偽物のプロポーズ
「結婚してくれないか?」
それはあまりにも唐突な提案だった。
彼氏いない歴=年齢の私は、とある服飾系の会社で経理の仕事をする普通のOLだった。
もうすぐ冬になるだろうという頃、会社帰りに同僚の沙由美と飲みに居酒屋へと行った。
「ごめん」
30分もしたころ彼女の携帯が鳴った。
「彼氏?」
しばらく電話をすると帰る、と言い始めた。
「うん。久しぶりに時間取れたって言われて・・・」
沙由美の彼氏はかなり忙しく働いているらしく、めったに会うことができないらしい。
「いいよ、彼氏のほうへ行け行け」
手をひらひら振った。
「本当にごめん!」
「いーよ、代わりに今度何か奢れよー」
「うん!」
そして沙由美は急いでコートとカバンを持つとかけて出て行った。
「さて、どうしようかな」
注文していたものはまだあるし、飲みたいし・・・。一人だけど。
「ま、いっか」
たまには一人で飲むのもいいかもしれない。と思っていたが
「一緒にのんでもいいかい?」
と声をかけられた。
「ぶっ・・はあ、はあ、え?」
飲みかけていた生ビールを吹き出しそうになるのをこらえて声の主を探した。
「えーと・・・」
今のは私に対して言ったのだろうか。とりあえず、自分を指差してみた。
「そう、君に言ったんだ」
「はあ」
適当な返事をするとその声をかけてきた男は堂々と沙由美のいた場所に座った。
「一人?」
「そうですけど・・・」
何か悪い?と言いそうになってやめた。目の前にいるのはうちの会社の社長の息子だ。容姿端麗、留学経験あり、若くて才能もあるという完璧な男。会社ではアイドルのような存在だ。
「な、なんで、辰川専務が・・・!」
さっきまでまともに顔を見ていなかった。
「うちの会社の子?」
「は、はい!」
驚いたように私をみた。
「沢木水穂といいます。経理部の」
とっさに自己紹介をした。
「へー、経理部か」
そういいながら早速生ビールを頼んでいた。
「お連れ様いらっしゃらないんですか?」
「飲みぐらいゆっくりしたいからね」
ちょうど届いたビールを口にしながらいった。
「くうう!!これがいいんだよ、生きてるって感じだ」
とても美味しそうに飲む専務は同年代の普通のサラリーマンに見えた。
「えーと、沢木さんでよかったっけ?」
「はい」
どうやら名前を覚えてくれたみたいだ。
「どうして一人何だい?さっきまで友達と一緒にいたと思ったんだけど?」
沙由美がいたところを見たらしい。
「彼氏に会いに帰っちゃったんですよ。相手忙しいらしくてめったに会えないからって」
「つまり沢木さんはおいてきぼりだと」
「そうです。別にいいんですけどね」
そういいながらビールを一口飲んだ。
「沢木さんの彼氏は?」
「いませんよ」
「ええ!?」
「いたら専務と一緒に飲んだりしてませんよ。それよりいいんですか?私となんか飲んでて」
私より専務のほうが気にしなければならないだろう。
「彼女に怒られるんじゃ?」
「今はフリーだよ」
「そんな冗談を。モテモテなんですから彼女の1人や2人いるでしょう?」
「彼女が2人もいたら問題だろ。それに女はもういい」
「どうしてですか?」
「面倒くさい」
「・・・ぷっ・・・くすくす」
だめだ、この人面白い。
「なんで笑うんだよ」
「すいません、でも、なんか専務からそんな子供みたいな言葉がでるなんて」
そのギャップが面白かった。
「子供みたいって・・・」
そう言いながらも専務も大笑いした。
「だけど、この前お見合いしたって噂を聞きましたけど?」
「あー、あれな」
社長から早く結婚しろと言われているらしい。
「結婚相手くらい自分で選ぶよ・・・ったくあのくそじじい」
社長をこうやって堂々とくそじじい呼ばわりできるのはこの人くらいだろう。
「あはは。すいません、ちょっと失礼」
その場を立ち上がった。
「どこに?」
「レディに聞くのは禁物ですよ」
おほほとわざと笑ってその場を抜けた。
「んー!」
トイレで手を洗って思い切り背伸びをした。途中から慣れてきたけれど、さすがに専務相手は緊張する。
そして再びテーブルに戻ると専務が何か資料を見ていた。
「すいません・・・」
「あ、ああ」
適当な返事、仕事に夢中になっているのだろうと思い静かに前の席に座ると自分のカバンが少しおかしいことに気がついた。
あれが・・・ない!
