第五十八話『ぐだぐだ』
――ズドドドドドッ!
「待った! 待ったって。言っちゃダメーー!」
「おわっ! わわわ、わーー!」
突然、背中にその声の主のものらしき、タックルを受け、何の準備もしていなかった僕は前向きにヘッドスライディング。突進してきたままに背中に倒れている。
「はははっ、やっと出てきた」
砂まみれの顔を上げると目の前にいたはずの優羅は平然と避けて、今はけらけらと笑っている。――気付いていたのなら、何か言ってほしかったのだけど。
「――きゅう……」
声の主は僕の背中に乗ったまま、目を回しているのか動こうとしない。このままでも仕方ないので、起き上がろうと地面に手を着くのだが、どうもムニュムニュするものが肘に当たる。――嫌な予感がするのに、動かないわけにはいかないのだ。
「にゅ? にゅふふふ……」
僕の背に乗った女性はその動きに反応してもぞもぞと動き、その度にムニュムニュとした感触がする。
「――これ、動けないよな……」
優羅と目が合うが、満面の笑みで楽しそうにこっちを見ている彼女はきっと助けてはくれない。
「はぁ、自分で何とかしないといけないのか……」
「うん、……ガンバレ! 私は見ていることしかできないけど、早くしないと、咲、起きちゃうよ」
「ふう……やっぱ他人事か……、って――ん、咲?
「はっはっは、他人事だねー、あ、うん咲だよ、あーそういやこれも言ってなかったか」
重さ的に成人女性ぐらいあるし、失礼な話、咲にはこれほどむにゅむにゅとしたものはなかったような、いやそもそも早くこの状況から抜け出さないといけないんだけど、いけないんだけど――くとむにゅむにゅする。
「うう……、ん……んっ? あ……あ。ん……」
なんか悶えてるし、声も無駄になまめかしい……。しかも、よく聞けば、声には聞き覚えがあって……、やっぱり上に乗っているのは咲なようだ……。
「ほれほれ……早くしないと起きちゃうよー。もしかして、読人の趣味?」
無駄に煽りまで聞こえてくる。
「四面楚歌というか、いやもういいけどさ……」
諦めつつ、前側から抜け出そうとここ見るが、咲の体重はうまく僕の上に乗っているらしく、咲自体も引きずられるようについてくる。
「……ううん、ん……、――ふえッ……え……なにこれ!」
ああっ、間に合わなかった。もとよりこうなる気はしてたけど……。
「ふわああ……ご、ごめん……はしたない……あっと、えっと、わーーー」
背中の上で混乱した咲が起き上がり、やっと未知の感触から解放される、しかしいまだ咲は背にまたがったままで、くねくねと不思議な動きをしている。
「どどど、読人がなんで、私の下にいるの……? まさか――無意識な内に……」
カァと余計真っ赤に顔が染まり、呻きながら手を振り回す。優羅はニヤニヤとそれをみていた。
「ちょ……暴れないでっ。腰に来る……、あーっ、やばいって重いって関節外れる……って……」
「ちょっと――そんなに重くないわよ……。そりゃこっちに来たから、元の年齢にもどっちゃったけど……」
「咲ー、読人が言いたいのはそんなことじゃないとおもうんだけど……」
重いというか……乗ってる場所がいろいろ……やばい……かも。
「んな……、優羅、もしかしなくても、はあ――、ずっと見てたわよねえ」
「んーとりあえず、その前に上から退いてあげたら? いやまあ、ずっと面白がって見てた私が言うのもなんだけど」
「え……、あっ、読人、ごめんっ!!」
飛び退いた咲が僕を引き起こそうとする、できればもっと早くそうしてほしかったが――今は逆に近くで見られると色々とまずい。むにゅむにゅと、腰の上で暴れられた後遺症があるわけで……、いやうん、生理的に仕方ないだけでやましいことはなにもないんだけど。
「いいっ、いい。自分で起き上がれるから」
彼女を手で制して、飛び起きる。――ただ腰が引けたままなのは仕方ない。精神を統一しつつ、ゆっくりと立ち上がる。
「ん……大丈夫、大丈夫。なんでもない……なんでもない」
自分に言い聞かせながらでないと危険極まりない。
「どくと~、『なんでもない』はないんじゃない? ちゃんと前見てる?」
優羅が言いたいことは分からないまま、前を見る。――咲と目が合うが、目に映るのは知らない女性だ。いやよくみるとどこか咲の面影はあるが、ほとんど別物にしか見えない
「……、えっと、咲だよな。ここまでの流れ通りだと」
目の前にいるのは、僕の頼りない記憶にある彼女には似ても似つかない女性の姿だ。
「ああああ、うん、そう、咲よ、咲。……ある意味で本当の、……ある意味で偽物だけど」
彼女はふふふと、笑った。
――『偽物』と言った彼女は……何を考えたのか、まだ分からなかった。
僕はまだ何も知らない。
今は、今の彼女が本来の姿であることだけを知っていればいい。
「そっか、それが……。なんていうか大人っぽい……というか、いや当たり前なんだろうけど、……なんていえばいいか」
彼女は背が高く、スタイルもいい。常の彼女からはあまり想像がつかない姿、それに見ているとムニュムニュを思い出してしまうから困ってしまう。
「どうしたの??? 顔真っ赤よ」
そう言って、僕を覗きこむ咲の顔は、真っ赤でなぜかうれしそうで、正直な話、その表情は反則だ。
その光景を優羅がそれ以上の素晴らしい笑顔で、ニヤニヤとこっちを見ている。
「な、なんでもない。うん、なんでもない」
「そう、それならいいんだけど。ふふっ、私が年上だってわかったでしょう」
そんな彼女を見ていると、なぜか心臓がドクッといつもより強く脈打った。
「えっと、今までも年上として扱っていたつもりなんだけど……」
咲は、そんなこと知らないとばかりに微笑み、僕の唇に人さし指を当て、ウインクする。
「そういうことじゃないのよ、そういうことじゃ……ね」
何を意味するのかわからないが、鼓動はもっと強くなった。
優羅が空気に耐えかねたのか、誤魔化すように笑い始める。
「――にゃははは、二人の世界を作るのもいいんだけど、できればTPOをわきまえてほしいかな。親友としては応援はしようとは思うけど……」
そして、ふにゃふにゃと笑っていた優羅が、まるで修羅のように鋭く微笑んだ。
「解ってる? いまはそんなときじゃないでしょう、ここに来た意味を忘れないでよ」
咲はぷるぷると頭を振り、一度深くうなずいた。
「はは、うんごめん、ん、もう大丈夫。――そうよね、先にやるべきことやっとかないと」
「そうそう、読人とはそれから好きにするといいよ」
せっかくまじめにしてたのに、優羅はまたふざけた様子でにやにや笑っていた。
「そんな勝手な……、俺にも自由がほしいんだけど」
今度は咲がむくれて、頬を膨らませた。目が『私とは嫌なの?』と明らかに告げている。
「うむ……うむう」
「ごほん、とにかく、それは後――、今はさっさと本題に入るわよ」
ぱんぱんと仕切りなおすように咲が手をたたいた。