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国境監査官令嬢は、離縁書類で帝国を詰ませる  作者: 和三盆


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3/5

第3話 「帳簿は嘘をつかない」

夜が明ける前の王都は、驚くほど静かだった。


私は黒の外套を羽織り、王室会計局へ向かう。


舞踏会の甘い匂いは消え、代わりに石と紙の匂いが戻ってくる。


ここが、私の戦場だ。


会計局の執務室。


積み上がった帳簿の山の前に、マルセルが青ざめた顔で立っていた。


「監査官殿……こちらが持参金関連の出納記録です」


机の上に置かれた帳簿は三冊。


私は手袋を外し、静かにページを開いた。


数字を追う。


金額。

日付。

用途。

承認印。


そして――


「……ここ」


私は指を止める。


「軍需費増額分と同額が、婚資信託口座から移動している」


マルセルが息を飲む。


「やはり……」


私は首を振る。


「“やはり”ではない。これは“確定”よ」


王太子が「国益」と書いた意味が、ここで反転する。


国益のために婚約を解消した。


だがその“国益”の名のもとに、

婚資が使われている。


つまり。


王家が、私の持参金を軍費に流用した。


それは王室会計規律違反。


さらに――


「国境特別軍備費。……名目が悪いわね」


マルセルが震える声で言う。


「その費目は、帝国との緊張に備えるものです」


帝国。


昨夜の男の顔が浮かぶ。


レオンハルト・クロイツ。


彼は知っている。


いや、知る立場にある。


コン、と扉が鳴った。


迷いのないノック。


「入って」


扉が開く。


濃紺の礼服。


冷静な目。


「早いな、監査官殿」


「あなたこそ」


彼は机の帳簿を一瞥する。


状況を一瞬で把握する目。


「見つけたか」


「ええ。王家は婚資信託を軍備に流用した」


「証拠は?」


私は帳簿を彼に向ける。


「承認印、出納記録、金額一致。否定は困難」


レオンハルトは無言で数秒確認し、頷いた。


「十分だ」


その言葉には重みがあった。


「これが公表されれば、どうなるか分かっているな?」


「王家は規律違反。持参金は即時返還義務。さらに――」


私は息を吸う。


「王太子の“国益”の正当性が崩れる」


彼はわずかに目を細めた。


「正解だ」


沈黙が落ちる。


だがそれは敵対の沈黙ではない。


同じ地図を見ている者同士の静寂。


「取引の話をしましょう、特命交渉官」


私は言う。


「あなたは何を望むの?」


レオンハルトは一歩だけ近づく。


距離は保ったまま。


「戦争回避だ」


短い。


だが核心。


「王太子は軍備増強を急ぎすぎている。財源が足りない。だから流用した」


「それを止めたい、と?」


「止める。合法的に」


その言葉に、私は小さく笑う。


「奇遇ね。私もよ」


彼は書類を一枚差し出す。


「境界局とヴァルフォード家の共同監査協定案だ」


私は目を通す。


そこには、


・持参金返還請求の公式化

・軍備費流用の再監査

・国境軍需予算の透明化

・両国監査官の合同査察


が記されている。


……大胆だ。


だが合理的。


「これを出せば、王家は?」


「即時返還か、議会での公開審査」


「どちらにしても」


「恥はかく」


彼は淡々と言う。


だがその目は、私を見ている。


試しているのではない。


選ばせている。


「ひとつ確認」


私は言う。


「私を利用するつもり?」


彼は即答した。


「対等に協力する」


一拍置いて、続ける。


「君は駒ではない。交渉相手だ」


胸の奥が、わずかに温かくなる。


昨日、私は“計算ばかりの女”と言われた。


だがこの男は、


私の計算を、武器として認めている。


「分かったわ」


私はペンを取る。


「共同監査、受ける」


署名。


印。


紙と紙が重なる音。


それは剣よりも静かだ。


だが確実に、国の形を変える音。


その瞬間。


廊下が騒がしくなった。


兵の足音。


扉が荒く開く。


「監査官リュシア! 王太子殿下がお呼びだ!」


マルセルが青ざめる。


私はゆっくり顔を上げる。


「理由は?」


「軍備費の件で“誤解”があると!」


誤解。


私は笑った。


「誤解ではありません。記録です」


レオンハルトが静かに言う。


「行くか?」


「ええ」


私は帳簿を閉じる。


写しを胸に入れる。


そして立ち上がる。


「そろそろ、“詰み”の意味を理解していただきましょう」


兵の先導で廊下を進む。


窓から差す朝日が、赤く石壁を染めている。


まるで、王家の印璽の色のように。


玉座の間の扉が開く。


そこには、


怒りを隠しきれない王太子アルベルトと、

不安げな聖女セレス。


そして、重臣たち。


私は一礼する。


「お呼びと伺いました」


アルベルトの声は硬い。


「リュシア。帳簿を調べたそうだな」


「はい」


「それは王家への不信と取られても仕方がない」


私は顔を上げる。


静かに、はっきりと。


「不信ではありません。監査です」


沈黙。


そして私は、最後の一手を打つ。


「殿下。持参金返還請求を正式に提出いたします」


大広間が凍りつく。


「理由は――」


私は写しを掲げる。


「殿下ご自身が“国益”を理由に婚約解消されたため」


アルベルトの顔から血の気が引く。


さらに。


「加えて、婚資信託からの軍備費流用が確認されました」


ざわめきが爆発する。


重臣の一人が叫ぶ。


「それは事実か!?」


私は帳簿を差し出す。


「署名、承認印、出納記録。否定は困難です」


王太子の手が震える。


「……誰が、そこまで」


私は微笑む。


昨日と同じ笑み。


だが今度は、焼けるような痛みはない。


「書いていただいたのは、殿下です」


沈黙。


完全な沈黙。


王家は、動けない。


合法的に。


完璧に。


詰み。


だがそのとき。


聖女セレスが、震える声で言った。


「……神は、真実を照らします」


彼女の手が、淡く光り始める。


大広間にざわめき。


レオンハルトが低く呟く。


「……魔術か」


光が帳簿に向かう。


紙が震える。


文字が――


滲む。


私は目を見開く。


「な……」


インクが、消えていく。


王太子の顔が、歓喜に歪む。


「見ろ! 神は我らを認めた!」


帳簿の証拠が、消される――?


だが私は、ゆっくり息を吐いた。


そして、胸元からもう一冊取り出す。


「残念ですが」


私は静かに言う。


「監査は、写しを三部取るのが基本です」


大広間が、再び凍りつく。


レオンハルトの口元が、ほんのわずかに上がった。


聖女の光が、揺らぐ。


私は前へ出る。


「紙は消えても、記録は消えません」


朝日が差し込む。


戦いは、次の段階へ。


神か、法か。


その答えを決めるのは――


もう、涙ではないのだから。

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