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キョウ  作者: 三山零
Stage.1
5/12

Stage.1-④



 しばらく名刺を見つめていたが、次第にバカらしくなってきて、コーヒーに手を伸ばす。慎重にすすると、苦味が口の中に薄く広がった。普段はミルクを二つ入れているが、最近は一つにしていた。苦味を美味しいのかもしれないと思うようになってきたからだ。しかし、その苦味が今はやはり苦いとしか感じられなかった。

 

 アイドル。

 偶像。

 かわい子ぶりっこ。

 

 どうしても、そんな風にしか考えられない。芸能界に入る上で、そういった一面を勉強することも必要なことなのかもしれないが、それを押し出していくのは抵抗がある。合ってないものは合ってないだろうし、自分の中で納得していないことは、はっきりとわかる。そういった不満や意識の差は、必ずどこかでボロが出る。万が一、アイドルとして地位を確立した後にそんなものが吹き出しでもしたら、どうしようもなくなるのではないだろうか。

 とはいえ、あの青崎の口車に乗りたい気もした。人を見る目だけは培ってきたつもりだ。彼は、上辺だけの付き合いで終わらせようとらしていない。スカウト後をどうでもいいと思ってやれることではないはずだ。彼についていけば、得るものが多いことは確信できる。

 ただ、人を見る目に自信はあるが、社会の広さは知らない。あの程度の口車に乗ってしまうのは、自分が小娘であることを受け入れなければならないような気がして、どうにも気にくわない。

 

 背もたれに体を預け、大きく息を吐く。

 こうなったら、どこかの劇団にでも飛び込んでみようか。アイドルなんて遠回りをするぐらいなら、青崎の言う演技の海に、早めに飛び込んだ方が賢いのかもしれない。いや、青崎のようないやらしい男なら、動揺を誘って判断を早めようとしているという可能性もある。今すぐに決めるようなことでもないのだろうか。スカウトを受けたのは初めてのことだ。即断は早計かもしれない。しかし、そうは思っても、心は晴れない。


「アイドル、ねえ」


 驚いて振り返ると、タケこと武田文太が戸口に寄りかかっていた。180cmのスポーツ刈りは、私の方を見ておらず、持っているスマホに目を落としている。


「盗み聞き? 良い趣味してるじゃない」


 鋭く睨むが、タケは無視して青崎が座っていた椅子に近づく。そして、持っていたスマホを優しく私の前に置いた。怪訝に思い、隣に座ったタケを見るも、タケはスマホを見るよう、つまらなそうに顎で示す。釈然としないながらも、促された通りに置かれたスマホに視線を移す。

 スマホの画面に表示されているのは、芸能ニュースの記事のようだった。タイトルは「親子関係にひび!?分裂した巨大芸能事務所!」だ。そこでピンとくる。以前、ネットニュースの記事にデカデカと似たようなタイトルが出ていたことがあった。タケを見ると、肩をすくめてから腕を組んだ。小賢しい真似をして、と思いながらも、スマホに戻る。

 記事には、日本最大の芸能事務所、日本芸能プロダクション、通称「日芸」の社長の娘が、事務所に在籍していたタレントの幾らかを引き連れ、造反したとある。社長が強引なやり方で娘を引きとめようとしたが、それを振り払って飛び出したらしい。社長の娘とともに飛び出した芸能人の名前も何人か掲載されている。その中には、見覚えのある名前も散見された。

 娘は、すでに日芸に対抗するべく新しい事務所を構えているらしい。日芸には遠く及ばないが、それなりの規模の事務所になるようだ。そして、その立ち上げた新事務所の名前が、テトラプロダクションというらしい。


「アイドルだけじゃなく、歌手やモデル、俳優にタレントもいる。ただ、アイドル部門をメインにしてやっていくらしいぞ」


「なーるほどね」


 もともと、社長の娘は日芸のアイドル部門を統括する部長で、相当のやり手だったらしい。マネージャーとして現場を奔走し、幹部にまで駆け上がった生え抜きで、その手腕はアイドルの世界だけではなく、芸能界全体でも広く知れているほどだそうだ。

 記事には、新しい女社長の顔写真が載っている。ショートカットの綺麗な人だ。目つきは鋭く、黒目が上寄りの三白眼で、冷たい印象を与えるのがもったいない。実際、無理にでも囲おうとしていた日芸の社長の網を破って抜け出すほどの行動力があるのだから、大事なものを切り捨てる冷酷さも持ち合わせているのだろう。

 写真だけでここまでの雰囲気を出せる人だ。この人がトップの事務所ならば、青崎のような、いやらしく頭がキレる人間が在籍するのも、納得だ。


「でも、お前は女優とかそういう方面なんじゃないのか?」


「・・・話、聞いてたんじゃないの?」


「聞くわけねえだろ。客のプライバシーだぞ」


 タケは、ふんと鼻を鳴らしてポケットの中から紙切れを取り出す。テーブルの上に投げ捨てられたそれは、私が青崎からもらったものと同じものだった。


「あの男、会計のときに、良いお店だからまた利用させてもらうかもしれません。こういうものなんで、ちょっと融通してくれると嬉しいです、とか抜かしやがったんだよ」


 その上、タケが嫌味で言った席代の30分500円も律儀に払っていったらしい。個室がある喫茶店は珍しいので、芸能関係の人間が使うにはもってこいだ。手付け金と言ったら変な意味合いになりそうだが、気を利かせてくれ、ということなのだろう。


