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天の仙人様  作者: 海沼偲
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第6話 世界の裏側

 俺は母親の乳房に吸い付いた。そして、左手を胸の谷間に無理やり潜り込ませて奥の肌に触れる。暖かく、そして柔らかい。


「―――?」


 こんな行動をする赤ん坊などいなかっただろう。だから、毎回おそらくではあるが、俺に対して聞いているのだろう。「何をしているの?」と言っているのが最有力である。だが、俺にはそれを答えることが出来ない。

 俺は、左手から母さんの心臓の音を感じていた。俺の心臓とは違うリズムで刻んでいる母さんの心臓。目を閉じて、意識を集中している。

 自身の気を感じたら、次は他人の気を感じる。次は自然の気を感じる。そこまで来て、本当のスタートラインである。自身の気は今も体の中を巡っている。俺が一番触れる機会が多いのは母さんである。だとしたら、母さんの気を知覚するのが一番早いであろうと思うわけだ。

 心臓の音を聞き、肌の温かさを感じ、乳房の柔らかさに触れ、話しかけてくる音に浸っている。母さんから生み出される力を俺はもらっている。だが、いまいち感触が良くない。これでは、他人の気を知ることは出来ないのだろうか。難しい話である。

 授乳は終わり、俺はベッドに寝かされる。今日もダメであった。


 操り人形は踊っている。生き物を夢見て。命をもらい、自分の足で立つことを望んでいた。しかし、上から垂れている糸がなければ自分が人の真似事すらできないことを知っていた。今日も道化が踊っている。笑顔振りまき踊っている。観客たちは手を鳴らす。大きな音が包んでいる。道化の心には届かない。器だけではわからない。中身がなければわからない。中身はどこへ捨てたのか。そもそも最初からなかったのか。

 操り主は手を離した。人形は力が抜けて倒れ込む。殻だった。殻が、偽りの肉も捨てて空っぽな音を鳴らす。それはもう、要がないとばかりに捨てられてしまった。今度はいつ生まれるだろうか。魂を抜き取られてしまった人形はわからずに倒れたままである。

 舞台に上がるは、別の器。ドレスで着飾った少女の器。一人でダンスを踊っている。客の目には少女のみ。そこがすべてである。倒れた人形は存在しないのだから。だれの記憶にも残らずに一人ひとりで朽ちていく。

 じっと見ていた。表の世界を見ていた。夢なのか。誰にもわかることはないだろう。本人もわかっていないのだ。そこに行かなくてはいけないような気がするのだ。でないと死んでしまう。

 ……それは違う。人形は気づいた。違うことに。表にいることに意味はないことに。裏でよかった。裏でもいいのだ。なら踊ろう。裏で踊ろう。

 人形は力を込めた。起き上がらなかった。もっと力を入れた。起き上がらなかった。もっともっと、力を込めた。起き上がらなかった。もっともっともっと、力を込めた。体が軽く、浮き上がる。上には誰もいなかった。糸がちぎれて垂れている。人形一人で立っている。人形は踊りだす。舞台の裏で踊りだす。表ではない。表には出ずとも、人形は踊ることが出来たのだ。壊れるまで、永遠に続く一瞬を踊りあかしていた。


 俺はゆっくりと目を開いた。日はまだ高かった。使用人が部屋で掃除をしているのが目に入った。逸らすことなくじっと見つめた。


「―――――――。――――――?」


 俺に何かを語りかけている。俺に言葉はわからなかった。ぼーっと、使用人の顔を見つめているだけしか出来ない。

 音が響いている。下からである。足音だった。部屋の前を誰かが通った。一人か。二人か。それはいずれ小さくなる。消えていなくなった。でもいる。まだいる。向こうにいる。あっちは階段だ。上に行った。階段を上がった。追いかけろ。まだいるぞ。

 声が聞こえた。外から聞こえた。あの色は兄さんたちであろう。二人だ。聞こえた。駆けている。走っている。かけっこだ。庭をぐるりと回っている。よそ見をした。大きいほうの兄さんが。隅に生えている木にぶつかった。ズシリと重い音だ。泣いている。泣いている。大きく泣いている。だんだんはっきり聞こえてくる。


「――――――! ――――――!」


 掃除をしていた使用人は窓を見て、慌てたように部屋を出ていった。向かう先は玄関だ。駆けている。焦りが見える。

 見える。見える。みんな見える。みんないる。いたるところにいる。犬も猫もみんなここにいるのだ。

 輝いた。魂の輝きか。キラキラとしたものが、あたり一面に広がっていた。上も横も、探せば下にもあった。


「あーお」


 俺はその光景に見入っていた。しばらく眺めていた。目に焼き付けていたのだ。しばらくすると、その輝きは薄れた。しかし、そこに存在していることはわかった。あたたかな重みのある重さのないものがそこにある。俺は認識できていた。

 俺はようやく、他の生物の気を知覚することが出来るようになった。それは、あまりにも唐突で、そして、圧倒的な力でもって俺に襲い掛かってくるようなものであった。体が張り裂けそうなほどに震えているのである。しかし、それは恐怖ではなく、喜びからくる震えであるのだと理解しているのであった。


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