Stage.1-⑥
郭部長は、日本最大の芸能プロダクション、日芸のアイドル部門を統括し、多くの人気アイドルを輩出した。アイドルの特徴を正確に見抜く観察眼、相手の要望を上手く引き出す交渉術、ここぞという時に出せる情報を蓄え続ける情報収集能力、アイドルのために持ちうる全てを兼ね備え、アイドルヒットメーカーとまで言われている。その辣腕は、アイドル業界のみにとどまらず、芸能界全体に轟いており、技術を盗もうと近づいた人間は多い。しかし、その技術を盗めた人間はいない。
それは至極当然の話で、未来を読め、と言われても無理な話だ。
しかし、心構えを参考にすることはできる。日本で最もアイドルの仕事を管理していたであろう人間が、何を思うのか。その心は喉から手が出るほど欲しい。
「恐れ多いですが、よろしければ、是非」
少し緊張して声が上ずった。社長は小さく笑う。
「青崎、あなたは、アイドルはどれだけ可愛ければ良いと思う?」
「どれだけ、と言われても、人によってその尺度はバラバラですよ。決めることはできません」
「じゃあ、あなたの基準を教えて頂戴。今までは感覚でやってきたんだろうけど、いい機会だから、言葉にしてみなさい」
じっと目を見られると、彼女の三白眼にはやはり圧がある。
少し気圧されながらも、今までに出会ってきたアイドルを思い出す。担当になった子も、笑顔で挨拶されただけの通りすがりの他事務所の子も。
アイドルと言っても、特別可愛いわけではない女の子もいる。顔だけで決まる職業ではないし、ちょっとぐらい美人じゃなくても問題はない。だからこそ、アイドルを可愛さという尺度だけで決定するのは、難しいことだ。
郭社長は、じっと待っている。ヒントを出すでもなく、焦れったさを態度に出すわけでもない。試されている事は承知の上だし、社長が暇ではない事も分かっている。しかし、この機会をヘタに流すのは実にもったいない。たっぷり5分は考え、ようやく答えをまとめる。
「第一印象で可愛い、と思った子、ですかね」
ご期待のお答えではなかったのか、社長は小さく息を吐く。
「まあ、及第点という事にしておきましょう」
「そいつは、ありがとうございます」
今は、社長の落胆よりも、社長から聞くアイドル論の方が大事だった。少しおざなりになった返答に機嫌を損ねたようだったが、社長は話を進める。
「私は、首から上だけで、真顔が10人中1人が文句なく可愛いと言ってもらえる子、だと思っているわ」
予想以上に俗っぽい返答に戸惑うが、わかりやすいと言えばわかりやすいのかもしれない、と思い直す。
「意外とハードル低いですね。社長のことだから、もっと絞るのかと思いました」
「そんなこともないわよ? あなたが思うほど、ハードルは低くない」
「うーん、でも、それぐらいなら芸能界にいっぱいいますよね? いつも、社長は今の芸能界が許せないって言ってたじゃないですか」
一旦黙り、郭社長はもう一度口を開く。
「よく考えてみなさい。判断材料は顔だけで、笑顔でもないのよ? あなたが思い描いているのは、どうせ宣材の完成された写真でしょう」
確かにその通りかもしれないが、今まで出会ってきたアイドルの中に、棒立ちで無表情でいたアイドルなどいない。
その考えを読み取ったように社長がインスピレーションを与えてくれる。
「じゃあ、自分に置き換えてみなさい。あなたが自分の真顔の写真を街頭で配った時、通りすがりの10人のうち、1人でも文句なくかっこいいって言ってくれると思う?」
「いや、俺は別にかっこよくないですから」
「安心しなさい。一人もいないわよ」
少し傷つきながら、イメージを進める。
「話を戻すわよ。今、あなたが会ってきた立花京はどうだった?」
確かに、彼女はずば抜けて可愛い。10年に1人、いや、20年に1人の逸材と言ってもいいぐらいだ。あの容姿だけで、十分に飯は食っていける。
「10人中5人は、文句なく可愛いと言うと思います」
社長は満足そうに頷く。
