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トライフォード伯爵家のじゃない方の令嬢の弟の方のお話

掲載日:2026/01/08

「えっ」


皆さん大体そんな反応をなされます。それはもうことごとく。

今日のはいささかダイレクトでした。


「ち……」

と、口を滑らせかけた伯爵令息をじろりと見上げます。

「近頃は夜になっても暖かいですね。ブロディ=トライフォードです」


なかなかアクロバティックな誤魔化し方をなされました。誤魔化されませんが。


今「小さい」と言おうとしましたね?


でもわたくし十六歳で子供ではありませんから、露骨に不機嫌になったり致しません。

にっこりと微笑まれた伯爵令息ににっこりと微笑み返します。


「ファニィ=オーガスタです。本当にすっかり暖かくなりましたわねぇ」


初対面の挨拶には珍しい天気の話を微妙に強めの語気で敢えて繰り返します。

言外に誤魔化されていませんよ、と言ってます。笑顔の中に嫌味を紛れ込ませるのは大人のテクニックです。

大人の嫌味は通じたようで、ブロディ様の笑顔が微妙に引きっています。


「一応十六歳なんだ……」


兄のグレンが口を挟みます。


なぜ「一応」を付けますか。曲がりなりにも言葉を飲み込んだお相手の配慮が台無しです。

ブロディ様は微妙な笑みを見せながら曖昧あいまいうなずかれています。

反応に困っているではないですか!


思わず兄を横目で睨みます。妹の抗議の視線には気付かぬ様子で、グレン兄様はなにやらごにょごにょと遠慮がちに言葉を接ぎました。


「まだデビュー前で、こういう場は初めてで……。一曲踊ってやってくれないか?」


不意打ちです。

グレン兄様からは事前に何も聞かされておりませんでした。ブロディ様も同様のご様子です。伯爵令息が一瞬(ひる)まれたのを、わたしは見逃しませんでした。

ですが一瞬でした。

紳士たるもの、女性に恥をかかせてはなりません。一瞬で笑顔の仮面を被り直したのはさすがです。


「喜んで」

と優美な微笑みと仕草で手を差し出されて悪い気は致しません。


背が違い過ぎると踊りにくいですから、ブロディ様がひるまれるのは無理もありません。

ちょっとほっとして見える兄は、わたしが誰にも誘って頂けないのではないかときっと心配していたのでしょう。

精一杯背筋を伸ばして、わたしはブロディ様の手を取りました。


今日の夜会の主催者は、我が家の親戚筋のご令息です。招待客は親族と親しい友人だけというお話で参加者は多くはありませんが、会場も広くはありません。


曲は既に始まっていて、小さなフロアでは五、六組が既に踊っておりました。わたしはブロディ様のエスコートで広間のいている場所に進み出ました。


初対面ですから、ブロディ様のダンスの技量は存じ上げません。

向かい合って手を添え合い、曲の途中から上手く入れるでしょうかとちょっと心配しましたが、ブロディ様は流れるように曲に入られました。



上手い!


ブロディ様はダンスがお上手です!



ダンスは基本的に、男性のリードで全てが決まります。

どんなステップを踏むのか、どちらへ向かって進むのか全て男性が決めて、わずかな体の動きでそれを女性に伝えられなければなりません。女性がどんなに優れた踊り手であったとしても、男性のリードがつたければまともに踊れないものなのです。


ダンスの先生以外でこんなに踊れる男性にわたしは会ったことがありません。


ブロディ様がちょっと意外そうにわたしをご覧になります。


はい、わたくしダンスは得意です。


数小節踊ってわたしが踊れると気付いたご様子のブロディ様は、少しずつ難しい足型を入れ出しました。


細かくて複雑なステップ、見栄えがする大きなターン、華やかな見せ場のポーズ。


ほかのカップルの間を高速で縫うように進みながら、次々と色々な技を入れて下さいます。



気持ちいい!


リードが完璧です!


こんなに全力で踊れることはなかなかありません。



曲の最後には、これまで学んできたことを出し切れたと何やら誇らしい気持ちで一杯でした。

ブロディ様の腕の中で独楽こまのように回ってダンスを終えると会場がわっと沸き、わたしとブロディ様は熱狂的な拍手に包まれました。


ブロディ様がきらきらとしたでわたしをご覧になっています。


と。


伯爵令息はわたしの右手を左手で押し戴くようにして深々と一礼され――――――そして満面の笑みを浮かべてもう一度わたしをご覧になりました。



やられました!



完全に持って行かれました!



その笑顔は罪つくりだと思います!



初恋でした。ほぼ失恋確定の初恋なんて、あんまりです!





ブロディ様のトライフォード伯爵家は、我が国では知られた家です。


ご領地は実は我が家の領地のお隣にありますが、日頃のお付き合いはありません。兄とブロディ様が知り合ったのもごく最近で、師事している武術の先生同士が師弟関係にあったご縁だと聞いております。

トライフォード領は我が家とは比べ物にならない程広いので、お住まいも気軽に遊びに行けるような距離にはないのです。


トライフォード伯爵家はそもそもがそんなご名家ですが、社交界にその名が知れ渡っているのには別の理由があります。


トライフォード家には「神の贈り物」とまで言われる有名なご令嬢がいらっしゃるのです。


デビュー前のわたしでさえ「シンシア様」というそのお名前や、ご年齢まで存じ上げています。年齢から考えてブロディ様はシンシア様のお兄様に当たられると思います。


更に今年は公爵家とのご縁談が決まったトライフォード家のもう一人のご令嬢、アリア様が社交界の話題をさらわれました。


失礼ながらわたしなどは、それまでアリア様のお名前を伺ったことがありませんでした。なのでシンシア様とブロディ様にお姉様がいらっしゃることさえ存じ上げませんでした。

ですが今年、社交シーズンの終わりに起きたちょっとした騒動により、アリア様は一気に社交界の人気者へと押し上げられたのです。


そしてその騒動の余波で、ブロディ=トライフォード様も独身令息の人気ランキングを駆け上ることとなりました。


ちなみにそのランキングで、長年不動の一番人気と言われていたのはアリア様の婚約者となられた公爵令息様です。


そんな訳で兄の友人ということもありますが、わたくしブロディ様のお名前だけは存じておりました。


どう考えても貧乏子爵令嬢のわたしには手が届かないお方です。


つまりブロディ様は名家の跡継ぎ息子であられる上に、公爵家の縁戚にもなられるお方なのです!


