6 厄介ごとが増えました。
「辛い」
「きつい」
「死ぬ」
「オゴゴゴゴ」
一体どれだけ格闘していた―やられていた―のだろう。
途中のことは何も覚えていない。
いや、覚えていないだけありがたいことなのかもしれない。
辛いことは思い出せないぐらいが丁度いい。
いつまでも覚えていたらそれはトラウマになり替わり、自分自身を蝕む。
そうならないだけマシだ。
うん、きっとそうだ。
「ルオンさま、修理屋さんがきてますよ」
この一言だけ覚えている。
このファルの言葉で解放されたということもまた。
……よし、やっと落ち着いてきた。
暑さのせいか余計に思考が働かない。そうか、そうだった。
修理を忘れちゃいけない。業者――空香が目の前まで来てるというのに苦痛の表情は見せられない。
「…………」
「ミーア、あっち行きましょう」
「かしこまりました」
やっと起き上がった時には、既にレイル達の姿はなかった。自室にでも移ったのだろう。
……今更だけれど、別に彼女の意思に盾突く必要はなかったよな。
暑さで気を乱していたのかもしれない。普段ならそれほど気にしないことだし。
反省しなきゃな、はあ。
「ルオンさま? 業者さん入れて大丈夫?」
「あ、あぁ……うん」
ああ、なんか声遠いなと思ったらファル、扉の向こうに居たのか。
いちいち扉開けてこちらを見てきた辺り相当な念の入れようだなおい。
こうして待っててくれるのはせめてもの気遣いだろう。それで待っててくれる業者も流石だと思うけれど。
修理屋といえど客に変わりはないので、一応家主の一人である自分が迎えないのもおかしな話。少し痛む腰を上げてでも扉の前に自分が立っているようにはしたい。最低限の礼儀だけは尽くそう。
礼儀といえば、インターホンが鳴ってた記憶がないな。ああ、いや違う。多分聞こえてなかっただけだ。断末魔にかき消されていて、偶然聞こえたファルが出てくれたんだろう。
なんともまあ情けない話だなあ。申し訳ない。
「お、おま、おまたたた、たせいたたしました」
「それこっちの台詞な? ごめんよ待たせちゃって」
「はひぃ、で何でしたっけエアコンか! コンディショニングを良くしちゃいますよ! 少々おまちくださ、さいね!!」
扉を開くなり、緊張した姿の空香が壊れかけのDVDみたいな挙動で挨拶をしてくる。レイルとミーアを見たことで恐怖を抱いたのか何なのか。
空香は工具を置くと、ふぅと深呼吸をした。
労いの意も込めて、こっちはせめて飲み物の準備でもしておこう。
何があったかな、無いじゃん。
キッチンの冷蔵庫を見て愕然とした。いや、まあそうか。こんなに暑い環境でまず飲み物を消費しない方がおかしい。塩分を摂れるスポドリも切らしてる。
製氷室は……ああ、ちょっとはあるか。
じゃあ水に少し塩を入れて……砂糖もちょっとだけ入れておくか。
念入りに混ぜておかないと溶けきらないな。塩なんかは特にね。
「ふー……」
ここで待ってようかな。邪魔しちゃ悪いだろうし。
空香にとって、ファルはともかくとして、魔術師エル=メイダやあの二人はどう映るのだろう。少なくとも俺はレイルと出会ってからというもの、異星人と呼ばれる存在と関わりすぎたことで耐性がついている。
『ピッ……コォォ』
そのおかげか、どんな髪色だろうとどんな特殊能力が来ようともはや動じる気はしない。アニメや漫画のファンタジーがそのまま具現化してるような状況だと割り切れたらもう怖いものはない。流石に異世界転生が起きたら気絶するかもしれないけど。まあ無いでしょう。
『ピーッ……』
それは置いておくとして、とにかく異星人という存在が、傍から見たらどう見えるのかがとても気になるところだ。だからといって無暗矢鱈と『宇宙人』の存在をひけらかすのは自分の首を絞めるだけだし、レイル達との信頼関係もあるから絶対にしないけどさ。
「――ほ、星野、くん」
「……ん? あ、ぁあ! えと、どうした?」
「あの、ね。たぶんこれ、大丈夫……」
「え、どういうこと?」
「ほ、ほら」
