前編という名のいつもの茶番
「あ~今日はいい天気ですね。こんなにもいい天気なのだからちょっとぐらいはいいことがあってもいいと思いませんか? ねえ、スカリー? きっと貴方もそう思っているんじゃないですか? 年がら年中しかめっつらの渋面スカハリー・ポールモートもたまにはからりとした笑顔をさらしてもいいと思いませんか? 少なくともわたくしはそう思います。神もきっとそう思っていらっしゃいます」
バスコルディア教会礼拝堂。
本来ならば、神に祈りを捧げるための神聖な場所も、この無法都市ではたんなるたまり場と変わりない。
そんな場所。
褐色肌に赤目赤髪、さらには尼僧服を着込んでいるマイデッセ・アフレリレン。通称マイディはだらしなく長椅子に寝そべっている男に声をかける。
「……天気のいい日ぐらいはあるだろうがよ。というか、おめえの頭ン中は年がら年中ハッピーこの上なしの雲一つない晴天状態だろうが。そっちのほうを心配しろよ。俺はおめえの頭がいつの日か掲げてる太陽に焼き尽くされて干からびるんじゃねえかと戦々恐々だぜ」
けだるげに答える。
男が顔の上に乗せていた帽子をどけると、鳶色の瞳と無造作に切られたブラウンの髪があらわになる。
賞金稼ぎ、スカハリー・ポールモート。
ほぼこの教会の関係者であり、マイディとはいろいろと腐れ縁のような関係だった。
関係自体はそう長いものではないが。
「んまっ! そんな生意気なことを言って! いいですか? わたくしの心が常に晴天であることは認めましょう。なんといっても清楚を絵に描いて額にはめ、さらには美術館に飾っているような人物、それがわたくしですからね。ですが! ですが、ですよ? わたくしが内包している太陽というのはですね、迷える子羊たちの希望であって、恵みの象徴なのですよ。決して誰かを傷つけるような代物ではないのです」
「……よく言うぜ。その恵みの象徴とやらをお持ちの人物は今朝何人ぶっ飛ばしたよ?」
「喧嘩売ってきたチンピラを三人ほどじゃないですか。カウントにすら入りませんよ、あんな雑魚」
「そういう問題かよ」
「そういう問題です。……そんなことよりですね、甘いモノ食べたくないですか?」
「あん?」
あまりにも脈絡のないマイディの発言に思わずスカリーは怪訝な顔を返す。
「実はですね、ちょっといいお菓子が手に入ったのですよ。めったに手に入らないやつ。今日はちょっと趣向を変えてお酒じゃなくてお茶にしませんか? 司祭様は甘いモノ、ダメですし」
「あー……そういやダメだったな、あいつ」
特に反論はない。
元々スカリーにとって、いやマイディにとっても酒と茶は大して変わらない。
舌を楽しませることができるのならばなんら問題はないのだ。
ゆえに、異論をはさむことはない。
わざわざマイディが用意したということならば、めったに手に入らないということは本当だろう。希少品を珍しがるぐらいの感性はスカリーも持ち合わせている。
「いいんじゃねえのか。とっととおっぱじめようぜ。もったいぶるのはドンキーの説教だけで十分だ」
「そうしましょうそうしましょう。鬼のいぬ間に洗濯洗濯」
「……使い方合ってんのか? いや、合ってるのか」
「だんだかだーん!」
掛け声とともにマイディが祭壇の陰から取り出したのは一抱えほどもある木箱。
菓子がはいっているとするのならばあまりにも仰々しすぎる。というよりも、下手をしたら人間の頭ぐらいならば軽々と入ってしまうぐらいの大きさである。
嫌な予感がスカリーの脳裏をよぎる。
「……おめえ、まさかどこぞのモンスターのドタマとか突っ込んでねえだろうな? だとしたら食らうのは鉛玉になるぜ?」
「いくらわたくしでもそこまで悪趣味なことはしませんよ。お菓子って言ったじゃないですか。というか、スカリー? かなーり失礼なことを言っていませんか?」
「気のせいだ。とっとと食おうぜ。小腹が空いた」
「なんかごまかされてしまったような気がするんですけど……まあいいでしょう。これから味わうことになるスイ~ツっに比べたら些細なことです。行ってしまえば大事の前の小事。大火事の前での焚火。大洪水の夜のおねしょみたいなものです」
「……わかりづらい例えはいいからとっととしろよ」
「いいでしょう。刮目しなさい! そしてわたくしに絶えぬ感謝の念を捧げて、生涯言うことを聞きなさいっ! これこそ! わたくしが用意したお菓子……で、す……よ?」
「……俺には空っぽにしか見えねえな。いつの間に霞食う技術なんて習得したんだ? 俺には教えなくてもいいから、ドンキーあたりに教えてやれよ。清貧に努めることができて大層お喜びになるだろうぜ」
マイディが勢いよく蓋を開いた木箱。
その中身はきれいに空っぽだった。
いや、正確には一枚の紙が入っていた。
〈いただきましたよぉう! 怪盗スーパーセシャト参上!〉
書かれているのはそれだけ。
ごくごく短い一文。ただそれだけ。
「なんだこりゃ? 新手の食いもんには見えねえな。つうか、誰だよスーパーセシャト。変な毒でも食らってなきゃあこんな名前は名乗らねえだろ」
硬直しているマイディの脇からのぞき込んできたスカリーは淡々と感想を述べる。