しかも「天から舞い降りて来たような美少女」と噂されるシンシア様のお兄様だけあって、ブロディ様もとても綺麗なお顔をされています。これから高位貴族の令嬢方でブロディ様の取り合いが起きると思います。



「ブロディはダンスが上手いとは思っていたが、あれ程とは思わなかった。後でお礼を言わなくちゃな」


感嘆する兄の言葉で現実に戻されます。


いけません。目的を忘れるところです。

兄にとっても想像以上だったようですが、ブロディ様とのダンスは宣伝効果が抜群でした。

先刻さっきまで遠巻きにされていたわたしを早速ダンスに誘ってくれる方がいます。兄の人選は素晴らしかったと思います。……って、嬉しそうなグレン兄様が何か勘違いしてそうで心配です。なんのための宣伝だったと思っているのでしょう。


誘って下さった方の手を取ってもう一度フロアへと進み出ながらちらりと見ると、ブロディ様は既に何人もの令息や令嬢に囲まれていました。いけないと思いながらも輪の中心の金茶色の巻き毛とお陽さまのような笑顔に視線と心を持って行かれてしまいます。


あっ、あの赤いドレスのご令嬢は先刻さっき凄い目でわたしを睨んで行かれたお方です。

どこのご令嬢かは存じませんが、ブロディ様狙いでしたか。

ブロディ様の前にあんなに堂々と立てるなんて、おそらくそれなりのお家柄なのでしょう。

ご令嬢は意味ありげにブロディ様を見つめただけで特に言葉を交わした様子はありませんでしたが、女性に恥をかかせてはなりません。ブロディ様は礼儀正しく女性をダンスに誘われました。


ありがたいことですがそれからわたしは何人もの方に誘って頂けて、やっぱりひっきりなしにご令嬢方の相手をされていたブロディ様ともう一度踊る機会はありませんでした。



***


「ファニィがあんなに誘って貰えるなんて、ブロディのお蔭だな」


小さな机を囲んで家族全員が集まると、ソファの上はぎゅうぎゅうです。翌朝の我が家のリビングで、グレン兄様はまだ嬉しそうにしておりました。


「素敵な方はいた?」

とうきうきと訊いてくる弟と妹ともどもやっぱり何か勘違いしてる気がします。


「いましたけれども……」

つい口を滑らせると小さな妹のが期待で一杯になったものですから、急いで付け加えました。

「皆様我が家とは格違いの方ばかりですよ」


「でもファニィはこんなに可愛いのに……」

そんなことを言う兄と、悲しそうな顔をする父に溜め息がこぼれてしまいます。お兄様とお父様は貴族社会を渡って行くには人がよすぎるので、我が子爵家が成り上がることはないと思います。兄がブロディ様と親しくして頂いているのは奇跡です。


我が家で現実的なのはわたくしと母だけです。



今年の社交シーズンは終わろうとしていますが、未婚の若い貴族子女にとって社交シーズンは婚活シーズンと同義です。


この期間はわたしのようなデビュー前の貴族令嬢も、親族や友人だけの小さな集まりなどには積極的に顔を出します。それはデビューに向けての練習の意味もありますが、顔と名前を売っておくためなのです。

どこかのご令息なり家なりの目に留まればデビューしてすぐに婚約が決まることもありますし、中にはデビュー前に決まる場合もございます。


稀に家格がずっと上のご令息に見初められる令嬢もありますが、そんなのは物語になるくらいにごく稀です。基本的に家格違いの結婚は歓迎されませんので、夢を見てはいけません。


わたしは割と早くに現実を理解しておりましたので、顔を売りたかったのは婚活のためではありません。


求職活動です。


我が家は伯爵家の次男だった祖父が武勲によって叙爵したのが始まりの家で、ぽっと出もぽっと出の、貴族とは名ばかりの貧乏子爵家なのです。


吹けば飛ぶような小さな領地とは言え、一応は領地と爵位を継げる兄はともかくとして、あとのきょうだいが貴族と結婚出来る可能性はほぼないと言えます。結婚相手の経済力を当てに出来ませんから、わたしは食い扶持を確保しなければなりません。


体を動かすのは得意ですので、わたくしダンスの先生になろうと思っているのです。


なのに小さすぎる背が逆宣伝になるのではないかと心配されて、わたくし昨日きのうまで親族以外の集まりに連れて行って頂けたことがなかったのです!デビューは来年の予定で社交シーズンはもう終わりだと言うのに!


この背が不安要因だとは自分でも分かっておりました。ただ人脈ゼロで社交界に出て行くのは、結婚にも求職にも不利過ぎます。


それがブロディ様のお蔭で想像しなかったくらいの素晴らしい宣伝が出来ました。


想像しなかった落とし穴付きでしたけれども。


「ねえお姉様、素敵な方ってどんな方?」

食い下がる妹をどうお説教しようかと思ったその時、玄関の方が騒がしくなりました。


我が家のタウンハウスはささやかな大きさなので玄関の音もすぐに聞こえます。


今日は来客の予定はない筈ですが。


二人しかいない女中の一人が取り継いでくれたのは意外なお名前でした。


「ヒューゴ叔父様」


やがてリビングに案内されて来た叔父を一家全員で出迎えました。


ヒューゴ叔父様は父の弟です。爵位はお持ちではありませんが、王都の衛兵隊でそこそこに偉い地位に就かれています。長めの黒髪が相変わらずちょっとだらしない感じですが、仕事は出来る方です。


あまり顔色がよくありません。突然なんのご用でしょう。


ぎゅうぎゅうのソファになんとか加わられた叔父様は、すると深刻な表情で切り出されました。



「兄上……。ファニィに頼みがあるんだ」

「え、わたくしですか?」




⍦⍦⍦


「ち……」

と言いかけて黙ったけれど睨まれた。


これは口を滑らせた奴が大勢いたんだな。


「踊ってやってくれないか?」

と友人のグレンに妹君の相手を頼まれて一瞬(ひる)んだ。妹君がえらく小さかったのだ。



十六歳?!と言うことは来年デビュー?!シンシアの一歳ひとつ上?!しかも「こういう場は初めて」ってなんでだよ!


デビューの年齢にはっきりとした決まりはないけど、我が国ではほとんどの家が十七歳を娘のデビューの年齢としに選ぶ。デビュー前に小さな舞踏会とかで練習しておくものだろ。何やってんだよグレン?



