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クレッシェンテ抄録

愛を注ぐということ

作者: 高里奏
掲載日:2010/10/31

 何故だかはわからないが、とにかくクレッシェンテ人は朝に弱い。

 もう、既に、太陽が二つ上っている。

 すなわち昼だ。

「スペード、もう昼だ。起きろ」

「……黙れ」

 このカトラスAことスペード・ジョアン・アンジェリスも例外ではない。

 いつもの人を見下したような胡散臭い敬語が消えるほど不機嫌さを露わにして、再び布団に潜り込む。

「起きろー、客が来てる」

「……誰だ?」

 不機嫌そうにスペードはうっすらと目を開ける。

「メルクーリオ・ロートって名乗ってたようなきがしなくもない」

「追い返せ」

 既に命令だ。

 相当機嫌が悪いらしい。

「ほんと兄弟仲悪いね」

「あれを兄だと思ったことはありません」

「しかもカトラスの方が本名なんでしょ?」

「黙りなさい」

 ようやくいつものスペードだ。

「もう一眠りします。お前も付き合いなさい」

 スペードにベッドに引きずり込まれる。

「ちょっと、メルクーリオはどうするの?」

「知りません。放って置けば諦めて帰るでしょう」

 そう言って、スペードは目を閉じる。

「それが……客間に居るんだけど……」

「お前は……」

 スペードは慌てて飛び起きた。

「何故そう、余計なことばかり出来るのでしょうね」

 深いため息の後にリリムの方が優秀な弟子でしたと言う。

「弟子入りした覚えは無いし」

「黙りなさい。今すぐ着替えて来なさい」

「え?」

「あれは人の服の趣味にまでうるさい」

 うんざりしたように言いながら、スペードはベッド下収納の中を漁る。

「……いや、何着ても文句言われると思うけど」

 完全洋風のメルクーリオと完全中華風のスペードじゃ合うはずも無い。

「あれの趣味に合わせるつもりはありませんが、文句を言われるのも気に入らない」

 そう言ってスペードは何かを投げつけた。

「セシリオの服ですが着て着れないことは無いでしょう。それを着なさい」

 どう見ても女物の着物に少し戸惑う。

「自分の部屋で着替えて来なさい」

「はぁい」

 客人ひとりで随分大袈裟だと呆れることしか出来なかった。




「遅い」

 客間にお茶を運ぶと客人は不機嫌そうに言う。

「申し訳ございません」

 メルクーリオ・ロートと言う男はウラーノ・ナルチーゾ以上に貴族の威厳的な雰囲気を纏っている。

「そなたに言っている訳ではない。我が愚弟は何をしている?」

「えっと……着替えています」

「……あれは……私は急いで居ると伝えてくれ」

「はい」

 一体何を急いでいるのかはわからないけれど、彼が何かに焦っていることだけは分かる。

 私は慌ててスペードの部屋の戸を叩いた。

「スペード、メルクーリオは急いでるって」

「用件は聞きましたか?」

「まだだけど……」

 そう言うと、ため息が聞こえる。

「行きますよ」

 突然開いた戸から現れたスペードに驚いた。

「……スペード?」

「何です?」

「いつもと全然違う」

「黙りなさい」

 露出狂とウラーノにからかわれるほど、鎖骨を晒すのが好きなスペードが、かなりきっちりと着込んで居る。

 メルクーリオ・ロート恐るべし。


 客間に戻るとメルクーリオは苛々とした様子で懐中時計を見ていた。

「遅い」

「昼間に来ないで下さい」

「私はお前のように暇ではない」

「それで? 用件は?」

 お互い、会話をする意志が無いのではないかと思える雰囲気は呼吸するのが苦しい程居心地が悪い。

「陛下からの召集だ」

 メルクーリオは真っ白な封筒を机に置いた。

「お断りします」

「中を見ろ。召集に応じれば、お前の手配も無かったことになる」

 メルクーリオの目は鋭い。まるで無断で帰らなかった時に怒るアラストルのようだ。

「別に僕はそれを望んでいません」

「たまには兄の言葉を聞け」

「僕は貴方を兄だと思ったことはありません」

「私はお前を思って言っている。お前が捕らえられればその子はどうなる」

 メルクーリオの声が少し大きくなる。

「この子なら平気です。陛下のお気に入りですから」

「そういう問題ではない」

 メルクーリオの声にほんの僅かに怒りが混ざる。

「では? どういう問題だと?」

 スペードはあくまで挑発的に言う。

「お前が死ねばその子が悲しむ」

「は?」

 私は思わず間抜けな声を出してしまった。

「悲しまぬのか?」

「あっ、いや……そう言うわけじゃなくて……」

 クレッシェンテらしからぬ発想だと思った。

「メルクーリオ・ロートという男にクレッシェンテらしさを求めても無駄ですよ。この男は昔から異端だ」

「え?」

「カトラス、お前は愛を注ぐということを知らないからそう思うのだ。お前はまだ、本当の離別の悲しみを知らぬ」

 メルクーリオはどこか寂しげな表情で言う。

「愛の注ぎ方なら知っています。尤も、僕が愛を注ぐ相手はこの子だけですが」

 スペードはそう言いながら私を抱き寄せる。