ついでにマイディの様子をうかがうが、驚きの表情で固まったままだ。
「おいマイディ。おめえ、やられたな。どこのアホかしらねえが……お大事にしまってたお宝は盗まれちまったってわけだ。こりゃ一杯食わされたもんだぜ。はっ」
軽口を叩いてみる。
しかし、マイディの反応はない。
普段ならばもっと即座になんらかの返しをしてくるはずだ。
だというのに、それがない。
「ふふふふっ! ふ~っふっふふふふっ! その木箱にしまってあったお菓子はこの甘味怪盗スーパーセシャトのおなかの中ですよぉう!」
声が響く。
即座に二人は反応する。
たとえ虚を突かれた状態でも、無法都市の住人である二人の反応は早かった。
教会の天井、その梁。
そこに人がいた。
いや、正確には変な恰好をした人物がいた。
若い女である。
マイディと同じ褐色の肌。
しかし、髪は対照的に白。
さらに、服装はやけに露出度が高く、見たこともないほどに短いスカートをはいていた。
ほかにも、スカリーたちが見たこともないような服装が多々あったのだが、一番違和感を覚えたのは髪型である。
腰まで伸ばした白の髪。
それをわざわざカールさせ、そのうえで二つに分けるという奇妙極まりない髪型。
少なくとも、バスコルディアでは見たことがないような髪型だ。
謎の人物は不敵に笑う。
出し抜いたマイディを嘲るように。
「ふふふふっ! わたしのおなかに収まってしまった以上、ここにお菓子はもうありませんね! 用済みですよぉ! さようならっ!」
謎の人物はそのまま哄笑しながら浮かび上がる。
飛行の魔法にも見えた。だが、絶対にそうではない。
少なくともスカリーの知っている範囲の魔法の範疇ではなかった。
媒体もなく、呪文もなく、超常の力を行使できるような種族、それはつまるところ――絶対の存在力を持つドラゴンぐらいのものだ。
奇妙な恰好の人物はそうは見えない。少なくとも見た目は人間。
だというのにごく自然に浮かび上がり、そして窓を突き破って逃げだした。
「……んだあの……あのアマ」
形容する言葉が出てこず、無難な選択になってしまったが、スカリーが気にすべき点はそこではなかった。
「……………………殺す」
静かに。言葉以外は平常と変わらない様子で。
マイディがブチ切れていた。
(……やべえなこりゃ。どうなるか想像もしたくねぇ)
極めて狂暴。
それがマイディに対するスカリーの評価であり、ほぼ全ての人類におそらくは共通の見解なのだから。
「おいマイディ、待てって。ドンキーに折檻されてえのかよ?」
「折檻? 知ったことじゃァありませんね。ええ、そうですとも。そうにちがいありません。だって、わたくし全く怒ってないんですから。ええ、ええ、怒ってませんとも。全然、全然ですよ? ほんのちょっぴりも、小指の爪の先ほどぐらいは怒っているかもしれませんけど、それはしょうがないことじゃアないですか。だって、楽しみにしていたお菓子を食べられてしまったんですよ? 怒らないということは神に対する冒涜です。砂糖を作るのにどれだけの手間がかかっているのか知ってますか? わたくしは知ってますだからですね―――――」
「落ち着けって」
怒りのあまりに口の回りがよくなってしまっているマイディを落ち着かせようとするが、とても無理そうだった。
すでにその赤目は緋色と表現したほうがいいぐらいに色を濃くしている。
思案するスカリー。怒りを解き放とうとするマイディ。
その時、教会の入り口が開いた。
「あのぅ……つかぬことをお伺いしたいのですが……もしかして、ここに『スーパーセシャト』を名乗る人物とかがやってきてませんか?」
スーパーセシャト。
その単語にマイディは超絶な速度で反応した。
具体的に言うと、山刀を二振りとも抜いて戦闘モードに入った。
「お、知、り、合、い、で、す、かぁァぁァぁぁぁぁぁ?」
「あの、えっと、その……知っているといえば知ってるような、知らないような……」
「どっちだァ⁉」
「ひぇぇ……知ってます!」
あまりの剣幕とぶつけられた殺気によって、来訪者は思わず肯定してしまう。
が。
「待てって、おめえは。八つ当たりしてどうすんだよ。たまたま見かけたとか被害にあったとかの可能性……が……はぁ?」
見ていられなくて割って入ったスカリー。
思わず、思わず漏れた。
間抜けな声が。
なぜならば、たった今教会のドアを開けて入ってきた来訪者。その姿が先ほどの奇妙な人物にそっくりだったから。
服装こそ違うが、顔形はそっくりだった。
ロングのスカートとベストはともに黒。その下に着ているブラウスは白。
髪型こそまっすぐ垂らしているのだが、顔も瞳の色も肌の色も、そしてなによりも顔がまったく――同じ。
双子でもここまでそっくりにはならないだろう。そのぐらいには同じなのだ。
流れる血液が急速に冷却されるかのような錯覚に陥る。
知っている。この感覚は自分の肉体が戦闘に入るときの感覚だ。
自分の経験が、本能が、戦闘を予感させている。
「……あんた、何者だ?」
来訪者はやや引き気味ながらも答えた。
「ええと……『セシャト』。そういう名前です」