Stage.1-③
それにしても、アイドルか。
フリフリの衣装を着て、可愛さを撒き散らして、歌って踊るアレだ。
正直、柄ではないと思う。伶奈が言った通り、私は女の子っぽくはないし、私自身、アイドルなんかよりは女優や歌手の方が興味がある。
「まあ、アイドルだけじゃなく、女優や歌手も在籍する予定だけどね」
予定、ということは新しく起こした会社か。好ましくはない。
「それでも、私はアイドルとしてスカウトするってこと・・・なんですよね?」
青崎は右の眉を上げる。意図がわかりにくい反応だ。
「アイドルは乗り気じゃないかな?」
たった数分のやり取りで心を読み取られたことに驚き、少し目を見開く。青崎の笑顔からは頼りなさはぬぐい去られ、元の胡散臭さが戻ってきている。余裕すら感じ取れる。
この男、今まで演技をしていたのだろうか。
ここで煙に巻くのは容易だが、もし、今までの全てが演技だとして、私の性格をわかっていた上でそこまで考えていたのだとしたら。
「正直に言うと、そうですね」
間を置いてから、キッパリと言い切ると、青崎は「へえ」ともらして、少し驚いた表情を見せる。
「私は身長が高い方ですし、客観的に見ても、私の顔は可愛いというよりは、綺麗目の顔です。アイドル、というよりはモデルとか女優といった方面の方が活かせると思います。性格的にも、アイドルで黄色い応援をされるよりは、女優で金色の像をもらう方が嬉しいですね」
黄色い応援云々を言うのは、勇気が必要だった。例え話にしては風呂敷を広げすぎた気がした。ただ、自己PRは誇張するぐらいが丁度いい。
「すごいね。そこまで自己分析できているとは」
感嘆と驚きが混じった表情は、あくまで貼り付けたものだった。裏では、満足げに頷いているような気がしてならない。
その余裕は、あまりにも不自然だった。
世の16歳の小娘が、自分をはっきりと主張することなどできるとは思えない。私にしても、事前にそれなりの準備かあったからこそだ。この驚きの薄さは、人間味を感じない。
「どちらかというと、自己PRかな? もしかして、以前から芸能界に興味が?」
意地の悪い感情が言葉の端々から顔を覗かせる。
私が芸能界に興味があることを見破っている。新宿や渋谷にスカウト目当てで足を運んでいたことも、知っているのかもしれない。
青崎を睨むと、少し困ったように笑う。
「ごめん、ごめん。意地悪する気はなかったんだ。まさか、ここまでとは思っていなかったからさ」
やはり、色々掴んでいるらしい。
「人が悪いですね。スカウトっていうのは、みんなそんなものなんですか」
「そんなことないよ。僕だって、意地悪する気はなかったんだってば」
小さく「どうだか」と悪態をつき、青崎から遠ざかるように、大げさに音を立てて椅子を離す。
青崎がそれを見て、口を開きかけたそのとき、ドアがノックされた。私が応える前に、青崎に「どうぞ」と先を越される。
「お待たせしました」
青崎も私も、意外な顔に、思わず注意を持っていかれる。そこに立っていたのは、笑顔が素敵なマスターではなく、仏頂面の若い男だった。
「タケ? 今日、シフトだったんだ?」
タケはその問いには答えず、仏頂面のまま無遠慮に近づき、私と青崎の間に割って入るように立つ。大きな体をかがめて、私の前に丁寧にコーヒーとミルクを一つ置く。
「ありがと」
タケは、私の顔を覗き込むように見てから、少し不機嫌そうな顔を作った。
「お友達なのかい?」
青崎がタケの背中から顔を出して聞いてくる。私が体を引いてそれに答える前に、すかさずタケがかがめていた体を起こして遮る。そして、私の時とは打って変わって、がちゃんと音を立てて青崎の前にコーヒーを置いた。呆気に取られる青崎を無視し、仏頂面を崩さないまま、ドアまで戻ると、良く通る声で言い放つ。
「本日は、お客様が多いため、あまり長居されませんよう、ご協力のほどをお願いいたします。なお、個室をご利用のお客様は、別途30分500円のお席代をいただいておりますので、悪しからず」
