マンドラゴラさん、あらわる
花の王国フロムワーズからスマール王国へと続く花の道を、1台の馬車が通っておりました。
馬車に乗っているのは、見目麗しい王女さまと、彼女に恋心を打ち明けようかどうか迷っているヘタレ女騎士です。
ここは王国から遠く離れた花の道。
女騎士が王女さまに恋を打ち明けるなら、いまが絶好のチャンスです。
しかし、2人の間には、黒髪の小さな女の子が挟まっていました。
大好きな王女さまの柔らかな二の腕と、ママにそっくりな女騎士の硬い腕に、ぷにっとした頬を押し当てて、すっかりご満悦です。
「おーご、おーご」
と言いながら女騎士の立派な鎧にぺたぺた指紋をつけていたのでした。
松脂を塗っているので、女の子の指がかぶれないか心配です。
女騎士のエウレカ団長は、かわいらしい女の子の事を気遣いながらも、王女さまのことがもっと気がかりでなりませんでした。
王女さまは、なぜかすっかりふてくされていたのです。
お目付け役の魔法使いと、なんだかよくわからないもふもふの毛玉っぽい「じいや」。
2人とも、王女と女騎士のあやしい関係を観察しはじめてからだいぶん日にちが経っています。
王女さまのご機嫌が悪いのはすぐにわかりました。
「王女さま、なんかご機嫌ナナメ」
「やきもちじゃよ」
「あれ、やきもちなの?」
「フオちゃんが団長にべったりじゃからのう」
ハーフオークの女の子を旅に連れていこう、と言い出したのはフローレア王女さまでした。
スマール王国に向かった彼女のママに、結婚式は中止になることを伝えなければなりません。
そのついでに女の子も連れていこう、という、王女さまらしいなんとも浅はかな考えでした。
名前は、「フオ」というそうです。
しかし、フオに懐かれてしまったエウレカ団長は、いつものようにフローレア王女さまのことばかり構っていられなくなったのでした。
子どもが目の前にいる状況では、さすがに四六時中いちゃいちゃするのは気まずいようです。
代わりに精一杯、いつもよりたくさん声をかけていました。
「元気ですね、オークの子って」
「元気よね」
「オークって、いつ寝るんでしょうかね」
「知りません、エウレカなんて、ずっとオークと遊んでいればいいのよ」
「ふ、フローレア王女さま……」
気まずい空気が流れる中、ハーフオークの女の子だけが、相変わらずにこにこご満悦です。
「す、スマール王国には、この子の本当のママがいますから。それまでは一緒に」
「言わなくても、わかっています」
王女さまはむくれて返事をしました。
エウレカ団長は、むくれた王女さまも可愛い、などとうっかり思ってしまいました。
首をぶんぶんふって、騎士らしからぬ邪念を振り払います。
「王女さま」
「なにかしら、エウレカ」
怒っていてもちゃんと返事をしてくれるフローレア王女は、やっぱり可愛いです。
「次の町に行ったら、一緒に歩いてみませんか、町を」
フローレア王女の顔が、一瞬ぴかっと光りました。
「ふ、ふん……そこまで言うのでしたら、よ、よろしくてよ」
今から楽しみで仕方がない様子で、もじもじしています。
エウレカ団長は、ほっと胸をなでおろしたのでした。
「どうどうどうー!」
そのとき、馬車を走らせていた御者が、大きな声をあげました。
なにごとか、と思って、エウレカ団長と魔法使いのマリーンが道の前を見ます。
王女さまとフオを馬車の中に残して、外に出てゆきました。
御者が驚いて馬を止めたのも、無理はありません。
そこは、両岸にマツの林が広がる、パイン渓谷。
その谷を渡る大きな石橋を、なにか大きな白い塊がふさいでいるではありませんか。
ふよふよ、とイソギンチャクのように触手を揺らめかせて、石橋のあちこちを触っています。
触手モンスターが現れました。
