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さすが清瀬くん、抜かりないなぁ

 時は経ち、試験三日前となった日の昼休み。生徒たちは、教科書だったり、赤シートと授業プリントだったりを常に持ち運び、友人と問題の出し合いをするなどして、勉強にいそしむ。定期試験そのもの自体には、合う人合わない人が居て、手段としての限界があるなと思うけれど、この試験前に、みんなが勉強を頑張っている、というこの雰囲気が俺は結構好きだ。なんというか、高校に通う意味みたいなものを感じる。

 そんなことを思いながら、三時間目の授業の教材の片付けに俺が手間取っていると、いつものように男鹿が、

「清瀬~、早くぅ」

 と呼ぶ声が聞こえてきて、俺は、おぉ、と言いながら、古文単語帳をポケットに無理やり押し込み、廊下へと出た。すると、夏の陽射しの眩しいドアの横から、二つ結びの束が揺れるきらきらした少女が「清瀬くん♪」と言いながらひょこっと、顔を出した。俺は、うわぁあ、と間抜けな声を出してしまう。

「こ、紺野さん......」

 少女の正体は、頼子であった。俺が黙って固まっているのを見ると、頼子は、うふふ、と上品に手を口に当てて微笑み、

「お疲れ様♪ リマインドに来ました。今日物理教えてもらう日だから、よろしく♪」

「う、うん......」

 俺がそれだけ言うと、彼女は満足したようにタッと足取り軽く去って、友だちの輪に戻り、

「え? あ、物理教えてー、って。清瀬くん、前回百点だったからー、ふふ」

「あらぁ! やるねぇ、よりこぉ」

 などと、談笑しながら、食堂に向かっていった。俺が、そのまま動けず、その場で突っ立っていると、

「へぇー、清瀬、クラス替わっても、紺野さんと仲良いんだー」

 と、男鹿がニヨニヨと目を線にしながら近づいて来た。俺と男鹿と頼子は、昨年度末、班が同じで、清掃の時間、よく談笑しながら掃除をした仲である。俺が、

「まぁ、良い人だよな」

 と相槌を打って、歩き始めると、男鹿はそんな俺を短い脚でせっせと小走りに追いかけた。

「ふぅんー。ね、清瀬は紺野さんに恋愛感情とか抱いてねぇの?」

 男鹿の問いに、俺は、はぁ? と声を裏返らせてしまった。

「まぁ、二人、仲良かったもんね」

 男鹿のその一言に、俺はふと、昨年のあるシーンを回想した。

「清瀬くん、さっきの発表、良かったよ」

 ちりとりでごみを集めながら、まだ髪の短かった頼子が、そう言った。俺が、「さっきの、って?」と返すと、

「英会話の。"My treasure is normal day"ってやつ。普通の日、日常が宝物だなんて、そんなこと、なかなか言えないなぁ、って思って。かっこいいなぁ、って思っていたの」

 俺は、そのとき、困ったように、顔を逸らした。自分の宝物が何かについてプレゼンテーションをする授業で、みんなは、入学のときに親に買ってもらった時計です、とか、日記帳です、とか、家族です、友達です......などと言っていたが、当時の俺には、みんなみたいに何も誇れるものが無かった。俺にとって、その"My treasure is normal day"というのは、ただただ苦肉の策で、文章も、男鹿の原稿の固有名詞を変えたくらいのもので、前日に慌てて詰めたものだったから、原稿もガン見だったし、声も表情も全然良くなかったという自信がある。――だけど、あの時紺野さんにそう言ってもらえたのは、素直に嬉しかった。