内心驚いていたけれど、まあダンスは得意なのでなんとかなるだろう。


「喜んで」と言ってファニィ嬢に手を差し出した。



でも踊り出してすぐにファニィ嬢が予想以上に踊れると気が付いた。


動きが違う。物凄く小柄なのにぶら下がられてる感じもなくて、軽やかについて来る。

様子をうかがいながら少しずつ難しいステップや技を入れてみたけど、どの足型にも完璧について来た。


驚いた。


相当に練習しなければこのレベルにはなれない。


俺は姉上やシンシアの練習相手を務めている内に社交に不必要なレベルで踊れるようになってしまったけれど、この技能を発揮する機会なんてなかった。


互いが持っている全てを出しきりたくて、それからファニィ嬢と二人でフロアの上を駆け巡った。


無駄に凄い姉上達との練習以外で、こんなに本気で踊ったことはない。


曲が終わった時には感動していた。


でもそのあとはファニィ嬢は次々とダンスに誘われて、もう一度一緒に踊ることは出来なかった。妹君を宣伝出来て、グレンはほっとしただろうけど。



白金髪プラチナブロンドに近い金色の髪と水色の瞳。


ファニィ嬢は小柄だけど、物凄く可愛らしいと思う。会場をあちらへ行ったりこちらへ来たり、小さな体で一所懸命に動き回る姿が生命力に満ちていて、気付くと目で追っていた。



⍦⍦⍦


社交シーズンの終わりに婚約が決まった姉上のために、今年は我が家は王都への滞在期間を延ばすことになった。


マコーニー公爵家は国政に携わっているので元々王都にほぼ常駐していたけれど、そういう例外的な家を除いてはみんな領地へと帰って行って、王都はすっかり閑散としている。


領地持ちの貴族だけでなく、この時期のために王都に集結していた音楽家や、劇団員や商人と言った者達もみんな地方に散って行くので、貴族の邸宅街とその周辺の人口はシーズンが終わると激減してしまう。期間限定で営業していたような店も閉まってしまうから、街へ出ても行き場に困るようになる。



「帽子は絶対取っちゃ駄目ですよ」

「出来るだけ喋らないでくださいよ。貴族ってすぐばれます」


もう三十回は聞いたな、と思いながら大人しくうなずく。


厩舎きゅうしゃの近くの御者達の待機小屋で、彼らに貸して貰った服に着替えていた。

菱格子模様が入ったベージュ色のベストと、その共布で作られたズボンと帽子に、白いシャツ。


予想していたより服の質が高いと思ったら、

「坊ちゃまにお貸し出来る服なんてなかったっすよ」

と御者の一人にこぼされた。


多分彼が候補からふるい落とした服の方がよかったんだけどな。



「暗くなる前には戻って下さいよ」

と言われて、三人の御者達にようやく解放された。



タウンハウスの裏口は厩舎きゅうしゃから目と鼻の先にあるので、そこから高い煉瓦塀の外に出た。正面玄関がある大通りと比べて裏通りはぐっと落ち着いているので、この格好が馴染む。つまり目立たない筈だけど、帽子は深めに被り直してから歩き出した。




当たり前だが王都に暮らす市民の生活は社交シーズンに関係なく続いている。

貴族の邸宅街からずっと離れた街は、シーズンが終わっても活気に溢れていた。



「残り五個ですよ~!」

「こんなに大きいのはなかなかないよ!」



凄いな。



大きな道の左右にぎっしりと露店が建ち並んでいて、歩くのも大変な程人が行き交っている。露店の後ろに軒を連ねている三階建てや四階建ての建物も、一階はみんな何かの店だ。


食べ物のいい匂いと賑やかな呼び込みの声で空気がはち切れそうだ。


空も気持ちがいいくらいに晴れていてわくわくする。



この時期の王都にいるのは初めてだったので、社会勉強を兼ねて今まで足を踏み入れたことがなかった辺りまで来てみた。


一軒一軒の間口が狭い分、店の種類と数と音が大量で、玩具おもちゃ箱を引っ繰り返したみたいだ。貴族向けの店が並ぶ商店街とは全然違うけれど、これはこれで凄く楽しい。



姉上達も連れて来てやりたかったな。ほぼ毎日ドミニク様との予定がある姉上はともかくとして、シンシアはすることがないだろうし。



だがさすがに貴族令嬢を平民街のこんなに深い所まで連れて来るのはまずいと思って、声を掛けられなかった。こういう時は男でよかったと思う。


王都の治安は特に悪くはないけど、スリは多い。平民街を一人でウロウロするとなると、貴族とばれない工夫は必要だった。


ただ「そのお顔で平民のふりは無理ですって」と言われて、顔と手に薄っすら土まで塗られたのはやり過ぎだと思うんだが。



とまれ時間を持て余していたこともあり、刺激的で気分が高揚する。


何か食べるくらいはしたい。


左右に視線を巡らせたその時。視界の端を見覚えのある色がよぎった。


「?」


そんな筈はないと思いながら、右から左へと動いて行った色を追い掛ける。


「えっ」


いやそんな筈はないと、常識がまだ自分の見ているものを否定する。

人混みの中を縫うように、白金髪プラチナブロンドの少女がせかせかと横切って行く。



いやそんな筈―――――――――――――――――――――



でもあの背!!



あの髪にあの顔にあの背と三点揃って、他人の空似はさすがにない。



「嘘だろ………」



あの日は結い上げられていた巻き毛が今日はたんぽぽの綿毛みたいにふわふわに広がっていて余計に目を引く。あんなに見事な白金髪プラチナブロンドはなかなかない。



ファニィ嬢?!


平民みたいな服着てるけどファニィ嬢だよな?!



見てはいけないものを見ている気がして声が掛けられない。まだ王都にいたなんて。



なんでこんな所に!



自分と同じような理由だとしてもグレンか誰かが一緒なんだよな?!



人混みの中に紛れてしまいそうな彼女の後を必死に追い掛けながら周囲を探した。


一人の筈がないとは思うけど、確認せずにはいられない。て、言うかそれを確認せずに離れられない。

なのにしばらく追跡していてもそれらしき存在が現れなくて、段々混乱してきた。



まさか本当は貴族じゃないとか?



そんなことまで頭をよぎる。


いや、グレンの家は間違いなく子爵家だ。それにファニィ嬢の言葉遣いや作法は確かに貴族令嬢のそれだった。あれは幼少から教育を受けていて身に付くもので、付け焼刃でどうにか出来るものじゃない。



グレンはこれ知ってるのか?!



