第二十五話『夜明け』
「……ううん」
気がつくと、僕は見たことのない暗い部屋で布団に寝かされていた。
「いっっ」
痛みの元には濡れたタオルがあった。「いったい誰が?」とどこかで思ったが、それも深く考
えず、タオルをはぎ取って起き上がる、体のどこでミシミシと音がしたがそれすらどうでもよかった。それよりも――
ここはどこで、どうして僕は寝ていたのか?
頭に急激に血が回り、記憶が早送りで押し寄せる。
金髪の男。諦めた自分。咲の犠牲。聞こえた声。
そして自分は――。それに咲……咲はどうしたのか?
「ははは」
自分が無事なのだ、それなら――咲は……。
頭は今もガンガンと痛い、それでも体から布団を引き剥がして立ち上がろうともがいた、それはまるで何かを否定するようだった。
しかし、おかしいのは頭だけではないのか、体中からべきべきと悲鳴があがる、それも無視して完全に立ち上がって、前を向いて歩き始める。
思うとおりに体は動かなくとも、壁に寄りかかり、ずるずると進むことはできた。
一心不乱に歩く、ドアを目指して、公園を目指して、咲を目指して。
意識は前に向けて歩いていた。しかし体からは力が抜けていった、ダムが崩れるのは一瞬のことで、倒れていく自分が見えた。体はもう自分のものではないようだ。
それでも、「行かなくちゃ」その気持ちだけで這って進んだ、もう立ち上がる力もない。
ダンダンダンダンッ
誰かの足音が聞こえる。
行かなくちゃ、行かなきゃならないのに、体はもう動いてくれない。
ドアが開いた。
そこにいたのは
「何してんのよ、貴方。寝てなくちゃダメでしょ」
聞こえた声は
「何をぽかんとしてるの? 貴方をここまで運ぶの、大変だったんだから」
――咲だった。
「はいはい、ぼーっとしてないで、まだ寝ていないと」
「……」
出てくる涙は止められそうになく、心は喜びに震えて、体に残る痛みだけが現実感を保っていた。僕は、このときまだ知らなかった、この喜びがどこから来るものなのかを、どこに繋がっていくものなのかを。
それでも涙を知られたくなくて、そのうえ轟くような喜びも見せたなくて、目を強く擦り、そしてほんの少しだけ笑った。前者は男としてのくだらない誇りで、後者はただの強がりだった。 それでも笑ったのは我慢できなかったから、割合として百分の一のほんの少し、ほんの少しだけの笑顔だった。
「悪い、体が動きそうにない」
そして、どうにか出てきた言葉はそれだけだった。
「もーー! ならなんで、そんな体で動こうとすんのよ」
ガオ―といった様子で両手を振り上げて咲が怒る。その姿もどこか嬉しい。
「だって……心配だったから」
途端に咲はしゅんと縮こまり、黙り込んだ。その反応は何なのか? 僕にはわからない。
けれど聞きたいことはたくさんある。
「いったいどうなっている? 二人とも連れていかれて、ここが敵の本拠地とかそんあオチじゃあないよな?」
「ないない、ここは私の部屋よ。倒れた貴方を運びこむところが他になかったから」
そう言われると、なんとなくいい匂いがする。
ぼーっとそんなことを考えていると、咲は僕の服を掴んでずるずると元居た場所へと引きずっていった。なんとも恥ずかしいが、体が動かないのだから仕方ない。それに壁に転がったままにされているのも、なんだかなあといった感じである。
移動が終わると咲は傍に座り、何か言いたそうにじっと僕を見つめていた、しかしいくら待っても何も言わない。それは言わないというより、言えないように見えた。
ずっと待つわけにはいかなかった、体は重く鉛のようで、いつまた意識が飛ぶかわからない。それに純粋に今の状況はわけがわからなかった。
「それじゃ咲も連れていかれていないし、僕も殺されていない?」
理解できないといった気持から僕が首をかしげると、咲はなぜか悩みこんだ。
「あったことをそのまま教えてくれれば、それでいいんだけど」
「うーーん、その前に貴方はどこまで覚えてるの?」