「お客さんの価値観はそれぞれ。可愛いけど、怖い。可愛いけど、バカそう。可愛いけど、何か違う。その程度の理想とのズレでさえ、無関心を貫く理由になる。その小さな不満さえ起こさせない容姿というのは、それだけで大きな武器になる」
三白眼がきゅっと細くなり、口角がほんの少しだけ上がる。彼女のこんな表情は珍しい。子供が新しいおもちゃを見つけたような、そんな不気味さが少し恐ろしいが。
「ですが、なぜ、わざわざアイドルでスカウトするんです? それこそ、そこまでの容姿を持っているなら、容姿がものをいう世界に飛び込ませたほうが良いのでは? たとえ、今は通用しなくても、僕たちで育ててあげれば良いのでは?」
本人には厳しく伝えたが、彼女は負けん気が強そうだったし、初対面の人間に啖呵を切れるほどの度量をすでに持ち合わせている。通用するか否かは置いておいて、アイドルは回り道になる可能性のほうが高いように思える。
社長は、一瞬の間で目を逸らした。意図的に目を逸らした、というよりは、どこまで言うべきか少し考えた、というような素振りだった。
「端的に言えば、制御下に置いておきたい、というのが本音ね」
少し声のトーンを落として、つぶやくように言った言葉に、脳が反応する。
「・・・紗凪のことですか」
社長は、ちらりとこちらを見てから、元気のない笑みを見せる。
「あなたが気落ちする必要はないわ」
そう言って、社長はコーヒーカップに手を伸ばす。小さな湯気が社長との間に挟まり、社長の表情をぼやけさせる。
高柳紗凪。
我がテトラプロダクションのアイドルだ。もともと、日芸に所属していた歌手志望のアイドルで、社長が強引に引っ張ってきた。アイドルとしてデビューしてからもう4年で、今年で23歳の新人とはもう言えないぐらいのキャリアだ。その間、彼女が所属したユニットは5つ。その全てが短期間のうちに解散している。
未だに日の目を見てはいないものの、着実に実力をつけ、少しずつ、その根は業界に定着しつつある。今まさに、彼女はその機を虎視眈々と伺っている。
「彼女の全ては、私が責任を持つ。決して、あなたのせいではない」
社長は言い切ってくれているが、自分の中の情けないほどの後悔は消えない。
高柳紗凪は、初めてアイドルを認めさせてくれた人間だった。
そして、社長が認めるほどの才能を秘めた人間だった。
しかし、今では、会社の全てを吹き飛ばしかねない爆弾でしかない。下手をすると、業界さえも。
「なんにせよ、立花京は、私の下に置いて、直接面倒をみる」
この話は終わりだ、とでも言うように話を締めくくる。胸の中のモヤモヤは未だに渦巻いてはいたが、社長の気遣いを無碍にするわけにはいかない。気持ちを切り替え、顔を上げる。
「わかりました。立花京に関しては、指示通り、本人の連絡待ちにしてあります。動きがあったら、すぐに報告します」
「了解。それでよろしく。私は、もう少しここにいるけど、あなたはどうする?」
普段、彼女はあまり人の目を見ない。そこから様々な情報を得られる彼女は、知りたくない情報まで受け取ってしまうかららしい。
そんな彼女が、こちらをじっと見続けるのは、今の自分の状態を気にしてくれているからだ。要するに、暗に「相談があるなら乗るぞ」と言ってくれているのだ。それがわかってしまうのだから、社長の薫陶は確かに自分の中に根付き始めているのだろう。
「いえ、まだまだ仕事が残っていますので」
クラッチバッグを持って立ち上がる。もう社長に泣きつく時代は終わった。もう少し、自分でできるところまでやってみよう。
テーブルの端にさりげなく置かれていた伝票に目をやるが、社長がヒョイとそれを取る。それに苦笑いし、もうタブレットに目を落としていた社長に「お先に失礼します」と声をかける。社長が小さく頷いたのを見て、席を離れる。
店の外に出て、思わず道路に向かって手を上げようとするが、思い直して駅へと向かう。社長の前ではカッコつけたが、実際、仕事がたんまり残っていることを思い出し、少し肩を落とす。