仕方なく追い続けるが――――――ちょこまかし過ぎだろッ!小さいから、髪が目立っていなかったら多分見失ってる。


声を掛けるべきか悩んでいるに彼女は道を左に折れた。見なかったことにも出来ず、少し遅れて自分も続く。大通りから外れると、店と人通りはがくりと減った。


どこへ行くつもりなんだろう。


まさか本当に一人なのか――――――服装もちょっと謎だ。


ファニィ嬢は頭の左右に小さなリボンを着けていて、オレンジ色のワンピースと白いエプロンを着ていた。

平民っぽいのはいいとして、少し幼く見えるのはわざとなんだろうか。子供と間違えられそうだ。


夜会の日、ファニィ嬢を目で追っている自分に気が付いた時、自分の中に変な嗜好があったのかと自分で不安になったのを思い出す。でも思い返してもこれまで小さいに魅かれたこととか特になかった。

それにこうして見ると、ああいう格好をしていてもやっぱり子供には見えないと思う。………割と胸あるし。



結局俺は、それから延々とファニィ嬢を見守った。だってどう考えたって危ないだろ………。

それでも声を掛けなかったのは、やっぱり見てはいけないものを見ている気がしたからだ。


それにしても右へ左へと複雑に道を折れる彼女はどこへ向かっているんだろう。何かどんどんひと気が乏しくなっていくし、本当に危なくないか?

時々きょろきょろと辺りを見回しているけど……………まさか迷子?


あ。


道の反対側でちょっと先を歩いていたファニィ嬢が立ち止まった。慌てて彼女に背を向け、目の前にあった街灯にもたれ掛かって人待ちみたいな風情を装う。



「はあ………」



溜め息が聞こえたのでそっと街灯越しに振り返った。


ファニィ嬢は低い煉瓦塀の上に腰掛けていた。多分、公園を囲んでいる塀だ。煉瓦塀の上には鉄柵が建っていて、鉄柵の向こうでは大きな木々が一杯に枝を拡げていた。


子爵家の令嬢はたんぽぽの綿毛のような頭でうなだれていた。

さすがに疲れたんだろう。ここまでかなりの距離を歩いている。


彼女帰れるのか?声を掛けて事情を聴いた方がいいのかもしれない………。



「お嬢さん……ちょっと!お願い、助けて!」

「えっ」



?!


誰かがファニィ嬢に声を掛けていた。彼女が立ち上がった気配を感じて振り返る。「助けて」とは穏やかじゃない。

彼女が向かっていた方向、鉄柵の内側から誰かが呼んでいて、ファニィ嬢はそちらに駆け寄っていた。


「どうされました?!」


貴族丸出しだろう、その喋り方!


半瞬の沈黙があったのは、多分相手も戸惑ったからだ。ひやひやしながら見守っていると、柵の内側の女性は苦し気に呻いた。


「……急に具合が悪くなって……動けないの」

「えっ、誰か人を呼べばいいですか?!」

「いえすぐそこがうちなの。家族を呼んで来てくれないかしら?」

「分かりました!どこですの?」


「あの路地を入ると少し奥に木樽を置いている家があって」

苦しそうに息をきながら女性が説明する。


自分も出て行くべきだろうか。


人通りも馬車通りも少ない場所で、ほかの誰も騒ぎに気付いている様子がない。女性の一番近くにいるのはファニィ嬢と自分だった。


やがてファニィ嬢が駆け足で道路を渡って来たのでどきりとした。でも道路を斜めに渡った彼女は、そのまま最初に自分が向かっていた方へと走って行った。


「……!」


追うべきか?

でもファニィ嬢はあの女性の家族を呼んで戻って来るんだろう。あの女性も一人にはしておけない。


結局俺は街灯の後ろからは動かずに、見知らぬ女性の様子を見守った。


柵の反対側で、女性はファニィ嬢と同じように煉瓦塀の上に座っていた。頭を覆っている紫色のヴェールと黒い柵が邪魔で、顔はよく分からない。でも多分、三十歳前後の女性だと思う。


「すぐそこ」とは聞こえたけれど、距離があるので全部は聞き取れなかった。言っていた路地はどこなんだろう。視線を転じると、ファニィ嬢は道を曲がるところだった。


「――――――――――――――――」


女性の方へと目線を戻す。



と。



「えっ……」



黒い柵の向こうでヴェールの女性が立ち上がっていた。



体勢を変えたくなった?


でも苦し気にしていたのが嘘みたいに背筋が伸びている。


もしかして急に良くなったのか?



だが。



女性は逃げるように柵の前を離れると、公園の木々の奥へと消えて行った。




ざわりと全身が総毛立つ。




ファニィ、行っちゃ駄目だ!!




ファニィを追って駆け出した。


「ファニィ」、と叫ぼうとしたその時。


「!!」


突然、車道側から男が飛び掛かって来た。





「ファニィ!!!」


薄暗い路地にファニィの姿はなかった。勝手口に見える小さな戸が幾つも並んでいるけど、人っ子一人いない。でも木樽は見付けた。


何が起きているのか理解出来ない。


襲って来た二人の男達とあの女の関係も。


でもこれは絶対にファニィを見付けなければ駄目だ!


木樽の横の小さな戸を押すが開かない。


「くそ……!」


一度構えて右足で蹴った。



バンッ!!



助かった!

扉の鍵が簡単な掛け金だったのだ。足で蹴ったら掛け金は構造ごと弾け飛んで、凄まじい音を立てながら扉はいた。


飛び込むと、薄暗い室内に男が二人。


ファニィの口を塞ぎながら背後から抱え上げている男が奥の扉をくぐろうとしていて、もう一人が俺のすぐ右にいる。


二対一。


そう理解するのと同時に右の男の脇を回し蹴った。


相手が状況を理解する前に一人倒せれば一対一だ。



「ブロディ様??!」

「なんだお前ッ!!」



仲間をやられた男の手がファニィから離れる。


帽子も落としちゃったしもうこの服は弁償だな、と思いながら殴りかかって来た男の右手と胸ぐらを取り背中から地面に叩き付ける。


まずい。最初に倒した男が立ち上がろうとしている。先刻さっきの男達も気絶させた訳じゃないから、背後の不安も消えていない。


「ファニィ……!」

逃げろ、と叫ぼうとした時。


起き上がりかけていた男の前でオレンジ色がひるがえった。


次の瞬間には小さな令嬢の膝が男の首を背後から地面に抑え付けていた。



は?



