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一話

前回から一週間ほど過ぎた頃の話です。

 時刻は五時を少し過ぎた頃。五月に入ってから少し経ったとはいえ、未だ早朝の肌寒さは抜けそうもない。朝露に濡れる草花も少なくない中、川沿いの道を俺は走る。


 中学の頃からの習慣である早朝ランニングを、中学卒業後も毎日続けている。こうして走ることは、俺にとってはもう意味をなさないこと。そのはずだった。

 けれど、今の俺にとってこうして目的もなくただただ走ることは、それ自体が意味のある行為になっていた。


 何かに悩んだとき、自分の中で感情をもてあましそうになった時。こうして息が切れるまで走ることで、俺は自然とそういった悩みが晴れていくことを感じていた。勿論、そういったストレス解消のためにいつも走っている訳ではないのだが。しかし、ここ一週間ほどは訳が違い、中々解消出来ない悩みをかかえたまま、けれども明確な答えを出せないでいる。


 そうして、息も切れるほどにたっぷりと走り込み、腕時計にちらりと視線をやれば、既に時刻は五時半頃。軽く流しながら、俺は家路を目指す。




 ――――今日も又、悩みは晴れないままだった。








 俺こと陣ノ原燦あきらが住む星群ほしむら市は、それなりに近くに海が、隣接する市には山がある、自然を残しつつも近代化の煽りをしっかりと受けている市だ。その証拠として、嘗て広がっていた一部の田畑は殆どがなりを潜めており、開拓されている。これは、第二次大戦後の高度経済成長が背景にある。


 こうして開拓された場所を”新市街地”、今も変わらず昔の趣を残している街並みを”旧市街地”と名目上は呼んでいるが、かといって双方にいざこざがあるわけでもなく、概ね関係は良好と言える。もっともこの背景に、海が近いことを生かした水族館の建設、隣接する夕暮市に大型の遊園地が建設されたことによる観光客増加による恩恵があるのだが、殆どの市民にとっては大した争いがなければそれでいい、自然の景観を損なわない程度なら街が潤えばまたそれもよし、程度の認識でしかなかった。


 さて。そんな星群市で生活している俺の家は、限りなく旧市街地よりの新市街地と隣接する場所にあったりするため、旧市街の住民からは慣れ親しんだ場所として。新市街の住民からは図らずも隠れた名店的な存在として、それなりに忙しい毎日を送っている。









 時刻は六時と少し過ぎ。自宅へと戻った俺は、庭先で軽くストレッチをしたあと、シャワーを浴びる。

熱いシャワーの湯が、僅かばかりベトついた肌に心地よい。


 黒のチノパンと清潔な白のワイシャツに着替えたあと、リビングへと向かう。ヤカンを水をくべ火にかけ、冷蔵庫の中から、昨夜のうちに用意しておいたBLTサンドで軽く腹を満たす。シャキシャキと触感のいいキャベツの歯ごたえと、トマトの果汁にベーコンの香りと味が口内にフワリと広がる。簡単なものとは言え、我ながら良いできだと感心する。


 三切れほどを腹に収めた頃に、ちょうど良くお湯が沸く。コーヒーメーカーに自分でひいた珈琲豆を用意し、お湯を注いでいく。そうして珈琲が出来上がるまでの間に、一日の流れを確認しておく。


 予約客の有無や珈琲豆、食材の在庫の確認。そうこうしている間に出来上がった珈琲を淹れる。それらを一通り済ませ、続いて新聞を手に取る。少し前に姉から、珈琲を飲みながら新聞を読むなど傍から見れば出勤前のサラリーマンなのだが、何故かその様子が異様に様になっている。アンタ本当に16歳か?などと呆れ半分に言われたのだが、何だか納得がいかない。第一、姉の言うように俺はまだ16でそこまで老け込んだ覚えは無い。


 ちらりと壁にかけてある時計に目を向ければ、時刻は六時三十五分を指している。カップに残った珈琲を一息に飲みこみ、後片付けをしたのちに、身支度を済ませ家をあとにする。向かう先は当然、喫茶店だ。








 我が家から100mもしないで辿り着ける、喫茶『aire de repos』。それが我が陣ノ原家が経営する喫茶店の名前だ。フランス語で書かれたこの店名は、直訳すると意味は日本語で『休憩所』を表すのだが、今は亡き親父は『安らぎの場所』という名で看板を出した。

