第三十一話『矛盾の先』
九時五十分、僕はリビング?でスキャナを待っていた。
約束どおり動きやすい服装をしている。着ているのは高校の体操服、運動部に入ったことのない僕の思いつく、動きやすい服装といえばこれだ。なぜ運動部の生徒はわざわざ、部活に行く時に体操服以外のジャージを着るのだろうかと疑問に思ったことがあるが、その疑問の答えが今頃わかる、この服装、体育以外の時間だとものすごく恥ずかしい。
やっぱり着替えてこようかと腰を浮かせたとき、廊下へのドアが開いた。
「あれ、スキャナがみるんじゃなかったのか? 別に強くなれるなら、それでもいいけどさ」
そこには咲が立っていた。
「私じゃできないわ。スキャナに頼まれて、貴方を呼びに来たのよ。ここじゃいろいろ問題があるから部屋を変えるわ。だからついて来て」
彼女は振り返り歩き始める。ドアから出ると、真正面の和室の扉に嫌でも目が行った。コージとともに話を聞いた日がすごく懐かしく、遠いことのように思えるのは、それだけ今が、そのときと違うからか。ただ今は感傷に浸っている場合じゃない。慌てて咲を追った。
彼女は右に曲がってすぐの廊下の突き当たりに立っていた。何が嬉しいのか、僕と目が合うとと大きく手を振った。
「うん、行き止まりだ、こんなところで何してるんだ。スキャナが待っているんだろう?」
「きちんと説明はするわよ、でもその前に……やっぱ驚かしてみたいじゃない?」
それだけ言うと、彼女は白い壁に手を押しつける。手は沼に沈むように、ズブズブと壁に飲み込まれていく。軽いホラー映像なのだが、咲が始終笑顔であるため、目をそらさずにいれた、手首まで沈むと、そこを始点にして、白い壁が真っ二つに割れ始める。壁は三秒としないうちに消えて見えなくなった。
その先にはまた扉。それはデパートよりも、アパートにあるようなむき出しのエレベータの扉。
「どう驚いた?」
彼女はエレベータのボタンを押す。彼女がしたり顔を浮かべているのだ、きっと僕は驚いた顔をしているのだろう。思惑通りってのは少し癪だけど、認めるしかない。
「……驚いた。あの壁何でできてるんだ?」
「さあ? 未確認物質の新素材らしいけど、よくは知らないわ」
「知らないのによく手を突っ込めるな……」
「でも突っ込まないと開かないわけだしね。静脈認証も兼ねてるって話らしいし。でも読人もこの家に住む以上、白い壁には手を突っ込めるようになってもらわないと」
「それは必須?」
「まっ、そういうことよね」
露骨に嫌がっている僕を見るのが嬉しいのか、咲は満面の笑みである。
「心の準備はしておくけど、やっぱ嫌だよな。それでこのエレベータの先にスキャナがいるのか?」
「ん、正解。で、これから行くわけだけど……」
チンと音がしてエレベータが開くと、咲は言葉を遮って乗り込んだ。
どうしてエレベータに待たれていると焦るのか、僕も急いでエレベータに乗り込んだ。
すぐに扉は閉まり、地下へとエレベータは落ちて行く。
「えっと、いつものスキャナだとは思わない方がいいわよ」
「どういうこと……? って言うだろうけど、こればっかりは会ってもらわないと……ね、とりあえず心構えだけしといてよ」
咲は疲れた表情を浮かべる。
「しかたないけど、私は正直あのスキャナには会いたくないのよね」
チンと鳴って、再びエレベータの扉が開く。
もう民家を装う必要がないからか、その先は病院のようだった。壁、天井、床、すべてが真っ白で、扉が二つずつ、計四つ向かい合って並んでいる。
そのひとつに咲が入っていく、僕も付いて入るが、そこからはまた様子が変わった。床は板張りになり、壁は木でできている、漫画にでてくるような道場だった。
「ここは?」
「まあ、見たとおり道場よね。違いはイマイチよくわかんないけど、一応ここは剣道場らしいわよ。スキャナの希望で作られたらしいんだけど、『普通』の民家に道場があったら目立つでしょ、だから地下になったって」
「ほえー、また金のかかることを、その一割でもほしいもんだが」
「案外そうでもないのよ。いずれは読人にも教えるけど、もともとここには地下の機関が必要だったから、そのついでみたいなものだし。ま、普通の感覚でいったら、ものすごい大金には間違いないんだけどね」