たんぽぽみたいな令嬢が男の腕を後ろ手にきめる。

「痛てぇッ!!」

野太い声で男が悲鳴を上げたが、子爵令嬢も同じくらい焦った顔をしていた。



「これどうすればいいでしょう?!」



は?



状況が理解出来ない。


え~と、先ずこちらの男の動きを封じて……と、理解出来ないなりに対処しようとはしたが、そんな猶予ゆうよは残されていなかった。


外から幾つもの足音が迫って来るのが聞こえる。


先刻さっきの奴らか、とは思ったが、重層的に響いてくる音が二人分より多い。


こいつらの仲間なのか?


分からないがとにかくファニィだけでも逃がさないといけない。


組み伏していた男の首に一撃入れてから立ち上がり、ファニィの前で身構えた。



「ブロディ様?!」



暗闇に白く切り取られた扉から男達が雪崩なだれ込んで来る。


くそ!ここから逃げ道を作れるか?!


男の一人が駆けて来ながら叫んだ。



「ファニィ!!」

「ヒューゴ叔父様!!」

「はっ?」



聞き咎めた時には男達に飛び掛かられていた。




***


乗せられた辻馬車の中でブロディ様と向かい合いました。

あれから色々と大変なことが起き、ヒューゴ叔父様は手が離せなくなってしまったのです。


ブロディ様と二人きりになる機会があるなんて考えてもおりませんでしたから、緊張してしまいます。


「酷い格好で失礼」


無の表情でそう言って、手櫛でざっくりと髪を整えられたブロディ様は髪も服もぼろぼろでしたが、それでもお美しかったです。


ブロディ様にこんな格好を見られたわたしはどうすればよいのでしょう。

精一杯背筋を伸ばしますが、着替えを持参していなかったことが激しく悔やまれます。


たった一度踊っただけのわたしを心配して見守り、あまつさえ助けに飛び込んで下さるなんて、どうしてそう乙女心を搔き乱すことをされるのでしょうか。


とび色の瞳に正面から見つめられてどきどきします。



夕暮れの街を走り出した馬車の中。


わたしはヒューゴ叔父様が話しきれなかった詳細を、ブロディ様に説明することになりました。




幸い大規模なものにはならなかったそうですが、少し前、市民が王城に詰めかけるという騒ぎが起きていたそうなのです。


ヒューゴ叔父様達衛兵隊もこの一、二カ月は街で市民に問い詰められるようなことが何度もあったのだとか。


わたしは知らなかったのですが、王都では昔から社交シーズンの終わりに、特に子供が行方不明になりがちだそうなのです。


シーズンの終わりには大勢の人間が一斉に王都を離れます。そのどさくさに乗じて人(さら)いが起きるらしいのです。


「毎年水際で食い止めるのに必死だ」


我が家の窮屈なソファで、叔父様はうなだれておられました。


でもこの問題は貴族にはあまり知られていないそうです。

事件が起きる時期にはほとんどの貴族が領地に帰ってしまっているのと、被害者が平民だけだからだそうです。叔父様達衛兵隊が事件を未然に食い止めてきたことも大きいのだと思います。


ですが今年はいつもと様子が違ったそうなのです。


「十一歳から十三歳の女の子ばかりもう五人も行方不明になっていて、未だに発見出来ない」

「なんと」


叔父様のお話に皆息を飲みました。


さらわれた人間は皆どこかに売られるそうなのですが、一度売られてしまうと簡単には見付けられないと言うのです。


市民が「暴動寸前だ」と言うのも無理はありません。


叔父様は同一犯と思われる犯人が、「まだ王都を出ていない可能性」に賭けていらっしゃいました。


なんとしても子供達を見付け出してほしいと思います。


「犯人を誘い出したいんだ」

と言われた時には、ちょっと嫌な予感が致しましたけれども。



叔父様の作戦は、「衛兵隊が厳重警戒中の王都に、わざと監視が緩いエリアを作ってそこにおとりを放つ」と言うものでした。




全く気付かなかったけれど、その叔父上と衛兵隊はファニィ嬢を遠巻きに警護していたのだと言う。


彼女の後をつける不審な男として、だいぶ前から俺は衛兵達の注目を集めていたらしいのだ。

路上で衛兵達かれらが襲い掛かって来たのは、俺がファニィ嬢の後を追って走り出したからだった。



「結果ご無事だったからよかったものの」



怒りを抑えつつ切り出した。



不幸な行き違いを呼び込んでしまったのは俺かもしれないが、あの時衛兵隊の奴ら、俺に注目し過ぎてファニィへの注意がおろそかになってたろ?!


そう上品ていねいな言葉遣いで指摘すると、子爵令嬢の顔からは血の気が引いていた。


本当の子供をおとりに出来ないというのは分かるが、貴族令嬢にこんなことさせるとか、危険過ぎるだろ!


と、また上品ていねいな言葉遣いで指摘する。



「わたくし武術を少々習っておりますから、叔父が知っている中では最適だったのだと思います」

もう恐怖を消化したかのようにあっけらかんとファニィ嬢が言う。確かに心得はあるようだったけれども。

「なぜ武術を?」

「兄の真似ごとをしていたら、ヒューゴ叔父様が筋がいいと仰いまして、わたしにも教えて下さったのです」


何を教えてんだよあの叔父上?!お前も止めろよグレン?!



誇らしげに胸を張った子爵令嬢を前に深い溜め息をく。

後ろから羽交い絞めにされて逃げられなくなってたじゃないか。


色々と言いたいことはあったけど。


「第一に国民の生活、第二に国民の幸せ、第三に自分と家族の幸せ」が、初代オーガスタ子爵が遺された家訓だと聴き、ちょっとだけ感動したので言葉を吞んだ。


あの叔父上には後で話をしに行こうと思うけど。




ともかくも、子供達が全員無事保護されたのは何よりだった。





暗くなる前に馬車はトライフォード家に着きました。


ブロディ様がこんなお姿で戻られたら大騒ぎになるのではないかと思いましたが、ブロディ様は辻馬車を伯爵家の裏口に付けさせました。


でもやっぱり、トライフォード家の御者達は大騒ぎになりました。



「坊ちゃまああぁぁぁぁ?!」

「何があったんです?!」

「この子はッ?!」

「………………オーガスタ子爵令嬢だ」

「「「はっ?!」」」



せめて着替えておきたかったと思います。




家を出られる時もそこで着替えられたと言うブロディ様の服が、御者の待機小屋にあったのは幸いでした。

ブロディ様のお着替えと馬車の準備が終わるまで、わたしは裏庭で待たせて頂くことになりました。ここから我が家までは、なんとブロディ様がトライフォード家の馬車で送って下さると言うのです。


とても嬉しいですが、心臓が破裂しそうです。


「はあ」と緊張の溜め息をいた時、ピアノの演奏が聞こえて参りました。



――――――なんて美しい音でしょうか!



