魔物喫茶と王女さま
マンドラゴラさんがいないことに気づいたのは、夕闇が街に迫った頃でした。
エウレカ団長は、すでに人のいなくなった市場を真っ直ぐに駆け抜けて行きます。
そのすぐ後ろをハーフオークのフオちゃんが追いかけてゆき、魔法使いのマリーンは、魔法の地図を広げながら走っていました。じいやもマリーンの帽子の上にもふっと乗っかって、振り落とされないようにしています。
「マリーン、彼女はまだ街中にいるのか」
「ええ。まったく、手間のかかる子だわ」
エウレカ団長は、もそもそ、と胸当てを元の位置に戻しました。
すっかりお馴染みの探し物の魔法を使って、マンドラゴラさんの行方をつきとめ、そちらに真っ直ぐ向かって行きます。
「じいやの鼻血でいい、ということだが、じいやの鼻血を流すために、よもやあんな事を毎回繰り返さねばならんとは……くっ」
「エウレカ、恥ずかしいからそれ以上は言わないで……ぽっ」
顔を赤らめる魔法使いマリーン。
いったい2人の間に何があったのかは、想像するしかありません。
「ついたぞい」
やがて、一行は目的の場所に着きました。
街中の特等地に建てられた3階建ての大きな建物で、「魔物喫茶マックス・ハウス」というなにやらいかがわしいネオン看板が怪しげな雰囲気をかもしています。
「ま、『魔物喫茶』だと……?」
「ふうむ、聞いた事があるぞい」
じいやは、ぴょんこぴょんこと飛び跳ねながら言いました。
「表向きは、美少女魔物のウェイトレスが客をもてなす喫茶店じゃが、その実、あくどい手を使って集めた奴隷を売りさばく奴隷商館じゃ。気に入った奴隷はそのまま買って帰ることもできるという。コーヒー1杯2000ゴールドもするぞい」
「じいや、詳しすぎ……」
マリーンは、じいやがたとえどんな言い訳を返そうとも冷めた目をかえす準備をしていました。
「ぬう、しかし美少女魔物の喫茶店か……王女さまが喜びそうな建物だな……」
最近になってようやく分かったのですが、じつは王女さまは美少女魔物フェチで、可愛い魔物には目がないのでした。
「こんな建物を王女さまの目にみせるわけにはいかない。王女さまは、ばっちり部屋に閉じ込めているな?」
「エウレカ、黙ってたけどじつは王女さまの姿も見えないの。そして王女さまの反応はちょうどこの魔物喫茶の中からするわ」
「マリーン、怒っていいのか褒めていいのか分からないタイミングで告白するな! そうか、ならば話は早い、ここは正面突破だ!」
「待って、エウレカ。2人の身に万が一の事があってはダメよ。ここは潜入するわ」
「ああ、そうだな。ここは一気に正面突破しかない!」
「落ち着いて、エウレカ。潜入するのよ。この服装に着替えるのよ」
ひらひらーと魔法使いの顔の前でひらめいたのは、なんとピンクのエプロンドレスでした。
丈は超短く、見えそうで見えない、計算されつくした絶妙な角度のスカートには、豪勢なフリルがあしらわれ、可愛く明るい配色の上半身に対し、足には太ももに食い込む黒のガーターベルトがのぞく、まさにフェティッシュを極めたようなデザインのエプロンドレスです。
「……な、なんだ、そのひらひらのドレスは……! この私に、このブロムワーズ近衛騎士団団長の、この私に、そんな軟弱な装備を身につけろと言うのか……!」
「王女さまを助けるためよ、エウレカ団長」
「くっ……おのれ、謀ったな、マリーン!」
「さあ、着て。着ないなら無理やり着させるわ」
「ま、待て……! 待つんだ!」
女騎士は、泣きそうな顔で魔法使いをじとっと睨みつけていました。
「じ、自分で着るから、ぐすん、お願い、待って」
「いいから早く着なさいイライラするわね」
「むひょひょ、ええのう、ええのう~」