「私も、清瀬くんのように、何気ない毎日こそが、宝物です、って言えるように生きていくわ」

 頼子はそう言って、にこっと笑った。俺が何も言えないでいると、

「お! 良かったなぁ、清瀬~。あんな発表でも褒めてもらえて~。原稿も、ギリギリだったのに」

 と、男鹿がニヨニヨと、ホウキの掃く部分に乗りながら、入ってきた――楽しかったなぁ。あの頃は。

 そんな風に、思い出に浸って、何も言わない俺に、男鹿はのんびりと、

「ま、清瀬は今ティーちゃんにぞっこんだから、関係ねぇか」

 と呟いた。俺は再び、「はぁ?」と返しつつも、今度は自分の顔が熱くなるのを感じた。何か言おうと口を開くが、ぱくぱくしてしまうだけで、何も言えない。男鹿が、

「あ、図星~」

 と言って、にやぁ、とヤマネコのように笑うのを、俺は、

「うっせぇ」

 と言って、男鹿の腕にお友達パンチをした。男鹿に、くっふふ、と笑われるのが、恥ずかしい。

 しばらく黙って二人で歩きながら、俺は、今日の放課後のティーちゃんのことを考えた。ティーちゃんが男子陣にセクハラされていた日から、俺とティーちゃんは毎日一緒に勉強をしてきた。自分で言うのも難だが、俺は俺なりに、そうすることでティーちゃんを守ってきたつもりだったのだ。しかし、今日は頼子と勉強することになっているから、ティーちゃんと一緒に居られない――

「男鹿」

 俺は、サイドメニューをどれにするか吟味する男鹿にそっと声を掛けた。男鹿がきょとんと振り返る。

「ん? どうした」

「今日の放課後さ、ティーちゃんと勉強してくんねぇか? その......今日の放課後、俺が、一緒に居られねぇから」

 俺がそう言うと、男鹿は、目を丸くさせた。が、ふふふ、と笑って、やわらかプリンをお盆に載せると、

「わかった。まかせとっけってー」

 と言って、グッと親指を立てた。俺は、ありがとう、と言って、冷奴を選んだ。少ししんなりとした鰹節がふわふわと揺れていた。


「清瀬くーん! お疲れ♪」

放課後。頼子は、俺のクラスの帰りのHRの号令が終わった途端、相変わらず語尾に「♪」を付けて、教室に入ってきた。生徒たちの視線が、さりげなーく、俺の方に向けられる。

「今日は、よろしくね! というか、無理なお願い、聞いてくれてありがとう」

 頼子はそう言うと、にっこり、と微笑んだ。俺は、あぁうん、と荷物整理をしながら頷く。周りの視線に緊張して、手が滑ってペンケースを机の下に落としてしまった。頼子が、あ、と呟いて、それを拾った。

「はい」

「ありがとう」

 受け取るときに、軽く指と指が触れ合った。頼子は、あっ、と言って少し手を引っ込める。俺が、

「あぁごめん」

 と言うと、

「え? ううん、こちらこそ」

 と返ってきた。頼子は、ちらり、と目を動かすと、あ、とティーちゃんに駆け寄った。

「この子が例のTA?」

「そう」

「へぇえ! え、すごい、かわいいー」

 頼子は、興味津々、といった様子でティーちゃんに近づいた。そんな頼子を見たティーちゃんは、相変わらずアルカイック・スマイルを崩さない。

「ワタシは、ティーチング・アンドロイド。ティーちゃん、って呼んでくださいね。ご用件は?」

 といつものように対応する。

「ティーちゃんね。よろしく♪ え。ご用件? え、どうしよ。んーっと......あ、清瀬くん、お借りします。嫉妬しないでね」

 頼子はそう言って、うふふふ、と上品に笑った。ティーちゃんは、「え?」と言ってまばたきをすると、いつも上がっている頬を、ストン、と下ろし、

「嫉妬......?」

 と、呟いた。ティーちゃんの言葉に、俺が説明しようと口を開いたとき、頼子にワイシャツの袖を、クイッと掴まれた。頼子は、ふわっと笑って、

「うん。じゃあ留守番よろしくね。清瀬くん、行こう♪」

 と、俺を引っ張って、教室を後にした。俺は引っ張られながら、ナス子といい、ティーちゃんといい、頼子といい、何で俺はこんなにいろんな女の子たちから引っ張られることが多いんだろう、これが女性の世紀二十一世紀、ってことなんだろうか......という謎の疑問を抱きながら大人しく引っ張り出される。

 頼子は、しばらく歩いて、なぜそこに机と椅子が常備されているのか、いまいちよくわからない渡り廊下を渡った先にひっそり置いてある机に重たそうな黒革のスクールバックを、えいっと置いた。