「じいや、あの魔物はなあに?」
「マンドラゴラの成体じゃ。触手に絡め取られると逃げ出せんぞい」
じいやは、ふむふむ、と言って魔物を眺めていいました。
なぜだか魔物に関することだけは人一倍知識があるようです。
エウレカ団長は、またしても剣を足元にがらりんと落としてしまいました。
「マンドラゴラ……!」
「どうしたの、団長」
エウレカの尊敬する前団長は、このパイン渓谷に住み着いてしまった凶悪なマンドラゴラの討伐に、何度も挑んでいたのです。
しかし、なぜかいつもたった1人で挑んでいて、置いてきぼりをくらっていた幼いころのエウレカは、不思議でなりませんでした。
「前団長の助けになろうと思って、こっそり後を付けて行ったら、前団長は、前団長は、無数の触手に絡みつかれて……!」
「ひょっとして前団長ってビッチじゃないの?」
魔法使いは引いていました。
またトラウマが再発したエウレカ団長を含めて、誰も近づけないでいました。
すると、王女さまがまたしてもふわふわと1人で近づいていきます。
「まあまあ。新しい魔物さんですの?」
「王女ッ! 危ないです、馬車にお戻りくださいッ!」
エウレカが必死に王女の手を引っ張って、危ない所を阻止しました。
「無知とは怖いのぅ」
「私にはできない」
魔法使いとじいやは呆然としています。
エウレカ団長は、ぎゅっと王女さまを抱きしめました。
「もう二度と、貴方を見失いたくありません。私の視界から二度といなくならないでください。いいですね」
「エウレカ……うん、わかったわ。もう二度といなくならない」
「あー、いらいらする。あの魔物を橋ごと派手にぶっ飛ばす魔法は載ってないの?」
魔法使いのマリーンは、物騒な事を言いながら魔導書をぱらぱらとめくっていました。
『攻撃魔法』という付箋の貼られたページを開いてみると、どうやら2種類の魔法が載っているようでした。
「『虫除け魔法』と、余分な枝を剪定する『枝切り魔法』しか載ってないわ」
「フロムワーズは花の王国じゃからのぅ」
「参ったわ。じいや、ここは迂回するべき?」
マリーンとじいやが魔法の地図をのぞいてみると、川上は山際の急峻な崖の道を通らなくてはならないみたいでした。
また、川下に向かった方は深い森を通らなくてはなりません。どちらも『車両通行禁止』と書かれています。
「『車両通行禁止』だって」
「ううむ」
2人がなすすべなく地図を眺めていると、どこからか声が聞こえてきました。
「ううぅ……」
なんと、石橋の上で、白い触手がもぞもぞ動きながら喋っています。
「ぐす、ない、ないよぅ、どこにもないよぅ」
なんと、触手の塊の下に、白い肌の女の子がいました。
四つん這いになって、石畳の上を手探りで探っているではありませんか。
マンドラゴラは人の姿をした植物です。よく見ると、その白い触手は異様にうじゃうじゃと伸びてしまった、女の子の髪の毛だったみたいです。
マンドラゴラは、全身をすっぽり覆い隠せそうなほど伸び放題になった触手と一緒に、あたり一面をうじゅるうじゅると探っているのでした。
「ないー、どこにも、ないー。あれがないと、おうち、かえれないよぅー」
どうやら、必死に何かを探している様子のマンドラゴラ。
その事に気づいたフローレア王女は、脊髄反射的にこう言いました。
「私たちで探してあげませんこと?」
「なんとお美しい心の持ち主でしょう、フローレア王女」
エウレカ団長は王女さまの心の優しさに感動すらおぼえました。
「しかし、フローレア王女。私たちは旅の途中です。そんなにのんびりしていては、王女さまの結婚式に遅れ……ていいのか、よし、探しましょう」
おー、と一行は一致団結して、探し物を手伝うことになったのです。
