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 居待の月が座敷を照らしていた。

 春の宵は更け、早咲きの山桜の花弁が雪のように舞い落ちる。

 月は満ち始め、弓張り月から小望月くらいまでに膨らんでいる。

こんな夜には障子を開け放ち、酒を飲まねば失礼だろう。

それが、この家に長く住む者たちの共通見解だった。

「うーん。やっぱり夜桜は素晴らしいね。それを見ながらの一杯も。これこそ乙ってもんだよねぇ」

 うっとりとつぶやく鈴代は、既に出来上がっている様子であった。涼やかな目がとろんと熱っぽくなり、白い肌もほのかに朱に染まっている。

「あまりお飲みになりなさいますな……と、言っても無駄でしょうけどねえ」

 見た目だけで言えば歌舞伎の二枚目さながらなのだが、鈴代はひどく酒に弱い。時には甘酒にすら酔うほどである。けれど、弱いくせに本人は酒を飲みたがるものだから、酒を飲むときに楽浪は常に手を焼いていた。

「それよりもヌシ様、本気でございますか? 先方のご様子では十日と持つかわかりませんぞ」

 なくなった杯の中に酒を注いでやりながら、楽浪は苦言を呈した。

 もちろん、甘斗のことである。

「今までどう過ごされてきましたのやら、ひどく拗ねていらっしゃるようで。そうそう、ヌシ様のことをヤブ医者と申しておりましたが。ずいぶんな口の利き方でしたな。六年前のことをもうお忘れになられたのでしょうかねぇ」

 鈴代はほんの少しだけ眉を吊り上げた。彼がこうやって他人を非難することは珍しい。

 ふざけた格好と思われることも多いが、その面の下の眼差しが実は鋭いことを鈴代は知っている。何も見ていないようで、見ているのだ。こちらからは窺えない面の下から。

 鈴代は素知らぬ顔でうそぶいた。

「ああ、そのこと。仕方ないさ、人間にとって年月は早いものだし、僕も言ってないもの」

「貴方様も一枚噛んでございましたか。やれやれ、本当にお人が悪い。何故教えてやらないのですか? わざわざ弟子に呼んだ理由を。このままでは、何時わたくしの口が滑ってしまうか、わかりませんぞ」

 ぴたりと鈴代が傾けかけた杯が止まる。

 その杯に、はらりと桜の花弁が入った。満ちていく月を水鏡に捉え、鈴代は苦い思いを飲み込むような顔をした。ちょうど、昼間に甘斗に問われた時のような。

「背負うものは少ない方がいいだろう? それに、あまり深く関わりすぎると後戻りできなくなる」

「もはや手遅れのような気がいたしますがね。あの方、身を隠したはずのわたくしがわかっていたようですし」

「あー、やっぱりそうか。何にも言ってなかったから、もしかしてと思ったんだけどなあ」

「ほうほう、残念でございましたな……ふむ?」

 楽浪はくるりと振り向いた。

 そこに立っていたのは隣の部屋で寝ているはずの輪廻だった。大きなあくびをして、可愛らしい顔を台無しにしている。

 普段は起こそうとしても起きてこないような寝入りの良さだから、ここに来るということは何か用事があるに相違ない。

「おやおや、厠ですか。わたくしがご一緒いたしましょう」

「ん……」

 輪廻は寝ぼけ眼をこすり、こっくりとうなずいた。

 手を引かれて部屋を出る直前、輪廻が振り向いた。

「せんせぇ。あの子、どこか行ったの? おうちに帰ったの?」

「……なんだって?」

 鈴代が目を丸くし、楽浪がため息まじりにつぶやいた。

「どうやら、三日だったようですな」


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