3
実際、家の中は広いものだった。開け放している戸からも、花や緑の匂いが入りこんでくる。山に自生している木や草とは違う匂いがするのは薬の匂いだろうか。
家の中には畳まで持ち込まれている。ますます山奥の家らしくはない。おまけに座布団と書机と何やら良く分からない壺やら瓶やらが山のように置かれている。
さすが医者の家、と甘斗はひとりで納得した。
「いやあ、まさか時間ぴったりに来るなんて思ってなくって。びっくりしたよ」
そう言って青年は明るく微笑した。
転んだ時に大きな怪我はなかったものの、こぶができたとか言っていた。石畳に落ちていたはずだけど。よほど頑丈な頭をしているのだろう、と甘斗は深くつっこまないことにした。
「はあ、そうっすか。ていうか、頭にまだ葉っぱ付いてるんですけど」
いつの間にやら、甘斗の口調は学問所では決して使わない崩した敬語になっていた。最初の微妙に尊敬しきれないせいかもしれない。大人に使えばたいそう怒られるだろうが、青年にとがめる気配はまったくない。むしろ面白そうににやにや笑っている。
「そうそう、僕の名前は鈴代。こう見えても医者で、君のお師匠さんってことになる。これからはよろしく頼むよ、甘斗くん」
「はぁ、よろしくお願いします」
いまいち信用しきれないが、本人がそう名乗ったのだったら間違いないだろう。
ふと思い出して、甘斗は荷物の中から持たされた手紙を出した。
「そういえば、これ紹介状なんすけど……ていうか、いいんですか。もうちょっと弟子入りするのって手間がかかるような」
「ああ。紹介状? いらないいらない」
「は?」
目を点にして聞き返す甘斗に、鈴代は朗らかに告げた。
「だって僕が頼んだんだもん。人手が足りないから誰かいないって」
「は、はぁぁ!?」
あまりにさらりと明かされた真実に、甘斗は思わず立ち上がった。
自分の人生がそんなあっさり決まったものだったとは夢にも思っていなかった。
急に医者と言われて驚いたが、何か意図があるものだと思っていた。が、意味と裏がないにもほどがある。
「さ。じゃあさっそく行こっか」
鈴代はにこにこと近づくと、呆然としている甘斗の手を取った。
「ちょ、どこ行くんですか!?」
「もちろん、近所にお茶を飲み――もとい往診に行くんだよ。あー、これで道中の荷物持ちから解放される!」
「に、荷物持ち!? つーか、今変なこと言いかけてませんでした!? ちょ、ちょっと待てやあああああ!」
結局勢いに押され、甘斗はずるずると引きずられて行った。