とっさにカバンを大きく開けて中を探っても見つからない。
どこかで落としたのか?でも、さっきまであったと思うんだけど・・・。
ぱさっとそこで専務がページをめくった。
「!!」
ちらりと見えたその内容は・・・
「そ、それ!」
「うん・・・」
じいっと見入っているのは私の探し物。
「な、何してるんですか!」
ばっと専務の手からその紙の束を引き抜いた。
「うわ!何するんだよ」
「それはこっちの台詞です!」
こんなの見られるわけにはいかないから。
「・・・それ、全部君が?」
専務が指をさすのは私の手の中にある・・・服のデザインが書かれたものたち。
「あ・・・う・・・・」
「経理部だよね?」
顔が熱い。まさか、デザイン部も任されているこの人に見られるとは思ってなかった。
「すいません、すいません」
視線を感じつつも顔を上げることができなかった。
「デザイン好きなのか?」
「・・・はい・・・」
見られたからには正直に答えるしかなかった。
「服好きなんです。それでも才能ないのはわかってるから・・・少しでもデザインに関わることができたらなって思って今の会社に入ったんです」
経理部だけどやっぱりあこがれはあってこそこそと書き綴っていた。そして今日は同僚で唯一そのことを知る沙由美にデザインを見せるために持ってきていただけなのだ。見せる前に本人は帰ってしまったけど。
「そうなんだ・・・そうだ!」
そして専務は言った。
「俺と結婚してくれないか?」
と。
あまりにも唐突な話で最初は驚くしかできなかった。
「つまり、偽装で婚約すると・・・」
「そう」
本気で結婚するわけではない。
「俺は縁談を避けるために彼女、もしくは婚約者が欲しい。でも今は全く結婚する気なんかないし、仕事に取り組みたい。社長の息子だからってこんな地位にいるんだってわけじゃなくて自分の力を認めさせるために」
だから本当の彼女を作ることすら今は面倒で、相手もしていられない。
「代わりに、君のこのデザインを使おうと思う。そしてデザイン部への異動も検討しよう」
私が偽物の婚約者となる代わりに私のデザインを使ってくれるという。
「異動って・・・」
「君には才能あるよ。このデザインはどれもいい」
「そんな・・・」
「いきなりの移動はさすがに厳しいだろうから君が力を発揮できる所を作るということでどうだい?」
そして専務の言うままに偽装婚約者になることになったのだった。
偽装婚約と言っても特に何かをするわけではない。
会社の人にはもちろん秘密で、私の名前だけが彼の婚約者というだけのことだ。それに名前といっても偽名。デザイナーの卵の木沢美奈穂というのが私の婚約時の名前で、それを演じるのが私というわけだ。そのほかに、変わったことと言えばたまに婚約者のふりをして電話をしたり、デザインの話をするようになったことくらい。
「このワンピースいいね」
夏用のワンピースをいくつか見せていた。場所は居酒屋の個室。会社ではもちろん話はできないし、2人でいるところを見られるのも困るから。
「一応夏だから涼しそうな感じで」
単純に水色を基調としたワンピースだ。
「そうそう、この前のスカート、企画通ったよ」
「え?」
「ほら、デニムの」
「あ、ああ!」
思い出した。
「他のも結構好印象だったんだけどさ、デザイナーのほうが優先されてしまって」
本当なら私のを通したかったと言ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
うれしい。
「どこから持ってきたのかって聞かれたんだけど・・・本当に内緒でいいのかい?」
「それでいいです。だってまさか経理部の人間のデザインなんて知られたら何言われるか・・・」
ここのデザイン部のデザイナーたちの争いは激しい。
「もったいない」
つまらなそうに答えた。
その後、しばらく会社の話や雑談をしたところで専務が頭を下げた。
「頼みがある」
「偽装婚約のことですか?」
「ああ、今度うちに来てくれないか?」
「え?」
辰川専務は手帳を取り出した。
「婚約者がいるといって縁談をずっと断っていたら、婚約者を連れてこいという話になって」
婚約者がいるという証明をするために何度か専務の母親と電話で会話をしたことはあった。顔は出さないでいいという条件だったのでおとなしく彼女のふりをした。