リビングまで誘導されて、空香はいつの間に握っていたのかリモコンを掲げる。
空香がリモコンのボタンを押すと、起動音と共に少しずつ開いていく送風口。
エアコンは生きていた。
「え、魔法か何か?」
「えええ違う違う何もしてない。何もしてないのに直った。たぶん科学」
「なんじゃそりゃ」
……吹く風は確かに冷えている。
電源すら入らなかったのが嘘みたいに、部屋中に冷気を届けようとエアコンが元気に働いている。
「……接触不良かな?」
切る、点けるを繰り返してみても、エアコンは沈黙することなくリモコンからの指令を守り通している。
「壊れてなかった……ってこと、かな……」
「そうかもしれない。折角呼んで申し訳ないけれど」
「いやいやいや、そんな! 私はぜんぜん!」
うーん? うーーん……。
なんかしっくりこない展開だけれどまあいいか。
俺としてはこのままエアコンが治らない展開があるんじゃないかとまで思っていた。というかこのまま治ったらむしろおかしいのではとまで考えていた。
奇想天外な事柄に慣れてしまったのはレイル達と過ごしていたからだろうか。
「え、というか一瞬で気づけるの凄くない?」
「通電確認、基本だもん」
「聞こえてなかったや……ああ、そうだ」
小走り気味でキッチンに戻って、先ほど作った飲用の食塩水(若干砂糖込み)を取り戻る。
「道中歩いてきたなら、これがいいかなって」
「あ、ありがと」
渡した飲み物をそのまま半分ほど飲むと、テーブルにコップを置く。
一気に飲むのはあまり身体に良くないらしいから、少しずつでいいと思うんだけど。
「結構甘めだね。美味しい」
「甘い?」
そんなに砂糖は入れてない気がするけど……。
そういえば、疲労が溜まってると塩分を甘く感じるって聞いたことあるな。
「少し休んでいきなよ」
「ふぇ!? ……で、では、おかか、おじゃわりゃ、おかまいなく……」
呂律が回ってないし、やっぱり疲れているんだろう。そりゃ重たそうな工具を持って、猛暑の中歩いてきてくれたんだ。労う必要はあるな。
「そういや、出張費と修理代ってどれぐらいかかるの?」
「えっ逆に取っていいんですか?」
「ええ、そのぐらい出すよ」
一瞬で片付いてしまったとはいえ、来てもらった分の対価は支払う必要がある。
特にこんな暑さだったし、割増で1万ぐらいかな。
「……じゃあ、これからその……たまにあ、遊びに来ても……いい、ですか」
「…………」
――ああ。
へぇ。
そうなるんだ。
これはあれか、否が応でもこの家について知りたいって感じだな。
うん、喉が渇く感覚だ。思わず唾液を飲み込む。
水でも飲もう。丁度そこに置いてあるし。
すっかり忘れていたけど、空香って科学部兼オカ研所属って話を聞いたことがあるぞ。
変な奴多そうって偏見のせいで部室にすら行ったことなかったけどさ。ちょっと気になってたんだよオカ研……。それは置いといて。
『変な人たちが沢山住んでる家』とか、そういう人たちにとってはかなりのネタになるもんな。俺がその変な人側に回るとは思わなかったよくっそう。
「…………」
「えっ」
「ええっ」
――しょっぱいな。はぁ。
「えっ、星野くん……?」
「あっ」
……やってしまった。気でも狂ったか。いや、狂っていてもおかしくないな。空香の飲み物を自分が飲むとか、なんて失態だ。差し上げたものを我が物顔で使うなんて人間としてどうよ。あまりいい気分はしないよな。ああ。もう。
「へへ……ありがとう」
何で。
何がありがとうなんだ。言葉が出ない。どうして。まさか条件を『飲んだ』って捉えているのか? だとしたらもう俺どうしようもなくないか?
詰みか?
いいや、待て。詰みというより新しい道が出来たとも言える。
レイル達が俺や家族以外の地球人と話す機会はほとんどない。地球人の勉強って意味で空香だけは招いてもいいのだろうか。空香は真面目そうだし、誰かに言いふらすこともないか。
「や、約束を守ってくれたらね!!」
焦ると思考が鈍るんだなと、こう言ってから気付いた。




