2話 紙袋さん登場
僕は監督にお世話になりましたと頭を下げた後、見送られて鉱山の入り口を後にした。仕事終わり後に体を休める間もなくの事だから、体は真っ黒で服も破れ放題。髪も五年伸ばしっぱなしで、破れた服の切れっ端で後ろで束ねてるだけという格好で頭陀袋を背負ってるとなれば、正直怪しいを通り越して不審者が真夜中に歩いてます、お巡りさんここです!と言われてもおかしくない。…とはいえ、周りには三十分も歩かないと監督やその他奴隷に関わりのない仕事の人向けの町というか、集落には辿り着かないから問題は無いらしい。
月明かりのおかげで暗さに慣れた目からすれば明るい一本道をだらだらと歩く。何年も同じ様に働き、疲れてはいても慣れているせいで極端に疲れ過ぎてはいない。とはいえ、いつも寝てる時間という事で眠気もして来ていて、道端で寝てしまいたい欲求に駆られる…と同時に、またこの生活に逆戻りになりそうな気がして堪えて重い体を引きずった。ホントトラウマだよ。
宿に泊まってサッパリしたい、との一心で動いていたものの、そもそも不審者にしか見えないこんなボロボロの人間が宿に入ろうとしても、断られるか鉱山から脱走したと疑われて拘束されるかな気がして来た僕は、一応頭陀袋の中にはこの世界に来た時の服、と言ってもジャンバーとジャージにスニーカーが入ってる事を思い出し、近辺に川か池でもないかと移動を始めた。
「ーー……!」
かすかな水音がそれなりの大きさの水音となり、川があると確信した僕は藪を掻き分けて清流、と表現が出来そうな僅かな広さの河原へと身を乗り出した。
そこに居たのは、月明かりの下河原に膝をついて体を拭う、全裸の女性だった。思わずその綺麗な姿に息を呑んだけれど、こういう場合ってそう、ラッキースケベとか言ってると死にそうな気がする…! 傍らには剣とかも置いてあるし。
あわわ、と慌てて林の中に戻ろうと僕は身を翻したけれど、その時点でもう遅かったらしい。ガシッと肩を掴まれたと思ったら首筋に刃物がピタリと当てられた。
「…状況的にワザとではなさそうだけど、それでも乙女の柔肌を見た罪はどう贖うつもりなのかな?」
「えっと、その、体を洗いたくて川を探してただけで、人が居るだなんて思ってもなくて…!」
「まぁ、覗いた訳でもなく、そのまま飛び出してきた様だからな。」
「そそそ、そうなんです!本当に綺麗だったんで、一瞬とはいえ見とれてしまって、すいませんでした!」
「なっ…!」
急激に緩んだ肩を掴む力に怪訝になった僕は、そっと顔を肩の手の方に向けたのだけれど、肩を掴んでいる手が真っ赤になっていた。一瞬、逃げた方がいいかもと思ったものの、この距離を一瞬で詰めて来た訳だしいくら褒め言葉に耐性が無かったとしても、すぐに彼女が我に返ってしまえば待っているのは『逃げた』という事実と、尚更に激おこプンプン丸になった彼女な様な気がした。そうとなれば、今も首筋に当てられている刃物で背中からプスッとされたりしてしまうんだろうなーと思った僕は、とりあえずそのまま待つ事にした。迂闊に振り返るときっとまだ裸ん坊なんだろうし。
実際にはほんの十秒かそこらだとは思うのだけれど、首筋に当てられている刃物が気になってずいぶん長い時間に思えた待ち時間も漸く終わりを迎えた。フリーズしてたっぽい彼女が再起動したのだ。
「き、き、き綺麗だと!?何を言うのだこの痴れ者が!」
「嘘じゃありません。本当に綺麗だと思いましたよ。貴女の歳とかはわからないので何とも言えませんけど、お付き合いした男性とかからは綺麗って言われませんでしたか?」
「な、な、な、何を!? 我にそんな事を言う男なぞ今迄一人も…! いや、我は何を口走っておるのだ…!!」
もしかして、チョロインさんなのだろうかと思ったけれど、そもそも僕自身そこまで口が上手い訳ではないというか、彼女とか出来たことがあった訳でもないからなぁ。クラスの女子とは友好的な関係は保てていたけどね。下手に褒めまくってもきっとボロを出しそうな気もするし、ここはさっさと服を着てもらって、落ち着いて話をするのがいいだろうと僕は口を開いた。
「あの、僕からは貴女の姿は見えないのですけれど、もしかしてまだ服は着てらっしゃらないです? 逃げたりしませんので、先ずは服を着て頂いて、それからお話をしませんか?」
「にゅわっ!?こここ、こっちを見るなよ!?」
川の流れる音に紛れてしゅるり、とかカチャカチャとか色々な音がするのを小耳に挟みつつ、僕は頭陀袋を足元に降ろすと掴まれた肩をほぐして一息吐いた。…物凄い力だったなー。それにしても、大きすぎず小さくない素敵なお胸様に流れる様な腰のくびれ、形の良いお尻…。綺麗な茶髪は腰まで伸びてた。顔は見えなかったけど、全体としてはすごいいい雰囲気だった。五年ぶりに見た女性だというのもあるかもしれないとかそんな事を思い出しながらウンウンと頷いていると、服を着終わったのだろう彼女がやってくる様な音がした。
「…ま、待たせたな。」
「振り向いてもいいですか?」
「ああ。問題ない。」
僕は頭陀袋を拾いながら彼女の方を振り返ると、そこにはなんというか、一言で言うと残念な女性が立っていた。要所要所にきちっと革鎧を着ていてもわかる抜群なスタイルで、髪も緩く背後で纏められている。目もとても涼やかで薄い唇から出る声もとても可愛い声をしているのだけれど、そのあまりに大きな団子っ鼻がすべてを台無しにしている。…紙袋さんだ、紙袋さん。なんで紙袋さんかは分かるでしょ?
