将来何になりたいのー?
遠足が終わった、六月。期末テストが来るまで、俺らの学校にしばらくビッグイベントはやってこない。変わったことといえば、ただ、学校に傘を持ってくる率が増えたことくらいだ。
灰色の空。これだけ雨に降られると、太陽や青空が恋しくなる。決して「好きな天気は、晴れです」というタイプではないのだけれど、低気圧のせいか、頭痛持ちでもないのに、頭痛がする気がするから、梅雨はあんまり好きじゃない。動き始めた空調からカビっぽい臭いもする。
そんなことを思いながら、机に突っ伏して窓の外を眺めていると、前からプリントが回って来た。そんな六月の朝のSHRである。
回ってきたプリントには、「キャリアガイダンスのお知らせ」と書かれていた。その下には「1小学校教諭」「5警察官」「10医者」「13経営者」「20音楽プロデューサー」「25小説家」というように番号の振られた職業名がずらりと並んでいた。それを見て、あぁ、そういえば六月にはこんな行事もあったか、と俺はため息を吐いた。
「はい。まぁ、一年生のときにもあったから、何か、わかるよな。キャリアガイダンスです。今週の土曜登校日、それぞれの職業に就く本校のOB、OGのみなさんが来てくださり、みなさんのために、キャリアガイダンスをしてくださいます。したがって、みなさんは、聴講を希望する職業の番号をここの二つの四角に書いて、今日の放課後までに、学級委員さんに提出してください。学級委員さんは、集計をお願いします」
と、担任が、独特の文節ごとにテンションを上げるしゃべり方で説明をした。
他の連絡はなく、SHRは終わって、生徒たちは、一時間目の授業準備へと席をわらわらと立ち上がった。
「キャリアガイダンスかー今年はどこ行こうかな」
「ねぇねぇ、どこ行くー?」
といった会話が、教室のあちこちで飛び交う。俺は肩をすくめた。
去年は、「会社員:外資系証券会社勤務」、「広告代理店勤務」という二つを聞きに行った。だが、俺の感想としては、正直、世の中のお金には興味がないし、「どうすれば消費者の買いたい意識が高まるか」を気にして、世の流行に目を光らせるということにも向いていないんだなあ、と思っただけだった。将来の夢が広がるというよりも、「自分はこれ違うかな」と思う職業が、夢の選択肢からデリートされた、といった思いが大きかった。
周りが、
「ねぇ、音楽プロデューサー聴きにいこう!」
などと言いながら埋めるところを埋めて早くも学級委員に提出する生徒たちを横目に見ながら、まぁ、男鹿とかと話してまたじっくり考えるか、と俺は、机の中にプリントを仕舞った。すると、横から、
「登クンは、まだ決めていないの?」
というティーちゃんの声が聞こえた。俺は、はっとして、振り返る。今日は、将来のことに対する不安ばかり考えていて、一ミリもティーちゃんのことを気にしていなかった。ティーちゃんは、あいかわらず、にこにこしている。俺が、
「あぁ......うん。ちょっと。去年失敗? したから」
と答えると、ティーちゃんは、目を丸くして、
「ふぅん。そう。それってでも、将来に色んな可能性があるってことでしょ? うらやましいなぁ」
とティーちゃんが独り言のように呟いた。続いて、「いいな いいな 人間っていいな♪」と鼻歌を歌いだした。俺はこのとき、ティーちゃんが何を考えてこんなことを言ったり歌ったりしたのかを気にする余裕がなく、
「うらやましい? そう? ......俺は早く自分の夢、見つけてぇな」
と、少し冷たく返してしまった。俺のその返しに、ティーちゃんは歌うのをぴたりとやめた。俺とティーちゃんの間に少し気まずい沈黙が流れると、チャイムが鳴り、一時間目の授業が始まった。