エウレカ団長は路地裏に入ると、かちゃかちゃと鎧を脱ぎ、衣擦れの音を響かせながらエプロンドレスを身につけて行きます。
誰も来ないよう見張りをしている魔法使いマリーンは、その音を背後に聞きながらしだいに高ぶってきました。
* * *
一方その頃、魔物喫茶の最上階で、マンドラゴラさんは出されたおまんじゅうとお茶をもぐもぐ食べていました。
しかし、その周囲は数名のトカゲ男たちが取り囲んでおり、ボスのトカゲ男がマンドラゴラさんを品定めしています。
鋭いツメでマンドラゴラさんの白い髪をなでなでして、キレイなキューティクルにじっと目を落としていました。
「ふぅーむ、髪は魔法かなにかで綺麗にカットされているし、とても野生とは思えん。しかし、なんだってマンドラゴラがこんな人里近くにいるんだ?」
「おおかた、どこかの金持ちが観賞用に持って来たペットじゃないっすかね?」
「なるほどなぁ、逃げ出したか」
トカゲ男は、さて、どうしたものか迷っています。
もし、トカゲ男のお得意先だったら、もめ事が起きるのは避けたい所です。
お得意先でなくても、うまくすれば上客になってくれるかもしれません。
「だったら身元が分かるまで、しばらくここに置いておくしかないか。しかし、惜しい逸材だなぁ。商品に出来れば、すぐに相当な値段で売れたはずだがなぁ」
「ま、まったくでさぁ」
ゲハゲハ愛想笑いを浮かべる周りのトカゲ男達。
じつは、誰ひとりとして人間好みの美少女の可愛さが分かっていませんでした。
ウロコのない女の良さは正直わからんらしいです。トカゲ界では奇異に見られていたボスでしたが、ここにきて、ようやく成功の日の目を見たのでした。
そんなとき、ドアが勢いよく開いて、びかっと光る何かが現れました。
トカゲ男達はあまりのまぶしさに顔を背けます。
「まってください」
それは、光り輝かんばかりに美しいフローレア王女さまでした。
きりっと、険しい表情でトカゲ男達を睨みつけながら、周りの鎖に拘束された美少女魔物達を見渡します。
「な、なんてことだッ!」
「どうしたんです、ボス!」
「こんな可愛い、野良の人間まで現れるなんて! 今日の俺はツイてる! イッツ・ルゥゥアッキィィ・デェェェイ!」
野良の人間、という言葉を恐らくこの世界ではじめて使ったマックス・ハウスのボスに、一同唖然としました。
「お気を確かに! 親分、人間です! たぶん、お客さんですぜ!」
「な、なんだってぇぇぇ! 客ぅぅぅ!?」
トカゲ頭のボスは、電気ショックを受けたように体をのけぞらせ、天井近くまで飛び上がりました。
そして、どかっと王女さまの前に座り、ドラゴンのような息を吹きかけます。
「フハハハハ、ようこそ、魔物喫茶マックス・ハウスのゲスト・ルームへぇ! ここではぁ! ありとあらゆる種族の美少女魔物を取りそろえております! お客様にきっとご満足いただける、至高の奴隷を見つけられますよぉ!」
「奴隷ですって?」
むっと、顔を歪めた王女さま。
「へっへへへ、そうでさぁ、奴隷は人として認められない汚れた血族! 働かせるだけじゃなく、観賞用に裸にしようが、薬の実験台にしようが、痛めつけようが、何をしようがお客様の自由! ああー、なんて素晴らしい商品なのでしょう! いますぐこの契約書にサインをいただくだけで、あなたもご主人様です!」
目の前に、契約書を突き出すボス。
フローレア王女さまは、ボスの口上を一切聞いていませんでした。
「可愛い魔物さんたちを奴隷にするのは許せません。自由にして差し上げて」
ボスは笑みを一瞬で消して、トカゲ頭に相応しい冷めた表情を浮かべました。
「あーららぁ、そういう『お客様』でしたかぁ」
前屈みになると、長い尻尾をぶわっと振り上げて体に巻き付け、とぐろを巻きました。
