5 未知との遭遇
好意を持つ相手の家に招かれること。
それは、少女のこれまでの人生で最も刺激的であり、待ちわびた瞬間だろう。あくまで仕事であったとしても、自分自身の感情はどうしても前面に出てきてしまうものだ。それが未成熟な若者であるならば余計に。
チャイムを押すのも一苦労。
心臓が興奮で叫び、胸が高鳴る。
よし、と意を決するも手の震えが止まらない。
「(うわうわうわ、何これ何これ……電話に出るよりキツいよ……!)」
2,3度ボタンを空振りアウト。
戸惑う。
「(うぅぅ、このまま帰っちゃおうか……いや、ダメダメ。お仕事を放棄したら、ダメッ!)」
緊張のあまりに立ちすくむ。
自制のためにしゃがみ込もうとする。
不意に工具箱を落として驚く。
「あっ……」
金属の当たる音が響き渡る。
幸いにも箱が頑丈な金属であったため、内部が飛散することはなく、ただ落ちた箱がそこにあるというだけ。五月蠅いが。
音が消える頃には、一緒に彼女自身の緊張も解けて消えていった。
「そうよ。これは仕事だもの」
工具の音を聞いたことで、本来の目的を思い出したのか。それとも仕事としての感覚を取り戻したのか。どちらにせよ、彼女にとってそれがプラスに働いたことは間違いない。
もう後ろは振り返らないだろう。
覚悟をしたという意味でもあるが、音で近付いてきているかもしれない不審者を極力見たくないのだ。
「よし、頑張れ私。頑張れチカ」
そうだ。仕事の傍ら、ついでに少年の顔を見て話をするのだ。
自分にそう言い聞かせる。
それが一番の薬であることは間違いない。何故なら、事実、それで彼女は落ち着けているのだから。
「どうしたんですか?」
「ひゃうっ!?」
あまりに突然のことであったため、少女は尻餅をつく。
幸いにもまだ工具を持ち上げていなかった、そしてしゃがんだ体制のままであったため、大事に至ることはなかったのだが……。
「あ、あ、えと……」
少女の身長ほどの高さにある、小窓から覗く少年は自分の望む人ではなかった。そのため動揺を隠しきることが出来ない。
ルオン宅に兄弟関係が一切居ないことはリサーチ済みだったこともあり、彼女は余計に混乱してしまった。緊張のボルテージは再び最高潮へと達する。
「あ! もしかして、修理屋さんでしょうか!?」
「そ……そうです!! 間違いないです合ってますはいぃ!! りゅ……星野ルオンさまはご在宅ですきゃあ、かあ!?」
「あ、はい。でもちょっと今――」
「わかりましたぁ!! ひゃい今すぐ上がりましゅぅ!!!」
「え、ちょ」
混乱してグルグル目のまま扉を開いて上がり込む。鍵は何故かかかっていなかった。
ルオンもルオンで不用心であるが、もっともそれは戦士や魔術師らに対する信頼があるからなのだろう。それ以上に熱気のせいで油断してしまったとも言えるかもしれないが。
少女は当たりを付けてリビングへと進んでいく。こういうのは何となくで分かるものだ。後ろから「待って待って!」と声がするが、今の彼女には聞こえない。まるで何処かの女騎士である。
「ここだ、ぜ、絶対ここだ」
これまで校内や下校途中にルオンのオーラを見てきた彼女―概念的なものでも信じるタイプなのだ―は、最早彼の居場所すら分かるまでに成長していた。
いつもよりやや薄汚いオーラが混じっている気がするが、それは彼自身の体調によりけりということも分かっている。
恐らく室温がそうしているのだろうと漠然と考えながら――。
――リビングに続く扉を開く。
「お待たせいたしました!! "空香修理店"到着です!!」ああああああああああ
「あああああああああギブギブギブやめて!! 痛い痛い痛いあああああ!!!」
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
彼女の目に映し出されたのはルオンと、そこに馬乗りになった赤髪の女性。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
よく見れば隣に水色の髪の少女まで居るではないか。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
――扉を閉める。
「え?」
「…………」
「(何アレ?)」
「騎乗――(え?)」
「(え?)」
「(……え?)」