「あまりメルクーリオに近づくと馬鹿が移りますよ。って、元々でしたね、お馬鹿さん」

「あんた……もう少し言い方無いの?」

「これが僕の愛情表現です」

「陛下に首を刎ねて貰いな」

 呆れた。

 折角顔は良いのにどうして気の利いた言葉を言えないんだろう。

「私はこれでも、お前にも愛を注いできたつもりだ。私とて血の繋がった弟を処刑などという不名誉な形では失いたくない」

「では、貴方は僕に何をしてくださるんです?」

「お前を処刑させないために私はロート伯とう地位に居るのだ! お前が居なければ今頃はシエスタで歌劇役者をしていた」

 メルクーリオ・ロートという男は芸術をこよなく愛し、どうもクレッシェンテには向かない男なのだ。

 もしかすると爵位はクレッシェンテに向かない者に与えられるのかも知れない。

「僕がどう生きようと、どう死のうと貴方には関係の無いことだ」

 スペードは冷たく言い放つ。

「スペード、メルクーリオはスペードを心配しているんだよ」

「心配してくれと頼んだ覚えはありません」

 スペードは本当に幼い子供のようだ。

「何故わからぬのだカトラス……」

 メルクーリオは頭を抱える。

「私は、何のためにこの四百年を生きながらえたのか理解できぬ」

「理解する必要なんてありませんよ化け物。さっさとくたばりなさい」

「あんたねぇ……実の兄になんてこと言うの!」

 私は思わず叫んだ。

「これを兄だとは思いたくもありません」

 スペードは忌々しそうに言う。

「帰りなさい」

「ああ、そうしよう」

 スペードの言葉に脱力した様子のメルクーリオはよろよろと立ち上がる。

「すまない、馬車まで付き添ってくれぬか?」

「あ、うん」

 消え入りそうなメルクーリオを放っておくなんて出来ない。

「すまない」

 メルクーリオは縋るように私の肩に掴まる。

「それに肩を貸す必要はありません。戻りなさい」

「私の肩だ。どうするかは私の勝手てしょ?」

 自分でも驚くくらいつめたい声が出た。

 スペードは一瞬ひるんだ様子を見せる。その隙にメルクーリオと二人外に出た。




「すまない、世話を掛けた」

「ううん。こっちこそなんかスペードがごめんね?」

「そなたが気に病むことではない。それより、カトラスを、弟を頼む」

 この人はどこまでも弟を思う兄だ。

「あんなんだが、もう、たった一人の肉親なのだ。私にはもうカトラスしか居ないのだ……」

 朧を纏ったメルクーリオは、いつも以上に消えそうなほど儚い。

「カトラスを頼む」

「うん」

「落ち着いたら、便りをくれぬか? カトラスの様子を知りたい」

「うん」

「すまない。弟がいつも迷惑を掛けているであろうに、私までそなたの負担になるとは」

「負担だなんて思ってないよ。確かにスペードは迷惑も掛けるけど、そういうのもひっくるめて楽しいよ。クレッシェンテは」

 私の知らなかったものがあふれている場所なんだと告げれば彼は微かに笑う。

「いつかロートに招待しよう。カトラスには秘密で」

「いいの?」

「ああ。たまにはそなたも羽を伸ばす機会が欲しいであろう? あれは少しばかり依存が強い」

 メルクーリオは笑って、それから馬車に乗り込んだ。

 彼の馬車には蓮の花を象った飾りが付いている。

「また会おう」

「うん」

 メルクーリオ・ロートという人は多分、愛に飢えて、そして愛に溢れているのだろう。

 彼は自分の満たされない愛を他者に注ぐことで満たされようとしている。

 なんとも矛盾しているけれど、それこそが人間なのかもしれない。



 屋敷の中に戻ると不機嫌そうなスペードの姿があった。

「遅い」

「ごめん。ちょっと話し込んじゃって」

「何を話していたんです?」

「スペードが甘えん坊ですっごく大変だったって話」

「なっ……」

 普段はあまり顔色を変えない彼が急に顔を赤く染め慌て始めるのだから図星なのだろう。

「嘘だよ。ただ、メルクーリオがスペードのことお願いって何度も何度も頼んできたからさ、ああ、大きな息子が出来るのかなって思ってただけ」

 兄のような母のような無償の愛を注ぐということはきっと今の私には難しい。

 だけども、少しでもメルクーリオの力になりたいと思ったのもまた事実で。


「スペード」

「何です?」

「たまにはメルクーリオを労わってあげないと本当に消えちゃうよ? あの人」

 なんか陽炎みたいだし、といえば、彼はいつものように笑う。

「あれがそこまで繊細なわけが無い。かなり図太い神経をしていますよ」

 スペードはそう笑って、自分の部屋のほうへ歩き始める。

「あれ? どこ行くの」

「寝ます。貴重な睡眠時間を邪魔されたのですから今日はもう何もしたくありません」

 彼は拗ねた子供のようにそう言って自室に篭ってしまった。


 メルクーリオが心配するのも分からなくも無いが、今はまだ、見守っているだけで十分そうだ。

 今日はお勉強がなくなったので早速メルクーリオに手紙でも書いてみることにした。


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