嘘をついた日
僕の住む街で、不思議な条例が出た。内容は、一年の内に定められたある一日だけ、どんな嘘をついても良いというものだ。いつだったか頭のおかしな議員が提案し、あろうことか議会に所属する過半数の議員が賛成して成立した奇妙な制度で、大人になったらしっかり選挙へ行こう、未成年ながらそんなことを考えさせられる経験だったと記憶している。
その条例の実施がちょうど今日からだということを、僕は登校前に眺めていたテレビ番組で思い出した。
「本当にやるんだ……」
朝食に用意したトーストにバターを塗りながら僕は呟いた。
正直なところ、僕にはこの条例の意味がわからなかったし、必要だとも思えなかった。
そもそも、僕たちはこれまでずっと嘘をつくのはいけないことだと教わってきたのに、それを行政が助長するようなことをしていいんだろうか? それにこんな条例がなくたって、僕らはいつも嘘をついているし、少なからず自分を偽って生きているじゃないか。
「言いつけに背きたくなるなら、いっそ認めてしまえってことなのかな」
そんなことを考えながら番組を見ていると、映像はスタジオから街の風景に切り替わり、画面の右上には「LIVE」の文字が浮かび上がった。どうやら商店街を歩く通行人にレポーターがインタビューをしているところらしい。話題はもちろんあの条例のことだ。
白いシャツを着た爽やかな男性が、近所の小学生にマイクを向けて話を聞いている。落ち着きなくはしゃぐ子供たちの姿を見て、スタジオにいる司会者が時折ワイプ越しに茶々を入れ、ウケをとっていた。
男性が小学生の次に捕まえたのは若い男女だった。二人が遠方の県から旅行にやってきたばかりだと聞くと、男性は驚いたように声をあげた。
『なーんか嘘をついてもいいって聞いてェ、気になって来ちゃいましたァー』
僕はこの時、条例の意味が少しわかったような気がした。
その後すぐにテレビを消して、他の支度を済ませて家を出た。
よく晴れた日だった。
「おーっす! ハロー!」
家を出てからしばらく歩いたところで、間延びした能天気な声が聞こえてくる。
前方の、声のする方に顔を向けると、そこには夏仕様の制服に身を包んだ少女が道を塞ぐようにして大きく手を振っている姿があった。
「おっす」
僕が挨拶に応えるように小さく手を振ると、彼女は満足そうに頷いた。
「おやおや、もしかして、寝坊したのかなー?」
手に持ったスマートフォンの画面に表示された時計を見ながら彼女は言った。
その顔は何かを期待するような、それでいて煽るような、にやにやとした表情だった。
「いや、少しテレビを見てただけ」
「ふうん…」
僕が答えると、アテが外れたとばかりに彼女はつまらなそうな顔をした。
「まっ、そんなに待ってないから」と彼女は言う。
僕達はそれから同じ方向に向かって歩き出した。
小、中、高と昔からずっと同じ学校に通っていて、平日朝の目的地はいつも一緒。いわゆる幼馴染という間柄で、家が近いのか彼女はいつも僕を待ち伏せするように立っている。
何やら待ち伏せをされているみたいだと思い、一度別の道を通ったらひどく悲しい顔をされてしまった。それ以来僕はここで彼女と合流するのが日課になっているのだった。
「うーん……」
横を歩く今日の彼女は、どこか様子がおかしかった。
いつもはやかましいくらいに話しかけてくるのだけれど、今日に限っては何かを考え込むように唸り、口を開いたかと思えば妙な悪態をついてくるのだ。
「あーあ、なんかつまんないなー!」
「はい?」
「毎日ここで待つの、ほんっと大変だなー!」
「……そうだったのか?」
彼女がこんな風に文句を言うなんて滅多にないことだった。何か気を悪くしたかと思い、僕が尋ねると、彼女は眉を顰め、少し置いてからため息をついた。
見たことも無いくらい不機嫌そうな彼女の態度に、これはいよいよ取り返しのつかない事態になってきたと僕は焦りうろたえる。まさか、家を出るのが遅れたことを怒っているのだろうか。
すると今度は、僕の様子をみた彼女の方が戸惑った様子を見せた。
「いや、いやいやいや! ほら、今日! 今日って何の日だっけー?」
彼女は急にこちらに体を向けて、慌てたように言った。
