飯を食えない大人たち
僕が就労支援施設へ行って感じたままを書いたノンフィクション自伝です。
社会不適合者の話であるため自虐と愚痴が多めですがご了承ください。
ストイックな方やストレス耐性のない方は読む事を控えてください。
こんにちは。社会不適合者のエスティです。
今回エッセイを書いたのには訳があります。
それはタイトル通り、飯を食えない大人が全国的に増えてきている事に気づいてもらいたいからです。
ここでは僕が就労支援施設へ行って思った事を中心に話していきたいと思います。
僕は2014年3月にFラン大学を卒業した後、そのままニートになりました。理由は簡単です。その頃までは就職して働くのが当たり前だと思い込まされていました。しかし、そもそも僕は集団生活が大の苦手で、学生時代は屈指のトラブルメーカーでした。
そして学校も会社も集団生活の最たる例です。一応就活させられましたが、これでは当然受かるはずがありません。
要するに就職という生き方自体が向いていないにもかかわらず、就職して集団生活に馴染む前提の教育を受けさせられた事がニートになった大きな要因です。
しばらくは親によって教師になるための大学へ入れられていましたが、通信教育と相性が悪かった事もあり半年で退学し、正真正銘のニートとなりました。
学生の頃は従順さや協調性ばかりを押しつけられ、僕は完全にその同調圧力に屈してしまい、自分を押し殺して周りに合わせるのが正しいと思い込まされてきました。それが就活の時期になると、あなたは何がしたいのかを求められるようになり、僕はその時になって初めて気づいたのです。
社会は主体性や創造性のある人間を求めているという事に。
じゃあ僕が今まで受けてきた教育は何だったのか。まるで真反対じゃないかと思い、その時は学校を恨みました。
しかもうちの親は僕が10歳の時に、僕が発達障害の1つであるアスペルガー症候群であると知っていた事が発覚したのです。のちに広汎性発達障害と再診断されました。
何でそれが分かった時点で手を打たなかったんだと聞いてもうちの親は答えませんでした。その時はもう本当に親を恨みましたよ。
元々みんなと違うのに、無理矢理はめ込もうとしたらどこかで歯車がぶっ壊れる事くらいちょっと考えれば分かるだろうにと思いましたし、その時はかなり大喧嘩しました。
今は和解済みですが、正直今でもショックです。
個性を活かす方向ではなく、あくまで普通という型にはめようとした親と学校の選択ミスによって、僕の後々の人生に大きく影を落としたからです。
さて、本題に戻りますが、僕は2014年11月に親の紹介で就労支援施設に通う事になりました。
あの時の衝撃は今でも覚えています。
僕が紹介されるまま行ってみると、そこには僕と同様に飯を食えない大人がうじゃうじゃいたのです。
ここで言う飯を食えない大人とは、生きる力が全く育っておらず、自力で生活費を稼げない機能不全な大人を意味します。
結論から申し上げますと、僕はここに5年間通っていました。なので多分僕以上にあの施設の事情に詳しい人間はいないと言えるだけの自信があります。
まず施設へ行って分かった事の中で最も驚愕したのは、学校へ行っていたはずの彼らに全くと言って良いほど教養が身についていなかった事です。
こんな事を言うのもいささか抵抗があるのですが、小中学校9年間の義務教育を受けたとは到底思えない読解力の人たちが山のようにいて、ああいう人たちが量産されている時点で、明らかにあの教育システムがまともに機能していない事を確信したのです。
彼らの特徴を一言で言うなら、言葉は通じるが話は通じない人たちです。
彼らに直接話を聞いたりして色々と探っている内に、僕は彼らの共通点を見つけました。
・真面目
・大人しい
・優しい
・言われた事はできる
・やりたい事は言えない
何と言うか、まるで角を折られたカブトムシのような感じがしたのです。
要は社会という名の戦場で戦えない大人たちがたくさんいたよという話です。
彼らはあからさまに無気力で、発想に乏しくて、社会の荒波に耐えられるだけのたくましさがなくて、モテそうになくて、何より一緒にいて楽しくないという印象です。僕もあまり人の事は言えませんが、同じ穴の虫だったからこそ分かったという話だと思ってください。
特にやりたい事を言えないのは致命的ですね。