柵と庭園を間に挟んだ、遠くのお屋敷を見やります。

ブロディ様はこの騒動を家族に知らせるおつもりがなさそうなので、あまりそちらに近付くことは出来ません。


トライフォード家のタウンハウスは大変にご立派です。


一口に「裏庭」と言っても、馬を走らせることも出来るこの辺りはお屋敷から一番離れた位置にあり、植栽もありません。ここから庭園を挟んで向こうのお屋敷まではだいぶ距離がありました。


おそらくたまたま窓を開けて弾かれていたので聞こえてきたのだと思います。


わたくしピアノはあまり得意ではありませんが、貴族令嬢としてたしなみはありますので、聞く耳は持っています。


とても綺麗な音です。情感豊かで、それでいて優れた技術もお持ちです。


つい庭園の手前まで近付きました。


もしかして「神の贈り物」と名高いあのシンシア様が弾かれているのでしょうか。


思わず涙ぐみながら聴いていると、着替えを終えられたブロディ様が「また迷子になったかと思った」と呟きながら現れて、わたしを見て驚いた顔をされました。


わたくし街でも迷子になっていた訳ではないのでちょっとだけ心外でしたが、今は抗議する気になれません。


「なんて綺麗な音なんでしょう」


言葉が口からこぼれました。

と、ブロディ様がぱあっと輝くような笑顔を見せられましたので、今度はこちらがびっくりしてしまいます。


「姉上だよ」

と嬉しそうにそう教えられて、更に驚きました。



この奏者が今噂のアリア様ですか!



こんなにピアノがお上手だったなんて、なぜ今までお名前を伺ったことがなかったのでしょう。少し前まで、トライフォード家にもう一人ご令嬢がいたことすらわたしは知らなかったのです。


もしかしてシンシア様が有名過ぎて、アリア様は過小評価されていたのではないでしょうか……。


わたしと一緒に屋敷を見つめておられるブロディ様にも色々と思う所があったのかもしれません。


それにしても。


貴族と言うものは子供の頃から感情を顔に出してはいけないとしつこい程に教育されるものですが、ブロディ様は表情豊かです。


でもブロディ様の場合はそれが問題になっていないように思います。


ブロディ様の率直さは、むしろ大勢の方達を惹き付けているように見えるのです。




***


この事件は政治の中枢を揺るがすものとなりました。


衛兵隊が犯人をなかなか突き止めることが出来なかったのは、犯人かれらが地下に道を造って、一つのアジトから別のアジトへと地下を移動していたためだったのです。

道は複数見付かり、特に地下通路の一つが王都の外につながっていたことが大問題となりました。



でもその結果として、自分がデビューより前に王城に来ることになるとは思っておりませんでした。



白大理石の床を縦断する長いカーペットや、天井から吊り下がるドレープが藤色のこの会場は「藤の間」と言うそうです。


小さい子達はお留守番にして正解でした。


ヒューゴ叔父様のご一家も我が家の家族もガチガチに緊張しています。

叔父様がいつもよりきちんと髪を整えてくれてよかったと思います。きっと叔母様のお蔭でしょう。


この時期の王都に残っていた方達だけですので決して多くはないのですが、トライフォード家を始めとした貴族の方々が後方に参列して下さっています。

両脇にズラリと並ばれているのが王族と重臣の方々で、多分右前方にいらっしゃるのがマコーニー公爵と、長年不動の一番人気と言われていたご嫡男のドミニク様ではないかと思います。見惚れてしまうようなお姿をされていますので。


そして前方の壇上にお座りになられているのが国王ご夫妻です。



リン、リン。



マコーニー公爵と思われる方が儀式の開始を告げる金色の鈴を鳴らされました。

一瞬で会場が静まり返り、今度は左前方の方が前に出られます。あの方は先刻さっき別室でご挨拶を受けましたので、宰相閣下だと分かります。



「本日の儀――――――――」

と宰相閣下は切り出され、この度の事件のあらましを語られました。



宰相閣下はお話を程よい長さで終えられました。ですがこの会の主眼はこれからです。


遂に国王ご夫妻が立ち上がられます。口髭と顎髭がご立派な陛下のお声は意外にも柔らかいものでした。



「ヒューゴ=オーガスタとファニィ=オーガスタ子爵令嬢のこの度の貢献と働きに、心よりの敬意と感謝を申し上げる。両名の働きを讃え、二つの家に新たな爵位を授けたい」




美しい制服姿の近衛兵に先導されて、参列の方々の間を通って退場します。

次は祝賀会場へと移動するのです。


と、ブロディ様のお姿が探すまでもなく目に飛び込んで来てしまいました。


先を歩いていた叔父様が恐縮して見えるのは、部下全員がブロディ様に飛び掛かってしまったせいだと思います。トライフォード家から抗議が来ていたら叙爵に影響していたかもしれませんので、叔父様はブロディ様にお礼を言った方がいいのかもしれません。


とび色の瞳とが合いました。するとブロディ様はにっこりと微笑んで下さいました。

どうしてそう乙女心を惑わすことをされるのでしょうか。


その時、ブロディ様の隣の女性が微笑みながら、膝を小さく屈めて黙礼して下さいました。

参列して下さった方々は皆様家族ごとに固まっておられましたので、ブロディ様のご家族なのだと思います。


一瞬この方がシンシア様でしょうかと思いましたが、シンシア様は透き通るようなブロンドのご令嬢と言われております。ダークブラウンの髪が艶やかなこの方は、だからアリア様なのだと思います。


本当になぜ今までお噂を聞くことがなかったのでしょう!

とてもとてもお美しくて、とてもとても感じの良い方です!


