プロローグ カコノキオク 2
「…………」
――まずい、そろそろ足が限界だ。
半歩前を進んでいた少女が突然止まった足音を不審に思ったのか、少年の方を振り返った。
「ちょっと、一回休憩」
少年がくるりと回転して、階段に腰を下ろす。
背負われた大きなカバンが、どすん。と大きく音を立てた。
壁でその音が何度も跳ね返った。
「はぁ、また強がって……。カバン持っても良いよって言ったよね?」
あきれた、と少女。
優しさで言ってくれてるのは少年も分かっていた。
けど、いろんな意味で、無理な相談。
全身の力を抜いて、だらりと重力に従って地面に伸びる。
蛍光灯の光は、変わらず薄暗い。
少年の後ろでとすん、と少女の座る音が聞こえた。
何をするでもなく。
ただぽけーっと、そこから数分間空白が続いた。
――永遠にさえ感じられたその沈黙を破ったのは、少女だった。
「ねえ、コレちょっと貸してみてよ」
振り返ると、少女の微笑み顔。
いつもよりも、にやっとした口元で。
……主語が無くて、最初はどれのことが分からなかった。
少年はふと視線を落として、少女の指先を見る。
カバン。
「重いぞ」
ほれ、とカバンに通していた腕を外した。
手をわきわきしていた少女の方へちょいと傾け――念のため、右手で支えておく。
手が伸びてきて、引っ張っられた――ような気がした。
「わっ……っと」
ぐっ、とカバンの上側にある取っ手を少女は右手で掴んだ。
そして、胸元まで引き寄せようとしたのか、体ごと後ろに倒し。
思いっきり、くっ――と。
が、片手では無理だったようで両手でやっと引っ張ってくる。
歯を食いしばっていて、ちょっと面白い顔だった。
――まあ、鍛え方が違うし。
「……もういいや」
両手で抱き抱えるようにカバンを押さえている。
やっぱり、体全体で押さえきれないと無理らしい。
「だろ? ……もう手を放してもいいよ」
少女が手を離すと同時に、少年は両手で受け止める。
さっきの位置に戻して、腕を通す。
「慣れたもんだね。私にゃ到底無理だ」
ぽすん、と少女がカバンに体を預ける。
危ないだろ、と言おうと思ったがやめる。
カバンに倒れ込んだまま、安心したように緩んだ表情。
この柔らかな表情を、ずっと見て居たかったから。
「六百年――今じゃ、千四百年ぐらい前か、の女性は三百キロの荷物を軽く運んでたらしいぞ。うまいことすればできるって」
代わりに、ちょっとした雑学。
俵を五個運んだ写真を、昔見たことがある。
――あれぐらい運べたら、僕も道具を取捨選択する必要なかったんだろうけど。
「できる出来ないかは別として、やりたくないや、それは」
後ろで少女の声を聴きながら、立ち上がる。
――もう十分休んだし。休憩ばっかり、してられない。
かたん、と一歩足を踏み出す。
「――あと、まあ、何? そこまではしなくていいけど、頼りにしてるからね。くろと」
滅多に呼ばない少年の名前を呼んだ。
二人の世界は、基本的に二人きりだった。
いちいち、相手の名前を呼ばなくても成立する、そんな関係。
――だから。
久しぶりに、少女の口から聞いた気がする。
わざわざ、名前を呼んでまでさっきの言葉を強調するなんて。
はっ、と息を吐く。
人工物に囲まれた冷たい世界、その片隅で、温かい雲が生まれた。
ぴゅっと出されたそれはすぐに空気中へ霧散していく。
少女を追いかけるように、立ち上がる。
「しろなの直感だって結構頼りにしてるからな」
名を呼ぶ。
少年の前、数段上がったところ。
ふと、動きが止まった。
「直感って。ほかに褒めるところ思い浮かばなかったの?」
そこで、一回言葉を区切る。
「うん。でも、ありがと。……じゃ、もうそろそろ、いくよ」
振り返ることすらせずに、どんどん前へ。
ちょっと変な心地がして、頬に手を当てる。
――熱かった。
少女の後ろ姿。
白い髪の隙間に覗く耳が、赤くなってるのが目に入る。
――さっきの僕と同じように頬に手を当てているけれど。
――きっと、同じで温かさを感じているのかな。
「うん。……今日の残りもがんばろっか」