Stage.1-⑥(extra)
青崎の晴れ切っていない顔が店を出て行ったすぐあとに、父からメールが届いた。開く前から予感はあったが、紗凪に関してだった。
『高柳紗凪を切り捨てろ。彼女は癌だ』
私は、父を尊敬している。
彼が、人間としては褒められるような人間ではないことは承知の上だ。家庭を顧みず、部下を駒としか扱わず、業界をドル箱としか思わない。そんな男であっても、業界に、さらにはそれを超えて世間に与える影響は絶大だ。経営者としては、卓越していると言えるだろう。その父が、紗凪を恐れている。彼の天網をかい潜り、今もなお彼の中に潜伏している大きな爆弾を。
父の言葉はごもっともではある。彼女が何かしら動きを見せるたびに、歯車が鈍い音を立てて狂っていくような居心地の悪さがある。その狂いは、他の歯車をも狂わせ、あちらこちらで軋む音が聞こえてくる。転移を繰り返す「癌」とは、言い得て妙だ。
紗凪を切り捨てることを、考えなかったわけではない。父が珍しく親心を見せ、日芸に置いていくことを打診してきた際には、それも良いかもしれないと思った。私の総力を賭けて潰してやることも、おそらくは間違いではなかっただろう。
しかし、どうしても自分の心がそれを許さなかった。
安いプライドなのか、それとも、目をかけてきた彼女への愛着なのか。はたまた、父への申し訳なさからかもしれない。理由はどれでも良いが、彼女を無責任に手放すことは、絶対にあってはいけないことだと、そう感じた。
『私を連れていくんですか? もう、一蓮托生ですね』
そう言った紗凪の顔を思い出す。呆れのような鬱陶しさを見せながら、どこか嬉しそうだった。あの子は、知らぬ間に私の制御下を離れていた。いや、そもそも、彼女は誰に与することなく、自らを信じるだけだった。それが、今や、自分で自分を御することすらできていないのかもしれない。
彼女を止められるとしたら。
画像ファイルを開く。
モデル向きの8頭身。幼さを抱えながらも大人びた表情。才能を神から与えられたものだというのなら、きっと、この子は神に愛されていたのだろう。これから美の極致に近づいていくのでは、とさえ思う。
紗凪の才能は歪んでいる。半端な正しさでは正すことはもうできまい。それならば、圧倒的なまでの、絶対的な正道で叩きのめす。
彼女なら。
しかし、どうにもしこりが残る。
報告を受け、遠目から見た彼女と、目が合ったように感じたあの瞬間。
紗凪を見たときとはまた違った異様な雰囲気があった。まるで、瞳の奥に引きずり込まれるような、どこまでも堕ちていくような感覚。
彼女は、本当に私が思っているような人間なのだろうか。私は、彼女を本当に見極めているのだろうか。私の枠の中に納まりきるような人間なのだろうか。
今度こそ、見極めなければならない。
父への返信を済ませ、タブレットの画面を暗くする。次の打ち合わせに間に合うようにするには、もう出なくてはならない。暗くなったタブレットの中に、何か暗いものを置いていくような感覚を覚えながら、気の迷いとして切り捨てる。自分の判断に迷いが生まれたこの機会を、自分の糧にしてみせてこそ、長というもの。
タブレットをバッグに慎重に仕舞い、立ち上がる。