ティーちゃんは、ファミレスボタンによって数名の生徒から呼び出されていったが、帰ってくるときにいつも交わす「ただいま」「おかえり」という言葉も口にせず、それから、午前中の間、俺とティーちゃんは、一言も言葉を交わさなかった。ティーちゃんに気を遣わせているのを知っていながら、自分の方から謝ることのできない自分の子供っぽさに、俺はあきれた。
昼休み、俺は早めに教室を出て、廊下で男鹿のことを待った。隣のクラスから、今日の学食メニュー、温玉そぼろ丼めがけて無我夢中で駆け出す硬式野球部やサッカー部のメンツが、どぅわあああっ! と風を起こして俺の前を通り過ぎていった。そして、男鹿は、嵐のあとの静けさ、という空気が流れる廊下にのんびりと現れた。
「あれー、清瀬今日やたらと早くね~?」
俺は、そう行ってのん気にやってくる男鹿に、うん、まぁ、と頷きながら、彼に歩調を合わせて歩き、教室から少し離れた渡り廊下に差し掛かったところで、
「実は、んー。今、ティーちゃんと軽く喧嘩? みたいになっていて......冷戦?」
と打ち明けた。男鹿が、線のような目を三日月ほどに開く。
「えぇええぇえ? 何で? てか、逆に喧嘩できるってすごくない?」
そう言われてみると、そうなのかもしれない。いや、これは、喧嘩というより、俺が勝手に気まずくなっているだけなんだろうか――俺がそんなことを考えて何も言えずにいると、
「え、その喧嘩って、何が原因なわけ?」
と男鹿が、興味津々に聞いて来た。俺は、言おうか一瞬躊躇ってしまった。男鹿は、将来地方公務員になるのが夢で、法学部を目指しているという明確な目標があるということを知っていたからだ。俺はそっと口を開く。
「――今朝、キャリアガイダンスの希望書、配られたじゃん」
男鹿は、ん? と呟いて、「あぁうん」と頷いた。
「俺さ、まだ何に行くか、決めてなくて。で、ティーちゃんに、まだ決めてないの? って聞かれたんだけど、去年ちょっと失敗して、って言ったら、『それってでも、将来に色んな可能性があるってことでしょ? うらやましいなぁ』って言われたの。でも、俺からしたら、男鹿とかみたいに、将来の夢、明確に決まっている奴の方が、うらやましいっていうかさ。まぁ、そういう内容のことを言ったわけ。それから、今日ずっと、ティーちゃんと話してなくて」
俺の言葉に、男鹿は、ふぅん......と考える顔つきをする。
「......え、ちょっと待って。普段そんなに授業時間とかもティーちゃんと喋ってんの?」
男鹿のその質問に、俺は、ん? と考え、
「あ、いや、喋るって程じゃねぇけど......いつも、ティーちゃん、拠点に戻ってくるときに『ただいま』って言うから、俺も『おかえり』って言うんだけど、今日はそれがなくて」
と、答えると、男鹿は、ふっと、吹き出し、くすくすと下を向いて笑った。
「何それー、清瀬とティーちゃん可愛いかよ」
俺はそう言われて、恥ずかしくなり、顔をぷいっと、逸らした。
「さっき言っていた、ティーちゃんの話だけどさ」
生姜焼きを箸で持ち上げながら、男鹿が思い出したように、口を開いた。俺は、びっくりして、男鹿を見つめた。
「彼女がそういうこと言ったのには、訳があるんだと俺は思うな」
男鹿にそう言われて、俺はそこではじめて、はっと気が付いた。
「それってでも、将来に色んな可能性があるってことでしょ? うらやましいなぁ」
俺は、将来の夢が決まっていない。けど、その分、俺には、将来に色んな可能性がある。だけど、ティーちゃんには――
俺が物思いに耽っていると、男鹿が、箸を置いて、口をもぐもぐとさせながら、