「やらしい男。タケは、あーいう男にならないでよね」


「なりたくてもなれねえよ。俺は肉体派だぞ」


 タケの言葉に小さく笑う。青崎は、肉体派のタケにも頭がキレると思われたらしい。


「んで?」


「んで、とは?」


「だから、アイドルになるのかって話だよ」


 ちょうど、それを考えていたところだよ、とは言わなかった。一人で考えても煮詰るのは目に見えているので、少し相談に乗ってもらおうか。


「タケは、どう思う?」


「良いんじゃねえの」


 間髪入れずに肯定されたのは、少し予想外だった。驚いてタケの顔を見ると、「なんだよ」と嫌そうな顔をする。


「いや、そんな安請け合いというか、テキトーに返されるとは思ってなかったから」


「別に、テキトーじゃねえよ」


「テキトーじゃん」


「テキトーじゃねえって」


「何がどうテキトーじゃねえ、のよ」


 タケは拗ねたように視線を外して、下唇を突き出す。しばらく、私はそのタケの横顔を見つめ続ける。青崎が先ほどやっていた技を早速真似ることにしてみた。返事があるまで、絶対にこちらからは話さないオーラを出すのだ。

 タケは、ちらちらとこちらを見ては、視線を外し、どんどん下唇を前に突き出していく。さらに、鼻の上の方にシワができてきたあたりで、「あー、もう!」と言って立ち上がる。


「勝手にしろ!」


 そう怒鳴ると、タケは部屋から出て行ってしまった。

 ぽつん、と再び一人で取り残された私は、呆然とするしかなかった。


「なんだそりゃ・・・」


 勝手に逆ギレした上に、建設的な意見の一つも言えないとは。我が幼馴染ながら情けない。

 大きくため息をつき、窓の外の茜色に照らされる雲を眺める。最近は、めっきり寒くなってきた。夏の香りは消え失せ、銀杏が落ちる秋の音が聞こえ始めている。センチメンタルな訳ではないはずだが、一年の終わりが近づくと、どうしても焦りのような不安のようなもやもやが胸に生まれる。このままでいいのか。何か行動を起こさなくてはいけないのではないか。時間は限られている。今年も、そのもやもやは私の胸を押しつぶそうとしている。

 もう一度、大きくため息をつく。こういう時に、本音を言える人間が欲しい。その人間が、伶奈とタケしかいないというのに、タケの方はてんで役に立たなかったのは痛手だ。


「伶奈は反対するのかなあ」


 ひとりごちてから、ぬるくなったコーヒーを飲み干す。ソーサーごとカップを持って一階に降りる。そこにタケの姿はなく、相変わらずカウンターでカップを拭いているマスターと目が合う。


「あれ、タケは?」


「うーん、思春期だろうねえ」


 そう言って、視線を一つのテーブルに誘導する。マスターの視線の先には、空っぽのバットカバーが無造作に置かれていた。


「ヤケ素振り?」


「悩める時に体が動くのは、若い証拠だねえ」


 若いというよりは、そういうのはガキというのでは。むしゃくしゃしながら、乱暴にバットを振るタケを思い浮かべて、小さく嗤う。はっとして、マスターを見ると、マスターは困り眉にして微笑んでいる。バツが悪くなって、カップをカウンターに置く。


「ごちそうさま」


「お粗末様」


「あ、そういえば、今日のコーヒー、ちょっと苦かった?」


 マスターは首を傾げて「いや、そんなことはないと思うけど」と不思議そうに自分が磨いているカップを見る。


「そっか」


 コーヒーを好きになるには、まだ時間がかかりそうだ。


「また二つに戻すかい?」


「あー、うん、そうだね。やっぱり私にはまだ早かったのかも」


「少しずつでいいのさ。急激に大人になるなんて、できやしないんだから」


 マスターの言葉に、かすかに反応してしまう。思わずマスターの顔色を窺うが、マスターの顔はのほほんと微笑んでいるだけだ。いやらしさも、意地悪さも感じられない。青崎のせいで過敏になってしまっているのかもしれない。

 口の中で、小さく「そうね」と呟き、笑顔を作る。


「ご馳走様、マスター。思春期の雑草くんにもよろしく言っといて?」


 マスターは頷き、「わかったよ」と苦笑いをする。それを見届けてからドアノブに手をかけると、マスターの「あ、京ちゃん」という声が追いかけてくる。


「なに?」


 振り返ると、マスターが言いにくそうに目を泳がせている。怪訝に思っていると、マスターがなんとも言えない微妙な顔をして口を開く。


「なんというか、その、お手柔らかによろしく頼むよ」


 なんのことを言っているのかわからず、首をかしげると、目の端にバットカバーが映った。合点がいき、笑顔を作る。


「恋の苦さを知るのも、大事だと思わない、マスター?」


 ドアを開け放ち、外に出る。閉めるドアの隙間から見えたマスターの困り顔が、可笑しい。魔性の女の引き出しの、はじめの一歩だった。




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