第29話 残された時間
「ただいま戻ったでござる」
グリーンオークのハンゾーの声がダンジョン内に響き渡る。
猫魔のファイヴは彼をハッピースマイルタウンにお使いに行かせていた。
精製した黒砂糖を売るためである。
全部で500キログラムあるが、そのうちの100キログラムだけを売ることにした。
ダンジョンシロアリを手なずけるためにも砂糖は残しておかないといけない。
ファイヴはコアルームから出て、例の蟻の部屋でハンゾーを出迎えた。
「早かったですね。砂糖はどのくらいで売れましたか?」
「天才軍師殿、1キログラムあたり250ペラで売れたでござる」
ハンゾーがにこやかにいった。
「なるほど。では全部で25000ペラで売れたんですね」
ファイヴの言葉にハンゾーは大きくうなずいた。
そして持っていた風呂敷を広げる。猫缶がぎっしりと入っていた。
「それと約束の猫缶を21個買ってきたでござるよ。
レジーナ殿が1個多めにくれたでござる。
あとで改めてお礼を言っておくでござるよ」
「かたじけないです」
頭を下げるファイヴ。
そのときハンゾーが急に険しい顔になった。
そして周囲をはばかるように小声で語りだした。
何事かとファイヴは耳を貸した。
「ところでファイヴ殿に神魔狼の知り合いはいるでござるか?」
「えっ? どういうことですか」
ファイヴは思わず聞き返した。
ハンゾーはダンジョンの出口をちらちらと見ながらこう話した。
「この迷宮庭園の入り口付近の草むらに白い狼が隠れてるでござる。
ダンジョンの中をカメラで盗撮したり、
なにやら不穏な動きをしてるでござるよ……」
とハンゾーが神妙な顔で続けた。
ファイヴは嫌な予感がした。
知り合いの神魔狼は1匹しかいない。
それがなぜ今になって現れた?
なぜこの場所を知っているのか?
そして目的は何か?
何も分からない。だが螺旋魔塔の刺客と見て間違いない。
かつての師匠が今度は自分を殺しに来たか。
「ハンゾーさん、この部屋で蟻さんと一緒に待機してください」
猫魔のファイヴはそういってダンジョンの出口に向かった。
「相手はランクSSの神魔狼でござる。くれぐれも用心されたし」
ハンゾーは警戒を促した。
ファイヴは何も知らない風を装ってダンジョンの外に出た。
朝日を浴びて思いっきり背伸びをした。
「気持ちのいい朝ですねー」
わざと独り言をいったとき、草むらで何かが動いた。それを横目で一瞥する。
パシャリ!
草むらの方から臆することなく堂々とカメラのシャッター音が鳴る。
ファイヴは横目でその音の方を見た。
体はなんとか隠しているが白い尻尾が丸見えだ。
背伸びしたままさりげなく近づく。
「あの……セレナさん、なにやってるんですか?」
とファイヴがその隠れている白い狼に向かって大声を上げた。
「むっ! 私の擬態を見破るとは……やはりただの猫魔ではないようだ」
傍から見ればモロバレだが本人はそう思ってないらしい。
「ロイヤルガードの貴方がいるということは、
やはりマチルダ様にも此処が知られているということでしょうね」
ファイヴは身構えた。
戦闘態勢をとって、全く役に立たないがスキル【ネコパンチ】射程内に敵を補足する。
こっちにはグリーンオークのハンゾーさんがいる。
戦闘に関して良いアドバイスをくれるだろう。
それに精鋭部隊のダンジョンシロアリもいる。
「私は敵陣偵察に来ただけだ。お前と戦うつもりはない。
だからこうやってカメラで敵の様子を写真に撮っているのだ。
それにお前が今日まで生き延びれたことは素直に喜んでいる。
だがお前がマチルダ様と決闘しようと言ったのを聞き流すわけにはいかない」
とセレナが話す。まったくロイヤルガードってのは暇人らしい。
螺旋魔塔のコアルームまでたどり着ける冒険者がいないから暇なのだろう。
「今ここで僕を殺すつもりですか?
あの弱かった頃の僕とは一味違いますよ。舐めないでください」
神魔狼を前にしてもファイヴは怯まなかった。
それどころか神魔狼を威嚇する。
「フフフッ……。弱い犬ほどよく吠えるというがまさにお前がそうだな。
よかろう。お前のその虚栄に免じて今回は見逃してやる。
ただし、マチルダ様の前に立ちはだかる時は容赦しないぞ」
フェンリルのセレナが心臓の凍り付くような冷たい声で言い放つ。
ファイヴは戦闘態勢を解除した。そしてまっすぐにその狼の瞳を見つめた。
「本当は何を言いに来たのですか?