「まぁさー、清瀬。ただでさえ、彼女は、清瀬の命の恩人なわけじゃんか。彼女が来なかったら、秋葉原で、ナースのコスプレ少女と心中していたかもしれねぇんだろ? だから、せめて仲直りはした方がいいと思うな」
俺は、「そういう、大事な言葉はさ、口の中カラにしてから言った方が良いと思う......」とひそかに思いながら、その言葉にこくり、と頷いた。
「気を付けー、礼ー」
「さようならー」
帰りのSHRが終わり、俺は、ティーちゃんの方を横目で窺った。
さっきの男鹿との昼休みのあと、俺は、何度か、ティーちゃんに、「ティーちゃん」や「おかえり」と声を掛けたのだが、珍しく彼女は無反応だった。そういえば、いつも、「うんうん、へぇー! ほぉー!」と大きく相槌を打っている姿も、今日は無く、生徒から呼び出されるとき以外は、頷きも、相槌もなくただ静かに椅子に腰かけているだけだった。
そんなティーちゃんを見たのは、はじめてだったこともあって、俺はだいぶ、戸惑った。
「ティーちゃん」
と声を掛ける。反応が無い。俺は、しびれを切らして、授業中でも無いのに、ティーちゃんの真横で、ファミレスボタンを押した。ティーちゃんが、はっとした顔つきになって、こちらを振り返る。
「ご用件は?」
と、相変わらずの定型文で俺に問いかける。
「ティーちゃん。ごめん。いや、その......ティーちゃんが、どんな気持ちで、俺にうらやましい、なんて言ったのか、気にもせずに、冷たい態度取っちゃって。ごめん、無視したくもなるよな。なのに、無理やり、ファミレスボタンで、話すように仕向けちゃって、本当、ごめん」
俺がそう言って、ぺこり、と頭を下げると、ティーちゃんは、「え......?」と呟いた。
「え? え? 登クン、そんな風に思ってしまっていたの?」
ティーちゃんの言葉に、俺は、ん? と首を傾げた――あれ? 実は、怒っていなかった......? 今度は、俺が、「え? え?」と繰り返す。ティーちゃんは、目を細めて、くすくす、と笑った。
「そう思ってしまうのも、仕方なかったかもしれないわ。うふふ。実は、私、今日、生徒から呼び出されている時間以外、ずっと、登クンの将来のことを考えていたの。それで、もしかしたら、その間に掛けられた声に、反応することが出来なかったのかもしれない」
ティーちゃんは、そう言うと、にっこりと微笑んだ。俺は、もう、言葉を失ってしまった。喧嘩していると勘違いしていたのは、俺だけだったんだ、と思った。俺はティーちゃんを疑ってしまっていたのに、ティーちゃんは、ずっと、俺のことを考えてくれていたなんて......このとき、俺は、一生かかっても、この子には敵わないんだろう、と感じた。
「登クン? どうして、泣いている?」
ティーちゃんにそう聞かれて、俺は、首を横に振りながら、「泣いていない」と呟いた。
「いや、俺、ティーちゃんのこと誤解してた。それが、申し訳なくて......」
俺がそう言って、俯くと、ティーちゃんは、俺の両手を取った。ティーちゃんの手は、ひんやりとしていて、そこに血は通っていないのだなぁという実感がした。
「そう。人間っていうのは、誤解をする生き物なのね。メモリーに留めておくわ――それで、今日一日、登クンの性格や行動パターンから分析して、登クンに向いている職業を見つけました」
ティーちゃんは、そう言うと、すぅっと息を吸い直した。彼女にも、呼吸器があるのだろうか、と俺はその場にはどうでもいい疑問をこの時抱いた。
「登クンに向いている職業は、教師です」
ティーちゃんのその言葉に、俺は、「え?」と固まった――この俺が、教師?