そう言ってニコッとかわいらしく微笑んだ。
……その笑顔はずるいと思う。それだけでどんな理由だって、まあいいかって思えてしまうのだから。この気持ちは何だろう、俺は咲のことが好きなのだろうか? 昔の自分ならもっとはっきりしていた気がする。好きだとか大切だとか、いつのまにかよくわからなくなった。
そんな自分を打ち消すように、現実に逃げた。
「んで肝心のスキャナは? 見た感じどこにもいないけど」
「ほんとね、ここに連れて来てって言われたから、そこらにいると思うけど、もしかしたら更衣室で着替えているんじゃない? とにかく待ちましょうよ」
咲は床にペタンと座る。僕も彼女に合わせて、隣に胡坐をかいて座った。
「……そういや今何時? 前の金髪のゴダゴダでケータイ壊れちゃってさ」
彼女はごそごそと服の袂に手をいれて、懐中時計を取り出した。
「今は……十時ちょうどね。もうスキャナったら何してるのかしら、もう集合時間来ちゃってるのに」
「なあ咲?」
「読人も思うよね。スキャナったら、いつも遅れるんだから」
「いつも遅れるかどうかは知らないけどさ、その懐中時計……」
「ん、これ?」
チェーンを持って、それをぶらぶらさせる。
「ああ、なんとなく気になってな。高級そうに見えるし、それに懐中時計って最近、あまり見ないし」
「そうかしら……まあそういえば、そうかもね。携帯電話があれば時計なんて無くても困らないし、懐中時計より腕時計の方が圧倒的に多いし。でも、そう高いものじゃないわよ。一万ちょっとだったかしら」
「じゃあ物持ちがいいんだな。俺はよく物を無くすから、うらやましい」
「そうかしら、でも物持ちがいいってのとはちょっと違うかな……」
それだけ言うと彼女は黙って俯いた。
――空気が重い。
そのとき、がらがらと音を立てて更衣室の引き戸が開く。
出て来たのは当然スキャナである、ただいつもと様子が違っていた。
魔術士のような不可思議な服装は、道着に変わり、銀色の髪は一本にまとめて、後ろに垂らして、右手には竹刀を持っていた。
しかしその服装より異様なのは、その身にまとうその空気だった。空気に色があるなら、薄いピンク色だったものが、今では銀色である。しかも、刀身のような銀だった。
同色の瞳には何の感情も浮かんでいない。
咲が『いつものスキャナとは思わない方がいい』そう言った理由がよくわかる。これがスキャナだなんて、口で言われても絶対に信用しない。見てやっと理解できるのだ、彼女はスキャナであるがスキャナではない、そんな矛盾を。
「読人、遅れてすまない。準備に手間取ってな」
いつものへにゃへにゃした怪しい日本語ではなく、流麗な日本語でスキャナは話し、僕の隣に正座した。
「それで、強くなりたいとは本当か? そうなら君は変わっている、本当に変わっている。ああ内容は咲に聞いたのだが、あんなことがあれば、普通は逃げよう、離れようと思うのが常なのだがな」
「そうか? お前の方が変わってると思うぞ、一体どういう仕組みだ。でもお前はスキャナなんだろ?」
「ああそうだ、しかし咲から聞いていないのか? 説明しておいてくれと言ったのだが」
スキャナがちらっと咲に目をやる。
「仕方ないじゃない。いつもの貴方しか知らない読人が、今の貴方を信じると思う」
「ま、それもそうか。なら本題に入る前にそこから始めようか」
「当たり前なのだが、いつものスキャナも今の私も、存在としては同一だ。すこしややこしいが、私のことは修羅と呼んでくれ。カタカナの名はどうも性に合わんものでな。持っている知識も能力も一緒なのだが、どうやら二人で引き出せる知識の領域が違うみたいでな。こういう風に話し方や振る舞いも違うのだ」
「一応補足しとくわね。修羅は分かりやすいんだけど、大雑把だから」
「うむ、それは間違いない」
「見栄を切られても困るんだけど。まあいいわ、貴方達ついてはプライバシーに深く関わらない程度に説明しようと思うんだけど、どうかしら」
「ん、私は構わん、続けてくれ」
「ざっくりいうと、彼女はスキャナの『個人』の作用によって生まれた疑似人格なのよ。『もう一つの未来』の名を持つその『個人』は、スキャナの現実を選択の積み重ねと考えた時に、捨てた選択のうち一つを拾い上げて、新たに構築したの。それが彼女の『個人』である限り、どこかでそれを望んでいたのでしょうね。それで、それが修羅ってわけ」
