1 自称、某惑星の王女さまが押しかけてきました。
ああ、確かに。
俺は確かに今日「パーッと大きい事件が起きたりしないかな」と思った。友達と下校途中の話題にしてきた。高校に入って初めての夏休みなんだから、中学以上に派手なことが起きたっていいと。
そう。
起きないつもりで、その前提で、世間話の感覚で話していた。
もちろん。
そんな事件が起きたとしても自分が関与するなどとは思うはずがないし、まして自分が主人公の物語みたいな展開が起きるなんてことは、億が一にも考えていない。
状況を整理しよう。
決して、交通事故や病死で自分が転生するだとかそういう、ラノベやアニメ、各メディアで流行りの現象に遭遇した訳ではない。俺は創作の世界でなく現実にいるし、霊体になったという訳でもなければ、仮想現実に入った訳でもない。たぶん。
家に人が来た。来客だ。
……それだけ。
たったそれだけのことだけど、来た人物を少ない言葉で纏めることなどできやしない。
まず特徴的なのは服装と髪。
ド派手な赤色のドレスがまず真っ先に目に入る。どこか西洋の風を感じるその格好はあまりにも異質だ。少なくとも、この日本においては。
これが巷のトレンドだとは思いたくないし、まずあり得ない。
その腰より下まで伸びた髪は品を感じさせる。ここまで滑らかで優美な色合いと髪質を、俺は見たことがなかった。なによりその色にも異様さを感じざるを得ない。
水色。
あくまで俺のイメージだけれど、髪の色と言えば黒か金髪だ。あとは白もなんとなしに聞いたことがあるぐらいで、それ以外のイメージは一切ない。
いま、この場に居る子は自分にとって正に不思議そのもの。
言い方を変えるなら不自然だ。これを自然と取れるほどの感覚的な寛容さを俺は持ち合わせていない。違和感と異常さだけが色濃く、そして厚く残る。
そんな自分と同い年ぐらいの女の子が目の前にいたのだ。これを事件と呼ばずしてなんとする。
……と、ここまでが事の顛末。
この間わずか0.2,3秒。
女の子は何も口に出さない。
その表情は何かに怯えているようにも見えるが、ただ表情を作っているようにも取れる。
普段から表情を作っているのかな。
そんなこと知る由もないけど……さっきから胸につっかえてるこの感覚は何だろう――。
…………。
――まさか。
昨日まで感じていた気配はこの子なのでは。
その気配を感じるのは決まって下校途中に限った話で、決して通学途中には感じることはなかった。だからクラスメートか、その周辺の仕業かとも思った。高校生にもなってそんな悪戯をする奴だから、ろくでもない人なのだろうと。勉強はそれなりに頑張ったのになと、当時は思っていた気がする。
けれど、この子に対する不自然さはその件に似ている。
家にまで突入してくるとするとまさか……この子は……。
――ストーカー?
待ってドアチェーンかけてから出れば良かった。背筋が凍り付く感覚ってこんな感じなのかって、いや違うそうじゃない。どうしようこれ、助けてって叫べばいいのか? まだ女の子は扉を足で支えたままだ。なら、今ならまだ声が届くかもしれない……!
でも過剰に反応したら余計に相手を興奮させかねないか。
じゃあどうすればいい?
ここは穏便に事を進めるべきかもしれない。そうだ、そうするべきだろう。
「……お急ぎのようですが、ご用件は?」
よし、言えた。質問としてはたぶん正解だろう。
相手に同情する訳でもなく、こちらが完全に受け入れる姿勢というわけでもない。他人事のように流しつつも相手を傷つけない言葉としては適切だろうさ。ストーカーと確定した訳ではないし、用心しつつも相手の出方を伺うのがいい気がする。別段、刃物のようなものは見受けられないし。
さて、相手はどう出る……?