そんなことを言うためにわざわざここまで来たわけではないでしょう?」
ファイヴにはその狼の瞳に浮かぶ確かな焦心を見てとれた。
セレナはしばらくうつむいてた。
そしてこちらに背を向けると静かに歩き出した。
背中越しにファイヴに話しかける。
「螺旋魔塔はいま冒険者達の熾烈な攻撃を受けている。
マチルダ様は低ランク魔物達を捨て駒として利用し始めた。
つまりお前のお友達のワーキャットとガーゴイルも、
前線で危険な目にあっているということだ。
長くは持たないだろう。死が迫っている。
私はただそれを伝えに来た……」
それっきりセレナは目を伏せてファイヴから離れていく。
彼女が言っているのはミーシャやアルベルトのことだろう。
「たった今撮った僕の写真をミーシャさんに渡してください。
そしてこう伝えてください。必ず助けに行くと……」
ファイヴはセレナの背中に向かって叫んだ。
悲痛な哀願。残された時間は少ない。
「分かっている。ただし次に会った時は本当に敵同士だぞ……」
背中越しに返ってくるセレナの言葉。
だがファイヴは違うことで胸が張り裂けそうだった。
「そのセリフはもう聞き飽きましたよ……」
遠ざかる神魔狼に向かってつぶやく。
そしてファイヴは駆け足でコアルームに向かった。
途中でグリーンオークのハンゾーが声をかけてきた。
「さすが天才軍師殿でござるな。
あの神魔狼をいとも容易く追い払うとは……!」
しかしファイヴはその言葉を無視してまくしたてた。
「ハンゾーさん、話はあとです。急いで魔物を召喚します。
ダンジョンの準備を整えましょう……」
不安、そして焦り。ファイヴの心を容赦なく蝕んでいく。
「マチルダ殿との決闘の為でござるか?」
ハンゾーが冷静に咎める。
「そうですよ! 他に何がありますか! もう時間がありません!」
ファイヴが動揺して大声を出す。
「モンスターを召喚して、その後はどうするでござるか?」
再びハンゾーが咎める。先ほどよりも冷たい口調で。
「あなたも分からない人ですね! すぐにでも決闘するのですよ!」
ファイヴも怒り叫んだ。
「だとしたら虚け者でござる!
暗愚で能天気などうしようもない馬鹿猫でござる!」
ハンゾーが言い放つ。彼はコアルームの扉の前に立ちファイヴの進路を塞いだ。
その言葉を聞いてファイヴの堪忍袋の緒が切れた。
「いま僕のことを馬鹿って言いましたね!
天才軍師の僕のことを馬鹿呼ばわりしましたね!
薄汚い野良豚のくせに……!!」
ファイヴが怒鳴る。怒りに任せてスキル【ネコパンチ】を繰り出した。
顔面に放つと凄まじい打撃を与え、ハンゾーが鼻血を垂らす。
稀にしか出ない【ネコパンチ】のクリティカルヒットが発動したようだ。
「カツ丼にされたくなかったら大人しくそこをどきなさい……!!
ミーシャさんの為なら、あなたを殺すくらい造作もありません!」
ファイヴは怒鳴り散らし、何度もハンゾーの顔面に【ネコパンチ】を繰り出した。
それは天文学的数字の確率により連続でクリティカルヒットを発動した。
顔がこぶだらけなってもハンゾーはどかなかった。
「ならば拙者を殺すがよい……!」
「ならば望み通り殺してやりますよ!」
何百回、いや何千回この【ネコパンチ】を繰り出したことだろう。
次第にファイヴの手は疲れて動かなくなってきた。
「今のファイヴ殿は感情に流され先を見通せない自殺志願者でござる。
拙者は自殺志願者をわざわざ死なせにいかせるほどお人好しではないでござる」
「うぐッ……」
ハンゾーの言葉にファイヴは唇を噛んだ。
怒りは過ぎ去り、絶望にへたり込んだ。
「まずは冷静になるでござる。
敵の数を分散させれば螺旋魔塔に向かう冒険者の数も減り、
その分だけ防衛が楽になるでござる。
そうすればファイヴ殿の好きな女性も助かるでござる」
ハンゾーのいった言葉にファイヴはハッとした。
「なるほど。一点に集中している冒険者を他の点に誘い込めば、
敵勢力が分散するということですか?」
ファイヴが合点して話す。
ハンゾーはにっこり笑ってうなずいた。
「拙者の言いたい事は分かるでござるな?」
ファイヴも静かにうなずいた。
「つまり螺旋魔塔に群がっている冒険者達を
このダンジョンに誘い込むわけですね?」
「その通りでござる。さすがは天才軍師殿でござるな!」
「分かりました。
ではさっそく冒険者達との戦闘に備えてモンスターを召喚しましょう!」
ファイヴとハンゾーはコアルームに向かった。




