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第四十二話『喪失』

 コツコツコツコツ…………。

 足音がいつもより耳障りに聞こえる。

 病室から離れることを、拒否している自分がいて、咲の喜んだ姿をやりきれなく思う自分がいる。それでも足は止まらず、どんどん離れていく、嘘はついていないと、すぐにボロの出る言い訳を、免罪符のように振りかざして。

「ははは」

 乾いた笑い声は反響することなく煙のように消えるのに、モヤモヤとして胸に溜まった何かは消えてくれなくて、足だけは止めずに歩く、それが約束。

 白く一際大きな扉の前で足を止める。この先に私を呼び出した人物がいる。

 話をしたことも、ましてや顔合わせたことも見たこともない、それが私の表側のスタンス。

 ならばなぜ呼ばれたのか、緊張したまま、呼び出しのボタンを押す。

 すこしの電子音がする。

「もしもし」

 年期のはいった男のその声には聞き覚えがある。でも誰か分からない。まだ自分の正体が明かせない以上、自然と緊張は張りつめた。

「……今日来るように言われた優羅だが」

「優羅さん……ですか?」

 男が電話の向こうで、ごにょごにょとなにかを相談するような声が聞こえた。

「もしもし……お待たせしました。すいませんが、優羅というの方はお呼びしていません。」

「確かに私のところに書類が届いていたのだが……」

 あまりにタイミングの良かった呼び出しに自分が勘違いしていただけなのだろうか。それでも呼び出されているのは自分である気がして、気付けば声に出していた。

「呼び出したの誰か、聞いてもいいか?」

 男は少し間を開けてから、こう話した。

「本当は話してはいけない決まりなのですが、書類が届いたのでしたら、もしかしたら何かあるのかも知れません。他言しないとお約束いただけるならお話します」

「他では絶対に言わない、約束する」

「それなら――お呼びしたのはスキャナという方です」

 それなら自分であっているはず、そして気づいた。

「……それは私だ。仕事上偽名をよく使うもので、最近は優羅と名乗っていたんだ」

 自分の失敗に嫌気がさす。失敗は名を間違えたことではない、優羅という名を知られたことだ。この名は過去の名に近すぎた。

「そうですか、間違いでなく安心しました」

「すまない……手間をかけた」

「いえいえ、なにはともあれ御足労ありがとうございます。本当なら呼び出す時に要件を伝えるべきでしょうが、それも出来ず、すいません」

「気にしなくて構わない。それでどこで何を話すんだ」

「はい、前置きが長くなってしまいましたが、すぐに扉を開けますから、真っ直ぐ進んで突きあたりの部屋に入ってください。そこなら話をしても問題ないはずですから」

 自分の正体に気付かれた様子はない。

 そして言われたその先には変哲もないドアがあった。

 扉を開ける動作がひどく大変に思える。これも『死を背負う』という決意のせい、今までの私なら、こんな呼び出しには応じなかった。自分の正体が明らかになるのを恐れて、それを隠す私でよかったのだ。