* * *
「やぁぁぁ!」
エウレカ団長の剣は、フロムワーズの花園を護るための花護りの剣。
虫属性の魔物に対しては絶大な攻撃力を秘めていました。
一振りするたびに、昆虫族の硬い体が花びらのようにぱっと散ってゆきます。
さすが騎士団長、ぶぶぶ、と不快な音を立てながら飛び回るすばやい動きをものともせず、次々と昆虫族を倒していきます。
石橋の下は、葦の生い茂るアシ河の三角州。
そこには昆虫族の魔物がうぞうぞとひしめいていました。
この辺りの昆虫族のボスとおぼしきアリキングが、頭にのっけた王冠が汗でなんども滑ってくるのをしきりに手で直していました。
「ぐぬぅぅ、我が軍隊が、手も足もでんとは……!」
「ふん、たわいもない。その立派な外骨格はただの飾りか?」
彼が左右にはべらせているハナカマキリの護衛達も、いかにもうろたえています。
その間に、虫除けの魔法で身体をふんわり包んだ魔法使いは、魔法の地図を頼りに辺りを探していました。
前回同様、じいやの純血を捧げて、探し物の魔法を使ったのです。
「これね?」
泥の中に、ガラスを2枚ならべたような装飾品が落ちていました。
魔法使いマリーンはしゃがみ込むと、胸元からハンカチを取り出し、丁寧に泥をぬぐいます。
「ああ~ッ! そ、それは……!」
それを見たアリキングたちは、うろたえて武器を次々と取り落としました。
今まで戦っていた昆虫たちも、次々と、地面に6本の手をついて、降伏してゆきます。
「お、おねげぇします、女騎士様……! どうか、そのメガネだけは持っていかねぇでくだせぇ……!」
とつぜん、態度を翻してしまった昆虫族。
エウレカ団長は、毒気を抜かれたような顔をしていました。
「う、うちら、じつは橋の上の肉食植物が天敵なんでさぁ……!」
「それまで根城にしていた花園に、あいつが現れて……もうどこにも行く場所はねぇんです。こうやって橋の下で細々と暮らしているって言うのに、あいつはしつこく俺たちを追ってきやがって……!」
「もう限界なんです! 俺たちが苦しんでいるのを楽しんでやがるんだ!」
「あのメガネマンドラゴラがメガネを取り戻しちまったら、俺たちまた恐怖におびえながら生きなくちゃなんねぇ!」
昆虫族は、おいおい泣きはじめました。
なんだか虫たちが不憫になってきます。
エウレカ団長は、うむ、と頷きました。
「ふむ……つまり、あのマンドラゴラをどこかに連れて行くことを約束すれば、お前たちはもう悪さはしないんだな?」
「で、出来るんですか、女騎士さまぁ!」
「うおお、さすがフロムワーズの花園を護る女騎士様だ!」
虫たちは、バンザイをしてエウレカ団長を称えました。
* * *
マンドラゴラの少女は、メガネをかけた途端、ぱちっと大きな目を開きました。
「めがねめがね~……あうっ?」
とてもキレイな真っ赤な目が最初にとらえたのは、光り輝く笑顔の王女さまでした。
触手を恐れない王女さまが彼女にメガネをかけてあげたのです。
メガネマンドラゴラの少女は、目の前に現れた人間たちを、ぽーっと見つめていました。
「目が……見える」
ようやく落ち着きを取り戻したマンドラゴラさん。
王女さまは、ここぞとばかりに話しかけます。
「マンドラゴラさん、私たちがよく見えます?」
「あ……う」
人間の事を恐れて、たじろぐマンドラゴラさん。
そのとき、魔法使いの頭の上に乗っている毛むくじゃらのじいやがいいました。
「恐れる必要はありませんぞ、マンドラゴラさん」
「あなたも……魔物?」
「まあ、似たようなものですな」
じいやは、魔法使いマリーンの頭の上から言った。
「マンドラゴラさん、ここの虫たちはもう花園を襲うつもりはないそうですじゃ。改心したつもりなのに、まだマンドラゴラさんが怒っていて、どうしようか困っておる」