僕はその態度の変わりように驚いてから、ようやく彼女が不機嫌そうにしていた理由に気付いた。
「ああ、なんだそういうこと…」
ため息を吐くのは今度は僕の方だった。
僕が彼女の言動の意図を理解したということが伝わると、彼女はまた妙な悪態をつき始めた。今度は先ほどよりもわざとらしく、そしてストレートに、もはや解釈によっては罵倒されているのではないかといったくらいの物言いを僕は受ける。
彼女は今、嘘をついているのだ。
「かぁーっ、二人で歩くのはずかしいわー!」
目の前の少女は頭を抱えるような大げさな身振りをとりながら、合間合間で得意気な顔をして僕の方をちらちらと見てくる。
なるほど、どうやら僕はからかわれているらしい。彼女の言う文句がだんだんとしょうもないものになっていくにつれて、僕にも仕返しをしようという気持ちが出はじめた。
「そっか、今まで無理をしてくれてたというわけか」
僕は彼女の嘘に乗っかることにした。
そう、自分に向けられた文句を全て文字通り受け止めてやるのだ。
「ごめんよ。明日から…いや、今からでも別々に登校しよう」
「えっ?」
「それじゃあ、僕は今日のところは遠回りをしていくから──」
「ちょ、ちょーっとちょっと!」
焦った彼女が声を上げる。
その様子がおかしくて、僕は吹き出してしまった。
くすくすと笑う僕を彼女は戸惑った表情で見ている。少しして僕が嘘をついたのだと気付くと、はっと目を大きく見開いて、それからまんまと騙されてしまったとばかりに悔しそうな顔をした。表情をころころと変える彼女に僕はまた笑ってしまう。
「君のそういうところは嫌いじゃないよ」
思わず僕が言うと、彼女は嬉しそうな顔をした。
しかし、その表情はすぐにおろおろとしたものになった。
「つまり、嫌いってこと……?」
落ち込んだ顔で言う彼女に、僕は改めて今日が何の日だったかを思い出す。
嘘のつもりがない言葉を嘘だと捉えられてしまったのだ。なんて面倒な条例だ!
長い付き合いのある幼馴染を悲しませるのは本意じゃないと、僕は慌てて弁解しようとする。
「今のは嘘じゃない。本当のことなんだよ」
「やっぱり嫌いなんだ!?」
目の前で少女が悲痛な声をあげる。
何でそうなる! 何を言っても嘘扱いされてしまうのか!?
こいつ、嘘をついてもいい日と発言があべこべになる日とを勘違いしているんじゃなかろうか。
僕はこの場においてどう話すのが正解なのかを考える。
そうだ、「嫌いじゃない」の逆を言えばいいわけだ。
嫌い──ん? この場合、好きって意味になるのか?
そう考えた途端、急に口に出すのが恥ずかしくなってきてしまった。
思わず、「あー」とか「うー」とか、そんなしどろもどろな声が出てしまう。
色々と投げ出したい気分になったが、目の前の少女はまるでこの世の終わりがやってきたとばかりに今にも泣きそうな顔でこちらを見てくるのでして。もう引っ込みがつかない状況になっていることを僕は悟った。
「…そうさ、嫌いってことさ」
僕は恥ずかしさをこらえて言った。
相手から顔を逸らしたのは、僕のせめてもの抵抗のつもりだった。
朝から何をやっているのだろう。振り向いた先の空を見ながら思った。
しばらくしてゆっくりと振り向くと、そこにはすっかり企みがはまったような顔をした幼馴染の姿があった。
くっく、と彼女は笑いをこらえきれない様子。
それから学校に着くまでの間、僕は彼女一流のにやけ面で煽られ続けることとなった。
「おい、その顔をやめろ! 嫌いと言われて何で喜ぶ!」
「だって、今日が何の日かわかってるのに、あんなことを言ってくれたんだもんねー?」
僕は歩きながら抗議を続けるが、彼女は嬉しそうな顔をするばかりだった。
この時、ようやく僕はこの条例の意味を理解したような気がした。
嘘をついてもいい日。この日は、普段言ってはいけないことを好きなだけ言っても良いとされる。それは嘘という建前を使って、普段言えない言葉を引き出し合う日なのだ。
はた迷惑な条例だけれど、好意的にとらえるなら、そういうことなのだろう。
「私達、今日もいがみあってるねー」
「やかましいっ」
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/脳内企画@demiplannner