今年の社交界の話題をさらった騒動のことや、あの時聞こえたピアノのこともあり、わたくし一遍でアリア様のファンになってしまいました。


深く一礼してからそっと後ろをうかがいますと、ドミニク=マコーニー様と思われる方がとろけそうな優しい眼差しでアリア様を見つめておられました。


なかなか婚約されず、シンシア様と結婚されるのではないかと囁かれていたドミニク様が実はずっと以前からアリア様をお好きだったと言う噂は、おそらく本当なのだと思います。



アリア様が既にこれ程お美しいのに、「天から舞い降りたよう」と言われるシンシア様は一体どれ程お綺麗なのでしょうかと見回しましたが、それらしい方がいらっしゃいません。


よく考えたらシンシア様はまだデビューされていませんでした。

では今日はお留守番―――――――と思った時、ブロディ様に声を掛ける方がいらっしゃいました。


「今日はシンシア嬢はいないのか?」



「!」

びっくりしました。

ブロディ様とアリア様のお顔が明らかにさっと強張ったからです。



「まだデビューしておりませんので」

と、ブロディ様は硬い声でお答えになっておりました。



もしかしてブロディ様はシンシア様のことをあまりよく思われていないのでしょうか………



気になりながら近衛兵の先導に従って通り過ぎました。




***


かつてなく長引いた王都滞在を終えようとしていた頃。


なんとブロディ様がグレン兄さまと共にわたしも伯爵家に招いて下さいました。昼食の席をご用意して下さると言うのです。



そこでわたしは初めて「神の贈り物」と言われるご令嬢、シンシア様とお会いすることになりました。



結論から申し上げますと、ブロディ様はシンシア様もとても大切にされておりました。


シンシア様にはシンシア様のご苦労があったのです。



わたくしアリア様もシンシア様も大好きになりました。


女性三人で話が盛り上がり過ぎて、取り残されたブロディ様とグレン兄様が何か複雑な表情をされていたのが、このシーズンの最後の想い出です。





***


季節は巡り、再び社交シーズンとなりました。王都に賑わいと華やぎが戻ります。



ブロディ様との再会は、グレン兄様と共にお招き頂いたトライフォード家のお茶会でした。



「お」

目をみはりながらそう口を滑らせかけたブロディ様を見つめ返します。

はい、わたくし背が伸びました。

「少女は大人になるのです」

と微笑んで胸を張って見せると、ブロディ様は顔を真っ赤にされました。



ふふっ、ブロディ様は本当にすぐにお顔に出ますね。



新しい領地に引っ越したあと、ブロディ様から何度かお手紙を頂きました。もちろん毎回返信しましたが、背のことは秘密にしていたのです。驚かせたかったので。

まあ小さいことに変わりはないのですが、わたくし「小柄な貴婦人」で通るくらいにはなったのです。




今年はデビューの年です。


シーズンの始めに、今年デビューする令嬢達のための舞踏会が王城で開かれます。

急病とか何か余程のことでもない限り、ほぼ全ての貴族令嬢がこの舞踏会をデビューの場に選びます。


今年はいつもより大人数になるかもしれません。

シンシア様と一緒になることを嫌がって、デビューの年を前倒しや後倒しにする家が多いと言われているからです。


シンシア様のデビューは社交界の関心の的ですから、ご年齢も誰もが知っているのです。



貴族令嬢のデビューは「大人になった」という公的な宣言です。ぶっちゃけて言いますと、「婚活の場に出ます」という宣言でもあります。貴族令嬢にとって、デビューは人生の重大行事なのです。



その舞踏会ではデビュタントのドレスは白と定められておりますが白の色合いや装飾についての決まりはないため、どのご令嬢もそれぞれのセンスと家の経済力に合わせて自分が一番美しく見えるように工夫に工夫を凝らします。


なかなかにシビアな戦いなのです。



あの時とは違う大きなホール。


わたしはお父様と共に入場しました。

デビュタントのエスコートは父親か、父親が出席出来ない場合は親族の男性が務めるのが慣例です。


シャンデリアと深紅の天井ドレープに彩られた会場に、白い花のような令嬢達が次々と入場します。



あ!



ブロディ様のお姿を見付けてしまいました。


ホールの壁に沿って若い貴族の男性が沢山おり、ブロディ様はその中にいらっしゃいました。婚活の場に出て来た令嬢達と逢うために、この舞踏会には未婚の貴族令息も大勢出席するのです。


胸がどきどきします。



手を取って下さいますか……?



国王ご夫妻が前方の壇上に入場されます。


そして高官と思われる方が口上を述べられました。


やがて名前が呼ばれ始め、長い一日が始まりました。


ホールの真ん中に集められたデビュタントとそのエスコートはこれから五組ずつ陛下の御前に呼ばれて、お言葉を賜ることになっているのです。


デビュタント達の名前と顔を知るための時間でもありますが、令嬢達と壁際の令息達はこの長丁場を辛抱しなければなりません。


呼ばれる順番は爵位ごとかつ家名の文字順と決まっています。既に入場時にその順番に並んでおりますので、皆順序良く御前に進み出て行きました。


我が家の番です。



「ファニィ=オーガスタ伯爵令嬢!」



そう呼ばれて父の左腕に手を掛け、陛下の前に進み出ました。

父が片膝を付く横でわたしは腰を屈め、父娘おやこで深くこうべを垂れます。



ここで信じられないことが起きました。


「おめでとうと言わせて貰おう。ぜひ今日を楽しんで行ってほしい」

そんなお言葉を頂いて頭を上げようとした時、陛下が言葉を接がれたのです。



「ファニィ=オーガスタ嬢」



会場の空気がさっと変わりました。「へっ?」とか言わなかった自分を褒めたいです。

ここまで短く当たり障りのないお言葉だけを述べ続けてきた陛下が、個人の名前を口にされたのは初めてでした。


柔らかなお声で陛下は先を続けられました。



「先年の身の危険を顧みない王国への貢献、深く感謝している。余はそなたの祖父に助けられた。今宵は楽しんで行かれよ」



壁際の貴族令息達の目の色が変わった気配を感じます。


返事は求められていないと思いますが、どきどきしてしまって顔を上げる以上のことなど出来ません。


王都を守った功によりヒューゴ叔父様が子爵位を、我が家が子爵位を保持したまま新たに伯爵位を授かったことはよく知られていると思いますが、この特別扱いは、「陛下が我が家に目を掛けている」と受け止められたと思います。


