1 幻想結界
その日の夜はリビングで寝た。
自分の部屋が朝倉の出入りに使われる以上、そこに誰かが居ては彼自身の気が散るのではと思った。
そう。地下は俺の部屋を通じて行ける部屋なんだから。
加えて、ここなら周囲の音を逃すこともない。
リビングは1階のおおよそ全ての部屋の音を聞くことができる。
誰かの身に何かあれば直ぐに動ける。
とはいえ、この日は杞憂のようだ。
幸いにも王の使いが来ることは無かった。
いや、もしかしたら戦っていたものの聞こえなかっただけなのかもしれないが。
だとしたら俺がここに居る意味がない。
だけど、何者かが外に出ていく音と気配は感じた。
それに起こされたのだ。
俺は一応そういう物音には敏感だと思っている。
そして今、外に出るべきか悩んでいる。
深入りすべきではないのかもしれないが、出た方がいい気もする。
誰が何をしているのかは確認しておいた方がいいだろうか。
親がいない以上、自分が一応家主。
ならばそうだ。
確認しに行くべきだ。
……眠いけど。
身体が重たいのは仕方がない。
リビングのベッドがまともな快眠を与えてくれるとは到底思っていない。
誰かは玄関から出ていったはずだ。
リビングを越え、少し蒸し暑い廊下を越える。
段差がある玄関に億劫な気分になりつつ、特徴のないサンダルを履く。
ここまでが長い。
宅配便に起こされるような気分だ。
「うん……?」
玄関扉がおかしい。
光……覗き穴の光か。
不用心か。
護衛もなしに、しかもこんな時間に外に出るのは。
「はあ」
行動の粗が目立つな。
リビングのカーテンを開ければ済む話。
戻るのにはそれほど時間がかかった気はしない。
よく見ると、遮光カーテンのスレスレから漏れる光も違和感だ。
何というか、オーロラみたいな色をしている。レイルの髪よりも濃い色だ。
カーテン縁に手をかけ、窓の鍵を開け、そっと庭を見やる。
「……エル?」
紛れもない、こちらに背を向けたエルが何かをしている。
あの特徴的な白いローブは間違いない。
両手を天に掲げ、その掌からオーロラが出ているかのよう。
これは何かの魔法か。
断りもなくやっているとしたら、事情は聞くべきか――。
――いや、待て。
本当に俺の知るエル=メイダか……?
そのローブは、本当に。
「エル……なのか……?」
鈴の音が鳴り響く。
瞬間、「それ」は両手を下ろすと、こちらを見やる。
全身に鳥肌が立つ。
肩から、末端に。
――あれはエルじゃない。
その瞬間から金縛りにでも遭ったかのように身体が動かない。
首が動かない。
目がうごかない。
視線を逸らせない。
震える。
止まらない。
力が抜ける。
腰から崩れ落ちる。
近づいてくる。
笑っている。
脳に響く。
引き寄せられる。
怖い。
怖いよ。
誰、
誰、
誰、
誰――。
☆★☆
「誰ええええええ!?」
呼吸が荒い。
大声を上げた。
か細いながらも通る声。
周囲には誰もいない。
それどころか、自分はソファーの……上。
「夢……か?」
時計の秒針が木霊する。
時刻は午前4時半。
ドタバタと別の部屋から聞こえる。
次第にその音は近づいてくる。
「だいじょうぶですか!? ルオンさま!?」
「……ファル……ごめん」
「ルオン様、何かございましたか?」
「ルオンさん……すごい汗ですよ?」
ワンテンポ遅れてミーアとレイルも来てくれた。
依然呼吸は荒い。
声が上手く出ないほどに。
「何……だったんだ……あれ……」
抗えなかった。
重圧だろうか。
この世のものとは思えない。
……まるで別次元の存在なような。
単なる夢と言われればそうなのかもしれない。
だけどそれは夢と呼ぶにはあまりにリアリティに溢れていた。
呼吸もままならなかったし、あの声だって、確かに頭の中で聞こえていた。
徐々に呼吸が戻ってきた。
ファルが背中を撫でてくれていたのか。今は少し安心している。
「一応、あったことを話しておく」