「連れてこなければ、別れろとか嫌でもお見合いさせるとまでいい始めてるんだ。頼む」
「・・・専務のお母様に・・・?」
「そう。大丈夫!その日、父・・・社長は出張でいないから顔を合わせることはない。写真も撮らせないから」
必死にせがまれた。
「・・・わかりました」
「いいのか・・・!?」
「私の願いも叶いましたし、お礼です。それにこれは契約みたいなものじゃないですか」
じっと彼を見た。
「中途半端にはしません。偽装婚約しっかりと仕事はしますよ」
そして専務の実家に行くことが決まった。
1週間後、休日の朝に迎えに来てもらい、そのまま美容室へと向かった。
「美容室ですか?」
「そう、沢木さんのデザインは素晴らしいけれど自分には無頓着すぎるよ」
基本はファンデーションと軽いアイシャドウ。よくスッピンと間違われる。髪の毛も後で一つに縛るか降ろすかの2択がほとんど。
たまにしっかり化粧をしても他のOLには負ける。
「なんで?」
「朝起きるの苦手なんです・・・」
一番の理由はそこだ。化粧に時間をかける暇がない。
「それに自分を飾るより、人の格好を見るほうが好きなんですよ」
友達と遊びに行くとよくコーディネーターの役割を受け持つことになっている。それで私は満足だ。
「ついでに、これに着替えてくれ」
美容室に入る直前に紙袋を渡された。
そして、1時間後、
「終わりました」
美容室をでて車に乗った。
「あの・・・この服」
「そ、君の服」
初めて居酒屋で見られていたデザインの中の一つだった。
辰川専務の実家は想像してた通りの豪邸だった。
「まあまあ、遠いところにいらっしゃい」
専務の母親がさっそうと迎えに来た。
「はじめまして」
にこっと笑って挨拶をする。
「母さん、こちらが今お付き合いをしている木沢美奈穂さん」
専務が私の横にたって紹介してくれた。
「ようやく会えたわね、美奈穂さん」
「はい」
優しい感じの母親に見えた。なんというか・・・息子を溺愛しているのがみているだけでよく分かる。
「じゃあ、今日のお洋服は美奈穂さんのデザイン?」
「はい。未熟者ですが」
このためにこの服を準備してくれたのか。
「そんなことないわ。とても素敵ね」
「もったいないお言葉です」
なんだ、この気品あふれる人は。住む世界が違うことがもてなされた食事でも実感させられた。
「この子ったらいつもあなたのお話をするのよ?今まで彼女の話なんて全くしてくれなかったのに」
食事中は基本専務の話となった。
「母さん!」
「美奈穂さんは有史のどこがいいのかしら?」
何か試されている気がする。今までの柔らかい雰囲気にとがったものを感じた。
「有史さんは素敵な方です。優しくて強くて、そして誰よりも自分に厳しい」
専務の視線も感じながらも答える。
「なんでも一生懸命で全力に取り組むことができるなんて、言葉では簡単でも実行できる人なんてそういません。有史さんはそれをできる人です。たとえ躓いても、苦しくても目標のために前を見続ける姿に惚れたたんです」
そうして専務をみる。
「有史さんとあって1年もたっていません。でも、それだけは私にもわかりますから」
にこっと笑った。
「そうね、昔から有史は努力家なのよね」
どうやら母親にとって満足できる答えになったようだ。
その後、なぜか専務の家に泊まることになってしまっていた。当然のように部屋は彼の部屋だ。
「あの・・・さっきはありがとう」
「え?」
部屋の戸を閉めたところで専務がお礼を言った。
「ほら・・・俺のどこがいいってやつ・・・」
顔こそはうつむいていたが耳が真っ赤だった。
「あ、いえ。生意気なことを言ってしまってすいません」
「そう・・・か」
それでもこっちを向かない。
「演技ってわかっててもうれしかった・・・」
まるで子供のようだ。
「それはもちろん演技もありますけれど、専務が努力家なのは専務の魅力だと思ったのは本当ですよ」
そこまで言ってやっと顔をあげた。
「ありがとう」
それは想いに反して少し悔しそうな顔だった。
「さすがだね、沢木さん」
「え?さすがってどういう意味ですか?」
何かやったっけ?
「そうやって何人もの男を手玉に取ってきたと」
「・・・・・・はい?」
真面目に、でも茶化すように彼は言った。
「会社で少し君の噂を聞いたよ。町で見かけるたびに違う男と歩いているとか、貢がせているとか」
「え?え?」
誰の話だ!?