人が幸せを感じるのはやりたい事を見つけてそれに没頭し燃焼している時です。
やりたい事を言えないから人生不幸なわけですよ。
でもやりたい事を言えないようにしているのは親と学校なんですよ。僕の場合もいくつか心当たりがあります。1つ例に挙げると、表面上は個性を尊重する姿勢を見せながら、ちょっとでも人と違う事をすると執拗に叩かれ、子供が没頭しようとしている事を積極的に邪魔するんですよ。
そのせいで僕も彼らもやりたい事を見つけて没頭するどころか、やりたい事を見つける事さえできなかったからニートになっているわけですよ。ここは社会的責任が大きいと感じます。
数十人程度であれば自己責任の範疇だと思いますが、今こういう人たちが予備軍を含め数百万人以上の規模で国内にいるわけです。ここまで多いのはさすがに環境による影響が大きいので、自己責任の範囲を十分すぎるほど超えているものと考えて良いと思います。
そして彼らもまた発達障害や社交不安障害といった特性を持っています。
・感情的で無節操
・文法の基礎が分からない
・まともな文章を書けない
・議論と喧嘩の違いを理解できない
・相手の言葉を曲解して急にぶちぎれだす
・簡単な日常単語の意味を履き違える
・現実逃避をしながら妄想ばかりをする
・性格的に集団生活に向いていない
・自ら考え行動しない
・人の話を聞けない
全部とは言いませんが、彼らはいずれもこれらの特徴の内の複数を兼ね備えていました。
彼らが何故社会から自然淘汰されたのかが容易に想像できると思います。
各学校の問題児だけを集めて濃縮したような状態だったと言えば分かりやすいでしょうか。彼らには確固たる自分というものがなく、まるで魂の抜け殻を見ているようでした。
何と言うか、まともな人事だったらまず雇いたいとは思わないでしょう。
就職という生き方自体が向いていない人ほど集まりやすいのが就労支援施設なのだと知りました。つまり就労支援施設というのは、就職に向いていない人たちを就職させるための場所だという事です。
ここに来る時点で就職レールに向いていないと言っているようなものです。就職に向いている人であれば自力で自分の長所を活かせる企業を探してすぐに内定を取りますからね。それができない時点でお察しというわけです。
どちらかと言えば、彼らの多くは自営業の方が向いていると感じました。
ずっと彼らと会話をしていて思ったのですが、彼らは総じて感覚が大人の域に到達していないように感じました。もう20歳を過ぎたはずの大人であるにもかかわらず、まるで小学生と話しているような感覚に陥ったのです。
僕が伝えたい事を子供でも分かるように噛み砕いて伝えても、彼らは僕が言っている事の半分も理解できていないようでした。別に難しい専門用語を使っていたわけではなく、一般の人であれば簡単に理解できる言葉を選んで伝える努力をしていました。
やりたい事も言えず、無節操で理解力がなく、ずば抜けた取り柄の1つも持っていないのでは社会から愛されないのも当然です。言い方は悪いですが、彼らは負けるべくして負けたのです。
特に生きる力というものが圧倒的に欠けていると感じましたね。
中には比較的まともな人もいましたが、まともな人ほどすぐに出兵していきます。
施設では内定を取って卒業する事が皮肉を込めて出兵と呼ばれていました。これは訓練生による命名から広まった呼称です。
施設の連中の特徴を大まかに説明しましたが、次は僕がそこでどう過ごしたかを話します。
とても耳の痛い話ではありますが、僕もまた彼らと同様に飯を食えない部類の人間です。原因こそ1人1人違っていましたが、共通するのは社会が規定した人間になれなかったという事です。まあ別にならなくても良いんですけどね。
要は飯を食える人間になれればそれで良いわけですよ。
僕は2014年11月から2019年11月まで施設に通い続けました。
通っていた理由は単純に暇潰しであり、施設には体験生と訓練生がいます。
体験生はただ施設の3階に居座って遊んでいるだけです。3階は様々なボードゲームやカードゲームが揃っていて、個室のないネットカフェのような場所でした。
訓練生は主に2階で訓練をしています。2階にはパソコンがたくさんあって、本格的な訓練が行われています。当時の僕には曲がったネジを直す作業にしか見えませんでしたが。
