第二十九話『鈍感だけど……』
「そういうことでいいわよね、まっ始めから拒否権なんてないんだけど……、それより突っ立ってないで座ったらどう?」
言いながら自分の隣の席を引く、勧められるままその席に着いた。
「ドクトもたべれば〜? まだまだいっぱいあるし」
スキャナが使っていない皿を回してくれる。案外しっかりしてるんだなと少し感動したが、それが先入観から来るものだと気づいて、咲と買い物に行ったときの反省を早くも忘れかけている自分に嫌悪感を抱いた。
「そ、そうか、じゃあもらおうかな……」
目についたパンを手に取って、千切って口に運ぶ。頭の中はパンのことより、勝手な嫌悪感でいっぱいで、それを顔に出さないことで精いっぱいだった。
「そこらにあるジャムは適当に使っていいから。もう同居人なんだし、遠慮なんてしないで。自分の家だと思ってふるまっってちょうだい。それで、コーヒーと紅茶どっちがいい」
言うが早く、彼女は立ち上がり、それを追いかけるように僕も立ち上がった。
「いいよいいよ、場所さえ教えてくれれば、自分でやるし」
「ダメダメ、私がやるの。それでどっち? さっさとどっちにするか言ってくれるとうれしんだけど」
ふっふっふとよく分からない笑みを浮かべて、咲は言う。仕事を譲る気は全くないみたいである。
「でもなんで、そんなにやりたがるんだ? とりあえずコーヒーでお願いするけど……」
しかし彼女は何も答えないで、ほほを膨らませながら台所の奥へとへ歩いていった。
「だめだよう、ドクト〜。それはサキのしごとなんだから、それとっちゃったらサキもおこるよ」
けらけらとスキャナが笑う。
「咲の仕事?」
「そっ、きょうはぜんぶ、サキがするんだって」
「なんで、スキャナはしないのか? てか俺も手伝った方がいいのかな」
続きパンをちぎって口に運ぶ。
「ん〜どうだろうね。なにもせず、すわってたらいいんじゃない。いいだしたのは、サキだし、なんかはりきってるみたいだしね。そのかわり、きちんと『ありがとう』っていうんだよ」
やはりけらけらと笑うが、少しだけ険しい顔も浮かべた。
「でもぜったいに、なかしちゃだめだからね。なかしたら……realにハリセンボンだよ」
リアルに針千本って何? 飲まされるの、もしかして。
「いわれなくても、お礼は言うけど、泣かすって、俺が彼女をか? そんなことあるわけないだろ? 泣かそうと思っても泣かせないよ」
「あはは、サキのいうとおりみたい、ほんとにどんかんだね、ドクトは。そのせいで、おんなのこ、なかしたことあるでしょ」
いじわるそうに、にやにやとスキャナが笑う。
「そんなこと……」
『ないよ』と言おうとして、言葉より早く、浮かんだのは流の泣き顔だった。でも、今でも彼女の泣き顔の理由は分からない。だが、そのとき初めて漠然と彼女を泣かせたのが、自分が鈍感なせいだと気づいた、ただ何を見逃して彼女を泣かせたのか、鈍感な僕にはわからなかった。
「ん、いい、こたえなくていい。すこしいぢわるだったよね、ごめんごめん」
彼女自分の頭を軽く叩いた。
「でもさ、ひていしないってことはさ、そういうことなんだよね?」
ただ叩いただけで反省はしてなかったみたいである。
「……」
人気を感じて振り向くと、手にコーヒーを持って咲が立っていた。いつからそこに立っていたのかはわからないが、彼女は引きつった表情をしていた。
「楽しそうに、何話してるの?」
コーヒーを机に置いたとき、ダンと重い、打ちつけるような音がする。スキャナはなぜか飛びっきりの笑顔を浮かべて、僕の方を見ていた。
鈍感な僕にもわかる、咲は怒っていらっしゃる。それがどうしてなのか、僕にはわからない、だけど謝るのも違う気がして、僕は言うべきことを言う。
「んっコーヒーありがと。やっぱり手伝った方が良かったか?」
咲は少しバツの悪そうな顔をした後、
「『ありがと』……だって」
小声だけど、聞こえてしまうほどの大きさで嬉しそうに呟いて、咲は元の席に着く。
いったいどうしたのだろう? 機嫌を直してくれた以上、追及はしないけど、僕の言葉がどこかおかしかったのだろうか?。
「ごめん、すこし手が滑っただけよ。それに言ったでしょ、『私がやるの』って」
今度も普通に聞こえる大きさの声だった、ただし咲の中ではさっきの声は聞こえていないことになっているらしい。
それに『手が滑った』ってのも嘘だ、僕にでもそれくらいは分かる。何をその嘘で隠したのかは分からないが、聞かないほうがいいのだろう。
「ドクトも、やるねえ!」
ただ一言、スキャナがよくわからないことをいうと、咲の顔が赤くなった。彼女の機嫌はもう悪くないようだけど、僕は何も言わずパンにジャムを塗りたくって口に運んだ。
咲は赤くなった顔をごまかすようにうつむいて、スキャナはそれをみて「やりすぎた……」とだけつぶやいて黙った。そして僕は黙々とパンを食べる。何を口に出したらいいか分からず、へたに手を出して、再び咲の怒りを招くことは避けたかった。そしてその沈黙は朝食は終了するまで続いた。
食べ終わって少ししても、誰も席を立たない、三人とも席を立つタイミングを見失っていた。
そんな中で、ようやく普通の顔色に戻った咲が、意を決した様子で僕をまっすぐ見据えていた。それに気付いて、僕も咲の方を向く、二人の距離は近く、彼女の顔を直視すると緊張して、話せなくなりそうなくらい。
「さっき、もう『同居人』って言っちゃったけど、実際はキチンと聞いてなかったわよね?」
それはとても緊張した声だった。彼女もこの距離に緊張しているのだろうか? と的外れなことを僕は思う。
「ん、どういうこと?」
「だから一緒に暮らすって聞いたでしょ、もう何回目よ」
その後少しだけ間隔を開けて、
「私だって恥ずかしいんだから」
と小声で言って、また顔を赤くして俯く。
「はいはい。あったね、そんな話」
「だから答えは?」
答えは分かっているはずなのに、終始緊張した声。なかなか答えないのも彼女をいじめているような気分になって、慌てて答える。こんなことで泣かれたらたまらない、もう誰も泣かせないって誓ったのに。
「わかった。一緒に暮らそう、いや一緒に暮らしてくれませんか? かな」
「ほう、ドクトやっぱやるね。そのえみに、サキはメロメロだよ」
そんなわけない、僕は笑っていないし、咲は僕のことをどうとも思っていない。
しかし、手に取ったコーヒーにうっすらと映った自分の顔はどう見ても、どこか振り切れたようなすっきりとした笑みを浮かべていた。
スキャナの言うとおり、僕は鈍感なようだ。ならもしかして、咲は僕を――。しかしそれはただの戯言、そんな現実があるものか。
そんな勝手な妄想をめぐらせている間に、咲は答えに納得したようで食器を一つにまとめ、台所へ片づけに行こうとしている。それを見て、僕は何も考えず彼女を呼び止めた。
「ちょっと待って、まだ話終わってないから」
呼びとめたならば、話さなければならない、そんなことすら頭になかった。
少しだらだらと長くなってしまったかなと思う29話でした。今回のテーマ咲の感情っていったところでしょうか? 相変わらず鈍感な読人君は気づかないみたいですが、案外みんなそんなもののような気がします。僕の勝手な想像ですけどね。