 元々は俺の父方の祖父が営業を始めた喫茶店がベースとなっており、イギリスやフランスなど諸外国で本場の経験を積んだ父が後にリフォームし、現在の形に落ち着いている。


 そんな店の外観は、少し大きめのログハウスを思わせる木造建築。扉は取っ手から窓枠まで木製で出来ており、一見古ぼったい印象を与えるも、内装は洒落た造りになっていて、何処か懐かしい雰囲気を漂わせている。

 店内には最大四人掛けのテーブル席が6つに、カウンター席が6つ。テーブル席のほうは非固定式なので、団体客がきた場合席を合わせる事が出来るようになっている。

 ちなみに明良たちが来店したときも、当然のように席を移動させて思い思いに寛いでいる。


 正面の入り口の鍵を開け、店内に入る。カロンカロン、と鈴の音が静まり返った店内に響く。次いで、窓を開き新鮮な空気を取り込む。室内に響く鈴の音と、フワリと吹き抜ける風が肌に心地よい。この、誰もいない静まり返った時間が、俺の密かなお気に入りだったりもする。だがそれも、あと十分もしないうちにぶち壊されるだろう。別にそれが嫌いな訳では無いのだが、そう思うと何時もの事とはいえ少しだけ気落ちする。


 気持ちを切り替え、俺は愛用の黒いエプロンを着用し、手を丁寧に洗う。続いて、清潔な布巾でカウンター席を丁寧に拭く。続いて、食器棚から五つのカップとコースターを用意する。他のカップと違い、同じ食器棚の中に入ってはいるが、専用と分かるように仕切りで区別してあるそれらを、さっと水で洗う。


 次に、家でさきほどもやったように、ヤカンに水をくべ火にかける。そうしている間に、キッチンとカウンターに幾つかの珈琲豆と紅茶の茶葉、冷蔵庫からは贔屓になっている近くのパン屋でかった普通の食パンとライ麦の食パン。それからベーコン、レタス、タマゴ、トマトなどの具材を幾つか取り出す。


 普通の食パンのほうは、パンのみみを切り取る。ライ麦パンのほうは、本人達の要望でそのままに。それから素早くマーガリンを塗る。冷水で野菜をさっと洗い流し、レタスは手でちぎっていく。この時は、それほど小さくしなくてもいいのが、俺流だ。そのまま同様にベーコン、トマトを切り、タマゴは溶いて置く。


 俺は何時ものように、ベーコン、レタス、タマゴのBLTサンドから作ることにする。溶いたタマゴを油を適量ひいたフライパンで手早く焼いていく。そうして出来上がるのは、半熟のスクランブルエッグ。アツアツのそれをレタスやベーコンと一緒に丁寧に挟み、パンで閉じたあとは、食べやすい大きさにする為に四等分にする。

 具がこぼれないようにするので、なかなか力加減が難しい。これも、最初の頃は何度も失敗をしたものだ。もっとも、今では手馴れたものだが。


 続いて、トマトを入れたライ麦パンのBLTサンドに取り掛かる。トマトとタマゴの二種類にしているのも、パンの味の違いから組み合わせを変えたほうが味が引き立つからだ。まぁ、要望があれば変えることも当然あるのだが。

 さきほどと同じような手順で準備を進め、ライ麦パンのBLTサンドも出来上がった。三セット出来たそれを四等分にするので、合わせて二十四個。小さいとはいえ、これならば多少は腹の足しになるだろう、と考えていた時。

 カロンカロン、と来店を告げる鈴の音が鳴る。……どうやら時間に間に合ったようだ。


「よぅし、一番乗りぃ!」


「あぁ!?また先越されたぁ……」


 まだ時間は六時四十分ほどだというのに、やたらと元気のある声で入ってきたのは明良だ。続いて、やや気落ちしたような声で入ってくるのが茜だ。この二人は何時の頃からか、こうやってどちらが最初に来店するかを競っているらしく、今のところ勝率は明良に分配が上がっている。二人はじゃれあいながら、カウンター席に座る。


「なんというか……」


「毎度毎度申し訳ありません」


 そんな二人のあとに、呆れたように額に手をあてている琢磨と、申し訳なさそうに苦笑する美耶子。こっちの二人は毎度明良と茜(馬鹿二人)を抑える役に回っているのだが、どうやらこの朝の恒例行事ばかりは止められないらしい。まぁ、無理もないだろう。これもまた、いつもの光景だ。ただ、ほんの少しだが、しかし大きな変化が訪れた。