その頃の僕は就職する気など全くなく、某居酒屋チェーン店の過労自殺事件の裁判で遺族側が負けてしまった事もあり、働くのがあほらしくなっていました。遺族側が負けた事で、労働者の人権が国と企業によって事実上踏みにじられたと感じたからです。
最終的には和解に終わりましたが、命の代償が1億円なのは安すぎると思います。
そんな事もあり、僕もまたすっかり魂の抜け殻のような状態でした。
学生時代からずっと役に立たない勉強ばかりをさせられ、嫌な行事に参加させられ続けた事で、僕の心は限界に達していました。
魂が喜ぶような生き方をしていなかったのです。
正直に言えば、今でも親と学校に対する恨みはあります。
技術の進歩によって労働者の価値が段々と下がっていく社会情勢の中、ただ言われた事をこなすだけの労働者になる前提の教育を受けさせられたわけですからね。その結果僕は社会不適合者になりました。しかし親も学校も責任を取ってくれません。
それを考えれば、今の社会は無敵の人が出てきても文句を言える立場にないと思っています。
毎週決まった日に施設の3階へ通い、そこで暇を潰す日々を過ごします。
度々ゲーム大会や街歩きといったイベントを楽しむ事もありましたが、その時はそこそこ楽しく過ごす事ができました。ただ、ずっと学校に通っていた影響なのか、何かしらやらないといけないとのかなと思って指導員に聞いてみると、別に何もしなくて良いと言われました。
僕はその時気づいたのです。僕は学校の中でしか通用しない人間になっていたのだと。
逆説的ではありますが、今の時代は学校へ行けば行くほど生きる力を失い、学校の外で通用しない人間になるのではないかと思ったのです。少なくとも僕にはその説がピッタリとはまっていました。
どうせ誰も責任を取らないんだったら、もうとことん自分勝手に生きようと思いました。
嫌われても良いから自分らしく生きようとその時初めて思ったのです。10年前にこの決断をするべきでしたね。ホントに遅すぎる。
ここまでが1期の話です。
最初から空白期間に突入するまでを1期、空白期間終了からフェードアウトするまでを2期と呼んでいます。
僕は一時期、施設へ通っていない日々がありました。2017年に一緒に遊んでいた人たちがごっそり出兵してしまい、遊び相手のいなくなった僕はそこから2018年の途中までフェードアウトしていました。そんな時に道端でたまたま会った施設の人に誘われて再び通う事に。
僕は空白期間中もやりたい事を探し続けていました。
ここからは2期の話です。
指導員も体験生も1年近くの空白期間の間にほとんど入れ替わっていました。
そこで僕は指導員に社会学が得意であるところを見抜かれ、1年ほど社会学の講義をするための講師として通い続ける事になりました。あくまでもボランティア活動の一環です。
特にニートの作り方という議題は反響が大きかったですね。
他にも義務教育が作られた理由やローマ史などを中心に講義をしていました。
ただ指導員以外の人はこの講義の知識を活かす事はなく、体験生は全員右から左の状態でしたがね。彼らには難しすぎたようです。まあ元々勉強ができないような人たちばかりが集まっているので無理もありません。
ちなみに僕は社会だけ学年トップで他は平均レベルでした。総合だと中の上くらいです。ほとんどの知識は社会に出てから全く役立ちませんでしたがね。
そこから1年間は比較的楽しかったです。
ですがここから僕の立場が急速に悪くなります。
2019年6月頃、最も出兵しそうにないネタ枠の訓練性が出兵しました。すると体験生の1人が僕の神経を逆撫でする言動を行うようになったのです。
指導員と雑談している時に、指導員の反論だけで十分理解できるにもかかわらず、特に頭の悪い体験生が追撃するように僕に反論をしてくるようになったのです。反論するだけなら別に良いんですが、言っている事が指導員と全く同じ言い分を繰り返しているか、トンチンカンな言い分になっているかのどちらかになるんですよ。
しかも僕だけずれてるみたいな事を言われて腹が立ちましたよ。
少なくとも施設に来るような奴にずれてるとか言われたくないですね。ここに来ている人はいずれも社会人になれなかった人たちですから。
その時はこの事を伝えて謝罪を貰いましたが、こいつの問題行動はまだ続きます。