陛下はぽっと出の伯爵令嬢を最大限に宣伝して下さったのです。


きっと祖父への礼もあるのでしょう。今日の日をお祖父様にもお見せしたかったと思います。

父とわたしはもう一度深くこうべを垂れました。



全てのデビュタント達の挨拶が終わりました。


「これより舞踏会を開催する!」


陛下の宣言と共に整列していた令嬢達の列が崩れ、壁際から男性達がフロアへと進み出ます。


これからファーストダンスです。


期待と不安が胸を締め付け、少し息が苦しくなります。


ファーストダンスには割と重要な意味があります。


既に婚約者があるご令嬢は婚約者と踊りますが、決まったお相手がなく曲が始まるまでにお誘いがなかった令嬢は、ファーストダンスはエスコートの父親と踊るのが慣例です。でも一曲目が始まるまでにお誘いがあったなら、その男性は自分に関心があると考えられるのです。



その方のお姿はやっぱりすぐに見つけてしまいました。



金茶色の巻き毛の方が真っ直ぐにこちらに歩いて来られます。


そのお姿を何人ものご令嬢が目で追っていました。



あっ、赤服令嬢――――――――――――――――――



見覚えのあるご令嬢が微妙にブロディ様の進路に入られました。


でもブロディ様は小さく黙礼すると、その前も通り過ぎられました。



陛下のご宣伝のお蔭でわたしの周りには数人の男性が集まって下さっていました。

男性が競合した場合の優先順位は第一が婚約者、その次は家格順というのが不文律となっております。皆名札を付けている訳ではありませんから結構な神経衰弱だと思いますが、男性達はブロディ様のお姿を見ると皆後ろに下がられました。


そして左右に割れた人垣の間を通り抜けたブロディ様が、わたしの前で遂に立ち止まられました。



わたくしそう思ってよろしいのですか?



ブロディ様は先ず父に、礼儀正しく尋ねられました。


「お嬢さんと踊ってもよろしいですか?」


「えっ?!」

トライフォード家?!とでも叫び出しそうに取り乱した父がブロディ様の左手にわたしの右手を預けるまでちょっともたもたしましたが、伯爵令息は優美なたたずまいで受け止めて下さいました。



ブロディ様に手を取られて会場のいている場所に進み出ます。


会場じゅうがファーストダンスの始まりを待っていました。


楽団の調律の音が止みましたので、そろそろ演奏が始まると思います。



と。


まだ曲も始まっていないのにブロディ様がわたしの手を掲げ、いつかのように深々と一礼して下さいました――――――そして満面の笑みを浮かべてわたしをご覧になりました。



本当に罪つくりです、ブロディ様は!






その日のブロディ様とわたしのダンスは、それから長く社交界の語り草となりました。






*⍦*⍦*⍦ ~エピローグ~ ⍦*⍦*⍦*


陽の光が緑の草地を優しく照らしています。


田舎道をがらがらと走る車輪の音が長閑のどかです。


新しい伯爵領から久しぶりに子爵領へとやって来て、今日は兄とお出掛けです。

この子爵領と子爵位は多分弟が継ぐことになると思います。食いっぱぐれる心配がなくなってよかったです。


馬車が向かっている先はトライフォード領です。

ブロディ様が我が領との領境の辺りまで、お父様と領地のご視察にいらしているとのことで、視察中に滞在しているお屋敷にご招待して下さったのです。


貴族の令息には令嬢のような明確なデビューの日はありません。ある程度の年齢になると父親に連れられて仕事や社交の場に出るようになり、そのまま自然に社会に出て行くのです。


社交シーズンが終わって間もないのにまたお会い出来るなんて、子爵領を残して貰えてよかったです。


小さな川を渡ってトライフォード領に入ります。



なんて美しい景色でしょう。



遠くまで広がる草原に、赤色と紫色の実を一杯に付けた低木の小さな茂み。どこか懐かしい気が致します。


「あの時は大変だったなぁ……」


向かいの兄が同じ景色を見ながらのんびりと呟きます。



―――――――――――――あら?



唐突に記憶が甦りました。



***


幾つの頃だったのか覚えていません。今日と同じようにとてもいいお天気でした。


てくてくてくてくとわたしはお散歩をしておりました。

気持ちがよい日で、どこまででも行けそうでした。



てくてくてくてくと歩いている内にラズベリーの茂みを見付けました。


一杯歩いてお腹が空いていたんだと思います。小さなわたしは草地に座るとしばらく無心で赤い実と紫色の実を食べておりました。甘くてとってもおいしくて、とっても楽しい気分でした。


ふと気が付くとすぐそこに、一つか二つくらい年上に見える男の子が立っていてわたしを見つめておりました。金茶色の巻き毛の少年は目を丸々と見開いておりました。



「………帰れるの?」



しばらくのを開けて男の子が尋ねてきました。



かえれる?



ふいに「ここはどこなのか」と考えました。

右を見て、左を見て、後ろを見ます。どこだか全然分かりません。急激に不安が膨れ上がり、目の縁が涙で熱くなりました。


「…………」


そんなわたしの様子を見つめていた男の子がやがて無言で手を差し出しました。


「―――――――――――」


連れて帰ってくれるのだと思い、その手を握って立ち上がりました。



てくてくてくてく、それからずっと男の子に手を引かれて歩きました。


やがて景色は見覚えのあるものになり、ちゃんとおうちに辿り着くことが出来ました。何かそれから大騒ぎになり、男の子がうちの馬車に乗せられて行ったような朧気な記憶がございます。そのあとなんだかこっぴどく叱られたような。


でもお叱りのあと、お祖父様からハンカチの布包みを渡されたと思います。


子供ながらに刺繍入りの真っ白なハンカチが随分といいものに見えたと思い出します。


包みを開くと、入っていたのは赤と紫のたくさんのラズベリーでした。


記憶と一緒に感情が甦ります。


あの男の子が包んでくれたのだと、あの時わたしは幼心おさなごころにときめいたのです。



あの時の男の子――――――――――――――――!



***


がらがらがら。


控え目な大きさの、でも品のいいお屋敷に馬車が着きます。車輪の音が聞こえたのか、ブロディ様は玄関の外で待っていて下さいました。



金茶色の巻き毛の伯爵令息が、馬車を降りようとするわたしに手を差し出されます。



「迷わなかった?」



そう言ってブロディ様はお陽さまのような笑顔でわたしをご覧になりました。


読んで頂きありがとうございます。


以前に書いた「トライフォード伯爵家のじゃない方の令嬢の幸福」の姉妹(姉弟)作です。お時間ある時など、そちらもお読み頂けるととても嬉しいです。


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 アリアさんやシンシアさんだけでなく、ブロディさんまでリズム感に恵まれてるとは、トライフォード家は凄い英才揃いですね。  恋に就職にと等身大な悩みを抱えながらも、礼節は確かにダンス以上に達者な足さば…
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