「……つまり、こいつは過去に違う選択をしたスキャナってことか?」
「まとめると、そういうことだな」
答えたのは修羅。
「でもどれだけ異なった選択をすれば、こんなに変わるんだ。スキャナと修羅なんて真逆みたいなもんだろ?」
「二人とも、聞かれることを望んでないみたいだから、私の口からは言えない。けどね、現実ってのは、少しの違いで大きく変わるものよ。結果なんて終わって初めてわかるものなんだから」
真剣な顔で咲は言う。
そういえば、少し前に見た流の涙、あの時それを止められたなら、今は変わっていたのだろうか。もし、流に電話番号を聞いていたら、二人の関係をもっと深く考えていたら、涙は止められたのか。選択とはそういうことなのだろう。
「うん、なんとなくわかる」
「そう……貴方なら分かると思った。どうしてそう思ったかは分からないけどね」
それは過信だと思うが。
「私の話はそんなものでいいだろう。あとは『もう一つの未来』の発動条件が武器を持つことってことくらい知っといてくれ。知らないとただ私が竹刀を持っているヘンな奴にしか見えないからな」
「じゃ君の話に戻るぞ。えーああ、私が言いたかったのは、君がおかしいってことだ。そこまでは言っただろう。ただ巻き込まれただけの奴は逃げだすってのが普通なんだよ。しかし、君は守るつもりだろう? 咲にしても、他にしても……、それを選ぶってことがもう異常なんだよ」
何も間違えていないと私はすべて正しいと、修羅は胸を張って言う。それがどうしてか、ムカついて見えた。
「強くなることに何の関係があるんだ? それに皆が皆、逃げ出すとは限らないだろう?」
自分の声が一段と大きくなった。
「そうだな、だが人は自分がかわいい。どんなやつでも、最後の最後には自分の安全を考えるものだ。そうしない奴は、望みにあった力を持っているか、周りが見えていない、逃げだすこともできない、そんな奴だけだ。それにな、それが普通だ」
あくまで平静に事実を伝えるだけといった様子で修羅は話す。
「普通ってなんだよ」
溜まった苛立ちを隠そうとも思わなかった。
「常識だよ。いわば暗黙の了解って言うのだろうな、無意識に人はそれを守る。しかしたまに守らないやつもいる、そいつは、弱き世界からはみ出すことになる」
「……」
修羅の言葉を頭の中で反芻し、すこしだけ冷静に戻った。しかし彼女の意図がつかめない。
「君ははみ出し者だ」
「……」
「弱き世界のはみ出し者」
修羅は無情に言葉を突き付けてくる。
「……それは違う。それは修羅、お前が決め付けたことだろう? 弱き者にも自分を賭けても守りたいものはあるだろう」
「それは甘い。弱き者は本当の恐怖の前じゃそんなことはできない。行動を起こせる奴ははやはり強き者だ。それに君は他人とあまりにかけ離れている。君の言う答えは全て、チカラを持つ者のそれだよ。『それは精神的に強いだけだ』そんな言い訳は超越者には通じない、超越者は精神を強さに変えられるのだから」
返した言葉が完膚無きままに潰される。
「でも、俺がチカラなんて持っているわけないだろう? 持っていたら強くなりたいと願わない」
「わかっているじゃないか、そう君がチカラを持っていないこと、それがすべてに矛盾してる」
「何が言いたい?」
声には苛立ちが籠っていた。
「もう気づいているんだろう? 君は始めから持っているんだ、チカラをその手に」
その言葉が耳に入り、鼓膜を震わせ、信号に代わって脳に伝わる。それを心が受け止めたとき、視界がぐにゃりと歪に歪んだ。
「なぜ忘れた、チカラを持っていた過去を」
オモイダスナ。
「なぜ捨てた、強き自分を。」
ココロノカラニ、ヒビガデキル。
「なぜ望む、強き自分を」
ココロガコワレル。
「なぜ求める、守ることを」
スキマカラ、フキデル。
「なぜ」
噴き出た者に塗りつぶされて、今が消えて過去が成った。
三十一話、三回くらい書き直しました。それでも結構ごたごたしてます。『読人はどうなるのか、修羅の言動の意図はどこに?』それが次にテーマですけど、ぶっちゃけ考えなしです。ではまた次話で会いましょう。