「改心……した?」
マンドラゴラは、ちらちら、と辺りを見回しました。
「あれ、ここ……どこ?」
どうやら、自分がどこにいるかも分かっていなかった様子のマンドラゴラさん。
パイン渓谷の松林を、ぼんやりと眺めています。
「どうですかな、ここにいるより、私たちと一緒に新しい花園を探しに行きませんか?」
マンドラゴラの白い肌が、急に赤みを増してゆきました。
「うん」
こくん、と頷いたマンドラゴラ。
落ちたな、と魔法使いは小さく呟きました。
* * *
「あとでお礼をしてあげるね」
そう言って、馬車に乗り込んできたマンドラゴラさん。
その日は野営になりました。
エウレカ団長は、王女さまと枕を並べて同じテントで眠っていました。
2人の間にはフオがいて、どうもワンクッション挟んでいるような感じが抜けません。
やがて、すぅー、すぅー、という可愛らしい寝息が聞こえてきました。
「眠った?」
「はい……」
布団の下から、なにか暖かい物がヘビのように伸びてきます。
王女さまの手がもそもそと伸びてきて、エウレカ団長の指と絡み合います。
「一緒に寝るの、久しぶりね、エウレカ」
「ふ、フローレア王女……その、心の準備が」
「心の準備なんて、待ってあげないんだから」
「おごー、おごご、ご」
「寝言?」
「寝言ですね」
「エウレカ、はやく私のはじめてを奪ってくれないと、王子様に奪われてしまいますわよ?」
「王女はご結婚なさらないのでは?」
「あのスマルジャッハ王子とはしませんけどね。うふふ。他の方とは分かりません」
「お、王女さま……からかわないでください……」
「王女さま、団長、ちょっといい?」
「寝言?」
「寝言ですね」
「エウレカの手、おっきぃ」
「お、王女、その、そんなに握られると」
「ラブラブしたいのは分かるけど、ちょっと大変なの」
はっとして、顔を上げる王女と団長。
そこには、枕を抱えて眠たげな表情の魔法使いマリーンがいた。
睡眠用のだぶだぶのローブは大きくはだけて、肩から二の腕まで丸見えになっていた。
「マリーン、どうしたんだ。王女さまのテントにやってくるなんて」
「向こうのテント、ちょっとうるさい」
「向こうのテント?」
こくん、と頷いた魔法使いマリーン。
そのとき。
じいやとマンドラゴラの眠っているテントから、変な声が聞こえてきました。
「うっ……くうぅぅっ! うひゃああぁぁぁ! あっひゃひゃ、うひょほぉー!」
なんだか痛そうな、気持ちよさそうな声が聞こえてきます。
なにかと思って覗いてみると、白い触手がテントの中でうぞうぞと蠢いています。
「あぁ……」
「あらあら」
なんと、マンドラゴラは素足でじいやを踏みつけ、メガネをくいっと持ち上げて、愉悦の表情を浮かべていました。
さらにじいやの全身を触手で緊縛したうえで、ひときわ太い触手で、そのたるんだ体をびしっびしっと叩きのめしていたのです。
「どう? 気持ちいいでしょう?」
「ま、マンドラゴラさまぁぁぁ!」
「ありがとうございます、マンドラゴラさまと言いなさい」
「私は害虫ですぅぅぅ! マンドラゴラさまの足の臭いに興奮する変態虫ですぅぅぅ!」
「語尾はミン!」
「ミン~!」
びしっと、触手に打たれて、じいやは「いぃぃやっほぉー!」と快哉をあげました。
「大丈夫、これがマンドラゴラのお礼なんだって」
「お礼……なのか」
マンドラゴラもじいやも、不思議とどちらも嬉しそうな顔をしているみたいです。
魔物の気持ちは、人間にはよく分かりません。
「そういえば、あの子の髪を切ってやらなきゃな……けど、明日からでいいか」
魔法使いマリーンとフローレア王女は、うんうん、それがいい、と頷いて、テントに戻っていったのでした。