「二人が謝ることじゃないさ。それと……おはよう、クリス。やっぱりまだ慣れないか?」


 最後に、少しばかり呆然とした様子で入ってくるのは転校生のクリスティナことクリス。彼女がこうして朝の恒例行事につきあうようになってから既に一週間は経つのだが、まだ明良と茜(馬鹿二人)のハイテンションにはついていけていないようだ。


「あ、あはは……。おはよう、ジンさん。まだちょっと、ね」


 あの日以来、彼女はこうして四人とつるんでこの店を訪れるようになった。普通の高校生ならば、漸く朝食を終えるか身支度を終えているかの時間帯のため、初めの三日ほどまでは、彼女は重い瞼を擦るようにして四人の後をついてきたものだ。

 だがそれも少しはマシになってきたのか、多少寝むそうにはしているものの慣れ親しんだように、琢磨と美耶子に続いてカウンター席へと腰を落ち着ける。


「それでも、最初に比べれば大分マシになったほうじゃないか?初日みたいに目を擦ってないし」


「も、もうっ。恥ずかしいんだから、もう忘れてよね?」


 そう指摘すると、彼女は僅かに頬を朱に染め、ツンと顔を逸らす。時々こうして初日のことをネタにからかうのも、そんな彼女に謝罪の意味を込めて紅茶を淹れるのもまた、今の俺達の日常となっている。


「お詫び、って訳じゃないんだが……。アレ、用意が出来たよ」


「ほ、本当っ?」


 御機嫌斜めな彼女の機嫌を取るため、ではないが、俺はふと話題を切り替える。すると先ほどまでの不機嫌さはどこへやら。どこか期待に満ちた表情を向けてくる。そんな彼女を宥めながら、俺は五人の目の前のカウンターにそれぞれコースターとカップを置いて行く。


 純白の側面と縁に金の装飾があしらわれたティーカップ。その小洒落たカップの持ち手の部分が、それぞれ異なる色の装飾が施されている。

 明良、茜、クリス、美耶子、琢磨の順に、紺、赤、紫、青、緑の色で並んでいるそれらは、彼等専用のカップであることを表す証。それは、コースターも同様だ。


 彼女が待ち望んでいたのは、自分専用のティーカップだ。初めてこの店を訪れたその時、クリスは自分が使っている物と明良たちが使っている物が僅かに違うことに気付いた。そして理由を話すと、何処か物欲しそうな表情をするので、こうして彼女専用のカップを用意する事となった。


 専用、といっても、これは元々ウチで扱っているカップに俺が少しだけ手を加えたものだ。その昔、俺は祖父からちょっとした細工や彫刻の扱いの手ほどきを受けた事があり、それを知った茜がせがんできたのが、そもそもの始まり。

 持ち手の部分の縁を僅かに削り、塗料で色づけを繰り返す。仕事の関係もあるので、一つ出来上がるのに大体一週間くらいかかるそれを、俺は少しばかりの徹夜をすることで四日に短縮させた。


「カップの底も見てみるといい」


 にやけそうになる顔を必死で堪えている彼女に、やんわりと促す。まるで、というか割れ物を扱うような手つきでカップを手に取った彼女は、その底を見てあっと小さな声を漏らす。


「これって……」


「クリスの頭文字を刻んだ」


「俺達のもな。ホレ」


 そういって笑う明良に続き各々カップを持ち上げると、それぞれの色でイニシャルが刻まれている。コイツ等のを作るのに二日貫徹させられたのは良い思い出だ。そう思わないとやってられんだけなのだが。


 そうして暫くしげしげとカップを見つめていたクリスは、やがて満面の笑みを浮かべる。花が咲くような笑み、というのはこういうのをいうのだろうな、などと柄にも無い事を頭の隅で考えた。


「ありがとう、ジンさん。凄く嬉しいよ!」



 ……まぁ、この笑顔が見れただけでも徹夜をした価値があるというものだ。




感想・指摘等お待ちしております。



10/24 一部修正をしました。

・俺は五人の目の前にそれぞれコースターとカップを置いて行く。

・俺は五人の【目の前のカウンターに】それぞれコースターとカップを置いて行く。


・最後の行の文頭に【……】を追加しました。

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