「プロレス(いやいやいやいやいや)」
「(え?)」
彼女の予想とはまるで違う光景が広がっていた。
その事実に衝撃を受けると同時に思考が硬直する。ルオンの周りに女性の気が無かったこともあり、空香は安心しきっていた。そんな中、女性関係が無いという前提でこの家に入り込んだのだ。
女の子が数人同居しているなんて事態など想像だにしていなかった。
あまりにショッキングな絵面であったためか、うずくまってしまう。工具箱はまた落とした。
「――だから止めようとしたのに」
「…………」
先ほどとは違う呆れた声で話しかけてくる少年に対し、空香は顔も上げずに問いかける。
「きみは……?」
「……ル……って言います」
「え?」
「……ファル=エムイードです」
ファルは一瞬ばかり偽名を使うべきかを悩んだが、彼女がレイル達と会った時のことを考えると、得策ではないと思った様子だ。尾を引く、いずれはバレてしまう嘘は極力吐きたくないのがファルである。相手がルオンの知り合いである以上、ルオン自身に間接的に迷惑をかけたくないという気持ちも強い。
ファルは子供だ。ルオンやレイル達よりも3つ以上も下の。
基本的な精神は幼い彼だが、機転の利き具合や学習能力については各々の引けを取らない。
「単なる子供」という訳でなく、少し天才肌な少年と解釈するのが良いだろう。
「え、従兄弟!?」
「えっと、まあそんな感じです。それより、さっきのですけど――」
彼は物事を適当にあしらい、将来的にも自分に矛先が向かないようコントロールするのが上手い。
仮に空香から「従兄弟じゃないじゃん!」などと言われたとしても「従兄弟みたいな関係だと"自分は"思ってます」などと言ってしまえばどうということはない。
「ルオンさま……さんのこと好きでしょ」
小悪魔めいた微笑を見せるファル。噛んだことは雰囲気で誤魔化す。
それに対して空香は驚き顔のまま硬直する。彼女としては思ってもない質問だったのだろう。
そのうち頬が染まり、挙動不振になり、やがて髪の上に蒸気が見えそうなぐらい真っ赤な顔にみるみる変色していく。
鼓動の音が空気を伝わりそうなぐらい大きくなり、ついに抑えきれなくなったのか空香は口を開く。
「どどど、ど、と、とんでもない!! そんなあんな、とうとと尊いひひ、人をすきすきすき好きになるなんておこごこおこ、おこがましい」
「そーですか」
空香は昔流行ったブートキャンプの劣化派生形といえる奇っ怪なムーブで否定しにかかるが、その反応を見ては誰しもが「こいつルオンめっちゃ好きやん」と思うこと請け合いだ。
ファルが引きつつ返事をすることも希であるが、彼の想像を遙かに凌駕した溺愛なのだから仕方がない話である。
これでルオン好きを隠し切れていると、そう錯覚している空香の心身が一番異端と言えるか。
「んー。わかりました。今から話すことをヒミツにしたなら、あなたの気持ちもヒミツにします」
「秘密って、誰に……ですか?」
「そりゃあ、ルオンさんに対してですよ」
こうは言うものの、ファルは他人の秘密―そう呼べるかはさておいて―を公にするような畜生ではない。単純にこの「現状」を打破するためには、こうして言いくるめることが得策だろうと考えただけであって、ルオンらにバラそうとはミジンコほどにも考えていない。
本来であれば来客があった際、ライフェリス陣営は客人の目に付かない部屋に隠れることが決められていた。元々はレイルが提案したことだった。
しかし現状、彼女とその親衛隊はルオンと仲違いをしているため、意思の疎通が上手く取れない。星野家が不安定な今、その提案が綺麗に作用することはないだろう。
だからこそファルが単独で動くしかなかった。彼にとって出来る限りの最適解を選ぶ必要が出来てしまったのだから。
彼女はこの詰みかけた状況に為す術もなく……。
「わかりました……誓います。ゼッタイ誰にも言いません――というかでもその前に星野くん助けた方がいいんじゃ……」
「だいじょぶです。多分本気で殺すことは無いと思いますので!」
「思います!? 一撃必殺技みたいに確率で死ぬの!? 」
ファルですら少し面倒に思えてくる少女だが、案内しないことには冷房の命もない。
この場で状況をさっさと説明して、修理させて、さっさとさよならしようと考えるファルなのだった。
ルオンが絶叫から解放されるのは、いつになるやら。




