第五十一話『Re:』
彼女が話したのは彼女自身の過去で、僕の父の過去。
「そうか……」
僕は彼女の信用をそれだけ得ていて、それだけ傷付けたのか。
「今から話すことは『君』にとって残酷なことなのかもしれない」
僕にはやはりまだ、彼女を咲とは呼べない。僕はやはり昔の僕ではないから。
「でも話すことでしか与えることはできない」
彼女は僕の目を反らすことなく、真っ直ぐ見て、ただ不安に瞳は揺れていた。
「僕は本質的には記憶を無くす前と何も変わらない……そう思いたい、いやそう思ってる」
『僕の忘れた彼女の記憶に意味をあげる』なんて、考えが甘かったのかもしれない。
口に出す言葉と頭に浮かぶ言葉が相反する。
「でも君の話は、今の僕には自分以外の誰かの話にしか聞こえなかった」
彼女の顔が曇っていく。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「僕は僕で間違いないけど、でも僕は……昔の僕には戻れない」
「ッ……嘘つき……」
かすかに声をあげて、彼女は唇を噛む。
「違う、そうじゃない、僕が言いたいのは、僕は君ともう一度始めたいんだ」
気付けば僕は、そんなことを口走っていて、彼女は顔を真っ赤にして硬直していた。
「いや、そうでもなくて。いや今はまだってだけで、そりゃ先のことは分かんないけど」
顔に血が上ったのか、沸騰しそうに熱い。
とにかく床をバンッと叩いた。
「つまり、僕は君を何と呼べばいいのか? そんな簡単なことから始めたいんだ」
そうすれば、きっと君の記憶の意味も返せると思うから。
「……咲。時宮って読んだらダメ」
彼女は照れるのを誤魔化そうと真っ赤な顔で俯いている。
「それで咲、用事はそれで全部? それならさっきも言った通り、もう部屋に戻った方がいいと思うんだけど、もう結構な時間だし俺も眠いし」
「ああっでも、いままでのは個人的な用事で」
いままでと打って変わって、冗談めいた様子で申し訳なさそうに頭をかいた。
「まだ大元の目的には何も触れてなかったり……」
時計の針はもうてっぺんを過ぎている。特に体に異常がなかったとはいえ、入院していたせいで体力が落ちているのか、眠気でくらくらした。
「でも、今日話さなきゃいけないってわけではないし、今日はこれくらいにしようかしら。本題はまったくだけど、私はすっきり出来たし、そっちはいろいろ言われて頭もゴチャゴチャしてるでしょう」
そう言って笑う彼女に、これまでの様子はない。もしかした前のほうが扱いやすかったかもしれない。
どうせ気付いていても、僕は同じことをしただろうけど。
「そうね……今日はここまで。じゃオオカミさんに襲われる前に帰りますか。オオカミさんはロリコンかもしんないし」
彼女は笑いながら立ちあがる。
「ロリコンじゃないって。いや、ま、ロリコンかなんて関係なしに……」
冗談で言葉を濁すと彼女の顔は面白いくらいに真っ赤になった。
「ななな、何言ってんのよ。とにかく読人は今までのこと、良く整理しとくのよ。その書類もよく読んで」
そう言って部屋にある山を一つ指さす。
「その中に読人の過去をまとめたものが入っているから。優羅のいうとおり、記憶喪失なのは他じゃ内緒だから、ほかで漏らさないのよ。じゃそろそろ私は自分の部屋に戻るわ」
咲は後ろに向きかけて顔だけ向けて静止する。
「ああ、そういえば……どうでもいいことかもしれないけど、読人って自分のこと『僕』なんて呼んでいたかしら? さっきから僕だったり俺だったり、なんとなく変な感じがする」
「さあ、言われてもわかんない。自分のこともほとんど全部忘れてるし」
「それもそうか……。すこし気になっただけだから、どうってことないでしょ。じゃ改めてまた明日ね」
そうして彼女は部屋を出ていく。
今回はすこし文量が短いかもしれないですが、お許しを。次はもう少し長く書こうと思います。