咲が上目づかいで見つめてくる。なんか照れくさく恥ずかしいが、それでも頭ではしっかり考える。
「俺……?」
覚えていることは一つしかなかった。
「テメエに従え」
その言葉だけ。
「は、何それ?」
咲は目を丸くしていた。
「いやなんだろう?」
でもだれかが覚えておけって
「なんでもない……気にしないでくれ、でもそうだと、羽交い絞めにされて、咲がこっちに歩いて来ているところまでかな。そういや、もうあんなことはもうやめてくれよ」
「あんなこと?」
なにが悪いの? とそんな顔を咲は浮かべていた。
「人のために犠牲になるとかそんなことだよ。助けてもらっておいて言えた義理でもないけど。
君の命は君のものだろう?」
当たり前のことなのに、それが分かっていないのか。
「じゃあ私の命なんだから、いいじゃない」
そう言って咲は当然といった顔を浮かべた。
「でも、だめだ」
どうしても、その考えは僕には納得できない。
「どうして? 貴方が言ったのでしょう、『君の命は君のものだ』って」
純真な瞳で尋ねられると、大した理由もなくて、返答に困る。
結局感情論なんだ、彼女に傷付いてほしくないからダメなんだ。
でもそれをどう伝えればいいのか、それがわからない。
むしゃくしゃする、髪をぐじゃぐじゃと両手で掻いた。
「どうしたのよ、大丈夫?」
「……」
考える。どうして伝えられないのか。
自分の悩みは些細なことだった、言いたいことをそのまま言わないから伝わらない。
「僕は嫌なんだ。君に傷ついてほしくないんだよ」
顔から火が出そうだった、僕も、咲も。だから誤魔化すように言葉を付け足した。
「それが君でも、コージでも、流でも」
まだ僕は幼かった、咲以上に恋と友情の区別もつかないくらいに。
「ふふっ」咲はあきれたような変な顔をして、笑っていた。
「やさしいのね。でもいつか選ばなきゃいけないときは来るわ、その時貴方はどんな答えを出すのかしら……できれば私を選んでほしいけど」
咲は消え入りそうな声で呟きなら俯いた。
「どういうこと?」
「さあね、どういうことかしら、それより流って誰? 前にも貴方の話に出てきたけど……」
なぜか咲は頬を膨らませていた、乙女心と秋の空ってやつ。
「うん? 前に言ったか、ずっと同じ学校に通ってる幼馴染なんだけど」
咲はあからさまに「まずい」といった表情を浮かべて口を手で塞いだ。
「いやいやなんでもないのよ、でも仲はいいみたいよね」
その動作が少し気になったが、まあ気のせいだろう。それよりも、
「仲がいいだなんて……ないよ。最近ケンカしてばかりだし」
久しぶりに思い出して少し落ち込む。
「それもそうよね、こんな鈍感なんじゃ……ね」
「鈍感?」
「いやいやこっちの話。それより貴方が聞きたいのは、人質交換より先の話よね?」
まるで咲はそれ以上言うことを拒否するようだったが、それより今は現状の確認が先である、無理に聞き出すようなことはしない。
「うん、それで合ってる」
「えっとね、実はあの後、私の仲間、要するに未確認物質の仲間来てね、ちょいちょいと全部解決してくれたのよ」
なぜか咲の目線は右に左にとせわしなく泳いでいた。きっと何か僕には及びもつかないことがあったのだろう。
「ほええ、世の中にはすごいやつもいるもんだな」
正直に感嘆する。あの金髪を『ちょいちょい』か。僕じゃ毛ほどもかないそうになかったのに、見知らぬ誰かに嫉妬していた。見知らぬ誰かはどこにもいないのに。
トゥルルルル…………
うん? ポケットを漁りケータイを開くが、待ち受け画面には何も映っていない。
鳴っているのは咲の携帯のようだった。
「出て出て、話終わるまで待っているから」
「ごめんねえ、すぐだからちょっと待ってて」
特にすることもなくて、電話に出た咲を眺めていた。相変わらずかわいらしい、ロリコンは少しずつ病状を悪くしていた。
「もしもし、はい、タイムです。……えっ……あっはい、でもそれはどういう?」