「ホシノ……ルオン様でいらっしゃいますか?」
「……!?」
その名前は、たしかに俺だった。
「どうして、俺の名前を……?」
聞き返してしまった。
あまりに突然だったから。
きっと相手には俺の焦りが伝わってしまった。あくまで平常心で居るべきなのに。相手が何者とも分からない今だからこそ尚更、嘘を吐いてでも肯定する答えは避けるべきなのに。
「ああ、よかった……。やっと会えました……!」
右手を捕まれた。
って、不意打ちにもほどがあるでしょう! え、本当に何が目的なのこの子。
伝わるのは安堵の表情だけでそれ以上のことは分からない。それが余計に怖い。理由も素性も何もかもが分からない。
「怯えさせてしまったでしょうか……?」
「……ッ」
精一杯の抵抗で首を横に振るも、彼女は見透かしたように手を離す。
その瞬間、二歩。
二歩だけ後ろに俺が下がる頃には、彼女はより真剣な面持ちに変わっていた。
「失礼いたしました。身分を申し上げない以上、何も話せないと。何故貴方のことを存じているのかと、そうお思いでしょう」
「……違いないけど」
見透かされてる。
自分が何を言いたいのか、そして何に怯えているのか。
身の毛もよだつような事態なはずなのに、不思議と落ち着きを持てている。状況は何も好転していないのに。
理性。そうか理性だ。
彼女に理性があると分かったから。少しだけ落ち着けているのかもしれない。
こうなれば、彼女の言葉を受け入れてもいいのかな。
いや、まだ安心できない。
彼女が本当のことを言うとは限らないし、これから本性を見せるのかもしれない。安心させることに特化したペテン師でないとも言い切れない。新手のセールスの可能性だって無くはない。
いつぞやに『主人がフンコロガシに殺されて十年経過しました』って迷惑メールが来た話を見た。そんな詐欺の可能性だって大いにある。
ないか。
「私は惑星ライフェリスの王女『レイリア=L=ライフェリシア』と申します」
あった。
なんだこれ。悪質な訪問販売か何か?
それとも結婚詐欺か?
電波な王女キャラとかどこに向けた需要だ?
それとも世間じゃそんな感じに言えば人を騙せるのか……?
日本人チョロすぎない?
「むぅ……信用なさっていないお顔ですねぇ。想定内ではありますが」
当たり前だ。信用できる部分が一ミリたりとも無かったぞ。
これを母さんが聞いたらどれだけ笑い転げるんだろう。シナリオ書いてる人からしたらこんな笑い話はそうそう無い。
……万が一、億が一。
彼女が本当に宇宙人で、そしてその……ライスみたいな感じの星が存在したとしよう。そうだとしたらとてもロマン溢れる話だと思うし、そんな星の王女に会えることを光栄に思うだろう。
「――はっ」
でも現実は違う。
そんな可能性を俺が引き当てる訳がない。こんなに容姿端麗で美しい宇宙人の女の子に会えるなんて、そんなことがある訳がない。
これは詐欺か手違いか、それとも別の何かなんだ。そうじゃなきゃこんな子が――。
「てーい!!」
――え。
は……?
落ち着け。
理性を保て。
今、俺は何をされた?
押し倒されて……。
「る゛ッ」
――……背中痛ぁっ! 酷く打ち付けたよこれ!!
「……あっ、えっと」
「……えぇ?」
「いえ、その……急に後ろから気配を感じたものですから……追っ手が来たのかと思いまして……あの、その、ごめんなさいッ!!」
うう、頭がクラクラする。
次から次へと事態が動きすぎて、何が何だか分からない。
少なくとも、女の子が離れていったことは分かったけど。
「いや、気にしないで、俺も忘れるから」
「ありがとうございます……やっぱり優しいお方です」
「そうかなあ、このぐらいで」
寧ろ忘れると言ったら機嫌を損ねる女の子もいるだろうに。この子はどうして俺を優しいと評した。彼女にとって恥ずべきことのようだし、それを忘れたいと言ったからかな。
「で、なんで押し倒したの……」
「後ろから何か気配を感じまして……。それも、圧のようなものが非常に強く、扉を開けたままでは危険だと判断しました」
「気配……」
「そうです。それが私を捕らえるための追っ手なのか、それとも別の誰かなのかは分かりませんが」
……その気配とやらは、俺がここ最近で感じているのと同じなのではないか。
というか、彼女は手荷物を殆ど何も持っていないようだ。となれば、不意を突かれない限りは俺が殺されることはない。ナイフも包丁も普段は棚にしまってあるし、場所が分かることはないはずだ。何より殺意も感じられないし……。
ええい、ままよ。
「……わかった。上がっていいよ。その代わり、君の知ってること全部話してもらうから」
「……! はい!!」
完全に信用しきった訳ではないけれど、話ぐらいなら聞いてもいいかもしれない。
俺の名前や素性を知っている理由も気になる。誰から知ったのかその全てを教えて貰おうじゃないか。
この夏休み前日に。
高校生になって初めての夏休みに。
ここから更に、パーッと大きい事件が起きる。
そんな気がしてきた。