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01

 焔の夢を見る。

 赤々と、黒々と燃え上がる焔と、その向こうに見える誰か。その人は、こちらに向かってなにか叫んでいた。

 何を言ってるの。何を伝えたいの。知りたいと思うのに、どんなに耳を澄ましてもその声は聞こえなかった。

 轟々と唸る焔。その向こうに見える誰か。向けられた言葉。

(何が言いたいの、何を伝えたいの、貴女は、なにを――)

 ひと際大きく焔が揺らぐ。彼女を呑みこもうというのか。

(待って、嫌だ。死なないで、置いていかないで、行かないで!)

 母さん。



 臨海都市ゲティ=キント。

女神の子供という意味を持つように、古くは太陽の女神を祀る宗教都市であった。今では大陸中で広く信仰されているのは唯一神グラールを掲げるグラール教であるので、多神教の神を祀る神殿はとうに壊され、現在は街だけが残っている。

 また、西方を治めるカルゴア帝国の中でも一、二を争うほど古い歴史を持つ都市でもあるため、街並みは昔ながらの木造や日干し煉瓦のものが多い。東方諸国から伝わった焼煉瓦や石造りのものは高台にある領主の城やその周りにある官庁街のごく一部だけだ。

 城は海に向かって突き出した絶壁の上にある。港を造るには複雑に入り組み過ぎた海岸。それに沿うようにして南北に細長く広がる街並みは精巧に出来た模型のように美しい。古い街並みと新しいそれとが絶妙に混ざり合う様は人類の発展の歴史を一望している気分になる。

 通りの端に敷物を広げ、そこに見栄えのする商品を並べて座すロゼは、まるでその光景をしっかりと記憶に焼きつけようとでもいうかのように、客の呼び込みもそこそこにあちらこちらと視線を投げてはその街並みを目に焼きつけていた。

 仕事をするなら、できるだけその場所を見て、覚えておく。これは行商の身としては当然のことである。

 朝と昼、夕方、夜。大まかに分けただけでも、人の流れはまったく違う。向かう方角も、歩いている人々も。宗教の関係上、人々は連続した六日間を労働の日、その後の一日を休息日と定めているから、その巡りによっても変化する。これは個々の街や村でそれぞれ違うものだから、どんなに商品が売れなくても最低十四日はひとつの街に滞在しなければ、行商として失格だとロゼは師と仰ぐ商人から教わった。

 街の造り、歴史、入り組んだ道の数と、その重なり方。通りに面する窓、行き交う人の表情。重い荷を乗せた荷車の軋む音と、馬の嘶き。

 通り過ぎる人々が作る影に呑まれ、吐きだされて幾度目か。

 どこからともなく響いた「皇帝軍だ!」という大声に、彼女は弾かれたように顔をそちらへ向けた。

「遠征から帰ってきたんだ」

「魔族を倒してきたんだよ!」

 がしゃり、といくつも重なった金属音が聞こえた。

 がしゃり、がしゃり。徐々に近づいてくるそれに、家から、店先から人々が通りに出てきて、彼らをひと目見ようと街門の方に顔を向ける。

「見てよ、あの誇らしげな顔」

「きっと、今回の遠征もうまくいったんだな」

「そりゃそうさ。なんたって、皇帝陛下直々に編成した討伐隊だもの」

「その調子で、あの事件も解決してくれるといいんだけど……」

「そういや、聞いたか? この前のは、ずいぶんとひどかったらしいぞ」

 さわさわと、興奮を孕んだ囁きが広がる。

 路地で遊んでいた子ども達は元気よく飛び出してきて、間近に来た皇帝軍の隊列に歓声をあげた。騎兵と歩兵、合わせて三十人ほどが、日中の大通りをゆっくりと行進していく。

 そっと、ロゼはフードを目深にかぶり直した。

 陽光に照らされてもさほど光を反射しないのは、艶消しをしているのかそれとも長年使い続けている結果なのか。揃いの鎧を纏い整然と歩く姿はパレードかなにかのようだが、下げられた剣が儀式用のお飾りではなく、数多の血を吸ったものだとロゼは知っている。

 ぎらりと、フードの中で何かの瞳が赤く輝く。爛々とした眼光に宿るのは、きっと今自分の瞳にある感情と同じだろうとロゼは拳を強く握りしめた。

(……ダメだ。落ち着かなきゃ)