 でも今の私はもう、それではいけない。

 責任を背負うと決めたのなら、その対象として私はそこにいなくてはならない、恨む者には恨まれなくてはならない。それは煩わしい、それでも後悔無かった。

 だからこそ私は勢いよく扉を開いた。


 目を開く、いつもより世界が眩しくて、世界はいつもよりゆるやかに像を結んでいた、その何でもない光景に強い既視感を覚える。

 僕は現実感を求めるようにして自分の世界を見回した。

「ここは病院か?」

 もれた言葉に返答はない、部屋には誰もいなかった。

 自分はどうしてここにいるのかそんなことをぼーっと考えていると

「目が覚めたのか!」

 誰かが肩を掴んで強く揺さぶった

 目の前には銀色の前髪、次に銀色の瞳があった。

 彼女は本当にうれしそうに笑っていた。

 悪い気はしない、それだけ変な気分だった。

 笑顔のわけがわからない、だからただ困惑するしかなかった。

「……君は誰?」

 だから、そう口に出した、それしか方法はないように思えたから。

 銀はぴたりと止まって、突っ立ったまま揺れながら瞳に悲しい色を浮かべた。

 僕は「やってしまった」と呟く。

 その言葉をなぜか懐かしく思った。

 彼女は目に浮かんだ涙を振り切って、

「優羅だ」

 とそれだけを告げて、そして僕に問う。

 その姿はなぜか誓うようにみえた。

「なら君は誰だ?」

「風見……風見読人」

 ただ当たり前に答えた。

 迷うようなことではないのに、彼女は瞳孔を大きく開いてあからさまに困惑している。

 そして僕はただ固まるだけで、茫然と彼女を見つめていた。

 見知らぬ彼女は、僕を見て笑った。

「ふふ……確かに君は読人なのだな」

 その笑顔は誤魔化したものではなく、あまりにも真実で、だから余計に分からなくなる。

「そうだな……悩んでも仕方ない、要するに私とは初対面なのだな?」

 優羅という女性は今度は冷静にそう言った。

 黙って僕がうなづくと、深く考えるような動作をして、彼女はポケットから一枚の写真を取り出した。

「じゃあこの子は……?」

 写真には青い着物を着た、小学生くらい年齢の女の子が映っている。やはりその子にも見覚えは無い

「……知らない、な。この子がどうかしたのか? そもそも君すら名前しか知らないんだけど」

 わけのわからない質問に無性にイライラする。

「とにかく、あとで説明するから今は答えてくれ。なら両親の名前は分かるか?」

「ん、それくらいなら……」

 初めて僕は、自分の異常に気付く。

 知っているはずなのに頭には何も浮かばない。

 知らないところに目隠しで連れられてきたような。

「父さん、母さん?」

 中身のない言葉は口に出してもなにも変わらない。よく考えれば家族どころか、誰も思い浮かばなかった。自分の中を流れる血がいつもより冷たく感じて、不安がどこかから溢れた。

「やはり……」

 納得したように彼女は呟いた。

「俺は一体……?」

 いくら考えても何も浮かばない。

「君は何を?」

 側に立つ彼女の肩を強く掴んだ。

「私も君のことは少ししか知らない。君の人生の内のたった少ししか知らない」

 彼女は冷たく言って、肩にかけた僕の手を払った。

「でも調べることは、少しのことなら教えることもできる」

 笑って、払った僕の手を握った。自分の行動がひどく幼稚に思えた。

「ごめん」

「そう気にするな、君の気持ちもわかる。だからこそ順番に、冷静に、だ」

 僕の顔を見て彼女はうなずく。

「あくまで私の見解にはなるのだが、君は普通の記憶喪失では無い。私は医師ではないが、能力の都合上、脳の仕組みについては少し詳しい。それに君がこうなった経緯にもかかわっている以上これは間違いない」

 そして彼女は厳しい顔をした。

「その上で酷なことだとわかっていて言う。、記憶喪失のことはできるだけ隠してほしい、これは君自身の為だ。別に全員に隠せというわけではなく、人を選べということだ」

 彼女が自分のことを真剣に考えてくれることはなんとなく伝わって来た。

「……君が寝てる間に私も知ったばかりなのだが、君の立場は今、相当に悪い」

 僕の目を貫くようにを真っ直ぐにみる。

「今はまだ私には信じてほしいとしか言えない。君の本質を私は語るべきではないのだから。私は絶対に君を守る、何があっても君の味方だ。これだけは絶対だだから……信じてほしい」

 彼女の顔はなぜか悲しそうに見えて、その言葉はなぜか信じるべきものに見えた。

「……やっぱり君のことは知っているのかも」

 僕は無理に笑う。

「……? 君は私の名すら知らないのだろう?」

「それはそうだけど……。でもさ、よく考えたらそれは知らないってより、散らばっているような気がする。なんて言えばいいのかはよくわかんないんだけど」

「そうか、――」

 俯いて表情は分からない、その小さな声は僕の耳に「ありがとう」と聞こえた。

 顔をあげた彼女の目は赤く、ごまかすように立ち上がった。

「じゃあ今日はここまでだ、これから写真の子の見舞いにも行くからな。まだ起きたばかりだ、いきなり深い話をするのは負担が重いだろう」

「うーんあんま鈍ってる感じはないけど」

 肩をぐるぐる回すと、関節がポキッと音を鳴らした。

「やっぱ鈍ってるのかも。あ、あとあの写真の子も俺の知り合いなんだよな?」

「……ああそうだ。彼女と君はまだ会って間もないが、それでももし、君が私の思う君なら、その期間以上に彼女は信頼していただろうし、君は彼女を信頼していたのだろうな。きっと今のおまえも私が知っている読人と同じなのだろうが」

 僕に目配せするように彼女は笑った。

「そうか」

 なにも思い出せない僕にはそれしか言えない、笑顔ににはまだ応えられそうにない。

「……ゆっくり思い出せばいい。明日から本格的に始めるから、今日はきっちりと休むといい」

「……」

 何も言えないが、とにかく彼女に責任をなすりつけようとしたことに申し訳なく思った。

「今はまだ話せないが、全部私の責任だ、気にするな。ただ今はまだ待ってほしい、いつかそのことも――」

 表情が曇ったのも一瞬だけで。

「じゃあまた明日――」

 彼女は手をひらひらと振りながら、病室から出て行った。

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