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「…………はあ」

 甘斗は、もう何度になるかわからないため息をついた。

 庭の隅にある社の前である。ちょうど家の裏にあって、隠れるのにはうってつけの場所だ。それでも、よそ様の家に立ち入っているようなむずがゆさがある。

 そういえば、この家に来てまだ三日しかたってないのだ。落ち着ける場所なんか、どこにもあるわけがない。

 けれど。

 甘斗は暮れかけた空を見上げた。どこにいてもこの空だけは変わりない。四角く切り取られた庭から、よく見上げた空だ。

それを言うなら、江戸にだって――

 と、思いかけた時、ふいに空が暗くなった。秋風のような冷たい風にあおられ、甘斗は背筋に寒気を覚えた。この気配は――

「おや、絶賛黄昏ておりますな。ですが、そういうのは誰もいない場所で行うべきではございませんか?」

「~~~~!」

 急に話しかけられて声もあげられない甘斗に、楽浪は満足げにひとりで頷いた。相変わらず面をして素顔をさらしていないというのに、実に楽しげであるのがわかる。

「おお、良い反応ですな。ですが、ちと驚きすぎですぞ。そんな面妖な者を見るように驚かれると流石のわたくしでも少しだけ傷つきます」

「どう見たって面妖でしょうが! やめてください、心臓出るかと思いましたよ!」

 ばくばくと大きく早鐘を打つ胸を押さえ、甘斗は悲鳴じみた声を出した。

 ぎゅっと手のひらを握り、身構えた。どうにもこの狐面の男、得体が知れない。

「だいたい、何なんですか! どっから沸いてきたんすか!? 蚊かボウフラっすか、あんたは!」

「これはこれは。お褒めいただき恐悦至極の極み」

「ぜんぜん褒めてないっすよ! ……はあ」

 言うだけ言い終ってしまい、甘斗はぺたんと座りこんだ。なんだか、付き合うだけ無駄だという気がしてきて、急に力が抜けてしまった。

 楽浪の声に、少し意外そうな響きが混ざった。

「おや、何故か落ち込んでいらっしゃる? 坊ちゃんは忙しない方ですなあ。さっきは怒っていたと思えば、今は泣いていらっしゃる」

「別に泣いてないっすよ……ていうか、わかるならほっといてください」

 甘斗は視線を足元にそらしたが、さらにその先へと楽浪は割り込んできた。長身をかがませて、顔をじっとのぞきこんでくる。

「いいえぇ、このわたくしには分かります。目で泣いていなくとも、心が泣いておることはありますゆえ――さては、ヌシ様にいじめられましたかな? あの方、新弟子が大層可愛いと見える」

「違いますって――その、別に弟子じゃないですし、可愛くなんかもないと思います」

「はい?」

 楽浪は心底不思議そうに首をかしげた。

 ぶつぶつと甘斗は続ける。

「雑用ばっかだし、ろくに勉強教えてくれないし。しかもあの人、まともな医者じゃないんでしょ? オレ、単に厄介払いされただけだったんだ。どうせ物覚え悪いし、家でもいらないみたいだったし……」

「ちょいとお待ちを。坊ちゃん、何やら負の連鎖に嵌っておりませんか? 話がちと見えんのですが」

 楽浪は手のひらをかざして遮ると、ま白い単衣を翻し、ひらりと社の上へと飛び乗った。小さな社とはいえ言うには易いが行うのは難しく、まるで天狗のような相当な身軽さだ。

「つまりは、ヌシ様がちいとも勉強を教えてくれない、それが不満だとおっしゃりたい?」

 甘斗はむっとして口をとがらせた。

「そういうわけじゃないです。ただ、あの人がヤブ医者だから……」

「やぶ?」

 明らかに面食らったような声を出した。

その一瞬の後、楽浪は大きく笑いだした。

「な、何がおかしいんすか?」

 甘斗は後ろに一歩以上引いた。得体のしれない変人に、突然大笑いされて見ればいい。これは腹が立つよりも不気味である。

「いえいえいえ。ヤブ医者と来ましたか――これは大傑作。いやはや、こんなに笑ったのは百年二百年いえ生まれて初めてやもしれませぬ」

「はぁ、百年?」

 まだくすくすと笑い続けている楽浪に、甘斗は何とも言えぬ居心地の悪さを感じた。まるで、自分の知らない問題の答えを知っていて、あえて黙っていられるような。

「いいことを教えてさしあげましょう坊ちゃん。ヤブとは、野の巫者のことを指します。在野の巫者や巫女のようにあてにならないということですな。そういう意味ならば、ヌシ様はまさしくヤブ医者でしょう。ほうほう」

「……?」

 甘斗はきゅっと眉根を寄せた。

 まったく意味がわからない。ヤブということだけで、なぜこんなにうれしそうにするのか。そもそも、この人は一体何なのか。

分からないが、なぜか直感もしていた。この人は、間違ったことを言ってはいない、と。

「では、礼も兼ねまして貴方にひとつだけ忠告いたしましょう――夜の山には近づかない方がよろしい。特に貴方のような方はなおさらでございましょう。ほうほう」

 高らかに笑い声が響く。それは、不吉な響きとなって暮れゆく山に溶けていく。

 背を撫であげる夜風に、甘斗は身ぶるいをした。寒さ以上に、何か生ぬるい空気が気持ち悪い。何かが暗闇の奥にいると予感させる。

 これから夜が来る――


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