プロローグ 飽き飽きとした日々に変化を求めて。
生まれてこの方、大きな変化を見せることのない住宅街。
木造住宅や築何年かも分からないコンクリート造のマンションに加え、スーパーや薬局があるぐらいな普通のコミュニティ。
通学路も同じだ。何か特別なものがあるということもなく、ひと月もあれば慣れてしまうこと間違いなしな道である。
そんなくだらない道を一歩、また一歩、再び一歩……と、重い足をどうにか上げながら自宅を目指す。
「はぁ」
大きなため息は誰に聞かれるということも無く、空へと消えていく。
「退屈だなぁ」
いっそ聞こえていないのならと、少し大きめな声で呟いてみる。
普通に染まった人生の道をただ歩き続けることは退屈だ。
それすら贅沢だと言われたら返す言葉も無いが、折角の人生なんだから、ビッグイベントの一つや二つ起きないものか。
リュックサックを表に抱えて、改めて通知表を取り出す。
「……平凡すぎる」
数字の羅列を見て、ため息交じりに声が漏れる。
決して低い訳ではない。そして、逆に高すぎる訳でもない。
声が出るほどに普通なのだ。
せめてオール10であったならそれなりにアドレナリンが出て興奮するのだろうが。そんな凄いやつはこの学校に来ないしもっと上を目指すだろう。居たなら寧ろ、関わりを持ちに行きたいぐらいだ。
小学校、中学校を普通に卒業して、現在高校一年。人生これまでずっと退屈なまま。
高校だけはそれなりの場所に入ろうと思って受験勉強だけは頑張ったつもりだ。それなのに、状況は何も変わっていないように思う。
彼女が出来たかと言えばそうでもないし、石油王の息子が友達になるということもない。
異世界に転生してチート無双できる訳でもなければ、この現代でチートアイテムが手に入る訳でもない。
前ふたつはともかくとして、後半みたいな……そういう刺激的な生活が有り得ないことは分かっている。
羨ましい。
物語の中で生きている人間が羨ましい。
普通じゃない過程を経てハッピーエンドで終わる人生。最高じゃないか。
あんな生き方が出来たらどれだけ幸せなのだろう。
平坦な道を歩くより、不安定な足場をがっちり掴んで乗り越えて行く方が憧れる。
ろくでもない紙を鞄にしまい再び家路を歩く。
その足取りは日に日に重たくなっているように思う。
退屈な生活が嫌なのだと身体が認識し始めているのだろうか。決して重力が強まって動きにくくなっている訳がないのだから。
いっそ半グレでもしてしまおうか。
短距離なのに自転車に乗って通学したり、授業中に飲み物を飲んだり、勝手に出て行ったりしてみようかと思ったし、盗んだバイクで走り出してやろうか……などとも一瞬よぎった。
けれど世間体や教員、何より親の気持ちを考えてしまう。そんな臆病な自分は悪になれなかった。少なからず将来に響くことは間違いないし、そんなリスクを背負う勇気があるわけでもない。
それで自分は何になれるだろう。
ただ普通に生きることしか出来ないじゃないか。
せっかく『自分が主人公の世界』に居るんだから、それっぽいことをしてみたいじゃないか。でもそれはあくまで理想論であって、現実的な話ではない。
よく『事実は小説より奇なり』なんて言うけれど、俺からしたら時折見るオカルトサイトの方が奇怪でロマンがある。正体不明な何かによって引き起こされた現象なんか、特に心が沸き立つ。仮にそれが完全な創作だったとしても。
そういう現実と創作の境界が曖昧であればあるほどロマンを感じるのはどうしてだろう。
もちろん、ことわざのように現実の方がおかしいこともあるけれど、それが自分の身に降りかかることなんてほとんど無い。宝くじで一等が当たる方がまだ可能性があるようにも思える。
ならば宝くじを買おうか?
いやいやそんな話ではないのだ。
確かに夢を買うから意味があるように見えるが、最高でも「お金を何かに使う」という夢しか叶わない。俺が求めているのはあくまで非現実的な刺激だ。
それに、当たったとしても良いことばかりではない。
誰かしらが当選情報を漏らして「よこせ。1~4割よこせ」などと、たかりに遭うかもしれない。
そうであっても無くても、当選金を守るために、過剰な警戒をするようになってしまうかもしれない。
一億円に対してそんなリスクを抱えた生活が、果たして楽しいのだろうか。
そんなもの、苦痛でしかない。お金で満たされても、精神的な安息を失ってしまったら意味がない。
それなら当たらない方がましだし、買わない方が良い。
結論として、決して宝くじを買ったとて今の自分の悩みが解消される訳ではないのだ。
普通の生活に飽き。悪にもなれない。そして金銭的な夢をも嫌う。
好きなのはインターネットや史実にはびこるオカルティックな事象や、現実離れしたロマンだけなのだ。
さとり世代の正体と言われたらそうなのかもしれない。
自分にはわからない。
やっとこさ家に着いた。再びリュックを表に持ち、鍵を取り出し、差し込む。
――今年こそは、何かが起きて欲しい。
積年の思いを脳裏に刻み、家の扉を開く。
明日の終業式をもって夏期休暇に入る。これまで同様、あくまで普通の夏休みとして終わってしまう。いやいや、今年こそは何かあるはずだ。
そんな希望も、年々薄れているように思えて仕方がない。