先程裸を見られた上に綺麗と言われた事を気にしているのだろうか、心持ち顔が赤い彼女はキリッと、それで!とか言ってくるんだけど、その団子っ鼻がすべてをやっぱり台無しにしてると思う。
「お前、随分ボロボロな格好じゃないか? そういえばこの辺りには国の鉱山が…。」
「ええ、今日の仕事で年季が明けたので、街を目指してたんです。でもこの真っ黒でひどい格好じゃ脱走したんじゃないかとか怪しまれるかなと思って水場を探してたんです。」
「なるほどな。…ゴホン!」
おっと、説明しつつもついつい目線がお胸様に…。やっぱり女性は視線に敏感なんだなぁ。
「ということはだ、お主は今は無職なのか?」
「そうですねぇ、天涯孤独の無職、殺されて埋められても誰からも苦情も捜索依頼も出ない身ですよ。」
殺されて埋められても、の所に反応したのか紙袋さんは慌てて否定する。なんかカワイイぞ。鼻はダメだけど。
「そ、そんな事はしない!…ん?なんで笑ってるのだ。」
「いえ、慌てたりカワイイなと思いまして。」
「か、カワイイ…。」
口に出してから、あっと思ったものの時遅く。また暫くの間真っ赤になってフリーズする紙袋さんを僕は仕方ないなぁ、と待つ。ただ待っても勿体無いなぁ、と僕は鉱山で体を拭う為にもらって失敬したままの布を取り出して、体を拭いに行きたい旨をすぐに伝えられる様にして待つ事にした。無論、彼女が復帰するまで久々の女性だし、という事で眺めて癒される事も忘れない。…流石に視姦まで行くとアレなので、精々鼻以外をふつーに見るだけなんだけど。
「はっ!?」
「どうしました?」
「い、い、いや、何でもない。」
「そうですか。あの、所で体を拭いに行っても構いませんか?」
「え?あ、ああ。」
何か言いたげな紙袋さんを残して、僕は川岸まで近付くと、破れ放題のシャツとズボンを脱ぎ捨て、シャツを水に浸して一度洗い、その後は体を拭った。後ろでうひゃっ!とかいう声が聞こえた様な気もするけど、結果として覗いた件を有耶無耶に出来てたとすれば紙袋さんは僕が体を拭ってる間に居なくなるだろうし、と考えつつ、ついでにパンツも脱いで軽く洗い、局部も綺麗に拭いてからがっちり絞ってかなり水気の無くなったパンツをまた履いた。…紙袋さん、まだいるのか。また悲鳴が聞こえたけど。…よし。
「きゃあ、なんでみてるんですかー」
「えっ!?あっ!?んんっ!!」
振り向きざま棒読みで言ってみると、真っ赤になってこっちを見てたらしい紙袋さんが物凄く慌てて後ろを向いた。…うーん、おあいこで、とか言えないかなこれ。ちらっと見たとかでなくて、思いっきりガン見されてたと思うし。
体を拭い終わった僕は頭陀袋からこの世界に来た時に着ていた服を取り出して身に付ける。…って言ったって、白地のシャツに青のジャージ、靴下にスニーカー程度だけど。上着も一応トレーナーとジージャンがあるんだけどそれはそのまましまいっぱなし。あったかいからね。
僕は後ろを向いている彼女に近付くと、もういいですよ、と声を掛けた。
「あ、ああ。すまない。」
「よっぽどじっくり見てたんですね?」
「えっ、い、い、いやっ、ち、ちがっ!?」
「人の事は言えませんねー?」
「…すまない。謝る。」
「それじゃあお互い様という事で、いいですか?」
きょとん、と首を傾げた紙袋さんだったけれど、自分が見られた事に思い至ったのだろう、また真っ赤になった。
「じょ、じょせいのはだかとだな、だんせいのはだかではそ、それは」
「でもじっっっくり見てましたよね?僕はほんの一瞬ですよ。しかも不可抗力です。」
「ふぬ!?ぐぬぬぬ…。」
「それじゃあ、両成敗ってことでいいですね?僕、疲れてて寝たいので、街を目指したいのでこれで。」
ぐぬぬ、と俯いていた紙袋さんは僕が林に行こうと隣を抜けようとすると、がっ、と凄いスピードで腕を掴んできた。…スピードの割に痛くないけど。あれ?
「待て…。見た事はもういい。あ、あの…。」
なんかモジモジしてる様な感じの紙袋さんを見下ろすと、頭に旋毛があるのが見えた。僕は中学校の頃は百六十センチそこそこしか無かったんだけど、鉱山にいる間にメキメキと伸びてると思う。ダボダボで引き摺る様な感じだったジャージが少しつんつるてん、というか、短くなってたのだ。ひょろひょろだった体もいい具合に筋肉もついたしね。紙袋さんはブーツを履いてる状態で僕よりも十五センチくらいは低いんだよね。
そんな観察をしていると、意を決した様に紙袋さんは僕を見上げた。
「私の従者にならないか?」