「ま、偽装婚約以降はそういう話を聞かないみたいだからいいんだけどね」
「あの、ちょっと待ってください!」
「いいって。誰と付き合おうと君の自由だ。だけど、もう少し我慢してくれな」
何か弁解しようとしても何も聞かない意思を示した。
よく昔から勘違いされる。誰とも付き合おうとしないのは彼氏がいるからとか、よくデートを見かけるとか、毎回違う男を連れているとか、男を見下しているとか・・・。
そんなことはない。第一本当に誰とも付き合ったことなんかない。
男友達が多いのは認めるが、本当にそれだけだ。小さい頃から男の子によく混ざって遊んできたから仲がいいし、今でも交流あるのだから仕方がない。それに彼らにはちゃんと彼女だっているのだ。
「・・・専務・・・」
この人にも誤解された。
ずきっと胸が痛んでもそれを気にしてはいけないのだ。
専務の実家に行った後も、偽装婚約は当たり前のように続いた。
あの晩の気まずい雰囲気はまるでなかったかのように専務は振る舞い、私もそれに合わせた。
「もうすぐクリスマスですね」
「何か予定はないのかい?」
クリスマスまであと3日という日、いつものように居酒屋でデザインを渡していた。
「仕事ですよ。経理ですからね・・・月末は死ぬんです・・・」
決算の時期だ。大みそかには持ち越さないようにクリスマスのあたりから必死になる。
「ははは」
「笑いごとじゃないですよ。もう、どれだけ電卓叩いているとおもってるんですか・・・」
「ごめんごめん」
「ちなみに専務のご予定は?」
聞き返した。
「実家に戻る予定。帰ってこいってうるさくて。それにクリスマスに一人でいるのもむなしいだろ?」
「専務って割とマザコンですよね」
「うるさい」
「すいませーん」
笑いながらそんな内容でこの日は終わっていたのだ。
ところが、クリスマス当日。案の定、夜遅くまで残業をしてからの帰宅となった。
「はあ、寒い」
はあ、と白い息が出た。
「カップルだらけ。うう、さっさと帰ろう」
家に帰って熱いお風呂に入ってこたつでぬくぬくと温まろう。
クリスマスの大量のカップルの横をささっと抜けて行こうとした。
「あれ?水穂じゃん」
背の高い男が声をかけてきた。
「咲夜!」
「久しぶりだなー」
「うん」
「何してんだ?」
「ひとりさみしくおうちに帰るところですけど何か?」
「まだ彼氏できねーのかよ」
「あんたには関係ないでしょ。それより、クリスマスでしょ?彼女ほったらかしにしてていいの?」
周りを見る限り連れがいない。
「出張。ただ今イギリスだそうです」
つまらなそうに答える。
「あらら。クリスマスに会えないなんて」
「大丈夫。それくらいで俺らの愛は崩れない」
「愛とかいわないでよ。気持ち悪い」
「ひでえ!」
そんな雑談をしていた。
「それにしてもやっぱりクリスマスに一人はさみしいなあ」
「あんたには彼女いるじゃない」
「そうだけどさ。水穂もさー、誰かいい人いないのか?」
「いないよー」
いない、いないんだ。
「ほら、あんなふうに幸せそうにしてるカップル見ると欲しくならない?彼氏」
適当に指をさしたのは近くにあった大きなイルミネーションの下。数多くのカップルがそこにはいた。
「あはは、今はいいよ。それより・・・あれ・・・?」
「ん?」
イルミネーションの奥によく知った顔があった。
「辰川・・・専務・・・?」
その隣には綺麗な女の人。
「水穂?どうした・・・って、おい!」
がっと肩を掴まれた。
「ごめん・・・帰る」
顔を見せられない。
「いきなりどうしたんだよ」
私の様子がおかしいのに簡単に気がついた。でも、その手を振り払う。
「水穂!」
「ごめ・・・ん」
とにかくその場からいなくなりたかった。あの人のあんな幸せそうな顔を見たくなかった。
「実家に帰るっていってたじゃない・・・!」
気がつきたくなかった。気づいてはいけなかった。
冷たい空気を切り裂いて走る中、温かいものが頬を伝っていく。
バタン
アパートに入って戸を閉めたところでうずくまった。
「ひっく、ひっく・・・」
最初は何も気にしていなかった。夢をかなえるチャンスが貰えるということで承諾した偽装婚約。
「お似合いだったなあ」
あの彼女に向けた彼の笑顔は一度も見たことがない。
偽装婚約始まると、デザインをほめてもらえることがうれしかった。そしていつの日からか、彼と2人で会うことが楽しみとなっていた。
釣り合わない人、遠い存在の人に抱いてしまった感情に気がついてはいけなかった。
本当は専務の母親に言ったことに演技はなかった。ただ、だましていたのは自分と専務に対してだけ。
いつかは終わる偽装婚約だけど、わかっていたけれど・・・私は辰川有史のことが好きなのだ。