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とかく、江戸の両国橋が川岸は、毎夜毎夜大賑わいとなる。しかし常の人出も今宵に比べればかわいいものだ。
見れば見るほど人の海、かき分けてもかき分けても現れる人波に、溺れるように泳いでいけばやがて見えるは屋台の垣根。
そばやてんぷら、稲荷寿司などの食べ物の屋台の他に、子供向けのおもちゃや帯飾りを売っている店もある。
他にも見世物小屋あり、ちょっと季節には早い初物の浴衣美人に声をかけている男あり。
「やあ、お嬢さん。こんな真っ暗だとドキドキするね。ん……あなたの瞳に星が入ってとっても綺麗だよ」
「先生、あんまり女の人に声かけないでくださいよ。って、輪廻サン!? どこ行くんすか! ああもう!」
いつも通り女に声をかけている鈴代の羽織を引っ張り、輪廻を追いかけて甘斗は声を裏返らせた。まったくいつも通りの光景だった。こんな特別な夜でも。
皐月も終わりを迎えかけ、あと少しで水無月となる。盛夏になりかけた江戸は、それにふさわしいほどに暑くなりつつあった。
そんな月終わりに開かれるのは、大川の川開きである。
両国橋のたもとには西瓜など水菓子、砂糖で甘くした水、小さな小屋を掘っ立てた茶屋まで並んでいる。川には豪華な屋形船がゆらゆらと川面を朱に照らし、橋はびっしりと見物人で埋め尽くされている。
どどん!
腹の底に響くような音がして、真っ暗な空に橘色の光が散った。まるで、墨一面に塗った紙の上に、色の砂を撒いているようだ。
これほどの人が集まる理由、それはこの日に打ち上げられる花火だった。
花火はこの川開きから三月間、夏にしかあげられない。しかも高価であるために金を出す者がいなければ見られない珍しい風物詩だ。決まった日に、しかもひときわ盛大にあげられるのはこの川開きの日くらいだろう。
それをお祭り好きな鈴代が見逃すわけもない。
そういうわけで、わざわざ江戸を訪れ、そろって両国に繰り出したというわけだ。
「あんまりうろつかないでくださいよ。はぐれたら面倒なんで」
「「はーい」」
茶屋の床几に腰かけて威勢良く返事をする二人に、甘斗はため息をついた。立場が逆転しているような気がしてならないが、目の前で西瓜をかじりつくしているのは姉弟子の輪廻で、三つの子供がするように西瓜の種を飛ばしているのは師の鈴代である。
けれど、もう甘斗も慣れた。姉弟子も師も子供っぽいのも、師が女性に弱いのも、その面倒を見るのも、全ていつも通りのことだ。今さらどうとも思わない。
だが、いつからこれが当たり前になったのか。
少なくとも前は、当たり前ではなかったはずだ。その頃は鈴代とも輪廻とも知り合っておらず、ましてやこうやって世話をしているなどと考えもしなかった。
一発目の花火が上がってから、しんと辺りは静まり返っている。花火が上がるまで暗い夜空を見て待つのも風流、鈴代は来る前に自慢げにそう言っていた。こういうときだけ風流人の顔をする師に、甘斗は失笑で返した。
確か三か月前もこうやって真っ暗な夜空を見て歩いた。たったひとりで。
月も浮かばない空を見て甘斗は思い出していた。待つばかりの退屈さに任せ、ぼんやりと浮かんでくる。
あれは、初めて師に出会った時のことだった。