トカゲが襟を正すときの仕草です。
「いいでしょう。お客さんが魔物さんたちに対する深い愛情をお持ちなのは分かります。ですが俺たちゃ、商売でやってるんです。ここにいる美少女魔物はみーんなお金が足りない農村から俺たちのところに売られて来たんですよ。最近はどこも不作続きですからねぇ。俺は村の家族を生かす為の大金を渡して買ってやってるんです。まったく、貧しいってのは罪ですねぇ。これってば、天罰かなにかなんでしょうかねぇ。お金を払って買い取った以上、俺はこいつらを商品として売ってお金を得なきゃならない。それが平等、世の理ってもんでしょう。そうしないと経営が成り立ちません、大損しちまいますよぉ」
「そうですか」
ぷるぷる、と震えていた王女さま。まだ怒りが収まらないご様子です。
「いいでしょう、私がこの魔物喫茶にいる、すべての奴隷を買い取りましょう。それでいいですね?」
「はーい! お客様すべての奴隷をお買い上げー……えええええええっ!」
目をむいてたじろぐトカゲ男達。
奴隷の値段はピンキリですが、良いものになると、だいたい奴隷1人につき、金貨10枚はくだりません。
それに、奴隷を保持するには人頭税と呼ばれる税金も支払わなければならないのです。
「いやいや、そんな事できませんて! どこの国王様でもそんなことは不可能ですって!」
「ご心配には及びませんわ、この国は、私の物です」
机に腰掛けると、さらりさらり、と美しい筆致でなにやら書物をしたためる王女さま。
うげっ……と、周囲の男達の顔色が変わります。
ブロムワーズ王家の紋章が刻まれた紙に、王女さまの直筆のサインが書かれ、「おとーさま、後はおねがいねー、愛するふろーれあより」とこの案件が投げっぱなしである事が窺える文言が記されています。
「フロムワーズ王国に、新たな人頭税を施行します……すべての奴隷1人の所有につき、金貨100枚の納税を義務づけます。私はその金貨100枚で奴隷を10人買います。どうかしら?」
ぽかーん、と口を広げたままのトカゲ頭たち。
なんという横暴でしょう。実質、王女さまはタダでここの奴隷たちを買い占めることになります。
「なんと……よもや、フローレア王女さま……!」
「そんなまさか、隣国のアホ王子と結婚するという、あの旅の途中の王女さまだってのか!」
「くっ……おい、何を狼狽えてやがる!」
トカゲ頭のボスは、声を張り上げました。
「相手はただの小娘だ、こんな横暴、許される訳がねぇ! ですよねー! えっへへへ!」
「つーん」
「あれー!? なんか可愛いー!?」
「つーん、トカゲさんとは、もうお話してあげません」
「えー!? それ話してねー!? 顔は見てないけど俺とダイレクトに話してねー!?」
「むぅ、眠い……」
マンドラゴラさんはお腹いっぱいになったのか、メガネを外してすやすや眠っていました。
王女さまは、どこまでも可愛くトカゲ頭のボスを突き放していました。
* * *
一方その頃、フリフリのメイド服を着た魔法使いマリーンは、頭の上にじいやを乗せたまま魔物喫茶のど真ん中を堂々と歩いてゆきました。
お客の魔物達は、可愛いウェイトレスさんだなぁ、という目でマリーンを追っています。
他の美少女魔物達も、「新人です、よろしく。きゃはぴりん!」というマリーンのウソに、まんまとひっかかっていました。
「いらっしゃいませー。ほら、エウレカ。あなたが来ないと話にならない」
エウレカ団長は、スカートの裾を押さえて、たじたじとしていました。
筋肉質な太ももにガーターベルトが食い込んで、じんじん痛みます。
目が困ったようにしぼんで、今にも泣きそうです。