「ちょ、ちょっと待って、なんで? 俺、多人数まとめる統率力もねぇし、そもそも、学校とか、クラスとか、そんなに好きじゃねぇのに」
俺がそう言って、ティーちゃんを見ると、ティーちゃんは、
「そう。だから」
と呟いた。俺は、ますます混乱する。ティーちゃんは俺から手を離し、ウィーンとホワイトボードの前に移動し、目から、光を出して、映像をホワイトボードに投影した。
「登クンは、学校とか、クラスとかにありがちな、多人数の団体みたいなものが好きじゃない。でもその分、一人ひとりと丁寧に向き合う力がある。弱い立場にある人に手を差し伸べることができる。孤独な思いをしている人の気持ちに寄り添うことができる。自分が傷つくことが分かっていても、自分が正しいと思った正義の言動を実行に移すことができる。別に、何か特別な役職があるから、そうしているとかでもなく、ただの一生徒として、そのように生きることができる――今日まで登クンと過ごしていて、私は、登クンは、そんな人間だと分析した。そして、今の時代の学校現場において、そのような教師が居たらどんなに理想的だろうかと、TAとして、私は考えた。以上が、登クンには、教師が向いているのではないかと考えるTAの持論です」
ティーちゃんが話す間、画面には、ティーちゃんが、これまで見てきた俺の姿と思われる、俺の姿がスライドショーのような映像となって、映っていた。
ティーちゃんがやってきたときに、ティーちゃんの周りを囲んだクラスメートたちから逃げようと、水飲みに俺が教室を後にしたところ、翔平や変態男子連中からティーちゃんを助けたとき、「人間が嫌いみたい」と言ったティーちゃんを説得する俺、ナス子に生きろ、と励ましを送るところ......
俺は気づいていなかったけれど、ティーちゃんは、俺の傍に居ながら、そんなことを考えていてくれたのだと思って、俺は胸が熱くなった。
「......ありがとう、ティーちゃん」
俺は、感動で声が震えそうになるのを必死に堪えながら、そう言った。ティーちゃんは、目のプロジェクターモード(俺が勝手に名付けた)を終え、いつものフェルマータのような黒い瞳に戻ると、
「イイエ。だけど、これはあくまで、TAの分析。選択の自由は、登クンにあります。なんていったって、登クンの未来には、無限の可能性があるのだから」
ティーちゃんは、そう言うと、ため息なのか、笑い声なのか、どっちともとれる「ふふぅん」という息を漏らした。
「反対に、私の未来には、TAという道しかないわ」
俺はそのティーちゃんの言葉に、ゆっくりと頷いた。やっぱり、そうか、と。男鹿に言われたときから、そう思っているのではないか、と思っていたのだ。
「私が、もともと観光用ロボットとして開発された、っていう話はしたよね?」
ティーちゃんは、そう言って、再びホワイトボードに映像を投影した。画面上に、白衣を着たいかにもリケ女、という雰囲気の女の人が映し出される。
「博士、商品テストの結果、このロボットにだけではありますが......アイデンティティ的感情の要素が発見されました」
リケ女が、困ったように眉を潜めて、こちらを窺った。どうやらこの映像は、ティーちゃんの目から現実に見た出来事の録画のようだ。ティーちゃんはその映像を流しながら、
「ロボットに感情感知的要素があるのは問題じゃないの。人間の表情から、相手がどのようなことを思っているかを感知して、それに合わせて態度を変えるのは、ロボットとして素晴らしいことだから」
と説明をした。俺は、「アイデンティティ的感情の要素」とはなんだろう? と思いながら、ほぉ、と頷く。
絵に描いたような白髭の「博士」と呼ばれた老人は、
「そうか......その要素を消すことは不可能なのかね?」
「そのような要素が出てきた理由が不明でして......突然変異的に発生したといいますか。ですから、施しようがありません」
リケ女が相変わらず困った顔でそう言うと、博士は、ふぅむ。と呟いた。ティーちゃんは、冷たい目線で、自分が映し出す映像を見つめ、
「人間がロボットに求めるのはね、忠犬のように、主人である人間に逆らうことなく、従って働くことなの。だから、アイデンティティ――自分が自分であるという認識、自我っていうのかな。そういう自分固有の感情を持つことは、人間にとって都合が悪いのよ。一度私、翔平くんの質問に対して、仕事放棄をしたことがあるけれど、それも、実はアイデンティティ的感情の要素があったからなの」
と切々語った。俺は、なるほど、そういうことか、と納得した。
「それから......人間は、ロボットがそのような要素を持ったら、ロボットが人間を見下して、人間を殺し始める、って危惧しているらしいの――」
そこまで言うと、ティーちゃんは、ふっと笑って、
