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短編小説集

月発地球行き

作者: 大西洋子

 人類が地球を飛び出し、月や宇宙ステーションに居住地を構えておよそ百年。地球から月への移動は一週間程かかるが、それでも多くの人が地球へ月へと移動する。

 そして今日も、俺が操縦する月発地球行きは満員御礼で月から離れた。船が宙路に乗ったのを確認すると、俺は自動操縦に切り替え、トイレへと向かった。

 船の快適さはピンからキリまであるが、トイレはどの船も排出されたものを吸い込み、水分を飛ばし、粉砕して船外に排出する。そしてそのトイレは、豪華船でない限り、乗客乗務員共有で使用する場所だ。そのため、乗務員は手が空いている時は、そのトイレを見回るのが義務づけられている。

 この船には前と後ろにそのトイレがあり、前の方だけ子供用の吸引口が備え付けられている。どうやら、そのトイレを使用しようとしている幼い客がいた。

「花子さん、花子さん、トイレにいるの?」

「トイレの花子さんは、こんなところにはいないぞ」

 思わず声に出してしまった言葉に、その幼い客はいたずらな笑みを返し、客室へと戻っていった。

 トイレの中はまだ綺麗だった。俺は用を足し、器具がきちんと作動しているがチェックしてから出た。

 トイレから出ると女性が待っていた。すれ違い様に頭を下げながら、丸みを帯びた下腹部に手を当てるその様は、古い宗教画の母のイメージと重なった。

「……地球産まれの証を得るためか」

 乗客の個々の乗船目的を探るのはご法度だ。だが、妊婦(見たところ七ヶ月程)が乗船しているという情報は、乗務員、特に医務員と共有しなくてはならない。俺はその足で医務室へ向かった。


 宙路は予定通りに進み、中間地点までやって来た。

「トイレに誰が長時間入っていて、使えない?」

 操舵交代で休息室へ行く途中、トイレで花子さんを呼ぶ遊びをしていた幼い客が、俺を呼び止めたのだ。

「うん、朝からずっと。あたしでも使えるトイレがこっちにしかなくって。で、困っていたら、携帯トイレ譲ってくれる方がいたの。でも、その携帯トイレ、古い型なうえにぼったくり! ……って、ママが怒っていたわ」

「教えてくれてありがとう。次からは遠慮なく俺達乗務員に言っておくれ」

 俺は幼い客と別れ、その足でトイレに向かった。扉をノックすると、中から、「すまない、便が出そうで出ないんだ」という声が返ってきた。

 後方のトイレの方に行ってみたら、休憩中の仲間がトイレ掃除をしていた。再び前方のトイレに戻り、扉をノックする。中から同じ言葉が返ってきた。

 乗務員室に移動しかけたところで、よれよれのスーツを着た男が現れ「お困りのようですね」と、鞄の中から、古い型の携帯トイレを手に、新型より割高な価格を口にした。

 俺は羽織っていた私服の前ファスナーを下げながら、中に着ている制服を見せつけながら、男の退路を絶つ。

 やがて駆けつけてきた仲間が、閉ざされたトイレの扉を強制解錠した。

 俺はその中にあった機械を受けとり、操作した。「すまない、便が出そうで出ないんだ」

「古典的な手法だな。業務妨害でお前を拘束する」


 その他はこれっといった事はなく、残りの宙路もあとわずかなところまできた。

「また、長時間、トイレが使用できなくなっている?」

 俺は携帯トイレを、すっかり仲良くなった幼い客に渡しながら耳を傾けた。

「うん。で、そのトイレに若い男の人と女の人が一緒に入っていたのを見たって、お母さんが言っていたよ」

 ……おいおいおい、そういうことは船を降りてから、そういう場所でやってくれよな。まったく……

「教えてくれてありがとう。あと二時間程で地球に着陸するからな」

幼い客はにこりと笑い返し、客室へ戻っていった。

 俺はその男女に悪態をつきながらトイレに向かった。だが、中から漏れる声で、その考えが間違っていた事に気づかされた。

「医務員、医務員、至急前方のトイレまで来てくれ。妊婦に異変が起きている」

 俺は中にいる者に扉を開けるよう声をかけるが反応がない。そこで扉の緊急解除を試みたがピクリとも動かない。俺は蝶番を外して扉を除去することを試みた。

 取り除かれた扉の向こうで、懇願する女を後目に、男が吸引器に小さな命を押し込んでいた。俺は動揺と怒りを圧し殺しながら、男をトイレの外に引きずり出した。

 俺と入れ替わるように中に入った医務員が、母子の状態を確かめ、駆けつけた仲間に次々と指示を出していく。

 微かに、だがハッキリとした産声に、最悪な事態を避けられたことに安堵を覚えた。

「殺人未遂で、お前を地球に引き渡す」

 男は項垂れる。

 軽やかな音楽と共に、頭上から地球へ着陸する旨のアナウンスが、たんたんと流れ出した。

 



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