「い、いらっしゃいませ……ああ、魔法使い、私が耐えきれずに剣を抜いたら、背後から強力な魔法をぶっぱなして、私を殺せ……」
「承知したわ、エウレカ団長。背後は任せて」
「よし、いくぞ」
2人の新人が見事な連携をみせて、店内の客のオーダーを見事にさばいてゆきます。
そのとき。
ごとん、と天井から奇妙な音が聞こえました。
数名の人が争うような音が聞こえてきます。
「……上で誰かいるの?」
「……まさか!」
いそいで階段を昇っていったエウレカ団長の前には、鉄の扉がそびえていました。
剣でも腕でもどうにもなりそうにない、堅い扉です。
「魔法使い……魔法でなんとかならないのか!」
「待って、魔道書には扉を開ける魔法が……ええと、とりあえず、パンツを脱ぐのよ、エウレカ」
「くっ、またその流れかッ! そういうエッチな方法以外の魔法は乗っていないのか!」
「古い魔道書だから。だいたい古い魔法ほど、エクスタシーとかすごく大事にする」
王女さまに貞操を捧げると誓った女騎士は、どうしても顔を赤らめて躊躇ってしまいます。
「よ、よし……脱ぐんだな? パンツを脱げば、良いんだな?」
エウレカは制服のスカートをたくし上げると、躊躇いがちに中に手を差し入れました。
「ごくり……エウレカ、先に靴下から脱いで」
マリーンがフェティッシュな指示を出します。
そのとき、足元にひっついていたフオちゃんが、突進して扉を突き破りました。
「ふごー!」
「フオちゃん! でかした!」
「ふごごー!」
「……ちっ、余計な事をしやがって」
「むふふ、マリーン、惜しかったのう、もうちょっとじゃったのう」
魔法使いはこっそり険悪な顔をして、独りごちました。
じいやはむふふ、と笑います。
ともかく、扉が開いた瞬間に、エウレカ団長はその奥に身を躍らせました。
「王女さま……あっ!」
エウレカ団長は、そのとき目の前で起こっていた恐ろしい光景に、息を呑みました。
部屋の真ん中では、四つん這いになったマンドラゴラさんが、いつものようにメガネを探していたのです。
「ううぅ~、メガネメガネ~」
くちゅっ、くちゅっ。
「あっ……はうぅ、びくん、びくん」
「いやっ……んひぅぅ!」
「ひぎぃぃ! 中でくねくねしないでぇぇ!」
なんと、マンドラゴラさんの触手はあっという間に伸びて、トカゲ頭のボス達をいじくりまわしていたのです。
王女さまは部屋の真ん中に堂々と立って、触手にいたぶられているトカゲ頭のボス達に説教をしています。
「いいです? 今後、こういった商売は謹んでください。魔物さんたちをいじめちゃダメです。分かりました?」
「わ、わかんない、トカゲ、もう、頭の中ぐっちゃぐちゃで、もう、なにもわかんないよぅぅ」
トカゲ頭のボスは壊れてしまい、あうあうと、ただひたすら痙攣を繰り返すゼンマイ式の人形のようになってしまっていました。
しかし、フローレア王女さまはそんなことでは許してくれません。
「わかんないじゃダメです! しっかりこの売買契約書にサインしてもらわないと! ほら! 拇印、を、押しなさい……ぐぬぬ」
「あひぃぃ、お尻の穴、ぐちゅぐちゅって、もうやめて、トカゲ、拇印おしちゃう、契約せいりちゅしちゃうぅぅ!」
泣き叫ぶトカゲに、それでも力尽くで契約書に拇印を押させようとする王女さま。
恐ろしい光景に、エウレカ団長達は二の句が継げないでいました。
「ふぅ、よしと。これでひと安心……あら? エウレカ団長!」
エウレカ団長に気づいた途端、王女さまは、にこぉっ、と目映い笑みを浮かべました。
王女さまの微笑みの前に、この世のすべての悪夢が一瞬で溶け去ってしまったかのように感じられました。