一息に言い切ると、乱暴にドアを閉めて、ぎしっぎしっと大きな音を鳴らして階段を降りていった。青崎は一連のタケの動きに目を瞬かせている。それが可笑しくて、つい、煽りたくなってしまう。
「良い奴でしょ?」
私が笑いながら、ミルクをコーヒーに入れると、苦笑いして青崎も「マジかよ」と、ソーサーにおかれているはずのミルクを探す。しかし、私の目の前のカップに添えられているミルクは、青崎のコーヒーカップの横にはない。
「・・・マジかよ」
不覚にも腹を抱えて笑ってしまった。
私の笑いがなんとか収まって改めて青崎を見ると、少し拗ねた顔でコーヒーを飲んでいる姿が、あまりに格好がついていなくて、可笑しさが再びこみ上げてくる。
横目でそれに気がついた青崎が、コーヒーを置き、ひとつ咳払いをする。真面目な話をする、という意思表示であることはわかったので、2度深呼吸をしてから、努めて表情を引き締める。なんとか、腹の収縮を収めてから、再び青崎を見る。
「さて、話を戻すけど、僕たちテトラプロダクションは、あくまで君をアイドルとしてスカウトしようと思っている」
一拍おいて、強調するように「女優やモデルの卵としてではなく、だ」と付け加える。
「理由を聞いても? 私がさっきも言った通り、私はアイドルにはあまり合っていないと思います。それは、青崎さんも否定しないと思いますけど」
青崎は、私の主張に頷き、話を進める。
「確かに、君の自己分析は正しいと思う。君はスタイルも良いし、顔も子供っぽい可愛さというよりは、大人っぽい綺麗さがある。君次第では、モデルとして即戦力でやっていける可能性すらある」
「そこまで買って頂いているのに、あくまでアイドルとしてスカウトしようっていうんですか?」
青崎は再び頷く。
「うちの社長は、慎重な人でね。基本的に、長所を伸ばすより、短所を直す方向で育てていきたいと考える人なんだ」
小さな反抗心が頭を擡げる。大人っぽさは、裏返せば、年相応の子供っぽさが無い、ということだ。否定はしないが、短所であるとは考えていない。
それに気がついた青崎は「語弊があったね」と謝る。
「短所を直す、というよりは、足りていないものを補強する、と言った方が正しいだろうね。君で言えば、そう、さっき君といた彼女のような女の子っぽさとかね」
青崎の説明は的確ではあるが、不満は解消されない。
「確かに、私は伶奈のようにブリブリはできないし、守ってあげたくなるような、か弱い女の子でもありません。だけど、それを補える雰囲気を持っていると思います。それに」
「それぐらい、演技でカバーできる?」
青崎の鋭い指摘に言葉が詰まる。見透かされた反論が、見事に腰砕けになってしまった。
「君に、演技のなんたるかを語る気はないし、僕にはその資格もない。ただ、君よりも本物のそれに触れてきた自負はある」
私の言う演技は、身内に見せる小さな嘘でしかない。ただ、その延長戦でしかないのでは、と思わなくもない。
青崎は、それも看破したらしく、「そうだな、それじゃあ」と何かを探すように視線を斜めに揺らす。
「君は、自分じゃない人生を歩んだことがあるかい? 架空の人間の心情を完璧に理解したことは?」
柔らかい表情は変わらないが、言葉は鋭い。尖っているその先端が、小さな隙間に的確に刺さる。
「もちろん、そんなこと誰も経験できるものじゃないが、それを表現しようと血反吐を吐いて、もがいている人たちを俳優とか、女優って言うんだ。そして、それを今まさに目指している君の同年代たちは、君より早い段階で演技の海という地獄に身を置いている」
以前、日本史の先生が言っていたことを思い出す。
『勉強に必要なのは、インプットとアウトプットの力だ』
青崎は演技も同じだと言った。経験というインプットを元に、表現というアウトプットを行う。その両輪があってこそ、演技という車は走り出す。