「♪馬鹿にしないでよぉ そっちの せいよ」と、山口百恵の「プレイバック」を歌い始めた。俺は、その情報は、どこから入れたんだ、と心の中でツッコむ。しかし、ティーちゃんは、その無表情 of 山口百恵を崩さず、再び切々と、次のように語った。
「ロボットの知能を何だと思ってんのよ。本当に頭の良いロボットだったら、人間を殺してはいけないことくらい、わかるわ。基本中の基本の倫理じゃない。人間を殺すということは、たとえ殺す側がそのことをメリットだと思ったとしても、殺される側の人間にとっては、害であるし、そのことが、結果としては、殺す側の人間にとってもデメリットになる。人間を傷つけた人間は自分自身に傷を残すことになるのよ――だから、感情のあるロボットは、人を殺したりなんかしないの。たとえそれが命令であったとしても。人を殺すくらいなら、命令に従わなかったという理由で壊される・捨てられる方がマシ――私は、生命じゃないのだから。生命の方が、TAより尊厳なるものでしょう。きっと」
そう言ってキュッと口を堅く結んだティーちゃんに、俺は、何と返していいか、困ってしまった。すると再び画面上に映っていた博士が、んー、と呟いて、
「まぁ、せっかく高品質なものができたわけだし、アイデンティティ的感情の要素があるのは問題だが......それで不良品として廃棄するのももったいないだろう。なにか、その要素が生かせる道を探せるまで、わしの家に置いておこう」
と言って、髭を触った。ティーちゃんは、そこで一度映像を止めると、
「この時、私がどんなことを思っていたかわかる?」
と俺の方をちらりと振り返った。俺が、え? と考えを巡らせていると、
「せっかく覚えた、観光地に関する膨大な知識はどうしてくれるの? あなたたちの都合で、道を閉ざされるなんて。人間ってそんなに偉いのか、って思っていたわ――でも、そういうことを思ってしまう時点で私は、観光用ロボットとして存在し続けることはできないんだな、って思った――それに、ある意味で、自分にそういう要素があるのは誇りだったの。これまでのロボットの歴史にないことが、私にはできるんだろう、って」
そう言って、ティーちゃんはゆっくりと微笑んだ。「ワタシ」と言っていた頃と大分印象が違い、感情が豊かで、俺は衝撃を受けた。それから――自分が犠牲になってでも、絶対に人を殺すことはしないという意思の強さ、アイデンティティ的要素を持つ歴史上はじめてのロボットとしての使命感の大きさ、他のものにはできないことを自分にはできると、希望に燃えている表情を見て、俺はティーちゃんのことを、かっこいいなと思った。俺は、今、何かすごいものを見ているのかもしれない。
ティーちゃんは再び映像を映し出した。ドアが映っている。そのドアが、バーンッと開いて、
「博士ぇ!」
という声が響き渡った――あれ?
「安藤?」
俺は思わずそう呟いた。まぎれもなく、俺たちの学年主任で理科教師の安藤である。ティーちゃんはこくりと頷いた。
「感情を持つロボットが居るって聞いたんですけど。あと、その使い道に迷っていらっしゃるとか」
安藤が目をきらきらとさせながら、博士に近づいていく。博士は、面くらいながら、
「う、うむ......安藤くんなにか、名案があるのかね?」
なんだか本当に絵本とかに出てきそうなしゃべり方をする博士だな、と俺は思いながら、話の行き先を窺っていた。
「えぇ! 教育現場に持ち込むんです! 授業中に、何か教師の話で不明な点があった際に、授業を遮ることなく、質問に応じてくれるロボットとして。名付けて、ティーチング・アンドロイド! 良くないですか?」
俺はびっくりした。まさか、ティーちゃんが今、ティーチング・アンドロイドとして存在しているのは、この安藤の言葉のお蔭なのか? と。
博士はキョトンとする。
「良いと思うが......そのように考えたきっかけはなんだね?」
「えぇ。今、私が勤めております高校では、教育環境の向上を目指して、日々会議が行われているのですが、なかなか名案が浮かびませんで。生徒からのアンケートによると、『先生の余談や、生徒からの質問によって、授業が止まってしまい、試験前になって、試験範囲をドドドッと詰め込まれるのは良くないと思う』っていうものがあったのですが、質問も大事じゃないですか。試験範囲が、試験前にしっかり終わって、かつ、生徒からの質問にも対応できたら、最高じゃないですか?」
安藤のその言葉に俺は、そんなことが考えられていたのか、教師陣はそういうのを生徒に見せないのが本当にすごいな、と感心した。
博士は、うん、と頷いて、
「ふむ。大体理解した。しかし、一つ解せぬポイントがある。そのティーチング・アンドロイドに、感情がある必要があるのかね?」
安藤は博士の肩を、がしっと掴んだ。
「必要ですよ! 心ある子どもは、心で育てなきゃいけないんです!」
――め、名言だ......!