「それじゃあ、キヨセン、授業、よろしくお願いします♪」

 そう言ってペコッとお辞儀をされ、俺は、うん、と頷きつつ、

「うん......特にわかんないところはどこ?」

 と言いながら席に着いた。


 教えていると、やっぱり頼子は聡明だなぁ、ということがよく伝わってくる。俺がたどたどしい説明をしていると、うんうん、と頷いたのち、「だからつまり、~ってことだよね?」と確認してくれて、そのシンプルなまとめ方に、俺の方が教わっていると錯覚するような感じで、勉強は進んでいった。頼子は、説明が聞きたかったところに付箋を付けていたようで、最後の付箋と思われる箇所の説明を終えると、頼子が、「あぁ、そういうことかぁ! ありがとう♪」と言って微笑んだ。

 頼子が両手を上に挙げ、「んんんーっ!」と伸びをする。俺も、無事に説明を、まぁ良い具合に終えることが出来てほっとする――いやぁ、ティーちゃんさまさまだなぁ、と俺が心の中で呟いていると、頼子が教材を片付けながら、

「清瀬くんはさ、毎日あのティーちゃんと一緒に放課後勉強しているの?」

 と質問してきた。俺が、うん、と頷くと、

「試験前じゃないときも?」

 と再び聞いてきた。まあ、実際そうだから俺が再び、うん、と頷くと、頼子は、ひぇー、と変な声を上げて、

「それで楽しい?」

 といつもの「♪」のつく声色からワントーンほど暗い声で怪訝そうに、そう聞いてきた。俺が、なんと答えるべきか、迷っていると、頼子はペンをペンケースにしまって、窓の外を見た。夕日のオレンジ色が、彼女の横顔に差して、ステンドグラスの芸術作品みたいだった。その声に込められている思いとは、どのような思いなのか、と俺は思いながら、俺は頼子の次の言葉をじっと待った。

「私、もったいないと思うの。清瀬くん、頭いいし、運動もできるって聞くし、かっこいいのに......そんな清瀬くんが、放課後、そんな学校残ってロボットと勉強しているなんて。つまらないでしょ? それよりも......人間の彼女が欲しいなぁ、リア充なりたいなぁ、とか思わないんですか?」

 頼子は、上目遣いに俺の目を見つめた。俺は、サッと目を逸らす――なんでこの話の流れでそんな質問になるんだろう? 頭の中で俺は、何を言うべきだろうかと考える。

「それは、紺野さんの価値観だよね」

「......ん?」

 俺の突然のその言葉に、頼子は、目を丸くした。

「それ、って何が......?」

「その、彼女が居る、ってことが高校生にとってのリアルな充実だ、みたいなこと」

 俺がそう答えると、頼子は、あ......と気まずそうに目を逸らした。俺は続ける。

「俺は、今のままで充実してるよ。男鹿みてぇな良い友達も居るし、ティーちゃんとの勉強も楽しい。部活はちょっと今後復帰しようかどうか迷ってるけど」

 頼子は俺のその言葉を聞いて、驚いたように俺の顔をじっと見つめた。が、その後、キュッと唇を結んで、ふふ、と微笑んだ。

「ごめん、なんか、私の価値観、押し付けるようなこと言ってしまって......でもさすが清瀬くんだな。本当、そういうところ、尊敬してる」

 彼女にそう言わせてしまって、俺は、

「いやいや......俺はそんな、尊敬されるような人間じゃないよ」

 と首を振る。それに対して、頼子は、「そんな」と首を振る。

「いや本当に――逆に聞くけど、紺野さんは、彼氏欲しいな、とか思ってんの?」

 俺がそう聞くと、頼子は、え、と呟いて、顔を赤らめた。しばらく俺の目をじっと見つめていたが、ゆっくりと視線を逸らし、

「え、そんな、ストレートに聞かれると、なんて答えて言いかわからないな......」

 と言って、窓の先にある雲を見上げた。俺は、その瞳に映る雲――色の移ろい動きゆく雲を見ながら、

「なんていうか、その。俺は、彼氏とか彼女って『つくりたい』って思ってつくるもんじゃない、って思うな」

 と呟いた。頼子がきょとんとして、こちらを振り返る。俺は、こんな自分の持論を彼女に話すつもりはなかったのだが、ここまで言ってしまったら、言うしかないと思って口を開いた。