 感情に身を任せては、十年前の二の舞になってしまう。

 無理矢理視線を兵士の列から引きはがし、ロゼはずるずると座りこんだ。

 上下する胸を宥めるように、深く息を吸い、吐く。

「…………」

 どきどきと五月蠅い鼓動は収まらなかったが、衝動めいた激情は沈静化できた。

 それでもまた彼らを見ようとは思えなくて、視線をすぐ前にある地面に固定する。

『アイツは……マルスは、まだ赤子だったんだ……っ』

 甦るのは、慟哭の声。

 服が染まるほどの血を流しながら、唇からこぼれ落ちたのは怨嗟や憎悪の言葉ではなく、深く強い哀しみ。ロゼにも覚えのある感情だった。だからこそ、自身の不甲斐なさが情けない。

渦巻く感情を呑みこむように目を伏せると、自分が誰かの影に入っていることに気づいた。

 その誰かはロゼを影の中に座らせたまま、「お前が店主か?」と声を振らせてくる。応じて、頭上からのそれにロゼは道に投げていた意識を目の前へと引き戻した。

 焦点を結んだ視界には、まず粗末な布の上に並べた装身具や雑貨類が映った。その向こうに、茶の革靴がある。上に辿れば、僅かな好奇を宿した蒼の瞳とかち合った。

(ロゼ)

 警告を孕んだ囁きが耳朶に落とされた。

 それは発したものと向けられた者以外には到底聞こえぬ大きさであったから、ロゼは何事もなかったかのようにゆるりと口角を上げた。

「そうだよ、お兄さん。私が店主だ」

「旅商人か。見慣れないものを売っているな」

 男の視線が布の上を左右に滑る。

 声音は感心したというよりは、見て思ったことを口にしただけのようだった。

 もう、討伐隊は通り過ぎたのか。まだざわめきを残してはいるが、再び落ち着きを取り戻そうとしている通りを視界に入れる。それから、男の全身にざっと目をやった。

「そう言うお兄さんは、この辺りの人みたいだね。しかも、結構偉い人なんじゃない?」

「ほう。流石、その年齢で商人をしているだけはある」

 男は否定しなかった。そして、そこには偉ぶるような節がない。

(あらら。本当に偉い人を引いたみたいだよ、ルス)

 目深に被ったフードの下で、相棒に苦笑する。

 小役人程度にしか見えない相手にも、商売人であるロゼは「偉い人」と言う。大抵そう言う場合は相手をおだてていい気分にさせるための方便半分なのだが、今目の前に立ってこちらを見下ろしている男は十割本音で偉い人らしい。