実際、このときの王女さまの笑みは、マグニチュード9.5の大地震に匹敵するエネルギーの光を放ち、周囲一帯の植生を塗りかえ、飢饉に苦しんで美少女魔物を売りに出していた村々はその後、数年間豊作が続いたということでした。めでたしめでたし。
「王女さま、このようなお店にいてはなりません、行きましょう」
「はい、エウレカ」
マンドラゴラさんのメガネを探してあげる必要がある気もしましたが、王女さまの身を護ることが近衛騎士団団長のつとめ。
エウレカ団長に手を引かれて、王女さまは無事に魔物喫茶から脱出したのでした。
はあはあ、と息を弾ませながら、丘の上を走って行く王女さまと女騎士。
ときおり背後を振り返りながら、追っ手がいないかを確認して、同時に王女さまの事を気遣っていました。
「フローレアさま、足は疲れていませんか?」
「ううん、エウレカ。どこまでも走って行けるわ。あなたと一緒にいるだけで、心に羽根が生えたようなの」
「人に羽根は生えませんよ、フローレアさま。休みましょう、あそこの木陰で」
こくり、と頷く王女さまの手を引いて、いそいで木の影へ向かいます。
夜の中で、王女さまの白い肌だけがぼんやり光って見えていました。
そんな目立つ王女さまでしたので、体をカモフラージュするのは大変でした。
布で何重にくるんでも、王女さまの光はこぼれてきてしまうのです。
「エウレカ、そんなに慌てて何をしているの?」
「追っ手が来てはなりません、隠さなければ」
ぐるぐる巻きにされた王女さまは、どうにか隙間をなくそうと、周りの木々のレイアウトをいじくっているエウレカ団長をじっと見つめました。
不意に、彼女のふりふりのメイドエプロンに気がつきます。
「エウレカ、その格好はなあに?」
「ううっ……王女さま、これには、深いわけが……」
「エウレカも、あのお店で働いていたの? だったら、もう私の物ね」
「王女さま?」
「だって、あのお店で働いていた奴隷たちは、みんな私が買い取りましたのよ?」
エウレカ団長は、溶けてしまいそうなほど顔を真っ赤にしていました。
ぼんやりしている女騎士の手を、ぎゅっと力強く握った王女さま。恥ずかしそうに顔をうつむかせてしまいます。
「ふ、ろーれあ、さま」
顔を真っ赤にして狼狽えるエウレカ団長。
「あ、あのですね、王女さま、ずっと、言おうとしていたんです。けど、今、言います」
「うん」
「私は、王女さまに、生涯、この身と剣を捧げると、誓います」
「うん、それで?」
「そ、それで……」
「どうして、欲しいの?」
人気のない場所まで逃げて来て、久しぶりに2人きりになった王女さまとエウレカ団長。
エウレカ団長は、そこから先の事はまったく考えていませんでした。
気恥ずかしくなって、王女さまの視線をまっすぐ受け止められなくなります。
「もう……私はあなたのフローレアじゃいられない?」
少し、寂しげな表情のフローレア王女。
エウレカ団長とフローレア王女は幼馴染みで、ずっと小さな頃から唯一の親友だったのです。
エウレカは、びくんっと肩を振るわせ、動揺しました。
「ふ、ふ、フローレア、さま……」
「なあに? エウレカ」
かつて、巨大なドラゴンに単騎で立ち向かったときも、エウレカ団長はここまで緊張しなかったでしょう。
王女さまのふさふさのまつげ、ふっくらした小ぶりな唇、そういった物が、いつもの何倍もの大きさを持って、迫ってくるような気がします。
不意に、王女さまの腕がエウレカ団長の首に絡みついてきました。王女さまは、こつん、と団長の胸に顔をうずめました。
「ごめんなさい、あんまり悩まないで」
「いかがなさいました、王女さま」
「意地悪な質問しちゃいました。つい、あなたを自分の思い通りにしたいって思っちゃったの。やっぱり、あなたは生真面目なあなたのままでいいわ。あなたはそのままで、私の大好きなエウレカだもの」