「本当に両思いで、お互いに相手のことを本当の意味で大切に出来るカップルに対しては、何も文句無いけど、その、なんていうか。適当に軽い気持ちで付き合うカップルは、お互いに傷つけあうだけで、良いこと何も無いな、って思うんだよね。特に、どっちかの片思いだと――俺は、紺野さんには、『誰か彼氏欲しいなぁ』みたいな軽い気持ちで、適当な人と付き合って欲しくない、って思う。紺野さんに傷ついて欲しくないし。それに俺の勝手な意見だけど、紺野さんには、ずっとそのままでいて欲しい。その、他人に染まったりせず、凛と朗らかに、自分らしくわが道を貫く、みたいな......そんな紺野さんらしい紺野さんのままで居て欲しい」

 俺の一言一言に、最初の方、頼子は、うん、うん......と頷いていたが、最後の方は何も言えなくなってしまっていた。鏡と化してきた窓にうっすらと映る頼子を見ていた俺は、ちらりと振り返って頼子の表情を窺った。彼女はその綺麗な指を、目じりに当てて、少し溢れてきていた涙をそっと拭った。顔を逸らして鼻を啜る彼女に、俺が慌てて、

「え。あ、その......ご、ごめん。俺、何か、知らないうちに紺野さんが傷つくようなこと言っちゃったかな?」

 と言うと、頼子は、首を激しく横に振り、あはは、違う違う、と言って涙を目にためたまま微笑んだ。だが、その直後に口をキュッと閉じると、まばたきをして、ツーッと涙を流した。

 しばらく沈黙が流れる。遠くの方で、バンッバンッと廊下のロッカーを閉める音が聞こえてくるのを考えると、もう下校時刻に近いのかもしれない。頼子は、柔らかそうな白いハンカチで涙を拭って、ふぅ、と一息吐くと、

「ごめんね、泣いたりして。意味わかんないよね――でも、嬉しかったの。清瀬くんにそういう風に言ってもらえて。ありがとう」

 そう言いながらも、俺にはその顔にどこか悲しみの影が宿っていることに気がついていた。その正体が何か、わからないながらも、俺はひたすら頭を下げていた。

「いや本当......ごめん、泣かせて」

「ううん。お陰で、思い出した――清瀬くんの、そういう、一本しっかりとした軸があって、普段は言葉少なだけど、相手のことを大切に思って、肝心なところでは大事なことを教えてくれるところ、ちゃんとした自分を持っているところ――そういうところがかっこよくて、好きになったんだ、ってこと。......困るなぁ、好きなところ前面に出してそう言われちゃったら、身を引くしかなくなるよね。さすが清瀬くん、抜かりないなぁ」

 頼子はそう言うと、ふふ、と微笑んだ。――ん? ちょっと待って、どういうこと? と俺が頭の中で考えを巡らせていると、頼子が鞄のファスナーをピュッと閉めて、立ち上がり始めた。

「今日は、教えてくれてありがとう。また機会あれば......ね。じゃあ」

 頼子はそう言って、重そうな鞄をひょい、と持ち上げると、タタタタタッと軽やかに、妖精のようにひらひらと去って行った。俺はその後ろ姿をしばらく目で追ったあと、手元に残った物理のノートと問題集に目を落とした――あれ。

 気づかないうちに、俺のノートに、折りたたまれた、パンダの付箋が付いていた。文字から察するに、頼子が書いたものらしい。

「今日は、教えてくれてありがとう。あ、こないだの考えるカラスの答え、書いとくね↓」

 そう書かれていた矢印の方向に従って、俺は折りたたまれていた部分を開いた。

「私は、清瀬くんに、人間の心を教えてもらったの。なぜなら、私は、」

 その先にあった答えを見て、俺の脳内に今日までの頼子の行動ひとつひとつが走馬灯のように映し出された――嘘だろ、そんなことって......

 そして、俺の言ったことに対して、なぜ彼女が涙を流したのかも痛感した。その一言一言が、なぜ彼女を傷つけてしまっていたのかも――俺は、鈍感という名の罪人だ。

 付箋には、一文字一文字、丁寧な赤文字でこう書かれていた。

「清瀬くんに恋をしているから」と。


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