青崎が言う彼女ら、というのは子役のことを指すのだろう。彼女たちは、乏しい経験を想像力で補う。キスなどしたことも無いのに、その感触を友人に自慢し、人を愛したことも無いのに、愛を叫ばなければならない。
そんな時、彼女たちは似たような経験を引っ張り出し、その感情をぶつける。もちろん、その感情がそぐわない時もあるだろう。しかし、たとえそうだとしても、そのアウトプットの経験を引き出しとして、自分の中にストックしておくのだ。
素人と子役では、インプットの差はもちろんだが、アウトプットの差が天と地ほどもあるのだ。
「彼女たちは、君より経験があり、ストックがある。それじゃあ、君は? 君には何がある? 多くの男を手玉に取ってきた経験はあるかい? それとも、誰にでもある学生時代の経験を、誰にもない学生時代の経験に見せることができるのかい? 何にも裏打ちされていない自信と、乏しすぎる経験で、選ばれた人間だけの芸能界で通用するとでも?」
言葉が出てこない。今まで準備してきた言葉が、何一つ。その全てが、青崎が発した言葉に跳ね返されるとわかっていた。
「それに、君はアイドルを少し軽視しているようだが、アイドルだって、そんなに簡単な世界じゃない。今、テレビに引っ張りだこのアイドルたちが、どれほど苦しんで、今、あそこにいると思う? 演技力に自信がある君なら、苦しんだ演技は、もうレパートリーにあるんだろう?」
コーヒーカップを見つめることしかできない。青崎の視線を感じるが、青崎を見ることができない。しばらくその時間だけが続き、青崎が私の返答が返ってこない限り、話を続けようとしない意図に気がつく。
「・・・すみません、できません」
「いや、こちらこそ、ごめん。まだ正式にうちの事務所の人間でもないのに、厳しいことを言ったね。兎に角、僕が言いたいのは、君に女優は早すぎる、ということだ。残念ながら、今、君が女優として芸能界に入っても、君の思う通りの人生は送れない」
「でも、アイドルだって」
「もちろんさ」
思わず青崎を見る。青崎の表情は真剣そのものではあったが、どこか冷たい一面が見え隠れしていた。
「まあ、はっきり言っちゃえば、芸能界で生きていこうっていう人は、みんなきついんだよ。歌手がバラエティに出るし、アイドルが映画に出る。もう、何が何やら訳がわからない状態だ。売り方だって、十人十色だ。アイドルにしたって、テレビ露出よりライブに力を入れるとか、ファンミーティングの回数を増やすとか、たくさんある」
青崎の目はどこか虚ろで、何を見ているのかがわからなかった。
「ただ、唯一言えることは、どれを選んでも、今の君には何もできないということだけだ」
思わず、唾を飲み込む。
私は甘かったのだろうか。芸能界というものを、そこまで知らなかったのだろうか。青崎のいうとおり、何も通用しないのだろうか。
「もし、僕らの事務所に来てくれるなら、女子高生ではなく、まずはアイドルとして芸能人になってもらう。君の足りないところを補強し、まずはアイドルとして芸能人の下地が出来たそのあとは、君の思うようにすればいいさ」
少し、投げやりな言い方で締めくくった後、ややしばらく沈黙が降り、青崎は我に返ったように明るい表情を作る。
「あ、いや、ごめん。脅かそうってわけじゃないんだ。ただ、芸能界は華々しいと同時に、厳しいことだけは覚悟してほしい、と思ったんだ」
「あ、はあ」
今更何を、とも思うが、この暗い雰囲気で終わるのは、精神衛生的にも遠慮したいところだったので、青崎が立ち直ってくれたのは助かる。
青崎が私のその考えを汲んでくれたのかどうかはわからないが、おもむろに立ち上がったので、私も続こうとする。しかし、青崎はそれを制する。
「色々言っちゃったし、考える時間がほしいだろう? 少し、ここで落ち着いていきなさい。あと、こっちから期限は設けないから、考えがまとまったら連絡をしてほしい」
青崎はそう言い残して立ち上がり、小さな個室をあとにした。私は、木目のテーブルの上に置かれた小さな紙切れに書かれた「芸能事務所」の文字を見ていることしかできなかった。