1ヵ月後の2019年7月頃、今度は僕が書いた小説に対して興味を持った指導員や他の体験生に感想を聞いた時の事です。
ブログに小説を書いているのであれば、それを印刷するようにと指導員が勧めてきたのです。
それでブログに書いていた小説や、公開せずにため込んでいた小説を印刷して読んでもらいました。その時に僕は内容についての感想を聞いたのですが、返答はとてもお粗末なものでした。
読みやすいとか、詳細に書かれているとか、作風の表面的な特徴を述べただけで内容には一切言及しないというミスを犯したのです。
内容についての感想を聞いたのに内容に一切言及しないのって明らかに話通じてませんよね。
僕がそれを指摘すると、特に頭の悪い体験生が横から勝手にぶちぎれてきて、僕に対して誹謗中傷を飛ばしてきたのです。少なくともこいつは全く読んでないので完全に無関係ですし、その時点でぶちぎれてくる意味が分かりません。
結局、読んでもらった指導員や体験生の人たちは読解力不足である事が判明し、読者を降りてもらう事になりました。指導員が言うには、文字から場面を想像する事ができなかったそうです。あくまでも推測ですが、指導員も発達障害の傾向が強かったので多分その影響だと思います。
そして次の週になると、僕は指導員を通して今後は余計な口出しをしないと約束するなら先週の誹謗中傷は水に流すと特に頭の悪い体験生に伝え、本人もそれを了承したようでした。
しかしこいつはそれでも凝りませんでした。
雑談に割り込んでくるのは当たり前、反論の内容は相変わらずトンチンカンなままで、しかも小説の件でいざこざがあったにもかかわらず、次の週からまるで当てつけのように自分が書いた小説を持ってきて指導員や体験生に読ませていました。
一応僕もチラッと読みましたが、とても大人が書いたとは思えない文章で、基本的な文法さえ理解していませんでした。こんな文法の基礎も分からん奴にごちゃごちゃ言われていたのかと思い、虚無感さえ覚えてしまいました。
この一連のやり取りで、何故この人たちの人生がうまくいっていないのかがよく分かったと思います。ネタ枠が出兵した事で、ムードメーカーがいなくなったのも要因として大きかったと思います。
すっかり呆れてしまった僕は2階で毎週行われていたグループワークにだけ参加するようになり、2019年11月、ついにフェードアウトしました。
ちなみに講義は6月の時点でネタ切れになり卒業しました。
講義に関しては言いたい事を一通り言えたので悔いはありません。
特に頭の悪い体験生ですが、まるで独裁者のような毒親の元で育っていたようです。そいつはそれを自覚しながらも金太郎飴のように同じ過ちを繰り返す迷惑マシンになっていました。個人的には今まで会った中で最も就職してほしくない人でしたね。せめて感情論しかできないところさえ何とかできればね。
ああいう特徴の人は社会のためにも一生家に引きこもって好きな事だけしていてほしいものです。
世の中には就職しちゃいけないタイプの人間もいるのだと思い知りました。恐らくこいつだけではないと思いますし、僕は氷山の一角だと思っています。今は引きこもっていても稼げるような時代ですから、こういう人はできれば人と関わらずに済む仕事に就いて生きていってほしいですね。
そして僕はここをフェードアウトした後、小説に没頭するようになり今に至ります。
以上が就労支援施設へ行って感じた、飯を食えない大人たちの体験記でした。
いかがでしたでしょうか。
一応調べたんですが、就労支援施設の数が全国的に右肩上がりで増えているそうです。施設の数が増えているという事は、飯を食えない大人がそれだけ増えているという事です。なのに誰もこの問題に対して手を打っていないのが驚きです。
是非とも今の教育制度を真に受けるとこうなるよという教訓にしてもらいたいものです。僕や施設の連中のようになってはいけません。
今の時代を生き抜くのに必要なのは世の中の変化に柔軟な対応ができる人間になる事、すなわち生きる力を伸ばす事です。
このエッセイがあなたの人生の参考になれば幸いです。
ありのままを全て書きましたが自分でも酷いなと思います。
皆さんの生きる力が育つ事を心からお祈り申し上げます。
僕も生きる力を取り戻せるよう頑張ります。