日頃、学年主任を軽視していた俺は、安藤の言葉に心が動いた。感動。ティーちゃんは、そんな俺を見て、ふふふ、と笑った。
「このとき私は、ただこの人間に良いように利用されるだけなんだなぁ、って思っただけだったけれど......安藤センセイのこの言葉のおかげで、私は、登クンに会えたんだな、って思ったら、TAの道も悪くなかったかな、って思うな」
ティーちゃんはそう呟くと、俺の瞳をじっと見つめた。俺も目を合わせた。ちょっと気まずくなって、俺は、ふふ、と笑って目を逸らした――安藤、ありがとう。
「以上が、私がTAになった理由。でも、最初のほうは、自律機能で、アイデンティティ的要素を抑えていたの。やっぱりそうしないと、ロボットとして生きていくのが厳しいから。そのときに使う一人称が『ワタシ』。でも、この自律機能が薄れてきて、また最近アイデンティティ的要素が入ったときに出てくる一人称が『私』なの――違い、わかる?」
俺は頷いた。それは、ずっと気になっていたポイントだったからだ。そして、俺はずっと気になっていたことをティーちゃんに聞いてみた。
「違ったらごめんだけど......ティーちゃんは、TAになったことに後悔してたりとか、やめたいな、とか、思うの?」
俺のその問いに、ティーちゃんは、一瞬静止した。そして、カチャカチャカチャ......と音を立てると、こくりと頷いた。
「うん......この経験を通して、人間は、相手が人間じゃないと思ったら、いくらでも冷たい態度が取れるものなのだと感じたわ。地歴公民の情報をインストールしていたときに、なんで、人間は同じ人間同士なのに、争い殺しあったり、差別したりできるんだろう、って思っていたんだけど、今ならきっとわかる。たくさんある理由のうちのひとつでしかないでしょうけど」
そのときティーちゃんの目に、どこかこれまでに見たこともないような、眼力のようなものを俺は感じた。ティーちゃんは続ける。
「――争い殺しあったり、差別したりしているとき、人間は、相手のことを人間とみなしていないんだ、ということを。色々つらい思いをしたとき――『人間が嫌いみたい』って言ったときは正直、TAをやめたい、って思ったわ。だけど、私の身体は、表舞台には登場することのない、ロボット製造用ロボットのお陰で出来ている――だから、彼・彼女たちのことを思ったら、やめたいなんて言えなかった。たとえそれらのロボットに、私のような感情が無くても。私のやっている仕事は、他のロボットにはできない仕事で、選ばれしロボットにしか、出来ない仕事だから......やめたいって言うのは、申し訳なくて、言えなかった」
そう言って、ティーちゃんは、頭を垂れた。俺は、頭の中で、ティーちゃんの言ったことを反芻していた。
「争い殺しあったり、差別したりしているとき、人間は、相手のことを人間とみなしていない」
――ティーちゃんは、ロボット。人間として見られないことによって、一部の人間から、冷たい態度を取られていた。でも――まさか、その経験から、そんな人間の行動の本質を見抜いていたとは。
確かにそうなのかもしれない。最近は、メディアの情報が溢れ返っていて、遠くに居る人が、こんな悪いことをしている、だとか、ちょっと切り取られただけの情報を見て、「馬鹿なんじゃねぇの」とか「何考えてんだ」とか「××死ね」とか簡単につぶやく人がいっぱい居る。だけど、そういうことを言っている人たちは、決して、その悪口の対象者の直接の知り合いでもないわけで、「一人の人間」として見ているというより、「画面上に映る××」として見ているだけなんじゃないか、と俺は思った。