そうして、じっと見つめ合う、王女さまと女騎士。
エウレカの手は、王女さまの顔にかかる前髪をゆっくりと払います。
王女さまの瞳は、いつもの数倍輝いているように見えました。その光線で、空を飛び交う宇宙船が何機も撃ち落とされ、流れ星がひゅんひゅんと飛んでゆきます。
「王女さま……」
「もう……やり直し」
「お、王女さま?」
「せめてこういう場面の時は、私の身分を忘れさせて欲しいの、エウレカ」
「浅慮でした、では……フローレアさま」
「はい、エウレカ」
いつもよりにっこにこした王女さま。
その桜のように小ぶりな口許が、言葉を紡ぐ度に、徐々にエウレカの吐く吐息よりも甘ったるい、何かを求めるように小さくさえずっているように見えてきます。
気がつくと、エウレカ団長はいつもよりずっと王女さまの顔に近づいていました。王女さまの方からエウレカの方に近づいていたのかもしれません。
王女さまもその気配を感じたのか、はっとして痺れたように動けないまま、エウレカ団長の切れ長の目を見つめています。
お互いに息がふきかかって、唇と唇が、空気を吸うように、徐々にその隙間をなくしていきました。
「フローレアさま……御身を守りたいなどと口では言いながら、心の中ではずっと、こうしたいと思っておりました」
ほとんど聞こえるか聞こえないかの、唇からこぼれる囁き。
ですが、そんな小さな囁き声でも、しっかり王女さまは返事をしました。
「私もです……エウレカ」
その刹那、魔法使いマリーンが現れました。
ようやくメガネを取り戻したマンドラゴラさんと、フオちゃんの手を繋いで、頭にはじいや、なんだか魔物ハウスみたいになっています。
「あー、コホンコホン」
わざとっぽい咳払いをします。
ばっと、お互いに引っ付きすぎていた体を離した王女さまとエウレカ団長。
王女さまは髪の毛や衣服の乱れを気にしはじめ、エウレカ団長は砥石とボロ布巾を取り出して、剣の手入れをしはじめました。
「無事だった? それとももう事後だった?」
「ん? ……おおー、魔法使い! うむ、王女さまは無事に守っていたぞ!」
「むふふ、ええところじゃったのう、キスぐらいさせてやったらよかったのにのう」
「じいや、何度も言うけど、団長は女」
むすーっとして、魔法使いのマリーンは言いました。
実は結構ヤキモチを焼いているのかもしれません。
「ふごー!」
フオちゃんが団長に飛びついてきて、王女さまと団長の間に割って入ります。
「オンナキシ、スキ! ふごー!」
「おお、フオ、お前言葉が分かるようになったのか!」
「ふごー! オンナキシ、オレノモノ!」
なんだか不穏な単語に聞こえるのはなぜでしょうか。
フオちゃんの乱入で、良いところは完全にお預けになってしまったのでした。
* * *
その後、王女さまの旅はいっそう賑やかなものになって行きました。
魔物喫茶に捕らえられていた魔物たちが、王女さまの旅についてくる事になったからです。
「うふふ、可愛い魔物たちですわ。そうだわ、スマール王国に着いたら、この子達を連れてパレードしましょう。きっと向こうの人達はひっくり返りますわよ」
可愛い魔物達に囲まれて、王女さまはすっかりご満悦です。
対するエウレカ団長は、後ろの台車から御者台に追いやられて、頭を抱えていました。
隣には、同じく追いやられた魔法使いと、じいや。
そして膝の上でごろごろ女騎士に甘えているフオがいました。
「団長、王女さまの魔物趣味が知られてしまうのは、大ごと」
「分かってる……分かっているとも……」
相変わらず苦悩するエウレカ団長と、のんびりした王女さまを乗せた馬車は、今日も変わらず、ごとごと、旅を続けるのでした。