 ということは、自分と同じようにフードを目深に被っているのはお忍びだからだろうか。

 他人のことは言えないが、上背があり体もそれなりに鍛えているだろう男がそんな不審者丸出しの姿をして街を歩いていれば、無駄に注目を集めそうだ。

 お忍びのつもりで、周りにはすっかりバレてたりして。

 揶揄するような考えが伝わったのでもあるまいが、男は膝を曲げてロゼと変わらぬ高さに視界を下ろした。

「手に取っても」

「構わないよ」

 ひと言断って男が手にしたのは、ひと振りの短剣だった。

「儀式用のもの……ではないな。刃が潰されていない」

「実用品だよ。少なくとも、作者はそのつもりで造ったものだ」

「それにしては、ずいぶんと装飾が多いな。刀身よりも、鞘の方が重そうだ」

「鞘を作った方は、儀式用のつもりだったから」

「別々のギルドの作なのか」

「ま、そんなところ」

 本当はどちらもギルドではなく個人が作成したものなのだが、それは客に伝えなくとも良いことだ。肯定も否定もしなければ、後は向こうが勝手に想像で補ってくれる。

 男はゆっくりと刀身を鞘から引き抜くと、現れた青白くも見える刀身に思わずというように息を呑んだ。同時に、感情に沿うように瞳の色がゆらりと揺れる。

 緑がかった色に変わった蒼の瞳。ロゼはそれを見て、瞳をすがめた。

「見事でしょ? 私が言うのもなんだけど、かなりの業物だよ、それ」

「ああ……わかる。確かに、これはすごい」

 得たり、とロゼは笑みを深めた。男の声には、紛れもない感嘆と称賛の色が宿っている。

「本当に、どこのギルドの作だ? 剣を扱う者としてある程度鍛冶士のギルドは知っているが、これほどのものを作るところがあるとは」

「ふうん。てことは、お兄さん、騎士さま?」

「そのようなものだ」

「そっか。なら、なおさらそれお勧めだよ。お兄さんなら、持てあまさずにちゃんと使ってくれそうだし。……あ、言っとくけどこれ、お世辞じゃないから」

「口がうまいな」

 再び鞘に戻されたそれを眺め、男が苦笑する。

「確かに、良い剣だが……生憎、既に愛用のものが他にあるからな」

「愛用のって、その腰の?」

「ああ」

 右側だけ不自然に上がっている外套を指差してロゼが問う。

 頷いたその動きで、男のフードから銀の髪が一房零れ落ちた。

「長剣使いなんだ。じゃあ、短剣は使っても護身用くらいか」

 ふむ、とロゼは指を唇に当てた。

 手慰みや護身用としてではなく生業として剣を扱う者ならば、手入れはもちろんしているだろう。そうすれば、使用頻度の低い短剣など、そうそう買い換えることなどしなくて構わない。

(武器の収集が趣味、なんていうなら別だけど、きっと違うだろうな)

 まあ、どのみち好事家程度に売るつもりは微塵もないのだけれど。

「私、まだもう少しこの街にいるからさ。よかったら考えてみてよ、買うかどうか」

 あまり深追いしても逆効果だと、ロゼはそう言いながら短剣を受け取る。

「そうさせてもらう。……ああ、そうだ。なら、名前を教えてくれないか」

「名前? 私の、ってことだよね?」

「流石に、それも知らずに探せる気はしないのでな」

 なるほど。言われてみれば、その通りである。

 ロゼのような旅商人が商売を許されているのは東西にある商業区の外れにあるごく限られた区域で、その日店を開けるがどうかは早い者勝ちという暗黙の了解がある。東西どちらかに店を開ければ儲けもの、最悪、歩き売りという手段もあるが、何れにせよ、店主の名前すら知らず探せるものではない。

(まあ、名前くらいならいい、よね?)

(…………)

 耳元で大きなため息が聞こえた気がしたが、気にせず彼女は自身の名を男に告げるべく唇を動かす。

「私はロゼ。多分、この街にいる間はこの場所か、ここから遠くないところに店を出してると思うよ」

 ロゼ、と男は口の中で転がすように呟いた。

「ではまたな、ロゼ」

「またね、お兄さん」

 遠ざかる背が、人混みに呑まれ、消える。その前に、一度止まった。

 なにかあったのかとロゼが見守る中、男は振り返って数歩戻り、ロゼがまだ自分を見ていることを確認してから口を開いた。

「――最近、この辺りでもの盗りの被害が相次いでいる。死人も出ているから、あまり遅くならない内に宿に戻れ」

 それだけを言い残し、今度こそ男は人混みに消える。

 言われた方はと言えば数瞬ぽかんと口を開け、やがてこみ上げてくる笑いにくつくつと肩を揺らした。

 面白い。ロゼは手の中で短剣をくるくると弄び、ひとり言のように「あれが?」と囁く。

「あれが、銀の聖騎士……シルヴァン・ラダフォード」

「ああ」

 ロゼのものではない低い声とともに、彼女の首元のフードが僅かに揺れる。

 瞳だけ覗かせるように顔を出したのは、空に浮かんでいる雲のように白い体を持つ紅い瞳の蛇だった。

「ルス、くすぐったい」

「む」

 肌に触れる蛇に向けた小さな苦情は、ソレが体の位置を変えたことによって解消される。

「来て早々、すごい大物にぶつかっちゃったね」

 十年前、現皇帝アレクサンドルとともに魔王を倒した、英雄。

 魔族の自分達には天敵だ、と軽口をたたくと、白蛇は苦悩するように鎌首を揺らした。

「爵位をもらって田舎に引っ込んだと聞いておったが……よりによってこの街にいるとは」

「ここの領主様ってことなんじゃない、きっと」

「厄介な」

 人語を解し、自在に操る蛇がついたため息に、ロゼは気にした様子もなく「仕方ないよ」と慰めの言葉をかける。

「幸い、なにも言われなかったしさ。気づかれなきゃいいんだよ、要はさ」

「むう。お前のその楽天的なところは、たまに大物なのかなにも考えてないのかわからなくなるぞ、ロゼ」

「もちろん、大物なんだよ、ルス」

 くすくすと笑って、ロゼはフードを直すフリをしてルスと呼んだ白蛇の頭を撫でた。

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