1 王女さま、喝を入れる。
レイル達がやってきて早三日。
その三日があまりに濃密すぎて既に1ヶ月ぐらい経過したような感覚だが、よくよく考えてみればまだ二度しか寝ていないので、本当に三日目なのだろう。
出来事次第でそれだけ濃密な一日を過ごすことが出来るのだから、「時間がない」と言い訳する人は時間を作るのが下手なだけなのではないか。
実際のところそうではなくて、自分の感覚が狂い始めているだけなのだろうけど。
そもそも宇宙人が自分の家を選んで入ってくるなんてことが奇跡みたいな話だし、まず誰に話しても信じてもらえないことだろう。
「おはようございます、ルオンさん」
「おはよう、レイル」
けれど彼女はハッキリとここにいる。
眠い目を擦ってリビングへ来た自分にこうして挨拶をしてくれている。
昨日一昨日と自分の身に遭ったことは紛れもない真実。
「昨日と違って柔和な笑顔ですね、かわいい」
「そっか」
最初こそ彼女らに抵抗感を示していたけれど、今はもうその壁は消えうせたように思う。
一枚の隔たりが無くなったからこそ、こうしてかわいいなんて言ってくれて……――。
「――ぅ」
「ルオンさん? どうしたんですか下向いて……」
「……ごめん、しばらく黙ってて」
「? はーい」
思わずレイルから目を背ける。
ぼぅっとしていたから最初こそ受け流せたよ。でもよくよく考えてみてごらんよ。
自分と大して歳の違わない女子から「かわいい」なんて言われて恥ずかしくない男子なんていない。
心がきゅっとして震えてろくに話せないし、ましてや顔を見ることなんて出来やしない。
「んー……うんっ」
レイルが何か思い立ったようだ。
こういうときはしばらく放っておいてほしいのだけれど、彼女の性格からして大人しくしているはずがない。
だけど、何をしてくるのかは全く分からない。
今ここでレイルを見るのも何か違うと思って、ずっと顔を下に向けたままでいる。
そんな自分の背中に何か柔らかいものが当たって、身体をぎゅっと包まれる。
数瞬の間理解が追いつかなかった。
けれどこれは間違いなくレイルの……。これ以上言えない。
当たった背中があたたかい。抱きしめられる感覚って、こんなに心地いいんだな……。
「昨日のお返しですよ……? ルオンさん」
そう耳元で囁いて、彼女は小悪魔気味に笑う。
お返しっていうのはアレか、昨日彼女の頭を撫でたこと……。
レイルは守るべき対象であって別に好意を持っているわけではないけれど、その……ぎゅってされると気持ちがぐらつきそうになるから出来ることなら控えてほしい。
「レイルさん……? その、そろそろ……」
「えへへ、や~です~」
「おはようございます」
命の危険を感じた。
レイルを溺愛してやまない親衛隊のトップが起床した。そうだ、そういえばそうだった。彼女らの寝床は別の部屋に移していたんだった……なんてことだ。
自分の溺愛する人が異性と抱き付き合っていたなら、彼女は何を思うだろう。
よく言う嫉妬深い人でも殺意の波動に目覚めるのだろうが、彼女はそれより重症だ。一体何をしでかすか分かったものではない。下手をすれば斬られるのでは。
もう一度言おう。命の危険を感じる。
焦ってレイルの手を振りほどきつつ、俺は必死に弁明を試みる。
「ご、誤解だよミーア、これは、ね?」
「左様ですか……」
その後何をされるでもなく、彼女はそのままキッチンへと向かっていく。
ふと、彼女から殺気をまるで感じないことに気付く。それに何というか、今の弁明に対しても生返事で上の空だ。
昨日までのミーアがこの構図を見たなら、首を絞めてきて揺すってくるぐらいのことをしてきたのではないか。「お前何だこれおい!! 何だこれ!!」とか言いながら。
「ミーア、眠たいのでしょうか」
「明らかに昨日までとは違うな……」
「直接聞くのが一番です。護衛のメンタルケアが私のお仕事ですから」
じゃあ俺のメンタルもケアしてほしいなと一瞬ばかり思ったが、それより今は彼女の方が心配だ。茶化している場合ではない。
「ミーア。料理を作る前にこちらに座りなさい」
「……はい、お望みとあらば」
ミーアがテーブルの椅子にかけると、彼女に対面する形でレイルと俺も座る。
静けさに満ち満ちた部屋の空気を断ち切るかのように、レイルは切り出す。
「表情が雲っていますね。何かありましたか?」
「……いえ」
「嘘です。私を騙すつもりですか?」
「……そのようなことは決して」
今ここに居るレイルは先ほど抱きついてきた少女とは別物なのではないか。
視線をブレさせることなくその透き通った瞳でミーアを見つめ続ける様は、あどけない少女のものとは思えない。そこにあるのは仲間の気持ちを真摯に受け止めようとする王女さまの姿だけ。
「例えどのようなことであろうと、私は苦笑などしません。寧ろ些細だと思い込んでいることの方が、後で重くのしかかって来るものですよ。ミーア」
「…………」
その真剣な目つきと言葉で、次第にミーアの心も融けていく。
「昨日は眠れぬ夜でした」
彼女もレイルと俺の顔を交互に見つめながら続ける。
「先にルオン様にお尋ねいたしますが、昨日お家にいたのはあてくし達を含め四人ですね?」
「うん、それは間違いないはず。父さんは帰ってきてないはずだし」
俺と母さんと、レイルとミーア。来客は無かった(ガランは除く)し、この四人以外に人は居ないはずだ。
「ですが、あてくしの部屋に何者かが居たのです」
「何者か、ですか。侵入者でしょうか」
「そうとしか考えられないのです。しかしながら姿を捉えることは出来ず、ただ気配がずっとその場にあって……周囲一体であてくしを見つめ続けるだけで、何かをしてくることはありませんでした」
「それで眠れなかったってことか」
いやでも待て。何でうちに入ってこれたんだ。寝る前に玄関扉やら窓は全部閉め切ったはずだけど。
「はい……一度念のためレイル様のお部屋を確認いたしましたが、そちらは特に気配がありませんでしたゆえ、この気配はあてくしに対するものであると断定しました」
「…………」
「ですから無用な気遣いをさせてはならぬと思い、あえて何も言わぬまま過ごそうと思っていたのですが……流石にレイル様には見抜かれてしまいました」
ミーアが今日初めて見せた笑顔だ。何やら話しきれてスッキリできたようだ……ってアレ?
「レイル、どうした……」
「ミーア=レクト=フレネセウロ!!」
「は、はい!!」
スゥっと息を吸って、レイルは先ほどよりも厳しい目つきになる。
「『レイルが危害を受けなければいい』という気持ちは捨てなさい。貴方が死ぬとは到底思っていませんが、もし仮に何かあったとして辛い思いをするのは紛れも無い他者。貴方は王女の親衛隊である前に、レイルにとって唯一の友です。そんな友が何も知らぬまま悔やみきれない思いを抱えることになることを考えたことがありますか? 常に最悪を想定して動きなさい。それが私の告げられる最大の気持ちです」
その言葉はミーアだけではない。自分にも感じ取れることがあった。
他人の思う自分の命なんて、考えたことも無かった。
周囲で誰かを失ったことがないからだろうか。それとも自分のその感性が発達していないのか、それは分からない。
けれど今俺は震えている。彼女の魂からの叫びを聞いて、自分の知り得ないことを感じ取った。
魂から魂へ伝播するほどの衝撃を走らせた彼女の言葉は、その会話が終わろうと脳裏から消え去ることはなかった。




