわあ。ロゼは内心冷や汗を流した。

 無表情と言ってもいい、シルヴァンの顔。無駄に整っているからそれだけでも迫力があるというのに、蒼の瞳は怒りからかどんどん温度を失っていく。

正面に座っているロゼが一番よくシルヴァンの怒りのほどがわかってしまうので、彼がロイの方に顔を向けたのをいいことにロゼはそっとシルヴァンから視線を外した。だって怖い。

「ロイ」

「…………」

 もういちど、促すようにシルヴァンが少年の名を呼ぶが、それは余計に彼を頑なにさせるだけのように見えた。

 すっ、と部屋の気温が下がったような錯覚に、ロゼは直感的に来る、と察して身構える。

「お前は、盗人同然のことをしていながら、謝ることもできないのか」

「……商品盗まれておいて警備隊に突き出さねーとか、バカじゃねえの」

 ぴしりと、空気が凍った。

 憤りを抑えるように一度、シルヴァンが肩を上下させる。そして、口を開いた。

「――この、馬鹿者が!」

 紛れもない怒りを宿した叱責。大声ではなかったが、ロゼは向けられている本人でもないというのに反射的に身をすくませた。

「警備隊に捕まっていれば、お前は今頃牢の中にいたんだぞ。帝国法では罪人はどんなに幼くとも罪人として刑罰が科せられ、辛い強制労働に従事するか拷問刑に処される。それを哀れに思って商品を返してくれればそれでいいと言ってくれた彼女に対して、その態度は何だ! そもそも、物を盗むということがどれだけ悪いことなのかということから教えなければわからないのか」

 それが合図だったように、「大体お前はいつも」とシルヴァンは本格的に説教を始めてしまった。教会の炊き出しを手伝うフリでつまみ食いしていたこと、行くなと言ったいかがわしい界隈に足を運んでいたこと、隣家の木に生っていた杏を勝手に取って食べたこと。その他にも次々と出てくる彼の悪行、もとい悪戯。そのどれかひとつだけならば子どもの悪戯、やんちゃな年頃なのだと大目に見ることができそうなものばかりだったが、尽きることなく挙げられていく過去の行状に言い尽きぬほどこのロイという少年は日頃からやんちゃが過ぎるのかと呆れを通り越してほとんど感心していると、またルスがフードの中でため息を吐いたような気がした。

 他人の家の事情を意図せずして覗いてしまったようなそんな気まずさを抱えながら、とりあえず傍観するしかないロゼの目の前で、銀髪の騎士様の説教は終わる気配もない。

(とんだ悪ガキだった、というわけか)

(そうみたいだねえ)

 説教の声に、何事かと部屋の入り口に子ども達が集まってきている。

 それにひらひらと手を振りながら、ロゼは出されたお茶をずず、と啜った。ラウルは既に興味を失ったのか、部屋の隅にある書棚とそこに並ぶ本の背表紙を見るともなしに眺めている。

 ロゼ達にとっては敵地と言っても過言ではない場所でなにを寛いでいるのかと、ルスがぺちぺちと頬を叩いてきたが、だってねえ、と彼女は視線を正面に戻す。

 他人が同席していることを失念しているのか、体ごとロイの方を向き、懇々と人の道とは何かを説いているシルヴァンの姿は、いっそ微笑ましくもある。説教されているはずのロイは唇こそ尖らせているものの、律義に姿勢を正して聞いているのもなんだかおかしかった。

(コレが、父さんの仇だなんて)

 困惑と、呆れと、その他言い表しようのない感情が去来して、ロゼはそっと胸に手を当てた。

 シルヴァンに対する警戒は、もうほとんど無くなっていた。

 放っておけばいつまでも続きそうな彼らのやり取りを中断させようと、ラウルがおもむろに口を開く。

「ロゼさん。僕、お腹が空きました」

 特段声を大きくしたわけではないが、その言葉は絶賛説教中だったシルヴァンの耳にも届いたようで、一瞬ぴたりと動作を止めたかと思うと、次には弾かれたように正面を向いた。

 正面――つまり、ロゼの方を。

「すまない! 客人を放っておくなど……!」

「ああ、いやいや。気にしないで、うん」

 確かに、目の前でいきなり説教を始めたことには面喰ったが。

(得たものが、ないわけじゃない時間だったし)

 気にしていない、と笑うロゼにシルヴァンは「だが……」と渋面を作る。

「商人は、時は金なりと言うのだろう。徒に時間を取らせてしまった」

「……教会に住んでるのに、ずいぶん俗物的な言葉を知ってるんだねえ」

「教会には場所を借りているだけだ。俺はもう聖職者ではないからな」

 そういう問題なのだろうか。

 だが、そう言って笑うシルヴァンは本気でそう思っているようだ。

 眉を下げたロゼに、この部屋に来てから初めてロイが顔を向けた。

「おい、バカ女」

「……えーと」

 それは、もしかしなくとも自分のことなのだろうか。

 確認せずとも、この場に女性はひとりしかいないのだが、素直に返事をするのが躊躇われる呼称である。その証拠にシルヴァンの眉間にはぎゅっと皺が寄り、すぐ隣でラウルが器用に片眉だけをぴくりと動かした。

正面と隣からの声なき怒りの気配に内心冷や冷やしつつロイの言葉を待っていると、「悪かったな」と小さな声が聞こえてきて、思わず耳を疑ってしまった。

(……今のは、ひょっとして謝罪なのかな? 彼なりの?)