相手は未確認物質のメンバーからみたいだ。しかし、どうして咲の顔がどんどん青くなっていく。電話の向こうで何があったのか。
「はい……はい……」
ピッ
「電話相手はメンバーだろ?」
「うんそうなんだけど……金髪に逃げられたって」
「えっ『ちょいちょい』な奴は付いていなかったのか?」
「付いてはいたんだけど、『欠けた輪』に襲われて、逃がしてしまったって」
「欠けた輪? そういやその名前どこかで聞いたような」
「たぶん、金髪に会ったときでしょ。その欠けた輪ってのは未確認物質のような超越者の組織なんだけど……」そこまで言って咲は口を止める。
「ふーん。でも、なんで同じ超越者の組織なのに金髪は襲ってくるんだ?」
「見解の相違ってやつよ、未確認物質が目指しているのは普通の人との共存なんだけど、どうもそれが欠けた輪には気に入らないみたいね」
「どうして……? 向こうも超越者なのに」
咲は悲しそうな顔をした。
「そう、本当はそうなのよ。でも欠けた輪は、超越者こそ新人類でノーマルはどうなってもいいと思っているの。だから向こうは力を使うことをためらわないわ、力こそ超越者の価値だと信じているからね」
「本当にそれでいいのか?」
咲は意地悪げに微笑む。
「貴方はどう思う?」
「……俺は嫌だ」
「そう、私もよ。でも、今は圧倒的に向こうの超越者が強いのよ。ノーマルを実験台にいろいろあくどいことしているみたいだし、最強の超越者『ウェイブ』も向こうにいるしね」
「ウェイブ?」
「そう、もともと、私たち側にいたんだけど、ある日前触れもなく向こうに寝返ったのよ、一枚だけ『すまない』って書いた紙を残してね。個人情報を極端に隠していたみたいで、彼女に関しては組織にはほとんど情報は残ってなかったわ。敵になった今でも何もわからない。残っているのは彼女が最強と呼ばれていたことぐらい……。その情報は間違いではなかったみたいだけどね、金髪をちょいちょいとやっつけた奴すら軽く退けて、彼を回収していったのも彼女みたいだしね。だから絶対にかなう相手じゃない。とにかく私から言えるのは、彼女を見たら、逃げてってことだけ」
彼女は二度嘘をついた、一度目は金髪が殺されたこと、二度目『ちょいちょい』が実在しないこと。前者は少年が怯えないように、後者は目の前の『彼』との約束を守るためだった。
「逃げてって言われても……」
「彼女はいつも真白な仮面をつけているから、それが目印」
本当にそんな相手から逃げられるのか疑問に思ったが、生存確率でいえば戦うよりはるかに高いのだろう。それに金髪より幾分も強い相手と戦おうとは思わなかった。
「わかったけど、未確認物質に入ったとき、そんな危険があるなんて言わなかっただろ? いや、べつに今更構わないんだけど……」
「だったかしら…………ごめん……、コージくんにも近寄らないように伝えてなきゃいけないわね。それは私のミスね」
「でも今日みたいに襲われることは滅多にないから、安心して。特に超越者を襲うなんてよっぽどでもないわ。あの時は私が狙われたのに巻き込まれただけよ……」
咲は顔に翳りを見せた。
「ただ今日私といたのを見られているから……間違いで狙われるってことはあるかもしれない。それに私が好いてるみたいに……ごにょごにょ」
何を言っているのかわからないが、咲は申し訳そうに頭を垂れた。
ただそんな咲を見るの嫌いだった。それにそんな過去の話より聞きたいことが二つある。
「もう終わった話なんて、気にしなくていいんだ、顔をあげて。それより、俺はこれからどうすればいいんだ? 狙われてんだろ、金髪みたいなチカラの奴らに……」
「たぶんね。でもそれは簡単に解決よ! ――私と一緒にここに住めばいいのよ」
と満面の笑みで咲は言った。
すこし話の進んだ感が自分の中ではある二十五話です。まだまだ序盤です。引き続き頑張ろうと思います。
これからもよろしくです。