第五十三話『日常』
「ふぁーあ、それにしても式って言葉がつくもんに、面白いもんはねえなあ」
入学式の会場である講堂の前で、特に誰かに向けるわけでもなく小さく一人愚痴った。
その言葉も知識であって、自分の経験ではないのだが。
「まだそんなこと言ってるの、そんなの言ってもしょうがないのに」
何も知らない流が、そんなことを言いながら、嗜めるように俺の手を引く。
「はいはい、さっさと行くわよ。もうはじまるんだから、急がないと」
「待てって、行くから、行くから引っ張んな。いや、だから――」
「そんなこと言っちゃって、はいはい、分かったから、行きましょうね」
資料の中でしか彼女を知らない僕は、照れながらもそのまま引きずられていく。
僕のそんな態度を、流が不思議に思わない。そんなわけがないのに。
半ば無理やりに引きづりこまれた講堂のステージでは、知らないオッサンがよくわからない言葉を垂れ流していた。
「なんでこんなしょうもないもんを長いこと聞かないといけないんだ?」
「いちいち口に出さないで、そんなのは頭ん中に留めるだけにして」
ボソっと小さな声だったのに、流に大きな声で怒られた。
何人かがこちらをジロリと見て、僕と目があって、たちまち皆が視線を反らす。
「やっぱ慣れないとその顔は怖いわね、昔はそうでもなかったのに。なんていうか、お子ちゃまが背伸びしてるみたいで、かわいかったのにねえ」
流がふふふと嫌味気に笑う。
今自分がその時代を知らないだけ、記憶を無くしていてよかったと思った。
「かわいいって……、変な奴だな。 ん……?」
ふいに流について書かれた書類にあった一文を思いだす。
『記憶を無くしてからの風見読人とは、ある程度距離があった』
そんな一文を思い出したのは、当然今の流がそうは見えなかったからで。
「読人……? どうしたの?」
考えている間にも、流の声が少し遠くで聞こえた。
疑問に答えを出そうするのだが。
「読人、読人ってば」
何度も名前を呼ばれては相手をせざるを得ない。
「んあ、なんでもない。ちょっと」
そう言うと、彼女はそれだけで納得したのか、ふうんと僕を呼ぶのをやめた。
ステージではいまだ同じおっさんが同じようなことを話している。
「これを時間の無駄遣いって言うんだろうな、もっと時間はうまく使えるはずなのに」
「まだ言ってるし……、だから、そんなの頭の中に留めとくだけにしなさいって、みんな思ってるけど言っちゃだめでしょ? それに――」
流はそこで言い淀む。
「それに……? それにどうした? 今なら聞いてやるぞ、ちょうど暇だしな」
そう冗談めかせて僕が笑っても、流はただため息をつく。
「いやあんた暇じゃないでしょ……、まあそれはいいにしても、ね……」
少し考えて彼女は口を開いた。
「……人生なんて暇つぶしなんだから、そんなに時間を気にしても仕方ないんじゃないかって、私が言いたかったのはそれだけよ。別に大したことなんてないわ」
大したことない、そう言う彼女の顔は言葉とは真逆で、でもそれもほんの一瞬。
「なんてね、たまにはこんなのもいいでしょ。ま、読人にはもったいないかもしれないけど」
彼女はそんなあからさまに誤魔化すセリフを言って笑う。
「お前、やっぱどこか変だ。なんなんだよそれ、それじゃまるで――」
僕の言葉を、彼女は無理に遮る。
「何不吉なこと言ってんの、勝手に変なこと言わないで。日頃の仕返しのつもり?」
僕の早とちりだったのか、彼女はこともなさげでその様子におかしなところはない。
それなのにどうして、こう――胸に詰まるのか?
「それもそうだ。悪いな、気のせいだったみたいだ」
でも僕に彼女に本当のことを話させる策は無いし、それの真偽を確かめるすべもなかった。
なんとなく居心地が悪くなって、ステージを見る。何人目かのおっさんがステージから降りるところ。
「新入生代表による宣誓、新入生は起立してください」
そのアナウンスで、座っていたほとんどの生徒がのろのろと立ち上がり、ステージには背の低い学生が上がった。
高い確率であの学生の成績が今年一番高かったのだろう。漠然とそんなことを考える。
「宣誓――」
声に聞き覚えがある。
でもそんなわけがない。
「――新入生代表、時宮咲」
でもそうだ。
「どうしたの? そんなに口をパクパクさせて……」
流も、僕の視線の先を見る。
「あの子がどうかした? 大学生にしてはちょっと、というか大分、ロリっぽいけど」
実際は大分どころではない。
『共通』を使えば、彼女が何者かなんて、すぐわかることで……。
しかし、『共通』を発動させても、彼女のそれは一般人のそれにしか見えない。
「そうか……、これがカードの――」
流が頭の上にハテナを浮かべている。
「いや、なんでもない」
そう返事すると、なぜか彼女はふてくされて、頬を膨らませる。
「なんか今日はそればっかり……、読人何か隠してるでしょう?」
「何かって、何だよ? ……何も隠してないし、隠すようなこともないぜ」
隠すのではなく、今はただ何も言えない。
「あ、もう校歌斉唱だ、校歌斉唱。歌わなきゃな、なあ、なっ」
無理がすぎたか、流は不審げにじろっと僕を睨むが、すぐあきらめたように、あらかじめ渡されていた校歌の歌詞を見て付き合い程度にぼそぼそと歌い始めた。
何を話したらいいか分からないまま、時間は経って入学式を終えて講堂の外に出る。
「ねえ、読人、……久しぶりというか、いきなりなんだけど、これから時間空いてる? ちょっと付き合ってほしいんだけど」
意味は違うのに言葉にどきりとする。
「あ、ああ。空いてるし…………つ、付き合うぞ」
それだけで、彼女は本当に嬉しそうに笑って、僕はどこへ行くか、その行方さえしらないままで彼女とともに校門を出た。
今回は比較的早めに投稿できました。次話も乞うご期待。