 こてりと首を傾げる。

 またすぐそっぽを向いてしまったロイの表情はわからないが、その代わりとばかりにこちらに向けられた耳は先まで赤く染まっている。

 思わずまじまじとその様子を観察していると、「あ、謝ったからな!」と言い捨ててロイは走り去ってしまった。

 つまり、これはどういうことなのだろう。

「……繊細な男心再び?」

「まあ、当たらずとも遠からずなんじゃないですか」

 至極どうでも良さそうにラウルは言い、こみ上げる欠伸を噛み殺した。

    


(――また、あの夢だ)

 燃え盛る炎が見えた時、ロゼは直感的にそう思った。

 幾度も幾度も、繰り返し見たそれ。夢らしく音もなく、ただ忘れられない記憶の断片が継ぎはぎされただけのもの。

 わかっていても、ロゼは眼前の炎から目を背けることができなかった。

 炎の向こうに見える人影。それをもっとはっきりさせようと、目を凝らす。

 その人影は、後ろ手に縛られているようだった。それどころが、体自体、なにかに縛り付けられているように、影は不自然な輪郭をとっている。

『――……て……おね……』

 切れ切れに聞こえる、声。

 いや、実際には、音ではない。人影が、ロゼになにかを伝えようと懸命に口を動かすから、聞こえている気になっているだけだ。

『……か……子を――』

 炎が、ぶわりと勢いを増す。

 人影はそれに呑まれ、咄嗟に伸ばした手はなににも触れず空を切る。

 すると、一瞬で情景が変わった。

 炎の代わりに現れたのは、小ぢんまりとした木組みの小屋と、それを囲む背高の木々。

 そこは森の中だった。黒と見紛うほど濃い緑をした木々が陽の光を遮り、純白の雪片がちらちらと舞う、冬の森。

 ロゼは、そこがどこか知っていた。

 地名を言うなら、大陸北部ノーザンガーデン、その北方。

 より感傷的に言うなら、ロゼの故郷で、生家だった場所だ。

『ねえ、母さん』

 声が聞こえる。

 次の瞬間、ロゼは小屋の中にいて、そこにいるひと組の母娘を眺めていた。

 暖炉の火で夕食のスープを作る母の背に声をかけた少女は、テーブルを拭いていた布巾を置くと、母親に体ごと向き直る。ちょうど、ロゼに背を向ける形だ。

『なあに?』

『父さん、まだ帰ってこないの?』

『……言われてみれば、今日はちょっと遅いわね』

『言われてみれば、って。母さん、ちょっと酷い。父さん拗ねちゃうよ?』

『それはすごく面倒くさいことになりそうね』

『……母さん』

『あ、あら、ロゼったら。ちょっとした冗談じゃないの』

 そう苦笑してこちらを向いた母親の顔に、ロゼはああ、と息を吐いて静かに瞳を閉じた。

 なんて懐かしい声だろう。そして、なんて暖かい声だろう。

 薄くそばかすの浮いた頬に、くるくるとよく感情を映す大きな緑の瞳。料理のためにまとめられた、にんじん色の髪。浮かべられた、愛情のこもった表情。それはロゼの母、アンヌに他ならず、最早夢の中でしか会うことのできない、ロゼの大切な人のひとり。

 この後に起きたことを知るロゼにとって、目の前の情景はあまりに儚く遠い、幻のようなものだった。もう戻ることができない、幸福で平穏な日々。そして今見ているのは、それが壊された、まさにその日の記憶。

 気にしていないふりをしていた母が、その日、いつもより帰りの遅い父を本当はとても心配していたことに、ロゼは気づいていた。夕食を作る母の手つきはどこか緩慢で、もの思いに耽る横顔が見たこともないほど不安げだったから、自分を心配させまいとおどける母に、なにも気づいていないふりをして。

 コン、コン。

 小屋に扉を叩音が響く。途端、張り詰めた母親の雰囲気に少女――記憶の中の幼いロゼは、さっと顔を小屋の入口へ向けた。

 コン、コン。コン、コン。

 木を叩く、渇いた、細かな振動。ゆっくりと繰り返されるそれに、母親は『ロゼ』とひそめた声で娘を呼んだ。

 抱き寄せた娘の体を一度強く抱きしめ、彼女はそっとその体を押しやる。

『母さん?』

『…………』

 不安。恐怖。困惑。

 震える小さな声に母親はいっそ場違いなほど穏やかな笑みを向けて暖炉の前の敷物を剥がすと、そこにあった隠し扉を開けた。

 地下へと続く隠し扉。以前、なにかあった時のためにと教えられたその先へと押しやられ、幼いロゼは母親を振り返る。

『ここは、秘密の洞窟に繋がってるの。中に入ったら真っ直ぐ進みなさい。そうすれば、少し開けたところに出るわ。父さんが……あの人が迎えに来るまで、そこで静かに待っているのよ』

『母さんは?』

『ここは、一度閉めたら、決められた鍵以外では外から開けることはできない。そういう風に、あの人が作った場所だから。いいわね。絶対、なにがあっても、戻ってきてはダメよ』

『それなら、母さんも』

 予感が、した。

 ここで頷いてしまったら、言う通りにしてしまったら、母と永遠に別れることになるという、不吉な予感が。

『……ごめんなさい』

 叩音が、大きくなる。

『私は、行かなくちゃ。あの人に伝えて。時が来たから私は行くけれど、けして馬鹿なことは考えないでちょうだい、って』

『母さん!』

『さようなら、ロゼ。何よりも大切な、私とあの人の可愛い娘』

 傍にいられなくても、ずっと愛しているわ。

 離れていく手。閉じられる扉。再現される過去に、ロゼはたまらず顔を背けた。

 けれど、記憶は進む。

 小屋の扉が開き、姿を現す二人の男達。その内のひとりが、感情を押し殺した声で母親の名を確かめるように呼ぶ。『アンヌマリア』と。

 そうして、それが終焉の始まりだったのだ。

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