歴史を振り返っても、第二次世界大戦時のドイツでのユダヤ人に対して行ったことしかり、ルワンダの大虐殺が起きたときのフツ族に叩き込まれた「ツチ族はゴキブリだ」という内容のステレオタイプしかり、これらのような時、確かに人間は、相手のことを人間だとみなしていなかったのかもしれない。最近の難民受け入れ問題にも、同じことが言えるような気がする。「難民」というラベルで括ることで、「迷惑な存在」と決めつけてしまっている世論があるのかもしれない――そんな考えを一瞬で俺は頭の中に巡らせた。
気がつくと、俺は、ティーちゃんの頭を撫でていた。ティーちゃんは、きょとんとした顔で、俺を見上げる。彼女は、俺の首もとあたりにあるその顔を、うふふ、とほころばせると、
「でも、ここに来て、私みたいなロボットのことでも、人間と同様に大切にしてくれる人間も居るんだな、って気づけたのは、大きな収穫だったわ。登クンや、長久クン。いつか、登クンも言ってくれていたけれど、私は、まだ人間のことを何も深く知りもせずに嫌いだと思っていたのかもしれない」
そう言って、ティーちゃんはありがとう、とぺこりとお辞儀をした。俺も、「いや、こちらこそ......」と小さい声で言って会釈をした。ティーちゃんは顔を上げると――はっとするほど、いつも通りのアルカイック・スマイルに戻った。
「よし、じゃあ、キャリアガイダンスの紙、書いてワタシに渡して」
俺は、あっと呟いて、机に置かれたままのキャリアガイダンスの紙に目を向けた。二つ選べる。一つは、ティーちゃんが言ってくれた、教師の番号を埋めた。もうひとつをどうしようか、と考えて、自分がこの小説――というか、備忘録を書いていることを思い出した。去年は、「小説家」という欄がなかったことも思い出し、俺は、その二つの職業の番号、1と25を記入し、ティーちゃんに渡した。ティーちゃんは、その紙を受け取ると、その紙をきれいに畳み、パクリ、と食べてしまった......え?
――ちょ待っ......今食った?
俺は、「ヤギか!」とツッコミたいところを必死に押さえ、
「え......、ちょっと、ティーちゃん、何してんの!?」
と聞いた。ティーちゃんは、相変わらずにこにこした表情で、
「ワタシの口の中に、提出忘れの書類を入れると、届けたい先生の元に届くのよ。知らなかった?」
と、口元をもぐもぐしながら答えた。いや、もぐもぐしちゃうと、俺のプリント、くっしゃくしゃになっちゃうし、そもそもその情報初耳......と思いながらも、俺は仕方ないなぁ、と笑った――俺は、このとき、きっと今後ティーちゃんは今日俺と話したときほどの「私」という一人称を使うことは無いんだろう、と思った。なんの根拠もないけれど、それは俺の勘だった。当たるかどうかは知らないが。
「ティーちゃん」
俺は、そう言って、ティーちゃんの顔を見つめた。ティーちゃんは、「ん?」と背筋を伸ばすと、ごくんと、書類を飲み込んだ。「ピーッ」というファックスが送信されたときのような音が鳴った。どうやら、送られていったらしい。
「ありがとう」
俺は、出来る限り温かい笑顔でそう言う様に努めた。多分、俺の笑顔なんて全然素敵でもないだろうし、嬉しくも無いんだろうけど。ティーちゃんが、冷たい人間を嫌いなら、俺は、少しでも温かい人になろう。
「You're welcome!」
そう言って、頬を上げるティーちゃんの顔を見つめながら、俺はそんな決意をした。